タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第96話「第二次妖怪大戦争」視聴

セミファイナル

昨年と同様、来週でどう収拾をつけるのか気になるものの、完全ハッピーエンドは無理だろうな、ここまでくると。

 

「レックス・ネモレンシス」の

今回は鬼太郎が殺されたことにより、ゲゲゲの森の妖怪たちも人間と戦争することを決意。1年目の西洋妖怪軍団襲来の時に次ぐ第二次妖怪大戦争が勃発。そしてぬらりひょんは、用済みとばかりに西洋妖怪たちを毒殺(これは公式Twitter の先行カットで薄々予想していたが)。最後の仕上げに、ねずみ男をけしかけてまなの殺害を目論んだものの、毒を盛られたバックベアードが返り討ちとして地球外から世界中に無差別爆撃を開始し、この窮状を打開すべくまなは鬼太郎を連れ戻しに行く…という展開だった。

 

前回の記事で邪魅がここに来て大同盟に加わろうとしたのは4期の影響があるからだろうと言及していたが、今回邪魅が実はぬらりひょん派に既についていて扇動役として仕込まれていたことがわかって「やはり4期の影響か」とその思いが強くなった。

まぁ元々原作に出て来る邪魅も毒気で相手を狂わせ悪いことをさせる妖怪だったから、扇動役として他の妖怪を狂わせる立場で登場したのはピッタリと言えばピッタリだったかもね。

 

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

ところで、今回は聞きなれぬワードが二つばかり出て来た。その内の一つが、西洋妖怪軍団を死に至らしめることになったワイン「ルゲシ・ド・ズミーキ」(名前の由来は言わずもがな)に混入されていた「レックス・ネモレンシス」の

勿論これは原作や他の水木作品に登場しない(多分)ので、早速調べてみた。

 

レックス・ネモレンシスとは日本語で「森の王」を意味する。これはイギリスの社会人類学ジェームズ・フレイザーによって著された金枝篇という未開社会の神話・呪術・信仰に関する集成的研究書に記されている。

ja.wikipedia.org

ウィキペディアの情報なので完全に正しいとは言えないかもしれないが、これによるとイタリアのネミの村には聖なる湖(ネミの湖)と聖なる木立(アリキアの木立)があり、その木立には聖なる樹(ヤドリギ)が生えていた。

その聖なる樹の枝(金枝)は誰も折ってはならないとされているが、例外として逃亡奴隷はその枝を折ることが許されていたという。

村の聖所では、ディアナ・ネモレンシス(森のディアナ)が崇拝されており、その祭祀役を果たしていたのが先述した「森の王」と呼ばれる人なのだ。この職には逃亡奴隷だけがつくことが出来るが、その条件として①金枝を持ってくること②現在の「森の王」を殺すこと、が必要とされている。

 

この王殺しについて、一説には森のディアナに捧げる生贄の名残だとか、ローマ帝国統治下の職位継承の表れではないかと言われているが、ここでは割愛するとして、要は何が言いたいかというと、「レックス・ネモレンシス」の血とはつまり王殺しの象徴であり、だからこそバックベアードを殺す毒として相応しいのだ

単に神に仇なす側面の強い西洋妖怪が苦手とするものだったら他に聖水とか色々あっただろうが、ここで「レックス・ネモレンシス」の血を選択し、帝王として君臨しているバックベアードを殺す道具として用いたのは最適だったのではないだろうか?(ベアードの復活から毒殺までが早すぎる点に関しては構成として少々難点ではあるが)

 

バックベアードの殺害が『金枝篇』における「森の王」殺しだったと解釈するならば、その前段階として金枝を折る行為がなければならないが、これは鬼太郎の殺害に置き換えることが出来る。鬼太郎という金枝を折ったことで、ようやくベアードを殺す段階に移れたのだからね。

そうなるとぬらりひょんは逃亡奴隷ってことになるけど、この世の理を破壊し、繋がれて動かされる「奴隷的立場」でない点に関しては、確かに逃亡奴隷的なのかな?

ja.wikipedia.org

 

バックベアードが完全にやられず、地球外から攻撃を始めたのはぬらりひょん最大の誤算だっただろうが、これもぬらりひょんを逃亡奴隷として見ると逃亡奴隷に対する罰と言えそうな気がする。古代日本の律令制度下でも逃亡した奴隷に対する罰則が規定されていたし、いくら理を破壊したとしても逃亡奴隷の立ち位置にいる以上、罰則の理からは逃れられなかったということになるかもね。

 

“あらざるの地”にいた者は?

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

「レックス・ネモレンシス」の血に次いで新たに出て来たワードが“あらざるの地”。水木作品にも色々異世界は出て来たけど、この“あらざるの地”はアニメオリジナルだと思う(水木作品全部は知らないので自信がないのよ)。この世でもあの世でもない世界と言えば私には水木先生の短編「丸い輪の世界」くらいしか思いつかないが、情景を見るに「丸い輪の世界」とは違っているし、そもそも“あらざるの地”は閻魔大王曰く強い失望を抱いた者が落ちる絶望の地らしいから、単に病死して行くような世界ではないからね。

mangapedia.com

 

で、その“あらざるの地”で気になることがある。それが前回の予告でもチラッと映っていた人影についてだが、今回てっきりその正体が明らかになると思っていたらまさかのお預けで未だ正体は不明。

ネットでは幾つか候補に挙がっていた人物がいて、目にしたものを記すと以下の通り。

・鬼太郎の育ての親、水木

・鬼太郎の母、岩子

・転生した名無し

・小野崎美琴の父、彰悟

 ただ、予告の時点ではあの場所が“あらざるの地”だと明かされていなかったので、今回の情報を加味すると、まず岩子と名無しの線は完全に消えたと考えるべきだろう。“あらざるの地”は強い失望を抱いたものが落ちる場所なので、名前を与えられて成仏した名無しは落ちないし、岩子にしても原作で別に失望して死んだ訳ではないし、そもそも岩子は地獄にいる(原作の地獄編参照)のでこれはあり得ない。

となると、やはり水木か彰悟のどちらかなのだろうが、水木の死はアニメの中では描かれていないので何ともいえない(元ネタの「墓場鬼太郎」では鬼太郎に半ば見殺しにされて死んでいるが…)。彰悟の方は自分で殺されることを望んだとはいえ、娘がああなったことを思えば、“あらざるの地”に落ちた可能性はなくはない…と思うが、う~ん、どうだろう。やはり本命は水木かな。※

 

※こんなツイートを見つけたので貼っておく。

 これが正解だとしたら、演出の方、正直言ってわかりにくいです…。

 ただでさえ情報量多いってのに、「自分を見つめる自分」とかそういうややこしい演出はやめとくれ。

(2020.03.23追記)

 

最終回見ました。追記のツイートが正解でした。

(2020.03.29追記)

 

壊せぬ理、侵せぬ既成事実

 最終章ぬらりひょん編において、ぬらりひょんは「妖怪復権」のためこの世の理を破壊しようと罠を張り策を巡らせてきたが、ここに至って次々と誤算が生じて来たのはぬらりひょん自身も結局は理の枠内にいる妖怪だということを示している。だからこそ(上述したように)破壊の代償として世界自体が壊滅しかねない事態に発展してしまったのだし、ねずみ男にまなを殺させる目論見も失敗してしまった。

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

自分は埒外の存在だと思っていても地球という大枠の内にいる以上はその理に背いて生きることは出来ないし、それに背くことは即ち世界の存在すら否定しかねない危険さを孕んでいることを暗に脚本で匂わしているのかもしれないが、それはともかく置いといて。

 

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 ©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

人間と妖怪の均衡を崩した危険人物としてぬらりひょんねずみ男にまなの殺害をけしかけたが、妖怪側についているとはいえ、そもそもねずみ男半妖怪である事実は変わらないし、ここでまなを殺すことは鬼太郎を否定し、ある意味自分の一部を否定することになり兼ねない。それに、鬼太郎とまなが出会って生まれた悲劇も知っていれば、その出会いから生まれた幸福もねずみ男は知っている。いや、知り過ぎていると言うべきかな。

これまでぬらりひょんは自分にとって益のある様々な既成事実を作り上げ、それを基にして人間と妖怪の対立を激化させてきたが、この既成事実はいくらぬらりひょんでも侵せぬ領域であり、壊せぬ理だと言えるだろう。

 

 

さて、来週でこの物語は終わりを迎える。この物語の始まりから関わってきた犬山まなぬらりひょんの言う通り、この物語で最も理を破壊した存在と言えるかもしれない。そして先述したように、理の破壊にはそれ相応の代償が伴う。“あらざるの地”に向かうまなに対して伊吹丸もその代償について忠告していたが、まなが払う代償とは何か。

最終回、是非見逃すなかれ。

「アリバイ崩し承ります」特別編(ネタバレあり)

アリバイ崩し承ります (実業之日本社文庫)

最終回を過ぎて、名残惜しさを感じるあなた。AbemaTV で配信されている特別編の存在を見逃してはいませんか?

※2021年現在、配信は終了してます。

 

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「時計屋探偵とお祖父さんのアリバイ」

特別編は原作の5話「時計屋探偵とお祖父さんのアリバイ」。現在公開されている9編の中でも本作は時乃のアリバイ崩し稼業のルーツに迫ったスピンオフ的な物語で、本筋に絡められない分、無料配信ドラマとして公開したのは理にかなっているといえる。

とはいえ「スピンオフなら、トリックもそんなに難しくないでしょ~?」と思ったら大間違い。本作で扱われるトリックは犯罪事件に利用するのは到底不可能だが、ユニークさにかけてはシリーズ随一のクオリティだ。逆に言えば、犯罪事件という制約さえなければ、こんなユニークなアリバイトリックだって出来ることを読者や視聴者に示した好例として、この「お祖父さんのアリバイ」は非常に価値があると思う。

 

そんなユニークなアリバイトリックを実演したのは時乃の祖父でありアリバイ崩しの師匠でもあった美谷時生(原作は名前が不詳)。森本レオさんがお祖父さん役をやると聞いた時はこの「お祖父さんのアリバイ」も間違いなく映像化されるだろうと期待しており、配信ドラマが決定した時は嬉しかったが、その反面「この素敵なトリックを見る人が限定されるのはちょっと勿体ない気が…」という思いもあった。

まぁでも目にする人が限定化される分、特別感が増してそれはそれで良いと思うので目くじらは立てないよ。

 

ちなみに、ドラマで時乃の祖父がトリックを実演してみせたのは時乃が中学一年の頃になっているが、原作は時乃が小学四年の頃に実演されている。浜辺美波さんを子役で代替させることなく時を戻せるギリギリが中学一年ということだったのだろう。

 

ストーリーとアリバイトリックは原作通り。このトリックに関しては映像を見てもらう方が分かりやすいので、今回は解説を割愛。トリックを明かすだけでなく、別解潰しやトリックに気づく部分も忠実に映像化されていて良かった。いや~TVで流せないのが惜しいね。

違う所といえば、ドラマオリジナルキャラクターの渡海雄馬が時乃と出会った始まりを描いている点くらいだろうか。ドラマ本編でも色々ズレてた子だったけど正義感があるボンボンだからまた続編があったら出てきて欲しいね。

 

ところで、ドラマを視聴している原作既読者はご承知だと思うが、原作の時乃は安楽椅子探偵で、自分から出向いて捜査情報を集めるマネはしていないが、ドラマはそれだと時乃の出番が少なくなるため活発に捜査情報や事件に首を突っ込んでくる。好意的に見ればお転婆と言えるが、悪く言うと職業倫理が半ば抜け落ちたアリバイ崩し中毒のヤベェ女なのだよな…ww。

察時にアリバイ崩しの依頼をさせるよう誘導してくるわ、アリバイ工作のニオイをかぎつけて捜査会議の情報を盗み聞きするわ、アリバイ崩しが絡むと一気にコンプライアンスの精神が崩壊するのだもん、ヤバいよ。

しかも先日の最終回なんて平然と焼死体の現場を覗き見してたんだよ。

おい警察、仕事しろ!!

っていうかお祖父さん、あなたのお孫さん相当ヤバいことになってますよ!職業倫理の方をもっと叩き込んでおくべきでしたね!

 

「アリバイ崩し」ミステリの紹介(時を動かすアリバイトリック)

本作で時乃の祖父が用いたのは写真を利用したアリバイトリックだったので、当初は写真を利用した他のアリバイ崩しミステリを紹介しようかと思ったが、本作の劇中で検討された諸々のアレコレがトリックに使われている作品が多く、そんな作品を紹介したところで「お祖父さんのアリバイ」に比肩すると思わなかったので、ポイントを変えて「時を動かす」という観点からこの作品を紹介する。

 

ミステリークロック

貴志祐介「ミステリークロック」(『ミステリークロック』所収)

本書は月9ドラマ「鍵のかかった部屋」でお馴染み〈防犯探偵・榎本シリーズ〉の最新作で、密室殺人事件を扱ったシリーズの中で唯一アリバイ崩しものとして書かれたイレギュラーな物語だ。

 

舞台は盛岡市郊外の山荘。そこでは女流ミステリ作家・森玲子の作家生活三十周年記念の晩餐会が開かれていた。榎本や弁護士の青砥、編集者に年老いたミステリ作家らが客として集まり、山荘に置かれた数多くの時計コレクションを鑑賞し、その価格の順位当てに興じていた。

そんな折、書斎で仕事をしていたはずの玲子が服毒死体となって発見される。自殺をするような気配もなければ外部から誰かに毒を盛られた可能性もない。ならば、この中に犯人がいる。そう思った玲子の夫が猟銃を携え招待客たちに銃口を向けた。こうして榎本たちは、半ば強制的に犯人捜しをする羽目になった…というのがあらすじ。

 

読み進めていけば、「犯人が誰か」という点についてはほとんどの人がわかると思うが、問題は犯人が仕掛けたアリバイトリック。

本作は以前ブログでも紹介した鮎川哲也氏の「五つの時計」のように、犯人が時間操作をしてアリバイを構築するタイプのトリックだが、そのアリバイトリックの複雑さはこれまで紹介してきたトリックなど比べ物にならない。私が読んだアリバイ崩し作品の中で史上最高難易度だ。道具と舞台さえ揃えられれば現実世界でも実行出来そうなレベルで微に入り細を穿った設定は分かりやすさを度外視していて初読時は頭が痛くなったほどだが、理解できると「すっごい…!!」となること間違いなし。

 

ちなみに、この「ミステリークロック」は時計に関する知識が謎を解くカギになる。美谷時乃はアリバイ崩しを得意とする時計屋さんだが、彼女が実在したらこの作品をすすめて、犯人が作り上げたアリバイを崩せるかどうか見てみたいものである。

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第95話「妖怪大同盟」視聴

 2週間ぶりの鬼太郎。今回はブランクを埋め合わせるに十分な展開になっていたと思う。

 

邪魅

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元々は中国の妖怪で、人に害をなす妖怪の総称だとされている。そのためか、『今昔画図続百鬼』に描かれている邪魅の姿は上半身のみで、下半身は曖昧になっている。比較的憑き物に近い妖怪と言えるだろう。

アニメでは1・3・4・5期に登場したが、原作「妖怪関ヶ原と同じ展開なのは4期まで。5期の邪魅は無数の人間を喰おうとして黄泉の国に幽閉された凶暴な妖怪という設定になっており、原作のように知恵の回るタイプではなく本能の赴くまま暴れる獣のような妖怪として描かれている。正直邪魅である必然性はなかったが、それは置いておこう。

今期の邪魅は1年目からゲゲゲの森にいるモブ妖怪として描かれてきたが、手の目回ではぬらりひょんの扇動によって人間に敵意を持ち、そして今回妖怪大同盟のリーダーとしてぬらりひょんたちに加勢しようとした。

そういや、4期の邪魅はぬらりひょんの差し金で鬼太郎を襲っていたから、ここにきて邪魅がぬらりひょんに加勢する展開は4期の影響が少なからずあるのかもしれない。

 

グレーがブラックになる

今回は前回ぬらりひょんと手を組んだバックベアード軍団が日本へ来て一つの街が壊滅、それによって妖対法が成立し、人間と妖怪間の争いが激化する展開となった。

ところで、前回の記事でねずみ男が旅行に参加しなかったのは、1年目同様渦中の外に置くことで、最終戦において頼みの綱として鬼太郎たちを救う展開に持っていくためだと予想したが、この予想は大きく裏切られることになった

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いや、手の目回でぬらりひょんの扇動に対してグレーな立場を保持する姿勢でいることを示していたからここまでガッツリ鬼太郎の窮状に報いるとは思わなかったのよ。今期のねずみ男はあくまでもニヒリスト的で義理・人情で動くような3期以降のねずみ男とはちょっと違うかなと思っていたが、鬼太郎に対しては義理があったのだな。

言われてみれば11話の狸軍団回で鬼太郎が石になった時はちょっと心配そうな顔をしていたから全く友人としての思いが無かったわけでもないし、20話の妖花の回で旅に付き合っているのだから、やはり鬼太郎との付き合いは損得勘定を抜きにした部分が大いにあったと思う

 

ただ、ねずみ男が今回揉め事に関わったのは、「戦争を嫌う」6期ならではの設定があったからだと思う。

今期のねずみ男は「愚かな人間が何人被害を受けようが構わないが、何の罪もない人が大量死するのは我慢出来ない」という考えがあり、それが13話の輪入道回とか、前述した20話、75話の玉藻前回から見ることが出来る。大量死を嫌うのは自分がそれに巻き込まれる側の弱者を自覚しているからであり、それ故今回は戦争を回避せんがために、総理との黒いつながりを用いて鬼太郎に手を貸したのだろう。

(ちなみに、2期のねずみ男軍事産業の持ち株を高騰させるため、国際会議に縁切り虫を放ち、戦争を引き起こそうとしたなかなかの鬼畜。そのアイデア自体は人間が思いついたものでねずみ男は加担したに過ぎないが、五十歩百歩でそんなに変わらない)

 

しかし、それが結果的に鬼太郎が殺されるという展開になってしまったのがねずみ男にとっての大誤算!!

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

以前47話の記事で言ったと思うが、鬼太郎が殺されること自体はそれほどショッキングではない

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主人公だし、原作でも散々殺されて再起不能状態に陥っても復活しているのだから「またどうせ閻魔大王の計らいとかで復活出来るでしょ?」というのが私の意見。

 

あ、でも鬼太郎を殺した対象が人間だった点は色々思う所があって、鬼太郎の先祖にあたる幽霊族は人間によって滅ぼされているから、「あぁまた同じ悲劇が…」と感慨にふける所はあったかな。厳密に言うと幽霊族が滅んだのは争いを嫌い戦う術を持たなかったからであり、人間に直接攻撃されたのではなく、彼ら自身が人間のいる場所から逃げて食糧危機に陥り餓死していった結果。

だから、今回の悲劇とは事情が違うという向きもあるだろうが、人間のために尽力しても人間に憎まれ殺される展開に同じような虚しさを感じてしまう。でも、元々原作の鬼太郎も当初は人間のために戦っても評価されないケースがあったし、最大の理解者は虫たちというスタンスだったから、ある意味原作らしいと言えばらしいのかも。

 

で、一番の問題はねずみ男だよ。

中立とまではいかないがグレーな立場を保持していたねずみ男がここで黒い立場バックベアードぬらりひょんの妖怪大同盟に加担してしまう辺り、いくら戦争を嫌悪し忌避しても個人的感情を支配されてしまえばオセロの如く簡単にひっくり返ってしまうものだと気づかされる

 

多分だけどね、第二次世界大戦の頃の日本国民全てが大東亜共栄圏を理想としていた訳ではないだろうし、諸外国の思想がどうとかそんなことよりも身近な人の平和を望む方が圧倒的に多かったと思う。でもそんな個人的な感情が戦争の前では大きな思想に包括されてしまう。一刻も早く戦争が終結されることを願って敵地へ赴く人の思いも、自分達の平和のためにやむなく殺さざるを得ない苦悩も、全てが「大東亜共栄圏」やら「鬼畜米英の殺戮」という言葉によって包括され、結果大量死を以て終結することになった。戦争が肉体のみならず思想を殺すと言われるのはそのためである。

 

正に今回のねずみ男は個人的な感情=鬼太郎が総理に殺されたことに対する憎しみが人間そのものに対する憎悪へとすり替えられ、妖怪大同盟に加わることになったのだから、やはり今期のぬらりひょんは非常に政治的であり凶悪な存在と言えるだろう。自分達の生存を保持するための戦いも、個人的な憎悪さえも、全てぬらりひょんの「妖怪復権」のマニュフェストに包括されてしまうのだから…。

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

 

もう一つの敵は「既成事実と生理的嫌悪」

今回の物語の構図は47話と近いものがあって、消滅した猫娘が鬼太郎に、殺した張本人であるまなが総理に、それに対して怒る鬼太郎がねずみ男に置き換えられたに過ぎない。

が、問題はその悲劇を生み出す原因の違い。1年目は名無しの印象操作による誤解によって生じた悲劇だったため、真実を知れば修復する余地があったのに対し、今回の一連の騒動は誤解を解いてめでたしめでたし、なんてことにはならない。

何故ならそこには誤解ではなく既成事実という大きな壁が立ちはだかっているからだ。

 

総理が妖対法を成立させようとしたのは1年目から起こっていた妖怪たちのテロ行為という事実があってのことだし、おどろおどろ回に登場した美琴が妖怪を憎むのも妖怪と化した父親が鬼太郎に殺された事実に基づく憎悪だ。妖怪たちが人間に対して危機感を持つのも対妖怪用の武器が開発されたからであり、いずれの事実も誤解の入る余地がない。妖怪テロで散々な目に遭っている総理に穏健な手段をとれなんて話は通用しないし、父親を失った美琴だって何を言われても父が戻ることはないのだからダメ。妖怪の側にしても自分達を殺せる武器が完全になくならない以上は安心出来ないのだからね。

つまり、対話や理屈で対処出来る問題ではなく、(今のところ)彼ら自身の気の持ちようでしか解決出来ない問題なのだ。

 

更にこの既成事実に生理的嫌悪が付随しているのが厄介。個人レベルならまだ良かったが国のトップである総理がそれを動機に妖怪の排除を進めているのだからね。劇中では妖怪ってことになっているけど、これを他民族に置き換えたら差別発言で総辞職待ったなしだよ。

この生理的嫌悪も既成事実と同様理屈で対処出来ない(嫌悪の対象から遠ざかるくらいしか方法がない)ので、今後の展開でどう処理していくのか見物である。(個人的にはメン・イン・ブラックのニューラライザーで記憶でも消去しない限り解決しないと思っているのだが…)

 

さいごに(雑感)

・正確にはガトリング砲と呼ぶみたいだが、悪役に徹する朱の盆のカッコよさをビシビシ感じている。

 

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

・モブ妖怪をよく見ると、(夜行さんやお歯黒べったりは前にも出ていたが)5期で出てきた舞首とか雪入道がいてちょっと懐かしくなった。あと原作でメイン回があった足長手長かまなりもいたが、彼らのメイン回見てみたかったな~…。

 

・ここに来てねずみ男が大同盟に加入する展開も単にグレーが黒に変わる危険を描いた脚本の意図だけでなく、ぬらりひょんの明確な目的があるのだろうか。まぁ西洋妖怪編でヘイトスピーチによってゲゲゲの森の妖怪たちを扇動させたことがあるから、その能力を利用する可能性が高そうだ。

 

 ・ほ ん と そ れ 。鵺とかラ・セーヌの時は都合よく現れたくせに、名無しの時とかこういう超重大な局面に限って全然出てこねーんだよ!何なの?電波の届かぬ深山で修業でもしているの!?

議員のアリバイにズームイン!!「アリバイ崩し承ります」7話(ネタバレあり)

アリバイ崩し承ります (実業之日本社文庫)

早いものでもう最終回。もっと見たい、続編希望と思っている方もいるだろうが、原作のストックは現在残り1話分しかなく、スペシャルドラマとして映像化するには小粒過ぎる内容。テレ朝がドラマオリジナルの脚本に挑戦するならそれも構わないが、原作と同じクオリティのアリバイ崩しを書くのはかなり難しいぞ~。

 

(ちなみに、原作の1話が2014年10月号の『月刊ジェイ・ノベル』に発表され、7編収録された単行本として発売されたのが2018年9月。そしてシーズン2の1話が2019年10月にネット公開され最新話の「多すぎる証人のアリバイ」が同年12月に公開された。つまり、9編書くだけでも5年以上の歳月がかかっており、それだけ巧緻なアリバイ崩しものを書くのは時間がかかるという訳だ)

 

連ドラとして復活して欲しいのならば、テレ朝に続編希望の意見を送るだけでなく、原作を買って読んで原作者の大山誠一郎先生を応援しよう。そして気長に待とう。

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(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「時計屋探偵と多すぎる証人のアリバイ」

最終回を飾る原作は、シーズン2の2話「時計屋探偵と多すぎる証人のアリバイ」。現在ネットで無料公開されているので、復習として読んでみるのも一興。

※2023年現在はネット公開が終了しており、昨年3月に発売された『時計屋探偵の冒険 アリバイ崩し承ります2』で読むことが出来ます。

 

ドラマの放送決定の際、国会議員の息子・渡海雄馬がオリジナルキャラとして登場すると聞いた時に、この「多すぎる証人のアリバイ」が最終回に来るだろうとは思っていた。やはり最終回にラスボス級の事件を用意するとなると、犯人が政治家というのが相応しいし、シリーズ初の連続殺人だから物語のサスペンス性にも富んでいてピッタリだからね。※

ただ、その最有力容疑者が德光和夫さん演じる渡海一成で、雄馬父親という設定は予想外だった。てっきり私は渡海議員のライバル議員が犯人であり、その議員のアリバイを崩すため、父の名にかけて雄馬が奮闘するといった展開になると思っていた。まさか最終回に来ていきなり雄馬にそんな「父親が殺人犯かもしれない」という不穏な疑惑をぶつけるとは思わないもの。

 

※3月21日放送のインターネットラジオ番組「我孫子武丸 presents たけまるランド」Vol.20にて、原作者の大山先生が「テレビ局から先にシチュエーション(政治家が登場し、パーティー会場にいたというアリバイ)の要請があって書いた原作」だと言及した。

(2020.03.21追記)

 

事件概要については原作とほぼ同じだが、今回は今までで一番改変の多かった回。まず原作の戸村政一は渡海一成となり、新たに藤枝ミホという女性秘書が追加されている。そして犯人と犯行動機もそれに伴って改変されることになった。

 

アリバイトリックについては原作と同じで、原作の「ストーカーのアリバイ」と「失われたアリバイ」をミックスさせた応用編とでも言えば良いだろうか。

被害者自身がアリバイ工作に加担した点は「ストーカーのアリバイ」と「失われたアリバイ」、食物を食べる時間をズラすことで犯行時刻を偽装するのは「ストーカーのアリバイ」と同じだが、問題は①被害者がいつどうやって食べる時刻をズラしたか②被害者自身にどうやってアリバイ工作を行わせるよう説得したのか、の二点。

 

①については一人二役トリックでその問題が解決されているのがポイントで、このトリックを成立させるために、後援会とは一切関係のない安本が生贄として利用されている所に本格ミステリにおける「ロジックを成立させるための容赦のなさ」が見えて面白い。

本格ミステリの初心者は知らないだろうが、本格ミステリにおける犯人は自分のアリバイ作りのためなら死体の首を切ったり、死体を紐で結んでロープウェイのように別地点にぶっ飛ばすことを厭わないのだ。

 

そして②について。これは原作とドラマで犯人が異なるので詳しく述べると、犯人が「安本が議員の弱みを握っているため口封じに殺さなければならない。だからアリバイ工作に協力してくれ」と要請する点は同じなのだが、名越がその要請に乗る動機が原作とドラマでは異なっている

原作では、名越は既に犯人である議員の弱みを握っていたが、「ここで殺人の共犯になっておけば後々戸村議員を脅す“材料”が増え有利になる」と思って共犯に加担する。

一方ドラマでは、犯人である藤枝が名越に要請することになっており、名越も「安本によって渡海議員が失墜すれば、かねてより約束されていた議員の地盤を受け継ぐ予定も水の泡になる」ことを危惧して加担することになった。

個人的には原作よりドラマの方が共犯に加担する動機としては自然かなと思っている。ちょっと原作の動機は無理くり辻褄を合わせた感じがあってあまり上手くないけど、ドラマの方は渡海議員に対する忠義立てかつ自分の利益を守るための動機だから、こちらの方がしっくりくる。

 

藤枝というオリジナルキャラが犯人になったため、原作で刑事が疑う切っ掛けになる議員の「灯油」失言をどう処理するのだろうかと思っていたが、これは藤枝が渡海に対して「灯油で焼かれた」という情報を植え付けた、というだけだった。

“だけだった”とはいえ、これによって渡海議員に捜査の目を向けさせ仮にアリバイトリックがバレたとしても自分に疑惑が向かないよう誘導していたのだから、大した悪女である。

 

以上、原作とは別の犯人を用意したことで、原作既読者に罠を仕掛け、未読者には「渡海議員が犯人だったらジュニアである彼はどうなるのか…」と少しドキドキさせる展開作りになっていたと思う。

良かったねジュニア、原作通りだったら君立ち直れない所だったぞ。

当初は鼻につくキャラだと思ったが、回を進めるごとに割とちゃんとした倫理観の持ち主だとわかってきたし、友人思いで少々間抜け、お風呂に興奮して鼻血を出すなど可愛げな面もある良キャラだったな。

それによくよく考えれば鼻についたのはジュニアよりも彼をヨイショする牧村や綿貫の方だったわ。原作の二人はしっかりとしたキャラだったから、まぁ情けないというかみっともないというか。ここだけの話、ちょっと乱暴なことを言うと「いちいち拍手すんじゃねえよ」と思ってたよ。

 

基本的には褒められる改変だったが、ミステリとして一点だけ改悪になった所を挙げたい。

原作では被害者の名越の一人二役トリックを見破る材料となったのは、彼の胃で未消化の状態にあったリゾットで、このリゾットが犯行時刻特定につながったため、アリバイトリックとして犯人がリゾットを会場からテイクアウトして被害者に食べさせた可能性が検討されている。しかし、会場は脅迫電話を受けた影響から手荷物の持ち込みが禁止され、リゾットを入れる容器すら所持出来ない状況だったためその可能性が否定されている。

そこから時乃は、リゾットが被害者の方に向かったのではなく、被害者がリゾットの方へ向かったと推理して、一人二役トリックを暴く。そこにミステリにおけるロジカルな面白さがあったのだが、今回のドラマでは捜査資料に添付された名越と安本の写真を見た時乃がその容貌に似通った所があることに気づき、一人二役を見抜くという展開だったため、原作に比べると謎解きとしての面白さが薄まってしまったきらいがある。

ある意味映像化らしい改変といえるけど、真相を語る前に二人が似ていることを明言してしまっているから、その点も含めて甘さを感じた。

 

原作とドラマのエピソード順について

これにてドラマは幕を閉じるが、最後に原作とドラマのエピソード順の違いについて考えてみたい。

原作

1話「ストーカーのアリバイ」

2話「凶器のアリバイ」

3話「死者のアリバイ」

4話「失われたアリバイ」

5話「お祖父さんのアリバイ」

6話「山荘のアリバイ」

7話「ダウンロードのアリバイ」

2-1話「沈める車のアリバイ」※未映像化

2-2話「多すぎる証人のアリバイ」

原作は1話にオーソドックスでありながら意外性のあるアリバイ崩しを持ってきて、2話にオーソドックスかつ複雑なアリバイトリックの話を配置。そして3・4話で定型から外れたアリバイものを持ってきて、5話にスピンオフ的な話を配置。6話で語り手の〈僕〉自身が事件に巻き込まれるフーダニットものになって、最後の7話は定型通りである一方ちょっと異質なアリバイものという話で締めくくられる。そしてシーズン2では1話にこれまでなかった溺死体を扱ったアリバイものがきて、2話で初の連続殺人という凶悪性の高いアリバイものになる。

 

ドラマ

1話「死者のアリバイ」

2話「ストーカーのアリバイ」

3話「失われたアリバイ」

4話「山荘のアリバイ」

5話「ダウンロードのアリバイ」

6話「凶器のアリバイ」

7話「多すぎる証人のアリバイ」

配信ドラマ「お祖父さんのアリバイ」

ドラマはというと、まず1話は視聴者に見てもらわなければ意味がないので、定型的なアリバイものではなく、導入部にインパクトのある「死者のアリバイ」、2話は視聴継続かどうかを視聴者が決めるポイントになりやすい所なので、物語性の高い「ストーカーのアリバイ」。そして3話は原作同様定型から外れた「失われたアリバイ」。4・5話は中弛み感を防ぐため雪景色で雰囲気をガラッと変えた「山荘のアリバイ」対決形式の「ダウンロードのアリバイ」がくる。セミファイナルとなる6話には複雑かつ危険な薫りのする「凶器のアリバイ」がきて、最終回の7話にラスボス級の容疑者が出る「多すぎる証人のアリバイ」がくる。で、スピンオフ的な「お祖父さんのアリバイ」が配信ドラマになった…と考えれば結構理にかなったエピソード順に改変されたと思う。

 

「アリバイ崩し」ミステリの紹介(衆人環視のアリバイ)

今回は殺害時刻に多数の人に存在を見られていたという衆人環視型のアリバイ。パーティーの席上のような多数の客が集まっている状況下のアリバイ崩しミステリを探そうと、これまで読んだミステリ小説を色々思い返していたが、ドラマと同じ政治的パーティーを舞台にした「限りなく確実な毒殺」(青崎有吾『ノッキンオン・ロックドドア』所収)はアリバイ崩しものじゃないし、他に同様の趣向のアリバイ崩しをテーマにした作品が見当たらないので、お茶を濁してこの作品を紹介しようかと思ったが、そんな時ふと思った。

「待てよ、死亡時刻に容疑者と被害者が同じ場所にいても、容疑者が被害者に手を触れていない状況で、なおかつそれを証明してくれる多数の人がいたら、それも立派な衆人環視型のアリバイじゃないか?」

そう思った瞬間、これまでアリバイ崩しに関係ないと判断して除外していたあるドラマを思い出した。ということで、今回は映像作品からこちらを紹介。

 

TRICK 新作スペシャル (角川文庫)

堤幸彦(演出)/林誠人(脚本)「TRICK 新作スペシャル」

映画「ミッドサマー」が公開されて、何故か久しぶりに話題に上った国民的ドラマ。自称天才マジシャン・山田奈緒子と物理学者の上田次郎が自称霊能力者のトリックや村に伝わる因習の謎を解いていくシリーズで、そんな中でも本作は放送時24.7%の高視聴率を記録し、全エピソード中認知度が比較的高い部類に入る。どんな話かというと以下の通り。

 

ヒット本を多数出版する売れっ子占星術師、緑川祥子。その占い師が生放送の番組で上田次郎ら大学教授4人と対決することに。その放送中に加藤という男が緑川祥子に騙されたと因縁を付けてきた。そこで緑川祥子は占星術でその男を占った所、その男は番組中に寿命が終わり死ぬと予言し、緑川祥子の予言通りに加藤は番組中に心臓発作で死ぬことになる。それを目撃し困った上田と大学教授らは緑川祥子の記念館がある富市山村(とみいちやまむら)で緑川祥子と対決することに。奈緒子は一度は上田の誘いを断るも、アパートから家賃滞納を理由に追い出され、結局上田の誘いに乗り同行する。

Wikipedia から引用)

 

物語の最初に起こる心臓発作による死亡事件は正に衆人環視型のアリバイ。舞台は生放送中のワイドショー番組、スタジオには観客やスタッフといった多数の人間がおり、更に被害者の姿を一台のカメラがずっと映していた。死を占った緑川は勿論、誰一人として被害者の男に手を出すことは不可能だし、道具を使えば間違いなくカメラに映る。一体誰がどうやって被害者に緑川の占い通りの死をもたらしたのかが謎となる。

ただこの最初の事件はあくまで発端であり、メインは富市山村で起こる三人の大学教授殺し。こちらでもアリバイが問題となる謎が出てきたり、不可解な溺死密室に毒殺とバリエーション豊かな謎とトリックで楽しませる。

最初の生放送中の死亡事件は、映像に映った手掛かりをもとに推理出来るが、トリック自体は他愛ないもので、特別ユニークでも凝ったものでもない。それでも物語全体の事件の引き金として重要なことは確かだし、それを“占った”緑川の心境を思うとなかなかに辛いものがある。

 

この脚本を担当した林氏は同シリーズで他にも「パントマイムで人を殺す女」(シーズン1の6・7話)「絶対死なない老人ホーム」(シーズン3の5・6話)を執筆しているが、どちらも後味の悪い結末が印象に残る。特に監禁・監視の状況下で別場所にいる三人の男を殺す霊能力者が登場する「パントマイムで人を殺す女」は、新作スペシャルとは趣を異にしたアリバイ崩しものなので是非見てもらいたい。一応ノベライズになっているが、圧倒的に映像の方が面白く、そして怖い

TRICK トリック the novel (角川文庫)

 

さいごに ~パズル的ミステリは心の機微を描いたミステリより劣っているのか問題~

たまたま上記の岩嵜氏のツイートを見つけたので、この際だから言っておきたいことがある。

 

一口にミステリと言っても、人間関係の綾や犯罪に至る心理に重きを置いた作品があれば、奇想天外なトリックで読者(視聴者)をアッといわせたりロジカルな推理で犯人を暴くことを重視した作品もある。ただ、どうもそれがドラマとなると人間関係とか犯罪心理を重視したミステリドラマばかりが褒めそやされて、トリックやロジックを重視したパズル的なミステリドラマはそれより劣ったものという認識をしている方が多い気がする。特にドラマ評論家と言われる方々が各シーズンで放送されるドラマを論ずる際、トリック・ロジック重視型のミステリドラマをコケにするような論調があると以前「貴族探偵」のドラマ化の際に感じていた。

で、そうやって「人間心理が描けてないからこのドラマはダメだ」って言っている方に毎度言ってやりたいんだよ。ドラマに限らず創作物は何を売りにしているかがポイントであって、その売りがちゃんと成立しているどうかで評価するのが正しいということをね。

 

だから、トリック・ロジック重視型のミステリドラマに「人間ドラマが描けてない」とケチをつける奴は、リンゴを食べて「これはミカンの味がしないからダメだ」って言ってるくらい的外れで滑稽なんだよ。自分が求めているものがそのドラマにないだけであって、別の人にとっては求めるものがあって面白さを感じているのだから、そこを理解しない論評は創作物の可能性をかえって狭めてしまい、決まりきった面白さばかりを流布してしまう結果になってしまう。

故に、岩嵜氏のツイートでこの「アリバイ崩し承ります」が“論外”と書かれていたことに対して危機感のようなものを覚えたのだ。

 

この「アリバイ崩し承ります」は主演の浜辺さんの可愛さも売りになっているが、メインとなる売りはアリバイトリックの面白さとそのトリックを成立させるパズルとしての巧緻さや、謎解きとしての確かさがある。この主軸がちゃんと成り立っているかどうかが肝心で、それが成り立っているのならば、別に時乃が毎回風呂に入ろうが、渡海がヨイショされようが構わないのだ。

しかし、その主軸となる部分が成立していない場合は問題であり、それ故私は初回の出来について、パズルを構成させる諸要素が不徹底な所について苦言を呈したのだ。

 

かつて「新本格ミステリ」と呼ばれた作品群も、時代に逆行してトリックやロジックを重視する作風が批判の対象になったものだが、現在はトリック・ロジックの面白さだけでも作品として成立し評価を得たミステリ小説が多数出版されている。ドラマ業界も日々視聴者獲得のため試行錯誤の連続だろうが、そちらの業界でもトリックの面白さやロジックの鮮やかさを売りにしたミステリドラマが輩出され、視聴者にその面白さが広く浸透することを願うばかりだ。

無料配信期間を利用してドラマ「放課後はミステリーとともに」4回表/裏を視聴

コロナ対策による長期春休みにより、動画配信サイトのHulu とParavi が一部期間限定で無料配信をすると知り、その中で間宮さんが出演していた作品を調べて視聴していたが、この度間宮さんがミステリドラマに初出演したという点で記念すべき作品放課後はミステリーとともにを見つけたので視聴した。

放課後はミステリーとともに (実業之日本社文庫)

www.paravi.jp

間宮さん演じる不良青年の荒木田は準レギュラー的立ち位置のようだが、彼がメインとなるのは4回表/裏の「間違い殺人!~Eの悲劇~」(原作「霧ヶ峰涼の二度目の屈辱」)。

 

主人公の霧ケ峰涼は、美術部の美沙からモデルの依頼を受け、高校のE館(「E」字型の棟)に入った。すると、美術室で石膏像の下敷きとなった荒木田を発見する。赤い絵の具を血と誤認し、殺人だと思った涼が驚いていると、美術室に隠れていた犯人が逃げ出した。涼は学ラン姿の犯人を追いかけるが、途中で生徒会役員の山浦と衝突し見失ってしまう。

犯人が外に逃げたと思った涼はE館の外にいた三人の女子に話を聞くが、館外に出た怪しい人物はおらず、館内もほとんどの部屋が施錠されていて隠れる場所はない。となると、犯人はどこへ消えてしまったのか?

 

消えた犯人を探すフーダニットの趣向が強い作品で、計画的に起こった事実偶然起こった事実を整理して、犯人をロジカルに推理していく展開はよく出来ているが、問題は演出と各登場人物のキャラ設定。

原作の方を読んでいないので、このクド過ぎるまでのコミカル演出が原作準拠のものなのか、ドラマだけの味付けなのかわからないが、まぁ~ミステリに興味ない人が見たらまず間違いなく拷問になるな、と思う。

小説のノリをそのまま映像化すると失敗するパターンがあるが、このドラマが正にそうで、川口春奈さんや速水もこみちさんの努力は認めるが、ハマった感じがしなくて学芸会感が凄いのだよ。でも荒木田はダダスベりさせられるような役どころでない分まだマシだったかな。

 

このドラマが放送されていたのは2012年だが、この時点でまさか川口さんと間宮さんが大河ドラマに出演するなんて夢にも思わないだろうし、特に間宮さんは2020年に再びミステリドラマ「アリバイ崩し承ります」でリーゼントヘアーの役をやるなんて想像出来なかったはずだ。ここまで来ると何かもう運命みたいなものを感じるよね。

 

 

最後に備忘録としてドラマの真相のネタバレ感想を伏せ字で書いておく。

(ここからネタバレ感想ゴチャゴチャした涼の推理にかき乱されるが、やはり計画的事実(涼が美術室に来ること)と偶発的事実(荒木田が美術室に来たこと、美沙がE館入り口にいたこと)の整理から、誤認による襲撃を導き出す推理が鮮やかで、そこから涼と荒木田のことを知らなかった女子が犯人だと推理出来るよう会話劇の中に手がかりが仕込まれているのが秀逸。更に女子生徒が学ラン姿に変装していた点も合理的な説明が付けられていて面白かった。あの変な演出さえなければ良いのだが、原作者が悪いのか、ドラマ制作陣が悪いのか。機会があったら原作を読んで精査してやるからな!(ネタバレ感想ここまで)

拳銃とご縁があり過ぎる男、間宮祥太朗!「アリバイ崩し承ります」6話(ネタバレあり)

アリバイ崩し承ります (実業之日本社文庫)

先日はハムラアキラ、そして今日はアリバイ崩し。ハードボイルド系探偵物語とロジック・トリック重視の本格ミステリドラマに連続して間宮さんが出るなんて、本格ミステリと間宮さんのファンである私、限界突破レベルに嬉しさがこみ上げてますよ~♡

しかも映画や大河ドラマ出演が決まっているし、もうどんだけ喜ばせるつもりですか~

何はともあれ、間宮さんが忙しくなっても体調を崩さないことを祈るばかりです。崩すのはアリバイだけでたくさん。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「時計屋探偵と凶器のアリバイ」

今回は原作の2話「時計屋探偵と凶器のアリバイ」。ドラマは3話から5話にかけてアリバイ探しにフーダニット、脆弱なアリバイと変化球的な話が続いていたが、今回はオーソドックスなアリバイ崩しものになっている。

 

事件概要と話の展開はこれまたほぼ原作通りだが、今回ゲストキャラとして登場した組織犯罪対策課(通称「組対」或いは「マル暴」)の二人、真壁剛士村木キャサリンが異彩を放つ。

www.keishicho.metro.tokyo.jp

木村カエラさん演じる村木はドラマオリジナルキャラで、僅かな出演ながらも忖度と脱力感はびこる捜査一課の空気をピリリと引き締めた。

そして間宮さんが演じる真壁は原作にも同名の人物が登場するが、原作の真壁は牧村警部と同期で、ビジュアルも1メートル80センチの長身にブルドック顔のパンチパーマだから全く別物と言って良い。

ドラマでは成田さん演じる渡海の同期で親友という設定になっており、外見とは裏腹に組対の仕事に対して不安感を抱えている。外面を取り繕っている点で言えば、察時と全く同じという訳だ

 

成田さんと間宮さんはドラマの設定通り公私共に付き合いのある親友であり、今回のドラマに間宮さんが出演したのも俗な言い方をすればバーターというやつであろう。

ただファンとして一言言わせてもらうが、この「凶器のアリバイ」に間宮さんがバーターで出演したのは大いに意義があるというか、興趣的なものさえ感じる。何故なら、間宮さんはここ数年で拳銃が絡むドラマや映画に多数出演しているからだ。

【我が推し、間宮祥太朗さんの“拳銃との絡み”経歴】

ドラマ

僕たちがやりました」4話(ただし、拳銃にみせかけた水鉄砲)

「今からあなたを脅迫します」最終回(ただし、撃たれる側)

「僕はどこから」9話

「ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~」最終回

映画

全員死刑

 赤字になっているのは、間宮さんがヤクザの役を演じた作品。特に今期は「僕はどこから」と「ハムラアキラ」で拳銃を使用しており、片方はヤクザの組長、もう片方はエリート警視だ。そして今回のアリバイ崩しでは警察とヤクザの間のマル暴の刑事を演じている。

偶然なのか制作陣が狙っていたのかは分からないが、間宮さんをこの時期にこの役で起用したのは大正解であり、「全員死刑」「僕はどこから」でヤクザと拳銃使用の実績がある彼にピッタリ。間宮さんと同年代で他に最適な俳優さんはいないはずだし、正にこれ以上ない最高のバーター出演なのだ!

 

キャストについてはここまでにして、事件のアリバイトリックを解説していこう。

間宮さんはインタビュー記事で「第6話のトリックは結構難しい」と言及しているが、ミステリの玄人としては、劇中で二つの拳銃が出てきた時点で「片方の拳銃にアリバイがあるなら、もう片方の拳銃で布田を殺したのだな」と見抜くことは出来る。問題は、原作者の大山先生が仕組んだ企みをどこまで見抜けるかにかかる。

 

FNブローニングM1910が殺害当日午後3時に郵便ポストから発見された以上、平根がそれを用いてアリバイのない午後3時以降に被害者を殺すのは不可能だが、そうなると別の拳銃(ワルサーPPK)が用いられたと考えるのは当然の理。ドラマでは解決場面で二つの拳銃が同じ32口径だと明かされているが、原作では事件概要の下りでさり気なくその点について書かれている。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

しかし、そうなると被害者の右大腿部と床に残った銃弾がクセモノ。両者がFNブローニングM1910で撃たれていることと、被害者が別の拳銃で殺害されていることが噛み合わなくなる。この障壁を打ち破る手がかりとして、容疑者の平根がモルヒネ横流ししていた疑惑が重要となる。

 

モルヒネの薬品効果と二つの拳銃を利用したアリバイトリックの目的は、右大腿部への銃撃と口腔内への銃撃がほぼ同じ時刻に行われたと見せかけること、殺害に用いた第二の拳銃から発射された第三の銃弾を隠蔽することが最大のポイントと言えるだろう。

第一の銃弾は右大腿部に、第二の銃弾は現場の床に残すが、殺害に用いた第三の銃弾は何としても回収しないといけないし、その痕跡を誤魔化さなくてはならない。そのため砂袋を回収の道具に利用し、床に残った第二の銃弾第三の銃弾で空いたマットの穴を合わせて辻褄を合わせた。そして辻褄を合わせるのがほぼ不可能被害者の頭部に空いた貫通痕は被害者を横向きにすることで誤魔化したという訳だ。

 

ちなみに、ドラマでは殺害現場に砂が残っていたり、マットの上に載っていた椅子が動かされた形跡があるが、原作の事件概要の下りでは刑事の口からそのことは語られず(というか、現場にそんな痕跡が無かったから時乃に話していない)、時乃が「犯人はおそらく砂袋を用いたのだ」と推測しているに過ぎない。

実際はドラマのように砂袋の砂が飛散して現場に痕跡が残ってしまうし、鑑識がそれを見逃すはずはないから、今回の事件は別に刑事が頭を悩ませずとも科捜研辺りに頑張ってもらえば解決したと思う※。が、原作とドラマはあくまでも本格ミステリなので、科学捜査に頼らず与えられた手がかりとロジックを駆使して謎を解かねばならない。これが那野県警の管轄だからともかく、京都府警だったら間違いなく榊マリコの面目躍如になっていたに違いない

 

※更に言えば、劇中の通り平根が第二の銃弾を立った状態で撃ったとすると、死体の口腔内の貫通痕から導き出される入射角現場床に残った銃弾から導き出される入射角に違いが生じ、そこから第三の銃弾の存在が浮かび上がってしまう。

この違いを誤魔化すには、第二の銃弾を床に残す時に口腔内を撃つ時と同じように屈んで撃たなければならないが、平根がそうしていなかったとすると、やはり今回の事件は科捜研なら容易に解決出来た案件ということになる。

(2020.03.08追記)

 

今までは比較的ワン・アイデア型のアリバイトリックであまり込み入った細工をしていないが、今回は凝りに凝ったタイプのトリック。ただ、現場に残った砂からもわかるように、凝ったトリックほどバレた時は証拠が続々と出がち。その辺りミステリの玄人は弁えているので、素晴らしいアリバイトリックを思いついたとしても、それを犯罪には使わないのである。

 

それにしても、今回ばかりは時乃と察時の「アリバイ崩しの関係」が渡海にバレると思っていたが、渡海が疑っていたのは恋愛的な関係だったというまさかの番狂わせ。もうここまで来たら最終回もバレないだろうな…。

 

「アリバイ崩し」ミステリの紹介(拳銃が使われたアリバイ)

銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)によって拳銃の所持が禁止された日本において、国内を舞台に拳銃を殺害方法として利用した本格ミステリ小説は限られており、そこから更にアリバイ崩しをテーマにしたミステリを探すとなるとこれがなかなか難しい。

そんな中でも日本国内で拳銃を殺害方法に利用し、なおかつアリバイ崩しものとして描かれた秀作があるので紹介しよう。

 

奇術探偵 曾我佳城全集 下 (創元推理文庫)

泡坂妻夫「花火と銃声」(『奇術探偵 曾我佳城全集 下』所収)

曾我佳城は、泡坂妻夫が生み出した美貌の奇術師で、彼女が活躍する『奇術探偵 曾我佳城全集』は現在創元推理文庫から上下巻で発売されている。

探偵役が奇術師ということもあって、収録作のほとんどが奇術絡みの事件。トランクに入っていた人形が石に変わったり、マジックショーの最中に殺人犯が舞台上から消えてしまう、というような摩訶不思議な事件の数々が収録されているのだが、この「花火と銃声」は珍しいことに奇術絡みの事件ではなく、マンションの一室で起こった射殺事件を担当していた刑事が曾我佳城に相談をするという形式の物語。

 

死体が発見されたマンションは防音設備が施されていないため、本来なら住人の誰かが銃声を聞いていたはずだが、折しも殺害のあった晩は隅田川花火大会が開催されており、マンション屋上ではビアガーデンが開かれていたため見慣れぬ人が多数出入りしていた。つまり、誰にも見咎められずにターゲットを射殺するにはもってこいの夜だったのだ。

 ここから話は進んで警察はある人物に疑いを向けるが、その人物は花火大会の夜ずっと接待係として屋形船の上にいたというアリバイがあった。マンションから屋形船まで目と鼻の先とはいえ、一方は陸、もう一方は川の上だから抜け出すとなると人に絶対見られるし、泳いで行くなんて論外。正に奇術のトリックでも使わないと出来ないような不可能状況が謎として立ちはだかる。

 

この作品の面白いところは、刑事が疑っている人物の名前を言う前に佳城がその人物を当ててしまう趣向が盛り込まれている点。勿論それは当て推量などではなく、刑事との会話で聞き出した情報から推理した実にフェアなもの。そしてメインとなるアリバイトリックも、犯人にとって致命傷となるモノを逆用した実にユニークなトリックになっている。

 

アリバイ崩しものではないが、泡坂先生は他にも銃による不可能犯罪を扱った「掌上の黄金仮面」(『亜愛一郎の狼狽』所収)を発表している。こちらも面白いので読んでみてね。

ちなみに、このシリーズに登場する探偵役の亜愛一郎は、以前から間宮さんに演じてもらいたいと思っているキャラクターなので、蛇足ながら宣伝を込めて以前書いたこの記事を貼って文の終わりとする。

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人でなしのゲームにケリを、「ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~」7話

悪いうさぎ (文春文庫)

最終回を見終えて、いま私は非常に満たされた気持ちになっている。

やべぇな。この喜びというか感激をちゃんと言葉に出来るだろうか。

 

(以下、ドラマと原作のネタバレあり)

 

今回は原作(文春文庫版)の307頁(中盤戦、第9節)から最後までの内容。基本的に物語の展開はほぼ原作通りだが、原作と比べるとやはり書店仲間の存在があるせいか、結末の重さが軽減されていて後味の良い終わり方になっている。

では前回の記事をおさらいして、今回の内容について語っていこう。

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68会の“うさぎ狩り”

前回の内容で大体事件の真相が頭に浮かんだ方も多かったと思うが、美和と佳奈は68会の行っていた秘密のゲームによって死亡していた。

そのゲームは、人間をうさぎに見立てて狩りを行うマンハント。勿論、弾はペイント弾ではなく実弾で行うから、対象を殺す気はマンマン。漫画原作の「賭博黙示録カイジ」を彷彿とさせる、正に人でなしのゲームだ。

佳奈はこのゲームの恐ろしさを知らずにバイトに応募して死亡、そして佳奈を追っていた美和も巻き込まれて死亡する。これだけでも十分胸糞悪いのに、美和を撃ち殺したのが実の父・滝沢喜代志だったという輪をかけて最悪な事実が待ち受けていた。

 

そういや原作のタイトル『悪いうさぎ』、「うさぎ」が美和や佳奈といった女性たちを指すことはわかっているが、何が“悪い”のか?その意味を示していると思しきセリフが原作にはある。

「まずでうさぎを集める」

「うさぎを山のなかへ放してやる。うさぎは頭が悪いから、ひとが自分たちを殺して食っちまおうと思っていることなど、全然気づかない」

 ここでいう罠とは「ワリの良いバイト」であり、それに引っかかって応募してきた佳奈やそれを追ってきた美和は愚かで“頭の”悪いうさぎだと揶揄しているのだ。

何て恐ろしく、ひどい言葉だろう。そしてこんな物語を思いついた原作者の若竹七海氏は凄いよホント。

 

このゲームを実行した68会の精神状態がいかほどなのか。原作では葉村なりの解釈がなされているが、どこかしら「人とは違う」という一種の選民思想がエリート意識と結びついた結果、何をやっても許される場が構築されたのだろうと私は考えた。そして人間の死を娯楽にしてしまう辺り、かつてローマのコロッセオで行われていた剣闘士試合を想起させる。

人の死を娯楽としたかつての悪習を現代に蘇らせて趣味としていた彼らこそ、本当は一番頭が悪いのだが、そんな自分に都合の悪い部分を直視出来ない性格が滝沢喜代志や平義光に映し出されている。滝沢は内弁慶のお大尽、平は(過去の誘拐殺人の悲劇も相まって)事なかれ主義に走った辺りが正にそうだと思う。

 

※改めて見返してみると68会メンバーも互いに色々思う所があったように見える。

主犯格の野中則夫はゲームそのものも楽しんでいたが、奨学金で留学した成り上がり者のエリートである自分が、生まれながらのエリートである滝沢や山辺たちをゲームに誘い入れて“同じ穴のムジナ”に変え手駒にしていたことに対しても愉悦を感じていたフシがある。

大黒は会社倒産後、滝沢に拾われ別荘番を務めていたが、内心“滝沢の格下”になったことを快く思っていなかったはずだ。そうでなくては滝沢の子殺しをあんな風に笑えるはずがない。

野中が主犯格となると、あとの滝沢・山辺・平はメンバーの中では被害者側に位置すると言えるかもしれない。滝沢は内弁慶的なプライド、山辺はエリート気質、平は事なかれ主義的性格を野中に付け込まれて半ば洗脳された形でゲームに参加していた、というのが私の意見だ。

そう考えると野中は『黒い看護婦』吉田純子タイプのサイコパスだな。

(2020.03.07追記)

 

子の尊厳を“殺す”親たち

前回の記事で、このドラマが事件だけではなく「家」と「個人」、そして「親」と「子」の確執を描いていることは言ったが、今回滝沢の子殺し岡田警視と山辺の確執が新しく追加されたことで、平義光も合わせた三者三様の“子殺し”が描かれた。

滝沢は物理的に娘の美和を殺してしまっているので、これは紛うことのない子殺しだが、平と山辺精神的な殺人と言うべきだろう。

平は過去の誘拐殺人という悲劇があるにせよ、娘に亡き息子の役目を負わせてその尊厳を殺していたことは否定出来ない。

問題は山辺である。彼は実の息子である岡田警視の母親を捨て息子の認知を拒否し、資産家の令嬢と結婚し養子を迎えた。それだけなら単にクズな父親だな~という印象に過ぎないが、山辺は岡田が警視に上り詰めたことを「俺の遺伝子の優秀さを証明してくれた」と評価し、この度の騒動の隠蔽を要請してきたのだ。岡田自身が己の努力で培ったキャリアを山辺は親のエゴとして包括し、その尊厳を食いつぶす。最悪な尊厳の殺し方である。私だってテストで良い点とって親に「俺の遺伝子が良かったからや」なんて言い方されたらキレるもの。岡田警視は尚更許せなかったはずだよ。

 

この山辺と岡田警視の確執は当然オリジナルエピソードだが、何が凄いって原作の別エピソードで描かれている親のエゴ(或いは呪縛)をこの『悪いうさぎ』に挿入させ、三者三様の“子殺し”に仕立て上げた点。

原作を読んだ時は葉村が関わった結婚詐欺やストーカーのエピソードという正直余分な話があったため、家出少女の根底にある「親」と「子」の確執といったテーマ性が見えにくくなっていたが、それを排除してこのオリジナルエピソードが挿入されたことで、グッとそのテーマ性が視聴者に伝わったのではないだろうか?そして、事件の解決によってミチルや岡田警視がその呪縛から解放される仕組みになっているのが素晴らしい。(社会的には「殺人犯の子供」ってことになっちゃったけど)

 当ブログで散々岡田警視のことを「マレビトだマレビトだ」って言ってきたが、今まで親の呪縛に囚われていたせいで彼の影なる部分がマレビト的な形で表れていたのが、最後の場面で明らかとなった。

間宮さんのファンとして、オリジナルキャラクターでありながらこんなに奥深い設定を作り上げた制作陣とそれを見事に演じた間宮さんを高く評価したい。

 

復讐の女神、葉村

前回劇中でアガサ・クリスティ『復讐の女神』が出てきたこともあって、ドラマの葉村は復讐の女神として68会の悪事を暴くだろうと予想していたが、予想通り彼女は見事に、そして原作以上にその務めを果たした。

原作の葉村はね、そもそも復讐の女神を果たせるほど余裕のない状況で逃げるのがやっとだったけど、もしドラマみたいに余裕があったらアレくらいのことはしてたのじゃないかな。

 余談になるが、2話冒頭で村木の調査の協力としてウサギの着ぐるみを着ていた場面があったけど、やはりアレは今回“狩りのうさぎ”としてうさぎのマスクを被らされる展開の予言みたいな演出だったのだろうかね?

 

岡田警視が葉村に接触し続けた理由

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©NHK

1話からずーっと登場してきた岡田警視、今回のテーマを描くためだけの存在ならば別に5話からでも問題なかったかもしれない(やや唐突過ぎる登場になるけど…)が、1話から葉村と接触を続けているのは今回描かれた「親の呪縛からの解放」を強調させるためだけではないと思っている

tariho10281.hatenablog.com

先日、岡田警視が好きと言っていた〈ホン・コンおばさんシリーズ〉を読んでみて、「岡田警視は自分に欠如したものに惹かれるタイプではないか?」というちょっとした推測をたててみたのだが、これは何もホン・コンおばさんだけではなく葉村にも当てはまることのような気がする。葉村が岡田警視と違う点といえば、まず探偵という階級がものを言わない職種に就いていること。そして親・家庭の呪縛から(完全ではないが)解放されていること。この二点にあると思う。

 

岡田警視が葉村の存在を知ったのは1話の「顔の無い死体」事件の時。この時に葉村と会った彼は、ミステリ好きというささやかな共通項と彼女のフラットな対応の仕方に惹かれるものがあったと思う。自身のキャリアを親のエゴに書き換えられていた彼にとって葉村とその店はそんな雑念を忘れさせてくれる休息地であっただろうし、対等に話せる相手がいるのも安心につながったはず。

1話の終盤で葉村が身内に殺されそうになっていた事実を知った時は「さしもの彼女も家庭の呪縛から解放されていないのか」と多少はシンパシーのようなものは感じただろうし、その呪縛に囚われない生き方をする彼女をリスペクトしたと思う。だからこそ、3話で誤った方向に行った葉村の軌道修正をしたり、4話で彼岸に行きそうな彼女を此岸に戻す役回りをして、助け舟を出したのではないだろうか?

 

マレビトは「この世に幸せをもたらす聖なる霊物の住む異郷から時に応じて来臨する」常世だと、水木しげる先生の「まれびと」という作品で記されている。これまで私は岡田警視をマレビト的存在として定義し、「世界で最も不運な探偵」を称する葉村が出くわす事件を好転させてきた者として見てきたが、岡田警視も葉村によって救われた部分があったと最終回を見て感じた。

そう考えると今回のドラマはマレビト復讐の女神の二神がタッグを組んだ事件と深読み出来てなかなか面白い。

 

 

最後に蛇足ながら劇中に登場したアガサ・クリスティ『スリーピング・マーダー』について一言。この作品が今回劇中に映るだけでなく、岡田警視自身が手にしたのは何か理由があるだろうと無理くり考えてみたら、一応『スリーピング・マーダー』と今回の事件との間に共通項のようなものがあった。

スリーピング・マーダー (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

極力ネタバレをしないように言うと、一つは「眠っていた殺人」が起こされた点。今回のドラマでは皮肉にも娘を殺してしまった滝沢によって叩き起こされている。そしてもう一つは犯人が物理的な殺人だけでなく「精神的な殺人」を犯している点。これが今回のドラマで描かれた「子の尊厳を殺す親」に相当する。

 

いや~、これだけ深読み出来るドラマを作ってくれたNHK名古屋放送局には感謝を送りたいし、また同じ制作陣で続編を作ってもらいたいね。