タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ゲゲゲの鬼太郎(6期)よありがとう!!(エピソード編)

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6期鬼太郎振り返り企画。ここではエピソードにスポットを当てていきたい。

 

テーマ別傑作選

自選のベストエピソードを発表する前に、まずはテーマ別の傑作選を紹介。話数や順位を限定せずに選んだので、テーマによって選ばれたエピソード数に違いがあるが、以下に列挙したエピソードは見て損がないと思ったものを選んだ。

※一応テーマ別なので、傑作でもテーマに合わないと判断したものは除外。反対に、テーマに合ったとしても面白いと思わなかったものは除外している。また、1テーマ1作品で選別したため、他のテーマと重複したエピソードはなし。

 

大激闘!

5話「電気妖怪の災厄」

12話「首都壊滅! 恐怖の妖怪獣」

28話「妖怪大戦争

34話「帝王バックベアード

75話「九尾の狐」

97話「見えてる世界が全てじゃない」

6期はこれまでのシリーズと比べてバトルシーンの簡素化が激しいが、そんな中でもこれは激戦だったなと思ったものをチョイス。カミナリの圧倒的な電気エネルギーを逆手にとって勝利を収めた5話や、まながいなければ間違いなく敗北していた12話。西洋妖怪の圧倒的勢力を痛感することになった28話に、ねずみ男が救世主となった34話も忘れられない。そして、総力戦となった75話も(少々駆け足気味ではあったものの)うまくまとめられていたと思う。

 

・妖怪が映す社会問題

9話「河童の働き方改革働き方改革関連法)

27話「襲来! バックベアード軍団」(難民問題)

38話「新春食人奇譚火車(年金不正受給)

47話「赤子さらいの姑獲鳥」SNSでの印象操作、デマ)

55話「狒々のハラスメント地獄」(ハラスメント問題)

62話「地獄の四将 黒坊主の罠」(改正水道法)

77話「人間消失! 猫仙人の復讐」(多頭飼育崩壊)

79話「こうもり猫のハロウィン大爆発」(渋谷ハロウィン問題)

84話「外国人労働者チンさん」外国人労働者問題)

公害汚染や交通戦争・土地開発など、これまでの鬼太郎も社会問題を根底においた物語が色々とあったが6期も負けてはいない。2019年4月から施行された働き方改革関連法に先駆けて描かれた9話や、水質汚染騒動をもとに改正水道法の懸念事項を描いた62話などは、昨今の政治情勢ネタを取り入れていると言えるだろう。27話や84話における外国と日本の軋轢は双方共に考えるべきものがあるし、「一国家一民族」という思想は既に終わっていることを思い知らされる。47話における印象操作もSNS隆盛の現代ならではの社会問題だ。

 

SNSと妖怪

1話「妖怪が目覚めた日」

31話「小豆洗い小豆はかり小豆婆」

44話「なりすましのっぺらぼう」

53話「自己愛暴発! ぬけ首危機一髪」

67話「SNS中毒VS縄文人

83話「憎悪の連鎖 妖怪ほうこう」

5期の頃からSNSはあったものの、当時はYou Tube のような動画サイトや2ちゃんねるのような掲示板が主流だったと思う(Twitter は2006年、Facebook は2004年、Instagram は2010年に設立)。それがこの10年ほどで一気に広まり、面白い動画をアップロードしてそこから広告料を得て生計を立てるユーチューバーが職業の一つとして認知されることになったのは注目すべきことであり、一種の発明と呼べるかもしれない。難しい操作なしで自分の意見・知識・技術を世界中に発信できるようになった一方、様々な問題が出てきたのも確かで、6期でもSNS問題を扱った秀作・傑作がいくつもあった。

まず1話で迷惑ユーチューバーが登場し、事件を前に淡々と動画・写真撮影する人々の異様さを描いているのがポイント。1話目からこれが描かれることは即ち6期(2010年台)がSNS隆盛期を表明した訳であり、一億総ジャーナリスト化を示している。それ以降はSNSで存在意義を見失った者(31話)やSNSの「いいね!」機能に振り回される者(67話)、アップロード写真が思わぬ火種となった事件(83話)など、様々な面からSNSの負の側面を描いているが、44話や81話のようにSNSのつながりがプラスになった物語も描いて「SNS=悪」にならないよう公平性を保っている。

 

まなと妖怪

3話「たんたん坊の妖怪城」

16話「潮の怪! 海座頭」

29話「狂気のフランケンシュタイン

49話「名無しと真名」

69話「地獄の四将 鬼童伊吹丸」

3期のユメコちゃん並みの活躍を果たした犬山まなと鬼太郎の出会いは1話から始まるが、友達としての付き合いが始まったのは3話の事件解決後となる。ここから鬼太郎たちとの付き合いが深まり、事件に巻き込まれるのは勿論、時には事件解決のキーウーマンとしてアグレッシブに動いていく点はユメコ以上のものを感じさせる。16話ではまなの先導で鬼太郎メンバーと境港の住人が協力して妖怪退治をする展開が印象に残る。

まなのコミュ力の高さは人間に留まらず、魔女アニエスや伊吹丸も彼女との出会いによって救われることになった。その一方、名無しとの縁によって人間・妖怪間の憎悪を引き起こす道具として利用され、結果的に妖怪が社会に認知された2年目の世界観を作る役割も果たした。

こうなってくると「橋渡し」というより、高速道路や新幹線を開通させるレベルで人間と妖怪をつなげてしまったヒロインと呼ぶ方がふさわしいのかもしれない。

 

6期初登場の原作

24話「ねずみ男失踪!? 石妖の罠」

46話「呪いのひな祭 麻桶毛」

65話「建国!? 魔猫の大鳥取帝国」

76話「ぬらりひょんの野望」

4期以降オリジナルエピソードの量産が激しくなり、5期では初めて映像化された原作が出ずじまいだったが、この6期ではアレンジしたエピソードも含めて計8つの原作が初映像化されることになった。そんな中でも24話と76話はほぼ原作通りの展開で視聴者を楽しませ、46話と65話は季節ネタやローカルネタを取り入れた大胆な改変でアっと言わしめた。

 

感動作!

6話「厄運のすねこすり」

20話「妖花の記憶」

23話「妖怪アパート秘話」

41話「怪事! 化け草履の乱」

68話「極刑! 地獄流し」

93話「まぼろしの汽車」

3期からだろうか、鬼太郎で思わず泣いてしまうような感動作に出会うようになった。4期が特に感動路線のエピソードが多い印象が強いが、今期もなかなかの感動作揃いだと思う。人によって感動ポイントは違うとはいえ、6話が泣ける名作だという考えは衆目の一致するところのはず。23話や41話の心温まる感動もあれば、68話や93話のように、原作を変えたことで生まれた感動もある。

 

仕事と妖怪

40話「終極の譚歌 さら小僧」(お笑い芸人)

43話「永遠の命おどろおどろ」(科学者)

54話「泥田坊と命と大地」(土木業者)

78話「六黒村の魍魎」(カメラマン)

81話「熱血漫画家 妖怪ひでり神」(漫画雑誌編集者)

92話「構成作家は天邪鬼」(TVプロデューサー)

仕事に人生をかける人間はカッコいい一方で危なっかしく、時に一線さえ越えてしまう。その一線の先で出会う妖怪によって吉となったり凶となったりするが、吉となったのは81話と92話くらいで、あとはほとんどが凶の結果。54話は「吉凶相半ばす」と言った所か。

 

する妖怪たち

10話「消滅! 学校の七不思議」

39話「雪女純白恋愛白書」

63話「恋の七夕妖怪花」

72話「妖怪いやみの色ボケ大作戦」

88話「一反もめんの恋」

人間の闇の深さを描く一方で、恋バナもちゃっかりやっていた6期。一方通行な恋(10話)にすれ違う恋(39話)、見せかけの恋(72話)に純朴な恋(63話)と色とりどりの恋模様が描かれるなかでも、物語全体を通して猫娘の鬼太郎に対するアプローチに変化をもたせた点は評価すべきだと思う。

 

ホラーな鬼太郎物語

7話「幽霊電車」

25話「くびれ鬼の呪詛」

45話「真相は万年竹の藪の中」

59話「女妖怪・後神との約束」

70話「霊障 足跡の怪」

86話「鮮血のクリスマス」

バトル漫画として世に出た「ゲゲゲの鬼太郎」も、その原点というべき「墓場鬼太郎」はホラーであり、ホラーな部分に水木作品としての真骨頂があるというのが私なりの意見。基本的に「人間が一番怖い」というのが6期のテイストだが、それだけに頼っていない59話と70話を描いた長谷川氏の脚本力は流石である。7話は社会問題を取り込んだホラー、25話は「着信アリ」のような王道のジャパニーズ・ホラー、45話はミステリ仕立て、86話は外国映画によくある殺戮者に追いかけられる系のホラーと、それぞれにテイストが異なる面白さがある。

 

教訓としての妖怪奇譚

4話「不思議の森の禁忌」(自然物の保護)

19話「復活妖怪!? おばけの学校」(学ぶ意味)

22話「暴走!! 最恐妖怪牛鬼」(因習を守ること)

52話「少女失踪! 木の子の森」(親のありがたみ)

64話「水虎が映す心の闇」(復讐の危険性)

71話「唐傘の傘わずらい」(物を大事にすること)

73話「欲望のヤマタノオロチ(安易に幸福をつかむことの危険性)

80話「陰摩羅鬼の罠」(死者への執着)

水木先生の作品には訓話としての物語が数多くあるが、鬼太郎も例外ではない。22話の牛鬼回は初アニメ化された2期以降ずっと変わらぬテーマを視聴者に投げかけている。19話は夏休み期間中の子供たちに向けたメッセージだと受け止められるし、71話は大量生産・大量消費が当たり前の今だからこそ、改めて考えるべき問題と言えるだろう。

 

タリホーが選ぶ、オールタイム・ベストエピソード10選!

では、私が選んだオールタイム級のベストエピソードを発表する。

(特に順位はなく放送順で並べました)

 

1.「厄運のすねこすり」(6話)

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

ゲゲゲの鬼太郎」という枠を超えて人々に感動を与える物語として、やはりこれを外すことは出来なかった。人と妖怪の関わることの難しさを過疎化問題を絡ませながら、「ペットと飼い主」という普遍的なモチーフを使って宿命論的悲劇に仕立て上げた物語。ある種テンプレ的なプロットではあるが、「好きな人と一緒にいられない苦しみ・悲しみ」を背負うすねこすりの姿に、胸がつまる。

 

2.「まくら返しと幻の夢」(14話)

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

約20分という尺の中に、親子の絆・意外な展開・敵の背景・仄かな苦みを残す結末など様々な事象が詰め込まれたにもかかわらずまとまっており、物語の構成のクオリティの高さが凄いと感じた回。コミカルな展開の中にも人間のプラスの面(人を救済する心・強い絆)とマイナスの面(他者を見捨てる心・生贄)が描かれており、息子のため逞しくあろうとする父親と生贄の犠牲になった少女は別個ではなくどちらもプラスになりマイナスとなる表裏一体の存在なのだ。目玉おやじ意外な姿となって登場したのも、そういった二面性の表れなのかもしれない。

 

3.「帝王バックベアード」(34話)

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

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単純にバトルものとして熱い回と評価しても良いが、「どっちを取るか」という善悪二元論で物事を判断しようとする愚かさや、それを克服しようとする鬼太郎のヒーローとしてのカッコよさが描かれているのが素晴らしい。日本に火の粉を持ち込んだアニエスヘイトスピーチによる扇動を行ったねずみ男「小悪」と呼べる存在だが、彼らは小悪とならざるを得なかった存在であり、そんな小悪を救うために巨悪のバックベアードを倒そうとする鬼太郎にグッとくる。正直、地獄の四将編みたいにゴチャゴチャ石動と己の正義感を言い合っている場面よりずっと明確で、誠実さを感じる。

 

4.「終極の譚歌 さら小僧」(40話)

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

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「芸のためなら女房も泣かす」と浪花恋しぐれにあるが、幸福への道は何も平和の先にあるとは限らないという法律や道徳観、善悪を超越した先の幸福を求めてしまった男の話。刑務所で一生を過ごしたいがために人を殺すやつが現実にいるのだから、自分の身を破滅させて幸福を掴むやつがいてもおかしくない。子供向けアニメでありながら社会的に許されない幸福の一形態を描いた回として後世に残すべきだろう。

 

5.「泥田坊と命と大地」(54話)

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

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「帝王バックベアード」と同様、これまで善悪二元論で描かれていたアニメにおける泥田坊回を「そんな単純に割り切れるものではない」話として見事にアレンジさせた回。泥田坊も人間も双方共に正しいところがある一方間違っている(或いは良くない)ところもあるように描かれており、元ある土地を別の姿に変える人間が悪いのか、土地の在り方に固執して人命を奪う妖怪が悪いのか、その裁定に懊悩する鬼太郎が印象深い。「裁き」と「多様性の尊重」は相容れ難きものという、令和初の鬼太郎物語に相応しいプロットとなった。

 

6.「魅惑の旋律 吸血鬼エリート」(56話)

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

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原作やこれまでのアニメになかった吸血鬼エリートの歴史を描いたことで、4期とはまた別の哀愁が漂うエリートが生まれた、という点でこの回をチョイス。支配者への羨望と憎悪、そして革命行為により支配者側へまわって以降は革命行為を受けぬよう陰から支配するというエリートの行動原理の深掘りがなされたと同時に、ダモクレスの剣的なオチによって(支配階級が)逃れられない失墜の運命が描かれているのもポイント。ねずみ男“持たざる者=失うものがない者”として対比的な位置にいることで、よりその運命の絶対性が強調されていた気がする。

 

7.「妖怪いやみの色ボケ大作戦」(72話)

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

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これまでのお下劣である種キワモノ的な描かれ方をされてきたいやみ回をラブコメに変えてしまった革新的な脚本。楽しみを吸い取るいやみの設定をカットし、偽りのラブを振りまき色ボケ状態にする設定一本で通した潔さがプラスになった。脚本もさることながら、猫娘の心象風景の演出がまた良いアクセントになっている。

 

8.「ぬらりひょんの野望」(76話)

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

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 悪しき昭和性を体現した妖怪という、3期以降のぬらりひょん像を一新した脚本に天晴。政治力と資金力を武器にして人と妖怪の二者を操るなど、6期の社会派的な一面に相応しいラスボスとして絶大なインパクトを残した。その幕開けとなったこの回を私は推していきたい。

 

9.「六黒村の魍魎」(78話)

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

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アニメというより一つの文学作品を読んだかのような余韻を残すのがこの魍魎回。芥川龍之介の「地獄変」や京極夏彦の『魍魎の匣』のような、人としての一線を越えた先にあるものを描き、第三者には理解しがたい愛を表現した奥深さ。亡霊という直接的なホラーと人間の業というホラーの組み合わせ。どれを取っても申し分なし。

 

10.「まぼろしの汽車」(93話)

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

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吉野氏の1話完結ものの脚本力の高さを改めて知った回。20分でタイムループものをやってのけたことも凄いが、2話から少しずつ描かれてきた猫娘の鬼太郎に対する恋情の一到達点を描いた回として後々語られることになるだろう。そしてこの回で描かれた運命の是非が未来に託されているという点で非常に重要な回でもある。

 

タリホー考案、「あったら良いな、こんな鬼太郎物語」

「自分だったら6期の世界観でもっと面白い話が書けるぞ!」と思った鬼太郎ファンもいただろうし、ほかならぬ私がそうなのだが、折角なので私が考案した6期の世界観に相応しい鬼太郎物語をご紹介しよう。(勿論、妄想なので放送されませんよ!)

 

「激憤! 妖怪大首

富士登山客が次々と死亡する謎のポックリ病が蔓延。調査に乗り出した鬼太郎たちは、特に外国人登山客の死亡数が多いことに疑問を抱く。その頃、富士の胎内洞窟では眠りから覚めた妖怪・大首が怒り狂っていた。「よくも聖地を汚しおって!!」。大首の怒りの理由は? そして連続するポックリ病は何故起こったのか?

(昨年「ザワつく! 一茂良純時々ちさ子の会」というバラエティ番組で外国人登山客のマナー問題が取り沙汰されていたのを見て「これと原作の大首ネタと合わせてやったら6期らしい話になりそう」と思っていた)

 

蝋人形の街」

まなの近所にマリーというフランス人女性が引っ越して来た。マリーから「お近づきの印に」とフランス産の人形をもらったまなは、その人形が言葉をしゃべることに気づく。数日後、その人形はまなの父が行方知れずになることを予言し、その通りになってしまう。鬼太郎と猫娘はまなの父を探すためにまなの元へ向かうが、ちょうどその時、父が帰って来た。時刻は夕方、5時を知らせるサイレンが街中に鳴り響いていた時のことだ。特にケガもなく無事に帰ってきたことに鬼太郎たちは安心したが、それからしばらく経ったある日、まなと連絡が取れなくなる。猫娘は異変に気付いて家に向かうが、まなの家だけでなく街全体がひっそりと静まりかえっていることに違和感を覚えて…。

(以前から私はずーっと原作の「おばけ旅行編」のエピソードをアニメ化してほしいと思っており、その中でもカリーカの話は絶対にやるべきだと言いたい。この原作ならアニメ「学校の怪談」のうつしみ回のようなホラーが演出出来るからだ。ポイントは夕方5時に鳴り響くサイレンで、これが原作のアレと同じ効果を発揮する)

 

「聖夜の毛羽毛現

恐竜好きの小学生・五平の夢は、恐竜の背中に乗ること。しかし同級生からは「恐竜は絶滅したから絶対に無理だ」と笑われる始末。それでも夢を捨てられない五平は、もうすぐクリスマスということもあって、サンタさんにその夢が叶うよう祈っていた。その頃、鬼太郎は街で連続している子供の失踪事件を追っていた。子供が消えたのは決まって夜であり、しかも大きなニワトリに乗ったサンタクロースが子供をさらった」という目撃証言も出てきて…?

(86話のクリスマス回の放送前に、ゲスト妖怪が毛羽毛現と予測していた方を見かけたが、サンタクロースとの組み合わせという点では夜叉より毛羽毛現の方が個人的にはしっくり来ていると思うし、子供の魂を使って恐竜を復活させる原作のプロットを活かせば感動作としての効果を上げられるだろう)

 

「百花繚乱 ラグレシアの園」

調布の神代植物公園に、南方から世界最大級のラフレシアの花が持ち込まれた。しかしその正体は吸血花ラグレシアであり、バックベアード復活の生き血を集めるためカミーラによって送り込まれたのだ。大温室で大きく成長したラグレシアは不思議な音楽を奏でて人々を眠らせ、次々と生き血を回収していく。一方その頃、まなのことが忘れられずにいたヴィクター・フランケンシュタインは、密かに猛毒入りのケーキを作って彼女に食べさせようとしていた…。

(基本的に鬼太郎作品に出て来る妖怪は色味が悪いので、文字通り華のあるラグレシアを推していきたい。バックベアードの復活計画が描かれたとはいえ、実質2,3話程度と少なかったので、西洋妖怪で特に出番が少ないフランケンにスポットを当ててやりたいという思いを込めて、『国盗り物語』の毒娘に相当する役目をまなに負わせることにした)

 

めんこ天狗とあまめはぎ」

めんこの面白さを世に伝えるべく100年間修業を続けていためんこ天狗は、その間にめんこが廃れTVゲームが流行していることに絶望する。それを見かねたコマ妖怪のあまめはぎは彼をゲゲゲの森へと誘う。妖怪の間でめんこが流行り、何とか慰めを得ためんこ天狗だったが、そんな折香川県ゲーム規制条例が成立したことを耳にして「香川でめんこの面白さを広めてやる!」と意気込んで香川に向かうが…。

(超タイムリーな時事ネタを入れられるのならば、やはりゲーム規制条例とめんこ天狗を掛け合わせてみたい。そこに、特定の玩具に造詣が深く、時代に対応出来ないことが元で過去に鬼太郎と闘ったあまめはぎが加われば、物語がより多層的になるのではないだろうか?)

 

「馬狂い! 馬魔の陰謀」

競馬場でレース中に競走馬が急死する事件が相次いで起こった。目玉おやじは馬を殺す妖怪・馬魔(ぎば)の仕業ではないかと疑うが、競馬場だけで連続して起こることがどうしても腑に落ちない。しかし、猫娘は競馬場という場所柄「アイツ」が絡んでいるのではないかと思い彼を密偵する。

(もしアニメオリジナル脚本を書くとしたら馬魔をメインにする。猫娘のいう「アイツ」とは勿論ねずみ男で、馬魔と組んで自分が賭けた馬が一等になって当たるように他の馬を殺させていたという真相が出て来るのだけど、これで話は終わらない。実は馬魔はねずみ男だけでなく死神とも手を組んでおり、死神は競走馬の急死によって落馬したり、振り落とされて他の馬に轢かれて死んだ騎手の魂を集めることを画策していた、という具合に二段構えの構成でいきたい。死神を取り入れたアイデア「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」を基にした)

 

髪様の布教大戦」

地の果てのような沖の島で信仰の対象として崇められていた髪様は、島の過疎化と高齢化によってその信仰が廃れてしまったことを憂いていた。新たな信仰者開拓のために本州へ毛目玉と共に渡るものの布教はうまくいかず、遂に髪様は強硬手段として人々の髪の毛を奪う行為に走ってしまう!街で起こった髪の毛パニックは自衛隊まで出動する騒ぎとなるが、この騒動を見て一人笑う女の子がいた。

(この現代において原作通り生贄を要求するプロットはそぐわないので、信仰が廃れた島から本州へ渡り布教のため奮闘するプロットとした。この笑う女の子というのは病気で髪の毛を失った子供であり、髪の毛を失ったショックで塞ぎ込んでいたという設定にした。これによって「何が人にとって災いとなったり救いになるのかわからない」というテーマ性が出て来るのでは…と思っている)

ゲゲゲの鬼太郎(6期)よありがとう!!(キャラクター編)

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タイトル通り、6期鬼太郎に感謝を込めた振り返り企画。キャラクター編と題したこの記事では、まず6期レギュラー陣の定義づけを行ってみようと思う。

 

6期鬼太郎は「未熟者」である

特別6期だけが未熟者って訳ではないけど、やはり6期の鬼太郎は未熟者と呼ぶのが相応しいんだよね。偉そうなこと言って達観しているようなクセして(石動やぬらりひょんに突っ込まれたけど)悪い妖怪と悪い人間の処遇に差がありすぎて、その答えもちゃんとハッキリ言えてないからダメだよな~って思ってしまう。

妖怪と人間とではパワーバランスにどうしても違いがあるから、その都合上どうしても妖怪を制すことになっちゃうのであって、出来ればたしなめて済むならそうしたい旨を示せたら良いのだけど、今期はよりによって指鉄砲というチート技を持ってしまったせいか、「魂が消滅しないなら完全に殺したことにはならない」というルールが生まれ、それで鬼太郎の妖怪退治の正当性を保っている感じがちょっとマズい部分ではあるかな、と思う。

あまり批判的なことばかり言いたくないから良い所を探そうと思ったけど、今期は鬼太郎が活躍する回もある一方、鬼太郎がいる“だけ”の回も結構あってあまりパーソナルな深掘りがしにくいんだよな…。

何ていうのかな、自分からボールを投げるのではなく、投げられたボールを返すタイプ?だから趣味・嗜好とかも原作みたいにわからんしね(ラーメンの好みはわかったけど)。

 

6期目玉おやじは「継承者」である

1~5期にかけて目玉おやじを演じてきた田の中勇さんが鬼籍に入られて、鬼太郎から目玉おやじの役になった野沢雅子さん。大竹宏さん(2期で代役)や島田敏さん(水木しげるのゲゲゲの怪談)も過去に演じた経験があるとはいえ、実質的な2代目となった今期の目玉おやじは「継承」としての面が出て来る。

非力な印象が強かったこれまでの目玉おやじと比べると、今期は1年目名無しの時に打った指鉄砲とかイケメン化みたいな付加価値があったせいで今まで以上に強キャラとしての貫禄があったような気がする。これまでは妖怪の豊富な知識が武器であり強みだったけど、今期はあんまりバトル面で活かされる知識も持ち合わせていなかったし(というかそもそもバトルシーンが従来より少ない)、妖怪の説明をする機会もそれほど無かったので、そう考えると野沢さんにとってはただこれまでと同じ目玉おやじを演じれば良いという事ではなかったのかもしれないね。

 

6期猫娘は「成長者」である

5期の萌えキャラ化で散々ギャアギャア言われた分、今期の高身長化は割と視聴者もスンナリ受け入れていたと思うが、それはさておき。

5期でもこれまでに比べて出しゃばる機会が増えてきたな~と思っていたが、今期は戦闘能力が格段に上がったこともあって1期のねずみ男並みに鬼太郎と共に活動する機会が増えたのがポイント。そしてヒロインのまなとの関係も3期のユメコちゃんみたいに友人兼ライバル的存在から姉御肌的存在として慕われる関係にアップデートされた点も見逃せない。これによって生じた1年目47話の衝撃がね、ホント巧いと当時は思ったよ。

そうやって戦闘能力や関係性といった面がアップデートされた猫娘だが、勿論これだけではない。1年目の名無し編から続く地獄の四将編は猫娘にとって肉体的にも精神的にも成長して鬼太郎との距離感がグッと縮まることになったし、とりわけ恋の面に関しては当初のツンデレ的態度から直接思いを伝えられる所までかなり距離を詰めることが出来たのだから、今期のレギュラー陣で最も成長したと言って良いのではないだろうか?

あと余談になるけど1年目と2年目の最後のEDの歌詞通りのことをやってのけたのが他ならぬこの猫娘で、1年目は「デスからアゲイン」(49話)、2年目は「運命のあみだくじ」(93話)を文字通り行うことになった。5期は2年目のED曲が全然アニメに寄せる気のないものばっかりだったけど、今期は8曲全てが鬼太郎の世界にマッチしていて良かったな。

 

6期ねずみ男は「日常の求道者」である

基本的にねずみ男の半妖怪としてのスタンスはあまり変わらないというか、変えると水木作品らしさが一気になくなるので、制作陣としてはあまり大きく変えたつもりはないみたいだが、原作を読んでいる私からしてみれば、この50年の間でねずみ男も大分変わってますよ

3期以降人情家としての面が強くなったせいで原作みたいに鬼畜レベルの裏切り行為はほとんどしなくなったし、金銭面で動く点は相変わらずだけど、妖怪研究家としての面は完全に抜け落ちちゃってるもんね。原作なんて好奇心から妖怪の封印バンバン解いているからね~。

さて、そんな6期ねずみ男の特徴は最終回でも見られた「戦争を嫌う」点。これは今期のねずみ男を演じた古川登志夫さんの兄が戦死していることもあって、制作陣も「金が儲かるなら何人死のうが知ったこっちゃない」みたいなねずみ男像にはしたくなかっただろうし、物語のテーマにもそぐわない。死体の回収業とか人間をダイヤモンドにして売る商売はしていたけど、あれは愚かである程度限定された人間だけが被害を受ける事案であり、戦争みたいに罪もない人々が大量死するのはアウト、という線引きがあったはず。

戦争を嫌う面がクローズアップされたこともあってか、今期のねずみ男日常的であろうとする。「いやいや闇金とかに追われていたじゃん、どこか日常的なんだよ」と思う方もいるかもしれないが、あれは金儲けという日常生活におけるルーティンワークの一環みたいなもんで、私たちには非日常でも彼にとっては日常的なものなのだよ。

そして今期は特に核心を突いたコメントをしているのが印象深い。鬼太郎や猫娘が振り回され心が揺らぐ時が多いのに比べるとねずみ男酸いも甘いも嚙み分けた存在なので、ビシッと言うべき時に言ってくれる頼もしい役どころだった。

日常的であろうとする姿・核心を突くコメント・いざという時頼りになる存在。この三つを兼ね備えた今期のねずみ男はトラブルメーカーなどではなく仙人の域に達しているかもしれない。

 

6期砂かけ婆は「金満家のキス魔」である

DVD4巻のブックレットに収録されたインタビューによると、あの「チューするぞ!」という発言は田中真弓さんのアドリブが元になったようで、砂をかけるよりチューする方が相手をビビらせるのに効果的だから、という理由らしい(笑)。

そんな今期の砂かけは財テクに成功した妖怪で、5期で家賃回収に悪戦苦闘していた砂かけとは偉い違い。原作では鬼太郎の仲間うちで目玉おやじに次いで知識と経験が豊富であり、戦闘面でも非常に心強い存在だったが、今期はバトル面の簡素化に伴い活躍の場が大きく減ることになった。

劇中で披露した技は相手をしびれさせるしびれ砂に、毒砂火炎砂砂太鼓の壺があったが、特に砂塵扇は遠隔攻撃だけでなく近接戦にも使える武器として結構便利だなと思った。

っていうか今思ったけど、今期のおばばの砂って本来の目的である目潰しとして利用されてなかったな。やはり子供がマネしちゃいけないから?それとも今どき目潰しを武器にする妖怪はあまり相応しくないから?

 

6期子泣き爺は「酩酊者」である

おばば同様これまた出番が大幅に減っちゃったし、5期みたいに西洋妖怪の時だけ急に強くなるみたいなメリハリも特別なかったので、原作通りお酒が好きでスケベという印象しか残ってないんだよな~。6期ならではの技とかも無かったしね。

子泣きの印象が特に強い回を挙げるなら、ぬっぺっぽうの回とか一切喋らなかったさざえ鬼の回だろうか。カミナリの回も活躍していたな。

 

6期一反木綿は「軟派者」である

ムードメーカー的な存在の一反木綿については88話で言いたいことを言っちゃってるので改めて言うことは特にないかな…ww。

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そういえば、今期の一反木綿って締め付け攻撃してたか?

あ、団三郎狸にやっていたけど、逆にズタボロにされちゃってたわ。

 

6期ぬりかべは「純朴者」である

3期と5期の活躍度合いが凄すぎてどうしても分が悪くなるのがぬりかべの哀しい所。一応小説版で永富氏がクローズアップしてくれているからまぁまだマシなのかもしれんが。

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敵を身体に塗り込んだり、押しつぶす技は原作にもあったが、伊吹丸の回でダムと同化したのはオリジナルとして面白かった。

 

犬山まなは「越境者」である

3期以来のヒロイン(4期にもいるにはいるけど、比べ物にならないので割愛)となったまな。3期のユメコちゃんも鬼太郎と共に地獄へ行ったり苦難を共にした仲だったけど、まなだって一介の女子中学生が立ち向かうにはあまりにも強大で危険なものと一杯向き合ってきたよなと思うし、3期と違って鬼太郎があの通りのコミュ障だから1年目なんていがみ合っちゃったし、苦労の度合いはまなの方が上だと思う。

その分、偶然力やコミュ力の高さがアドバンテージとして追加されているのが今期ヒロインとしての特色であり、人間と妖怪の関わりがこれまでのシリーズ以上になったのも彼女とその祖先にあたる名無しの存在が大きい。ゲゲゲの森だけでなく、地獄・“あらざるの地”といった異世界にも行った点で越境者と呼ぶのが相応しい。

 

6期「クズ人間」一覧

6期の特色の一つに挙げられるのが、物語を彩るクズ人間たち。これまでのシリーズにも悪い人間は沢山出てきたが、特に6期は善人と悪人の対比が極端で、妖怪以上に悪質な人間が物語を動かして来た。

そこで、今まで登場したクズ人間たちを5段階評価で分類してみた。あくまで個人的主観で分類したので、抜けがあったり「これは別のレベルでは?」といった異論も出て来るだろうが、まずは一通り見ていただいて、「どうしてもこれは違う」とか「あの人間もクズだったよ!」みたいな意見があれば、コメントで送っていただきたい。

 

※抜け落ちていた3名を追加しました。

(2021/02/16)

 

レベル1:この先良くなる余地があるクズ(6組)

【蒼馬・大翔兄弟】:準レギュラー的立ち位置にもかかわらず、出番の少ない裕太くんやモブだった雅・綾に比べて一向に人間的な成長が見られなかった小悪党兄弟。でもまなや裕太の心配をして泣くことが出来るから、根っからのワルではなさそう。

【桃山雅】:まなをくびれ鬼の毒牙にかけた戦犯。ただ、木の子回で精神的に成長出来たのでレベル1ということにした。

【葛見やよいの父】:白山坊回で、白山坊と約束をしておきながらそれを反故にしようと鬼太郎に依頼をした。クズといえばクズだが、当時の窮状を思えば致し方ないかも。妖怪と娘の結婚を祝える分、まだ良い人。

【作業員】:七夕回でねずみ男に雇われ笹の精を貶める嘘をついた。一応雇われの身でやったことなので、情状酌量の余地はある。

【石動零】:四将編の後半にかけてクズ度が増した。妖怪の力を利用しているのにその妖怪を蔑視している所が特にクズい。これは伊吹丸に頑張って叩き直してもらわないと。

【小野崎美琴】:おどろおどろ回で父親を殺された恨みから、鬼太郎をはじめとする妖怪に憎しみを抱いていたまなの同級生。やむを得ぬ事情があったものの、95話において妖対法成立につながる妖怪へのヘイトスピーチをしてしまったのは良くない。

 

レベル2:出来ることなら付き合いたくないクズ(12組)

【女子高生】:幽霊電車回でいじめをしていた子。鬼太郎の言葉でハッとしていたからあの後いじめはやめたと思いたいが、数十年経ったらまたやってそうなのでレベル2にした。

郷原社長】:河童回で家庭を蔑ろにし、河童たちに不当な労働をさせていた。極端から極端に走る傾向がめんどくさい。

【ヒナの母】:お化け学校回でヒナを主役にさせたいと見上げ入道に言っていた親。妖怪の前であんな発言が出来るのだから、人間だと押し切ってしまいそうな気がする。

【神宮寺】:牛鬼回で、子供の前でキレていたみっともないタレント。死んでしまったのはちょっと可哀想だが、昔の風習を馬鹿にしたお前が悪い。

【香凛】:ずんべら回ではきららを馬鹿にし、くびれ鬼回ではまなの陰口をレインで誤爆していた女。割とよくいそうなタイプのクズ。

【ゆうなの母】:画皮回で、自身の離婚経験からゆうなの男性接触を過度に禁止していた毒親。そのくせ、いい人が出来ると「今まで厳しくしすぎたかしら~」みたいな宗旨変え発言をしていた調子良いクズ。作中ではしこりなく和解していたが、現実はあんな綺麗に和解出来ないと思う。

【ロドリゲス部々】:化け草履回に登場したクレイジーなアーティスト。色々倫理観がヤバそうだが、付き合わなければどうということはない。

【冬真の父】:吸血鬼エリートに息子をさらわれたものの、息子が戻ってきた後は鬼太郎に横柄な態度をとった。単純に仕事が忙しい時だったから、ああいう態度になったのかもしれないが、でも良くはない。

【晃一】:傘を取り違えたり、簡単に捨ててしまったため、唐傘にストーキングされた男。物の思い入れを推し量れないタイプのクズなので、人の心の機微にも鈍感だと思うわ、ああいう奴。

【山吹さやか】ヤマタノオロチ回で斉藤のプロポーズを断ったが、彼に巨額の遺産が入ったと知るや、手のひら返しで結婚を許可したクズ。ただ、斉藤に遺産が転がりこんで来たのはヤマタノオロチによる因果律の操りの影響であり、彼女の手のひら返しもその影響だと考えると、彼女のクズな性格は元からのものなのか、それともヤマタノオロチの原因と解釈すべきか、悩ましい。

【編集長】ねずみ男の漫画違法アップロードの報を受け、「同じ妖怪だから」という理由でひでり神の作品の大賞候補辞退を推進した。実際問題、差別的感情から脱するのは難しいが、かといって露骨に差別するようなことをしたのは良くない。

【オインとケムラ】アンコールワット回で、ワランを守るためにオインたちを犠牲にしたケムラ。ケムラの裏切り行為も酷いっちゃ酷いが、生まれ変わったケムラの魂に復讐するオインもオインである。その不条理さがクズだ。

 

レベル3:社会不適合者なクズ(8組)

【ユウスケのファン】:ユウスケに会う際、邪魔なきららをタックルで突き飛ばしたクズ。他人を大切に出来ない人間にファンの長を気取る資格はなし。

【犬童】火車回で母親の死体をねずみ男に渡して年金の不正受給をしようとした、文字通りの社会不適合者。

【ビンボーイサム】:さら小僧の歌を盗んで破滅した哀れな芸人。芸のためなら何とやらである。

【フルーツヤンキー】:タリホー命名。名無し最終章で豆腐小僧の前に現れたヤンキー。片手にフルーツを持っていたのは一体何故なのか…。

【山田と中村】:タイタンボウの聖域を侵した二人組。封印を解いただけの神宮寺と比べて、こちらは金さえあれば何をしても良いというスタンスがクズい。

【斎藤】ヤマタノオロチが原因で呼子となってしまった男。色々酌むべき事情があるにせよ、好きな相手を盗撮していたのはダメだ。

【元呼子の男】:斉藤が呼子になったそもそもの原因。彼自身もその前の呼子に引っかかり呼子となったが、斉藤を呼んで人間に戻ることが出来た。劇中では既に呼子になっていたためどういう経緯で呼子になったかは不明だが、おおよそ斉藤レベルの男だったに違いない。

【“TAKUMIの木”を荒らした若者たち】:タリホー命名。ほうこうが住むクスノキ伐採の元凶でありながら、何の反省もしなかったどうしようもないクズたち。

 

レベル4:罪を犯したクズ(14組)

【チャラトミ】:のびあがりの封印を解いたり、妖怪の印象操作に加担したクズ。ぬけ首を利用した迷惑行為も含めて相当悪質なことをやっているが、人間の法に触れていないためお咎め無し。一応真面目に働いて改心したみたいだが、洒落にならないことをしたのでレベル4にした。

【雨山】:カミナリの回で組長から市長になったが、違法行為を暴こうとした雑誌記者をカミナリに殺させた悪人。カミナリ退治後警察に捕まった。

【高見暁】:狸政権時には狸をほめそやし、政権崩壊後は狸に隷属した政府を批判していたクズ政治家。これだけならまだしも、ぬらりひょんから賄賂を受け取り伊達山のゴルフ場開発の認可をしていた。

【総理】:狸に政権を渡したのは百歩譲って仕方ないとして、統計を不正にいじったり、ねずみ男の脅迫に負けて大臣の席を用意したりと、巻き込まれてどんどんクズになる方である。生理的嫌悪を政治に持ち込んだのもアウト。

地上げ屋とヒロ】:妖怪アパート回で、夏美のアパートを二度にわたって奪おうとした。違法行為であることに違いないが、他のクズたちを見ているせいかまだ可愛げがある。多分、親子二代で同じダサい上着を継承しているから余計そう思うのかもしれないが。

【轢き逃げを隠蔽した社長】火車回で轢き逃げを隠蔽するために死体の処理をねずみ男に依頼した社長。

【マンモス】:吸血鬼ラ・セーヌの下僕。身体能力が人間離れしているので、カウントしていなかったです。ラ・セーヌが石動に退治された後どうなったかは不明。

【湊クリスティーン】:幼少期から褒められてばかりいたせいか、承認以外に存在意義を見出せなくなった哀れな女。いかなる事情があるにせよ、公共の場での迷惑行為や縄文人の殺害未遂はアウト。

【カケル】:自身の境遇から孤独に陥り、コンビニ強盗を犯した青年。地獄流しで亡き父に会って改心し、自首した。レベル1にしても良かったかな~と思ったが強盗をしているのでやはりレベル4。

【質屋とヤクザ】ヤマタノオロチ回で、斎藤を付け狙った悪質な質屋とヤクザ。もしかすると、ヤマタノオロチが斎藤に見せた幻影で現実には存在しない人物かも…。

【久能恭平】:魍魎回に登場したカメラマン。恋人の水葉が溺れているにもかかわらず、何の救助もせず彼女の死に様を撮り続けたクズ。写真家の性とはいえ、あれは業務上過失致死に問われてもおかしくない。

【大黒田】:チンさん回で外国人労働者を不当な賃金によって長時間労働させていた。鬼太郎に忠告された後、違法労働が摘発された。

【綾の両親】:かつて人を騙して金銭を得たため貧乏神にとりつかれていたが、座敷童子が来て金回りが良くなると「綾を幸せにする」名目で座敷童子を利用し自分達の私服を肥やしていた。基本的に富が集中すると悪徳に走る性質があるクズで、貧乏な状態だと普通の良い人に戻るようだ。

【特大ジッポライターヤクザ】:タリホー命名。元はねずみ男を追っていたが、ねずみ男に唆されて綾の両親から金を取り立てようとした。ギャグ的なジッポライターがまさかの活躍をすることに。

 

レベル5:死んだ方が社会のためになるクズ(7組)

【社長】:幽霊電車の回に登場。極度のパワハラ行為で社員を精神的に追い詰め幾人も自殺に追いやったクズ。後に自殺した社員たちによって殺され亡霊となったがあの世に来ないため、しびれを切らした彼らによって地獄に送られた。

【ワン・ワールド・アダマス・シンジケート】輪入道回に登場した反社会的組織。格安ダイヤモンドの噂を聞いてねずみ男を拘束、ダイヤの秘密を知った彼らは難民・孤児・炭鉱労働者をダイヤに変えてダイヤの価格を操作しようと目論んだ。こいつらは一生ダイヤのままでも良かったのに…。

【金井雅彦】:遺産目当てで父親を殺害し、万年竹の林に埋めた。殺人の露見を防ぐため、万年竹の保護を名目に竹林開発を反対した。しかし、悪事を暴露してしまい万年竹によって制裁を受けることに。このまま万年竹に苦しめられても良いのだが、やはり地獄に落として責め苦を味わわせておくべきではと思う。

【車内に赤子を放置した女】:浮気相手とデートして赤子を放置、重体になった赤子を姑獲鳥の仕業にして罪を逃れた悪女。はい、地獄へ落ちましょうね。

【三田村】:結婚詐欺師で、人間に化けていた後神を騙した。一度は結婚詐欺をしないと約束するも、約束を破って後神に一生付きまとわれる羽目になった。過去に自殺者も出している根っからのクズ。

【鬼久保一家】:水虎が封印されている町で絶対的権力を誇る一家。食品会社を経営。町に越して来た辰川一家を町ぐるみでいじめ抜いたため、翔子と契約した水虎に襲われた。水虎襲撃時に学校の教諭が警察ではなく鬼久保父に連絡を入れようとしていたことや、翔子を殺して事故死として処理させようとした鬼久保父の態度から見るに、地元警察も牛耳っていた可能性が高い。町全体を闇社会化させるレベルの権勢とかどんだけだよ。ただ、事件収束後、ねずみ男の撮った動画が猫娘によって拡散され、社会的制裁を受けた模様。

【悪質ペット業者】:猫仙人回で登場。多頭飼育崩壊を起こして動物を苦しめた罰で猫仙人によって悪質な環境下の檻に監禁されていたが、解放されてからも自分の行いを反省せず、鬼太郎に文句を言う始末。やはり死んでおくべきだったかな…。

脚本家別、ゲゲゲの鬼太郎(6期)二年目

 最終回感想記事を書き終えたので、今度は脚本家別の振り返りといきましょう。

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各脚本家担当回一覧

(以下、黒字は「地獄の四将編」、赤字は「最終章ぬらりひょん編」

吉野弘幸

50話「地獄からの使者 鵺」

51話「閻魔大王の密約」

62話「地獄の四将 黒坊主の罠」

69話「地獄の四将 鬼童伊吹丸」

74話「地獄崩壊!? 玉藻前の罠」

75話「九尾の狐」

93話「まぼろしの汽車」

 

野村祐一

52話「少女失踪! 木の子の森」

90話「アイドル伝説さざえ鬼」

 

井上亜樹子 氏

53話「自己愛暴発! ぬけ首危機一髪」

63話「恋の七夕妖怪花」

65話「建国!? 魔猫の大鳥取帝国」

72話「妖怪いやみの色ボケ大作戦」

86話「鮮血のクリスマス」

87話「貧乏神と座敷童子

 

金月龍之介

54話「泥田坊と命と大地」

58話「半魚人のかまぼこ奇談」

81話「熱血漫画家 妖怪ひでり神」

82話「爺婆ぬっぺっぽう

89話「手の目の呪い」

94話「ぶらり不死見温泉バスの旅」

95話「妖怪大同盟」

 

市川十億衛門 氏

55話「狒々のハラスメント地獄」

61話「豆腐小僧のカビパンデミック

67話「SNS中毒VS縄文人

84話「外国人労働者チンさん」

88話「一反もめんの恋」

 

長谷川圭一

56話「魅惑の旋律 吸血鬼エリート」

59話「女妖怪・後神との約束」

64話「水虎が映す心の闇」

66話「死神と境港の隠れ里」

70話「霊障 足跡の怪」

78話「六黒村の魍魎」

83話「憎悪の連鎖 妖怪ほうこう」

85話「巨人ダイダラボッチ

91話「アンコールワットの霧の夜」

 

大野木寛 氏

57話「鮮血の貴公子 ラ・セーヌ」

73話「欲望のヤマタノオロチ

76話「ぬらりひょんの野望」

77話「人間消失! 猫仙人の復讐」

80話「陰摩羅鬼の罠」

96話「第二次妖怪大戦争

97話「見えてる世界が全てじゃない」

 

伊達さん 氏

60話「漆黒の冷気 妖怪ぶるぶる」

68話「極刑! 地獄流し」

71話「唐傘の傘わずらい」

79話「こうもり猫のハロウィン大爆発」

92話「構成作家は天邪鬼」

 

 

長編より短編向きだったか?(吉野氏)

1年目で非常にクオリティの高い脚本を輩出した吉野氏は2年目は地獄の四将編をメインに担当。1話完結から長編ものになったことで色々描きたいことがあったのかもしれないが、正直1話完結の時に比べると出来はイマイチで、特に石動零のキャラ設定に難を感じる部分が多々あった。

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これは74話の感想でも言及したので改めて述べないが、「言っていることとやっていることの乖離」が物語が進むにつれて激しくなり、鬼太郎と別の正義感を持つ人間としての立ち位置にブレが生じてしまったのが一番の問題だったと思う。しかし、それを除けばアクションものとしてよく出来ていたし、原作「黒坊主」のアレンジ悪にならざるを得なかった伊吹丸など、同じ大逆の四将でも悪役としてのポジションがそれぞれ違っていて飽きない展開になっていた。

個人的な2年目吉野氏ベスト脚本は93話。これを見た時「あ、やはり吉野氏は1話完結の方が良いわ」と思った。

 

「さざえ鬼」という時限爆弾(野村氏)

1年目は6作も担当していたが、2年目はわずか2作止まりとなった野村氏。そのうちの1作は1年目の序盤に放送するつもりで書かれたものの、内容のぶっ飛び具合によりお蔵入りとなったさざえ鬼回なので、実質2年目は1作のみの脚本だったと言えるだろう。そんな1年以上非公開にされていたさざえ鬼回が2年目終盤に公開されたことで時限爆弾的効果を挙げたのは評価すべきだ。公開のタイミングの良さは勿論、ぶっ飛んでいながらも原作要素がちゃんと残っているのがなお良い。

2年目は2作しかないので、当然ながら2年目野村氏ベスト脚本は90話。

 

ドタバタコメディもイケることを証明(井上氏)

1年目で私は井上氏の脚本を「ハートフル」と評したが、もう一つに「自分らしく生きるとは」というテーマを扱ったものが多いなと感じていた。それ故少々食傷気味に感じており、2年目は別のテーマを扱ったものを見てみたいと思っていた。

ぬけ首回までは1年目と同様のテーマを引きずっているなと感じたが、65話の魔猫回でぶっ飛んだコメディも書けることを証明してくれた。この井上氏のコメディ要素は1年目の雪女の回で既にその片鱗が見えていたが、2年目でその本領が発揮されたのは良い発見になったと思う。

個人的な2年目井上氏ベスト脚本は72話。

 

2年目は主に原作消化(金月氏

1年目は担当した7作中5作がアニメオリジナルの脚本だったが、2年目は原作を元にした作品がほとんど。今年に入ってからはぬらりひょん編の重要な回の脚本を担当しており、西洋妖怪編で発揮された脚本力がこちらでも活かされている。

1年目では「バトル面でも視聴者を満足させる脚本」として紹介したが、2年目は内容によってバトルを出すべきでないものは原作にバトルがあってもカットしており、その判断の確かさが伝わった気がする。

個人的な2年目金月氏ベスト脚本は、本人もベストだと自負した54話。

 

パワーワードと風刺のギャグ風雲児(市川氏)

1年目の横谷氏に代わってギャグ回担当として新たに参戦してきた市川氏。横谷氏の脚本と比べるとナンセンス度の高いギャグが多く、取り入れられる社会風刺もより6期に根差したものになっている。とはいえ、ギャグを取り入れたせいもあってか、社会風刺の部分はあと一歩踏み込めてない感じがしたのでそこはマイナスポイントだったかな、と思う。

個人的な市川氏ベスト脚本は67話。「ぽっと出のにわか縄文人というパワーワードが素晴らしいので。

 

「5期」「墓場」経験者による温故知新な鬼太郎物語(長谷川氏)

2年目に初参戦した長谷川氏は、5期で26話までのシリーズ構成と1年目の脚本を担当し、墓場鬼太郎の脚本を務めている。そのため、6期の脚本陣の中で最もゲゲゲの鬼太郎の経験値が高いのがこの長谷川氏であり、2年目の中で1番多い9作を担当している。

担当した9作中3作は2期の名作群をリメイクしたもの。トラウマ級の2期の作風に対抗するとなると、ただひたすら怖いだけではいけない訳であり、6期ならではのアレンジを以て視聴に値するクオリティになっている。

その他の6作も過去作からの引用やアレンジが施されており、一刀両断出来ない割り切れなさや業の深さを残した物語として昇華されている。正に温故知新と言えるだろう。

個人的な長谷川氏ベスト脚本は78話。もうあれは文学作品のレベルだよ。

 

2年目はサポートと締めくくり(大野木氏)

1年目で名無しの暗躍譚を描きまくったからか、2年目上半期は吉野氏にメインを任せ、下半期のぬらりひょん編は序盤と終盤を2作ずつ担当した。ラ・セーヌ回はこの先のベアード復活に繋がる重要な回だったが、ヤマタノオロチと陰摩羅鬼は埋め合せ的物語。そのためか、1年目に比べるとサポートに徹している感じがした。

個人的な2年目大野木氏ベスト脚本は57話。最終回を推すべきなのだろうが、1期ぶりのラ・セーヌでシリアスとコメディの組み合わせをやったのが非常に良かったので。

 

ホームラン級が出るから油断ならない(伊達氏)

1年目はグッドエンドとバッドエンドの振り幅の大きさが印象に残ったが、2年目は担当した5作全てがグッドエンド(厳密に言うとこうもり猫回はカミーラが血の回収に成功しているのでバッドな部分もあるが…)。これは2年目に参戦した長谷川氏の脚本がバッドエンド寄りのものが多かったため、バランスをとる意味でグッドエンドの物語だけを書くことにしたのかもしれない。

基本的に伊達氏の脚本は「この話でこのメッセージを伝えたい」という軸があるためか、他の方の脚本と比べて単純な構成に見え、劇中で語られることもやや綺麗ごとに感じてしまう。そんな良くも悪くもわかりやすい作風の中で時に意表を突いた話を出してくるのが伊達氏の油断ならない所と言えるだろう。

個人的な2年目伊達氏ベスト脚本は68話。これこそ、上で述べた“意表を突いた”脚本。

 

 

6期全体の作風に対する批評

以上、脚本家別に作風を見てきたが、次は6期全体の作風に対してTwitter で見かけた意見も反映させながら語ってみようと思う。

この6期は1話目から定型を外れた物語を視聴者に提示し、オリジナルキャラクターの名無しの暗躍や、人間と妖怪の間に生じた争い等、3~5期とは明らかに異質な作風で日曜朝にしては挑戦的な描写が目立った。その描写に関しては意見が分かれる所もあり、特に意見が分かれていると感じたのは以下の点。

①バトルシーンの簡素化

②鬼太郎ファミリーの出番の減少

③妖怪がメインではなく人や物事を描く「媒体」として扱われている点

④思想に対する行動のズレ

人によって何が“地雷”となるかは違うため、上に挙げた4点が6期のダメな部分と言い切ってしまうのはどうかと思うが、上記の4点について改めて考えていきたい。

 

まず①について。これは6期がこれまでみたいに鬼太郎や妖怪たちが繰り出す技で魅せようとしているのではなく、劇中で生じた騒動から見えて来るものに焦点をあてた結果だと思っており、それを描くためにバトルシーンをカットしたと考えられる。勿論それがプラスになった回もあったし、マイナスになった回もある。

 

②に関しては他期との差別化を図る目的もあったと思うが、もう一つは鬼太郎に試練を与えることも含まれていると私は考えている。今期はこれまで以上に善悪で一刀両断出来ない事件があり、それによって鬼太郎が懊悩する場面もあったが、ここで砂かけ婆や過去作に登場した井戸仙人といった人生を達観した助言者が身近にいると鬼太郎が自分で考えることなく答えを得てしまい、成長する様が描けなくなるため必然的に距離を置くよう描かれたのではないかと思っている。3~5期みたいに仲間妖怪が全然増えないのも、助言者を遠ざけるだけでなく、終戦で描かれた人間と妖怪の軋轢がそもそも生じなくなるため、鬼太郎たちを孤立状態にして戦況を厳しいものにしていると考えるべきだろう。

 

そして③だが、これは①で言及したように妖怪の特性そのものの面白さで6期は勝負しておらず妖怪と人間が関わることで生まれる悲喜劇に重きを置いた結果だと思っている。これも①と同様プラスになった回とマイナスになった回があり、特に原作に登場する妖怪を扱ったものは、その原作を持ち出して改変する必然性があったのか? と疑問を生じる回も多々あったかなと思う。

 

最後に④についてだが、これは①の結果生じた弊害と考えるべきだろう。原作では退治方法にも色々あって敵を完全に倒すだけでなく封印や冬眠、無力化といった方法がとられたけど、今期は指鉄砲で倒して魂状態にするかしないかの二つに大別されてしまうので、制裁としてやり過ぎな部分があり、そこが6期最大のテーマである「多様性の尊重」と矛盾していると主張する方がいるのも頷ける。

人間に対する制裁についても同様で、鬼太郎が劇中で述べた主張にそぐわない、あまりにも酷な罰を受けた人間(ヤマタノオロチ回)がいたと思えば、殺されても文句言えない人々が見逃されていたり(猫仙人回)と、ちょっと個人的にモヤッとさせられた点があり、単話としては問題ないのにシリーズ全体の1つとして見ると「え?」と思わされる描写があったのは確か。この批判については6期制作陣、特にシリーズ構成の大野木氏は甘んじて受けるべきだと思っている。

 

あ、でも勿論評価すべき点もあるよ。予定調和をぶっ壊してサスペンス性に富んだ1年目の名無しの暗躍は(PS2のゲームで既に前身となる妖怪が出てきたものの)新奇性がありながら、鬼太郎が辿ったかもしれない別ルートの存在として効果的だったし、「単純なバトルものとして描かない」という制約の中でこれだけバリエーション豊かな物語を案出していったのは素直に偉業と言って良いと思う。

これだけ色々ブログで語れるのもメッセージ性や示唆に富んだ描写、鬼太郎シリーズにおけるレギュラー陣の関係性とか、そういった過去の積み重ねも合わせて現代の鬼太郎として描いたからこそであり、「今5期の鬼太郎の感想記事を書け」と言われても6期ほど色々書けないのじゃないかな~。

別にこれは5期がつまらないとかではなく、「このキャラ面白い!」とか「このバトルがアツい!」みたいな単純化された感想しか書けそうにないだけ。そう思うと10代前半で5期を、20代に入ってから6期をリアタイ出来たのは自分にとってタイミングが良かったと思っている。

 

正直ね、5期でああいう打ち切りに近い終わり方をしている上に目玉おやじの声を担当していた田の中勇さんが鬼籍に入られたから当時は6期以降の制作はないだろうなと諦めてた所があったんだよね。商業的な面で鬼太郎とドラゴンボールを比べると後者に分があるのは明らかだし、東映アニメーションの方も同じ二の舞を演じたくはないだろうからやらないと思っていた。

そんな思いに反して6期をやってくれたこと、それ自体が称賛に値するのだよ。

まぁ、脚本家の方全員が鬼太郎マニアって訳ではないし、今まで扱ってきた作品群の影響とかもあるから、話によっては「原作の読み込みが甘い」とか、「この改変は許せない」とか、ファンとして容認出来ない部分も少なからずあったけど、私はこれだけやってくれたらもう十分だと思う。(流石にこのテイストがずっと続くとアレだけど…ww)

 

さいごに ~この先の鬼太郎アニメに望むもの~

最後に個人的な欲求というか要求を「~べし」形式でまとめてみた。

 

【レギュラー陣の活躍度合いのバランスに注意すべし】

4期や5期みたいに毎回出せとは言わないが、出さなさ過ぎるとヒンシュクをかうのでバランス良く出していこう。これは鬼太郎メンバーに限らず、西洋妖怪軍団など、徒党を組んだ勢力を描く時も同様。6期は異色作として大目に見るけど、これからは群像劇の面白さを追求していってもらいたい。

 

5・6期で映像化されなかった原作を映像化すべし】

 当然だけど、過去に放送された定番の回が20年以上やらないと寂しいもので、「6期でこれが見たかった!」って作品も残念ながら結構ある。そんな訳で、以下に4期で放送されたが5・6期で放送されなかった原作を列挙しておく(オリジナル脚本でも原作に登場していた妖怪が出ていた場合、ノーカンとする)。

「人食い島」「雨ふり天狗」「猫町切符」「おりたたみ入道」「ばけ猫」「雪ん子」「妖怪ラリー」「マンモスフラワー」「朧車」「天狐」「鏡合戦」「大首」「ふくろさげ」「月の妖怪桂男」「おばけナイター」「大海獣

ちなみに1~3期で放送され、5・6期で放送されなかった原作は約30作。それも含めると50作近い原作が何十年もアニメ化されていないことになる。しかも未映像化の原作はまだまだあるので、その気になれば4年くらい余裕で放送出来るのだ。

 

世界妖怪をもっと推すべし】

今期は海外妖怪といえば西洋妖怪と一部東南アジアや南方から来た程度で寂しさを感じている。次期は西洋妖怪は勿論、中国(チー)にロシア(ヴォジャーイ)、そして南方(やし落とし・アカマタ等)と世界の妖怪が押し寄せる展開が見てみたい。それが無理なら原作の「世界おばけ旅行編」をやってもらいたい。あとは、もう5・6期で美人系の魔女は十分に見てしまったので、大衆の需要を無視して良いから原作通りの容貌で、ハリー・ポッターに出て来るベラトリックス・レストレンジみたいな残忍な魔女が見たい。

 

バックベアードは「帝王」から「強豪の一角」に戻すべし】

5期からベアードは西洋妖怪の帝王的存在になったが、これによって「妖怪ラリー」が出来なくなり、物語として自由度がなくなっている傾向があるので、今一度原点にかえって強豪妖怪の一角としてフットワークの軽さを見せてもらいたい。

 

【メッセージは「言わせる」のでなく「感じ取らせる」べし】

これは6期の良い所でも悪い所でもあるが、作品を通して視聴者に伝えたいことを露骨にキャラクターに言わせてしまっている部分がある。特に目玉おやじはそういう役割として使いやすいし、鬼太郎も四将編で自分の正義感を話すのだが、「ゲゲゲの鬼太郎」という作品に関して言えばあんまりこういうことをするのは危険かな、と思う。水木先生の作品からの引用ならばまだ良いが、オリジナルで主義主張をキャラクターに喋らせてしまうと物語との乖離が著しくなるので、メッセージはぽつりと漏らす程度が一番。長文でベラベラ喋らせてしまうのは(場合によって)鬼太郎作品の品格を落とすことになる

 

悪魔は妖怪と別格であるべし】

6期制作陣が一番反省すべき点だけど、ベアードの帝王としての格を上げるために悪魔が西洋妖怪編に配置されたのは明らかにダメ。悪魔は妖怪より上等の存在であり、メイン級でなければならないから、安易にベアードの配下にしたり、サブ的なゲストキャラとして登場させるのは御法度。今後新たに7期8期が制作されてもこれだけは絶対守って欲しいものだ。

 

オリジナル脚本も臆せず書くべし】

こんなの言われなくてもするだろうが、オリジナル脚本はその人の鬼太郎作品に対するイメージというか「私は鬼太郎作品をこういうものとして見ている」という考えが反映されるので、放送当時の世相だけでなく、自分なりの解釈で以て新たな鬼太郎物語を紡いで欲しい。好きな妖怪があるのなら、その妖怪の特性を活かした脚本を書くのも大歓迎。

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第97話「見えてる世界が全てじゃない」視聴【最終回】

 色々積もる思いはありますが、まずは2年間お疲れさまでした!

また後々ゴタゴタ文句言う人が出て来るだろうし、かくなる私自身も不満が全くない訳ではないけど、5期の非情なエンドを通過してきているので、こうやって物語をちゃんと完結させてくれただけでもう、「ありがとう」なのですよ!

 

最後の戦い

画像

©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

前回“あらざるの地”へ鬼太郎を連れ戻しに行ったまな。一方その頃、バックベアード爆弾の脅威がありながらも、人間と妖怪の戦争は終息するどころか、「人間の尊厳のための戦い」だの「妖怪の意地」だの言って、死を前提に戦う狂った状況になっていた。

 

前々回の記事でこの戦いにおける厄介なものの一つに「既成事実と生理的嫌悪」があることは述べたけど、尊厳(平たく言えばプライド)もこれまた戦争とかで持ち出されてくる厄介なテーマであり、水木先生自身も戦争体験において「玉砕」というものを知ったのだから、戦争においては生よりも名誉ある死が尊重されるという異常な状況が生まれることは決して絵空事ではない。

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

そういう体験を乗り越えた上で水木先生は「戦争はいかんです。腹が減るだけです」とこうおっしゃったのだ。

今回のねずみ男の渾身のスピーチはこの水木先生の言葉を引用したもので、戦争を嫌う立場であり半妖怪だからこそ、この争いにおいて彼がそれを主張することに意味が出て来る。「生より尊い死」など存在してはいけないのだ

 

…それにしても砂かけ婆財テクがここで活かされるとは思わなかったよ。そうだよな、株取引してるならパソコン知識くらい普通にあるもんな。

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“あらざるの地”=「希望の終着駅」

まなが“あらざるの地”に向かう展開に既視感を覚えていたのだけど、これも以前名無しの時に触れたPS2のゲームゲゲゲの鬼太郎 異聞妖怪奇譚」が元だとわかった。

ゲゲゲの鬼太郎 異聞妖怪奇譚

で、このゲームはエンディングが3つ用意されていて、その中でも一番鬼太郎たちが深刻なレベルで追い詰められるのが「Cルート」と俗に呼ばれる分岐。

 

ネタバレになって申し訳ないが、このCルートで鬼太郎は世界妖怪たちによって処刑され、身体をバラバラにされて吸収されてしまうという、なかなかにグロい展開が待ち受けているのだけど、ここで目玉おやじが93話でも出て来たあのまぼろしの汽車を召喚して鬼太郎を復活させる。勿論、単に復活させるだけではなく、失望状態の鬼太郎を説得する下りもあるから、正に今回まなが鬼太郎を説得しに行く展開まんまなんだよね。

リンクしている部分はそれだけじゃなくて、今回劇中で石動・伊吹丸が“あらざるの地”へ続く入り口を開く術を行使し、それを邪魔する機動隊を砂かけ婆・子泣き爺・ぬりかべ・一反木綿が守る展開があったけど、これなんかゲームにおけるまぼろしの汽車召喚の邪魔をする世界妖怪から、目玉おやじを守る仲間たち」という構図と全く同じで、思わず「うわぁ!」ってなったよ。※

 

※何言ってるかわからないって方は、以下の実況プレイ動画を見ていただければわかると思います。

www.nicovideo.jp

www.nicovideo.jp

www.nicovideo.jp

 

このシリーズ、面白いのでおススメですよ。

www.nicovideo.jp

 

ちなみに、上記の展開はCルートの第21話で見られるが、その話のサブタイトルが「希望の終着駅」。“あらざるの地”も失望によって因果律から外れた者が落ちる場所という設定だったから、あの場所も言い換えれば「希望の終着駅」なのだ。

「異聞妖怪奇譚」は2003年に発売されたゲームだが、この頃に6期の印象操作による扇動や鬼太郎を失望にまで追い詰める展開を既に描いていたのだから、先見の明があった神ゲーだとつくづく実感させられる。

 

代償と救済

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

前回から“あらざるの地”に向かうまなの記憶が鬼太郎復活の代償になるかな~とは薄々思っていながら当ブログで言及しなかったのは、それが個人レベルの話なのか、人類全体のレベルに及ぶのか予想がつかず、もし人類レベルなら妖怪の存在そのものが見えなくなって、戦争の対象となる妖怪は当然としてバックベアード爆弾も存在しないことになり、「無に帰る」エンドというある意味バッドエンドな展開になるから、ここで徒に予想してその通りだったらイヤなので伏せておいた。

 

最終的に10年の年月をかけて鬼太郎との記憶が戻り、完全なるハッピーエンドを迎えられたのは良かったが、あそこで記憶が戻ったのは第二次妖怪大戦争の後一旦閉ざされた「見えない世界」=妖怪の世界が再び開かれたという意味であり、今期色々懊悩し追い詰められてきた鬼太郎への救済措置みたいな意味合いもあったと思っている。

原作の鬼太郎は益にもならぬ人助けをしても、その実績は周りの虫や動植物たちがわかってくれているから大丈夫だよ、という世界線で生きているけど今期の鬼太郎はそういった虫や動植物の存在がオミットされている分、やはりまなが救済をしなければならないんだよね。

 

ゲストキャラ総登場

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

1年目の締めくくりとなった49話でもゲストキャラが続々出て来たが、最終話も鬼太郎に力を与えてくれた方々がこんなにいたので以下に記す。

【鬼太郎を応援し協力してくれたみなさん】

ねずみ男

砂かけ婆

子泣き爺

一反木綿

ぬりかべ

 

猫娘

犬山まな

アニエス・アデル姉妹

石動零

鬼童・伊吹丸

 

蒼馬・大翔兄弟

裕太

桃山雅

電池組(マンガンアヤナ・ニッケルカナ・アルカリユリコ)

 

濡れ女

呼子

加牟波理入道

奪衣婆

網切り

 

夏美

ろくろ首

あかなめ

唐傘

 

すねこすり

小豆連合(小豆洗い・小豆はかり・小豆婆)

雨降り小僧

たくろう火

かわうそ

チャラトミ

北島敦

のっぺらぼう

雪女・ゆき

 

庄司おじさん夫妻

キノピー

魔猫

カラス天狗

カラス天狗・小次郎

チンさん

 

角富

ひでり神

門倉

壬生陽子

TAKUMI

黒須親子

 

小野崎美琴

目玉おやじ

 

その他、機動隊を含む人間・妖怪のみなさん

 

最終章ぬらりひょん編 総評

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

半年に亘る最終章ぬらりひょん編で、ぬらりひょんが関わったのは全22話中10話分。マッチポンプに陽動、賄賂といった工作・扇動によって「妖怪の復権」を目論んだテロリストとしてのぬらりひょんは、妖怪としての特殊能力はないものの、これまでとは異質なぬらりひょんで非常に見応えのあるものとなった。

最終章の始まりから令和の時代とは思えぬ方法を以て人や妖怪を操ってきたぬらりひょんは正に悪しき昭和性を体現した妖怪であり、社会派的な物語が多い6期のラスボスとしてこれ以上ない存在だったことは間違いない。

 

今思えば昭和という時代そのものが今期ぬらりひょんの土壌を形成していたなと思い返される。鬼太郎の原作でも度々目にするロッキード事件日本赤軍によるテロ行為などは正にその代表例だし、(池上彰さんの番組で聞いた記憶だが)その頃の日本におけるテロ活動は世界で最も盛んであったと同時に先進的なものだったと聞いている。

 

そんな昭和的悪の権化であるぬらりひょんをこの最終回でどう始末するのか気になっていたが、結果は自爆エンドというやや拍子抜けの感が強いものになった。

拍子抜けはしたものの、これがダメかと言うとそんなことは全然なく、妖怪としてではなく「昭和的思想・概念の“退場”」(死ではない)という意味では妥当なオチ方だったと思う。そのせいか、バックベアードたちは退治後魂となったのに対し、ぬらりひょんは自爆後魂になる描写はなかった。単に自爆したフリをして生き延びただけなのかもしれないが、最終章序盤から「自分を倒しても第二・第三の存在は出て来る」ことを言ってきただけあって、やはり今期のぬらりひょんは個人的というよりは集団的思想・概念のカタマリみたいな存在であり、生死よりも尊厳や主義主張を重んじたのもそれが関係していると考えている。

 

昭和的な悪といえば、妖対法を成立させ、最後まで人間の尊厳を固辞し続けた総理も該当するが、彼女も明確な死が描かれた訳ではなく、バックベアードの放った弾が官邸に直撃するという形で“退場”している。勿論、あれで生きている可能性はゼロに近いだろうが、ああいった退場にしたのは彼女の原動力となった生理的嫌悪そのものを完全に消すことは不可能だと示しているのかもしれない。

 

さいごに ~見えてる世界が全てじゃない~

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

6期の始まりから一貫して言われてきた「見えてる世界が全てじゃない」。当初は単純に「見えてる世界=人間界」で「見えない世界=妖怪の世界」という構図から始まったに過ぎないが、この2年で見えてる世界・見えない世界というのは何もそれだけではないことを視聴者に訴えかけてきた。

見えてる世界というのは可視化された世界の他に自分の理解が及ぶ範囲の世界を意味しているというのが私なりの意見であって、見えない世界というのは自分の理解が及ばぬ思想や価値観・法則・理といったもの全てをひっくるめた世界を指しているのではないだろうか。

 

この6期ゲゲゲの鬼太郎を例に挙げるならば、まず主人公である鬼太郎は「見えない世界」の住人であるが、一方で人間に対しては“知ったつもり”でいる部分が多く、その対応にも適切でない部分が多々あった。これは過去の経験から「人間とはこういうものだ」と知ったつもりになり、本当の意味で人間との対話をしてこなかったことが影響している。泥田坊回とかは特に鬼太郎のそういった偏見から抜け出せていない面を映し出しており、「見えない世界」というのは人間だけに向けたテーマでないことが明らかとなった点でやはりあの回は印象的だったと思う。

 

こういった「見えない世界」というのは同じく6期のテーマである「多様性の尊重」とも関連している。多様性を尊重するしないは別として、まず自分の知らない思想・価値観を知っておかないと理解のしようがないし、尊重も出来ない。

水木先生は「見えない世界」に存在する妖怪たちを無理やり見る努力をして絵に遺してきたが、それくらい「見えない世界」というのは自助努力なしでは見えてこないものなのだ。それをわかった気になって理解したり否定する姿勢が一番危ない、ということをこの2年で制作陣の方々は描いてきたと思うし、それが視聴者に一人でも多く伝わったのなら、今期の役目は全うされたと言えよう。

 

 

以上を以てゲゲゲの鬼太郎(6期)最終回の感想とするが、まだ今期全体の振り返りはしていないので、それは追々当ブログでやっていくよ(クズキャラ一覧とかベストエピソード10選とか)。

最後に、6期制作陣の方々に改めて感謝の意を表します。

またいつか、鬼太郎の下駄の音が聞こえるその日まで…。

「クリスタル殺人事件」を観る

クリスタル殺人事件 デジタル・リマスター版 [DVD]

BSプレミアムで放送していた映画「クリスタル殺人事件」を観た。

 

原作はミス・マープルシリーズ長編8作目の『鏡は横にひび割れて』

鏡は横にひび割れて (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

マープルを演じるのはナイル殺人事件でオッタボーン夫人を演じたアンジェラ・ランズベリー

物語序盤、牧師館で開催されたミステリー映画の上映会で、肝心の犯人の名が明かされる瞬間にフィルムが切れるハプニングが起こり、マープルが卓越した推理で犯人を当てる流れがあるが、あれは原作を一冊も読んだことがない客のために「このお婆さんが本作の探偵役ですよ」とご親切にも示した場面だと言えよう。

 

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マリーナ・グレッグを演じたのはエリザベス・テイラー。生憎洋画は門外漢のため、大女優であること意外全然知らないのだけど、パーティーでの花のカツラインパクトに残る。よく相手の能天気さやおめでたさを揶揄する言葉に「頭がお花畑」とあるが、物理的に頭がお花畑の人を見ることは早々ない。

 

物語はこのマリーナを中心として、パーティーの席上で起こった招待客の毒殺事件の謎を追うが、探偵役となるマープルは犬のリードに足を引っかけ転倒し、自宅療養する羽目に。原作は別の理由で足を傷めるのだが、その点は原作を読んでいただければわかるので割愛。

本作は謎解きとしての複雑さはあまりなく、非常にシンプルな、それでいて意外性のあるミステリになっているが、根幹を支えるのは殺人に至る動機の痛ましさだ。そしてその動機に繋がる要素はマープルによって真実が明かされる前に既に随所に散りばめられており、それが大きな説得力をもたらしている。

 

『鏡は横にひび割れて』は原作も映画も単品で十分面白い作品だが、マープルシリーズの長編2作目となる『書斎の死体』を先に読めば、舞台となるセント・メアリ・ミードの時代の流れを感じることが出来るし、マープルの友人でグレッグ夫妻に自宅を提供したバントリー夫人の情報も加味されて、より一層物語に深みが出て楽しくなるので、未読の方に是非おススメする。

 

最後にネタバレありの感想を(一応伏せ字で)。

(ネタバレ感想)原作ではマリーナの写真を撮ったカメラマンのマーゴット・ベンスも容疑者の一人だが、映画ではカットされている。その分、マリーナとローラ・ブルースターの女同士の醜い争いがメインとなっており、映画の筋を変えてまで自分を美しく魅せようとするローラや、ローラを口汚く罵るマリーナのキャットファイトが印象に残る。

殺人動機となる「風疹感染」の下りは描かれているものの、それによって生じた悲劇、つまり自分の子供が障害を抱えてしまった点はごくアッサリと触れられた程度で、この点については映画よりもジュリア・マッケンジーがマープルを演じたドラマ版の方が優れていると思った。

マリーナの自作自演の脅迫状と、ジェースン・ラッドがマリーナを“解放”するためホットチョコレート睡眠薬を入れた下りは映画オリジナルの展開で原作になかったと思うが、これがテレ朝の「大女優殺人事件」に影響を与えたのだろうか。(ネタバレ感想ここまで)

『小説 ゲゲゲの鬼太郎 ~朱の音~』読了

小説 ゲゲゲの鬼太郎 ~朱の音~ 限定版 (講談社キャラクター文庫)

前回送料が割高になってしまったので、反省をふまえて今回はAmazon で購入。

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6期は「ゆるゲゲ」でゲーム展開をしているためか、TVゲームでのメディア展開は結局なかった。その分、オリジナル小説というこれまでのシリーズとは異なる展開の仕方をしたところを見ると、やはり6期は妖怪たちのバトルや技ではなく、物語そのものの面白さを前面に出して、我々鬼太郎ファンに挑んだと考えるべきだろう。

 

ということで、前作同様、本作も簡単に各話の紹介とネタバレ感想を(ネタバレ感想は一応伏せ字で)。

 

「怨ライン奇譚」(市川十億衛門)

オンラインの戦争ゲームで味方プレイヤーを殺しまくる「PK行為」を繰り返すエス。仮想現実で人を殺しても罪に問われないことに味をしめ、様々な戦争ゲームでプレイヤーを殺しまくっていた『エス』は、ある日ネット上で『チカチーロ』というプレイヤーから声をかけられる。『チカチーロ』は殺人願望のある『エス』に目を付け、『エス』に「自分を現実世界で殺してくれないか」と話を持ち掛ける。

(ネタバレ感想)ネット上での悪質な行為に殺人欲求、凶悪殺人鬼アンドレイ・チカチーロを元にしたハンドルネームと、ひどく物騒なプロローグから一転して、鬼太郎と『エス』=妖怪さとりのコミカルなかけあいがあり、さとりと『チカチーロ』が出会う展開。

エス』が妖怪だったというサプライズが出て、さとりの人間味あふれるキャラクターに少しほっこりし、最後にヒヤッとさせられる。そんな様々な感情を読者にもたらす物語でありながら、根底に描かれているのは「心の無い人間」。病気が病気を侵すネットの悪循環を描き、それを解決するのは現実世界での繋がりだと示したオチはやや凡庸であるものの、先を読ませない筋運びは良かった。

実はさとりと『チカチーロ』が出会った時、私は漫画「殺さない彼と死なない彼女」を思い出して、二人がかけがえのないパートナーとして結ばれる展開を予想していたけど、全然そんなことなかったね!

あと忠告しておくが、アンドレイ・チカチーロは興味本位で調べないこと。体調が優れない時に彼がやった所業を知ったら、ご飯が食べられなくなりますよ…。(ネタバレ感想ここまで)

 

ねずみ男ハードボイルド」(永富大地)

11月末のこと、ねずみ男は池袋の裏社会を牛耳る妖怪・猿鬼から呼び出される。猿鬼は、以前自分の腹心を殺して金を持ち逃げした犬神を恨んでおり、かつて犬神と相棒だったねずみ男に探させようとしたのだ。期限は三日後の午後三時三十三分、間に合わなければ死、鬼太郎の助けは求められない。

かくして、ねずみ男命がけの三日間が始まった。

(ネタバレ感想)前作でぬりかべにスポットライトを当てた永富氏が描く、ハードボイルドなねずみ男の一面を描いた物語。敵討ち・権力闘争・色仕掛けが渦巻く裏社会で生き残るため、必死で頭を働かせるねずみ男。ねずみに猿に犬だけでなく、狐や貉(四将編で鵺に利用されていたのとは別個体)も出てきて化かし合いのコン・ゲームとなっているのが評価ポイント。闘争劇のオチに水木先生の命日を持ってきたのは天晴。

それにしても、石川県の能登に伝わる猿鬼が東京の池袋で裏社会のボスになっているって凄い設定だな…ww。(ネタバレ感想ここまで)

 

「怪物マチコミ」(金月龍之介

脚本家・金月龍之介行方不明になった。彼が書いていた日記には、鬼太郎6期の脚本が決まった2017年のことや、脚本会議のこと、2018年に担当した「妖怪アパート秘話」のことが書かれていた。そして同年9月3日、金月はシリーズ構成の大野木寛から『怪物マチコミ』の脚本を要請される。

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今までアニメ化されていない『怪物マチコミ』。早速6期ならではの風刺を取り込み書き始めた金月だったが…。

(ネタバレ感想あらすじを見ればわかるように、メタフィクションの構成で書かれているのが特徴。実際の永富氏や大野木氏、小川監督がああいうキャラなのかはともかく(苦笑)、こういった普段知れない内情が見えて来るような話は興味があるし、現実と虚構の境界が曖昧になる展開は、私の好きなミステリ作家・三津田信三の十八番でもあるので、それに慣れ親しんだ私としては、本書に収録された中で一番好きと言えるかも。

お参りしないで「四谷怪談」を上演するとお岩さんに祟られるエピソードがあるが、本作はそのテイストを盛り込んでおり、マチコミの生贄として脚本家が一人選ばれている点も含めて妖怪と人間両方の怖さが描かれていて巧い。泥田坊回の時にも思ったが、金月氏は過去と現在のリンクのさせ方が上手な方だよな。(ネタバレ感想ここまで)

 

「Mと呼ばれた男 ―― ラ・セーヌ外伝」(大野木寛)

吸血鬼ラ・セーヌには、人間の下僕がいた。高貴な家柄のラ・セーヌに仕える卑しい下僕。それでも彼はラ・セーヌの血を受け、吸血鬼として永遠の下僕となり仕えることを望んでいた…。

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(ネタバレ感想)ラ・セーヌの下僕視点で描かれた物語。外伝とはいえ、話の展開はほぼアニメ57話と同じ展開だし、バックベアード復活のため血を集める点も同じだから57話の前日譚という訳でもなさそう。「え?これって単なる焼き直し?」と思ったが、もしかすると本作は「大野木氏が本来やりたかったラ・セーヌ譚」ではなかろうか?

尺の都合や四将編に絡ませねばならない制約とかでアニメでは石動によって退治される展開となったが、本来大野木氏が描きたかったのはラ・セーヌとM(マンモスだろう)との主従関係であり、だからこそ石動が絡まない「外伝」として本書に収録したと考えるべきではないだろうか?

いやそうでも考えないとホントにただの焼き直しだよコレ。(ネタバレ感想ここまで)

 

「陰摩羅鬼・外伝」(大野木寛)

児童相談所職員の池内美由紀は、山藤家の長女・優礼が虐待を受けていることを聞きマンションへ赴く。扉を開けた母・佳枝のやつれ果てた姿に驚いていると、優礼が姿を現した。しかし、彼女は至って健康そのもので、虐待を受けた痕跡も見当たらない。不思議に思いながらマンションを後にした美由紀は、山藤家の窓から自分を見つめる人ならざる双眸を目撃する。ただごとではないと感じた彼女は鬼太郎に助けを求めた。

これは、アニメとは全く異なる戦慄の陰摩羅鬼譚である。

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(ネタバレ感想)アニメを見た時(大野木氏にしては)オーソドックスな展開だな~と思っていたが、こちらは児童虐待をテーマにしたより深刻な物語。これもラ・セーヌの話と同様に、大野木氏が本来書きたかった陰摩羅鬼譚だと思う。でも朝アニメで流石に児童虐待無戸籍児を出すのは無理なので、「母親の死が受け入れられない子供」というマイルド路線の脚本にしたのかと納得。

アニメは生者が死者に対して執着する話だったのに対し、本作は死者が家族という理想のため生者に執着するという逆の構図になっている点が興味深く、魂金縛りの術としての質問が、親の罪業を暴く質問にもなっている所にゾッとさせられる。親の愛によって支えられ生きてこられた鬼太郎にとって、虐待はどう映って見えるのか。

これは鬼太郎にとって、見えない世界(=児童虐待)の扉が開いた物語と言えるのかもしれない。(ネタバレ感想ここまで)

 

「鬼太郎の『だから言ったじゃないか』シリーズ」(市川十億衛門)

ゲゲゲの森には、現代の人間社会に上手くとけこめなかった哀しき妖怪が数多存在する。これはそんな五体の妖怪の悲劇を描いたショートショート

(ネタバレ感想)ストーカーに間違われる後追い小僧、高層ビルを揺すろうとして骨折するクネユスリ、お笑いスクール不合格に泣く五体面、近隣トラブルで話題となった畳叩き、あおり運転をしてしまう提灯小僧…。

まぁそれだけの話で特に深い要素はないけど、同じ「〇〇をするだけ妖怪」の豆腐小僧が電池組のニッケルカナの救いになっただけに、この処遇の天と地ほどの差は何なのかってなるね。いや別にこういう扱いがダメって訳じゃないけど。

私が上記の哀れな妖怪たちを活かすとしたら、後追い小僧は観光業の荷物運びの仕事(いじめっ子の荷物を持ついじめられっ子の構図みたいになるけど…)、クネユスリは思い切って海外で高い所の木の実を揺すって採る仕事(クネ以外は嫌だとゴネたらアレだけど…)、五体面はベビーシッターとか保育関係の仕事(人を笑わす以外の仕事が出来ればだけど…)に就けば良いと思うし、畳叩きは打楽器演奏で頑張れば希望通り有名になれるだろう。提灯小僧は…お年寄りの散歩の付き添いとかかな?(ネタバレ感想ここまで)

眠らぬ薔薇が裁きを下す、『ブルーローズは眠らない』

ブルーローズは眠らない (創元推理文庫)

前作『ジェリーフィッシュは凍らない』に次ぐ〈マリア&漣〉シリーズ二作目。

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前作はクローズドサークルもので本作は密室殺人がテーマになるが、謎となるテーマの違いを抜きにして本作の方が圧倒的に面白いと感じたので紹介する。

 

本作のあらすじは以下の通り。

ジェリーフィッシュ事件後、閑職に回されたフラッグスタッフ署の刑事・マリアと漣。ふたりは不可能と言われた青いバラを同時期に作出したという、テニエル博士とクリーヴランド牧師を捜査することに。ところが両者と面談したのち、施錠されバラの蔓が壁と窓を覆った密室状態の温室の中で、切断された首が見つかり……。『ジェリーフィッシュは凍らない』に続くシリーズ第二弾!

(裏表紙を引用)

青バラで密室殺人というと、金田一少年の事件簿20周年記念シリーズで発表された「薔薇十字館殺人事件」を思い出すが、本作の方がトリックの巧さは勿論、そのトリックを用いた動機や、青バラが作中に出て来る必然性など、様々な面で優れている。

というか、「薔薇十字館」が2012年に発表された作品だから、2017年に単行本で出版された本作のトリックが劣っていたのでは話にならないのだけどね。

 

ちなみに、作中では1983年に青バラの作出に成功したことになっているが、実際青バラが誕生したのは2004年であり、その色も真っ青というよりは青紫色に近い。

ja.wikipedia.org

 

物語の構成は前作のジェリーフィッシュと同じで過去と現在のパートが交互に描かれていくが、本作の過去パートは親の虐待を受けて家から逃げ出した少年が、とある博士一家に拾われて生活する様子や、彼らに起こった惨劇が描かれる。そしてその惨劇には「実験体七十二号」という怪物的なものが絡んでいるせいか、ちょっとホラー的な面もあってヒヤッとした感覚が味わえる。

一方の現在パートでは、上記のあらすじのようにマリアと漣が青バラの作出に成功した二人を捜査することになる。青バラの開発が何か事件と関係してくるのか…?なんて思っていた矢先に前述した不可解な密室殺人が飛び出すのだが、その密室の情景がまた凄い。

薔薇の蔓が温室全体を覆っている。

・窓・天窓・出入口全てに鍵がかかっている。

青バラの鉢の手前に生首が転がっている。

・出入口のガラス扉の内側に「実験体七十二号がお前を見ている」の血文字

・生首と共に密室で拘束されていた学生

本格ミステリのファンならこの情景を想像するだけでドーパミンがブワァっと出るものだ。(出ないのなら出るようにもっとミステリを読むべきですね!)

「薔薇十字館」は内開きのドアの前に薔薇が敷かれていたという形の密室なのに対して、本作は施錠に加えて薔薇の蔓という自然のカーテンが障壁となっているため、より不可能性が高まっている。

温室の施錠は外からいくらでも出来るが、蔓を崩さず外へどうやって出るのか?それが出来ないなら他に方法はあるのか?とまぁこれだけならまだしも、死体が切断されて生首だけ放置されていたり、学生が拘束されていたりと不可解な点が余りにも多くて「これら全てを合理的に解決出来るんかいな!?」と、それが気になって一気に読んでしまった。

 

一応メインは密室殺人だが、単にトリックだけの面白さにとどまらず、事件の根底にある正義感が終盤に明かされ、アガサ・クリスティの某名作にも通じる「正義の鉄槌」が振り下ろされる瞬間にグッとくる。

序盤は遺伝子工学の話とか、青バラの作出が不可能だと言われる理由について細々とした説明があって理系の話が苦手な人は読むのに骨が折れると思うが、その部分を越えてしまえばあとはそんなにガッツリ絡むことはないのでオススメしたい。

 

 

最後に、ネタバレ感想を伏せ字で書いておく。反転して見れるが、あくまでも自己責任で。

(ここからネタバレ感想)メインは密室トリックだが、ひそかに読者に向けた性別誤認の叙述トリックが仕込まれているのが心憎い所で、「フランキー博士」と呼んでいるが“彼・彼女”といった呼称を使っていない点や、プロトタイプの章で出て来るフランク博士が目くらましになっているのが何ともいやらしい。

そして肝心の密室トリックにしても(蔓のトリック自体はさほどのものでもないが)「密室トリック兼アリバイトリック」というのが秀逸で、それによって死体の切断や学生の拘束にも説明がつくのが凄い。そして大胆にもアリバイトリックの方は二つの見取り図の相似で読者にも解けるよう示されているのだから、ホント巧い(見取り図にヒント仕込む作品、結構好きなの♡)。

細かなホワイダニットを経て最大の謎「そもそも何故これほど複雑な密室殺人を作ったのか」が出て来るが、これが過去の“博士一家殺人事件”の犯人を裁きの場へ引きずり出すための舞台装置として機能し、犯人が職掌を悪用して簡単にもみ消せないよう複雑怪奇にしたのも個人的には納得がいく範囲内。最終的に悲劇の端緒となったバラによって裁かれるオチもお見事で、是非とも(実写は無理だろうが)アニメで見てみたいと思っている。(ネタバレ感想ここまで)