タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

脚本家別、ゲゲゲの鬼太郎(6期)二年目

 最終回感想記事を書き終えたので、今度は脚本家別の振り返りといきましょう。

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各脚本家担当回一覧

(以下、黒字は「地獄の四将編」、赤字は「最終章ぬらりひょん編」

吉野弘幸

50話「地獄からの使者 鵺」

51話「閻魔大王の密約」

62話「地獄の四将 黒坊主の罠」

69話「地獄の四将 鬼童伊吹丸」

74話「地獄崩壊!? 玉藻前の罠」

75話「九尾の狐」

93話「まぼろしの汽車」

 

野村祐一

52話「少女失踪! 木の子の森」

90話「アイドル伝説さざえ鬼」

 

井上亜樹子 氏

53話「自己愛暴発! ぬけ首危機一髪」

63話「恋の七夕妖怪花」

65話「建国!? 魔猫の大鳥取帝国」

72話「妖怪いやみの色ボケ大作戦」

86話「鮮血のクリスマス」

87話「貧乏神と座敷童子

 

金月龍之介

54話「泥田坊と命と大地」

58話「半魚人のかまぼこ奇談」

81話「熱血漫画家 妖怪ひでり神」

82話「爺婆ぬっぺっぽう

89話「手の目の呪い」

94話「ぶらり不死見温泉バスの旅」

95話「妖怪大同盟」

 

市川十億衛門 氏

55話「狒々のハラスメント地獄」

61話「豆腐小僧のカビパンデミック

67話「SNS中毒VS縄文人

84話「外国人労働者チンさん」

88話「一反もめんの恋」

 

長谷川圭一

56話「魅惑の旋律 吸血鬼エリート」

59話「女妖怪・後神との約束」

64話「水虎が映す心の闇」

66話「死神と境港の隠れ里」

70話「霊障 足跡の怪」

78話「六黒村の魍魎」

83話「憎悪の連鎖 妖怪ほうこう」

85話「巨人ダイダラボッチ

91話「アンコールワットの霧の夜」

 

大野木寛 氏

57話「鮮血の貴公子 ラ・セーヌ」

73話「欲望のヤマタノオロチ

76話「ぬらりひょんの野望」

77話「人間消失! 猫仙人の復讐」

80話「陰摩羅鬼の罠」

96話「第二次妖怪大戦争

97話「見えてる世界が全てじゃない」

 

伊達さん 氏

60話「漆黒の冷気 妖怪ぶるぶる」

68話「極刑! 地獄流し」

71話「唐傘の傘わずらい」

79話「こうもり猫のハロウィン大爆発」

92話「構成作家は天邪鬼」

 

 

長編より短編向きだったか?(吉野氏)

1年目で非常にクオリティの高い脚本を輩出した吉野氏は2年目は地獄の四将編をメインに担当。1話完結から長編ものになったことで色々描きたいことがあったのかもしれないが、正直1話完結の時に比べると出来はイマイチで、特に石動零のキャラ設定に難を感じる部分が多々あった。

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これは74話の感想でも言及したので改めて述べないが、「言っていることとやっていることの乖離」が物語が進むにつれて激しくなり、鬼太郎と別の正義感を持つ人間としての立ち位置にブレが生じてしまったのが一番の問題だったと思う。しかし、それを除けばアクションものとしてよく出来ていたし、原作「黒坊主」のアレンジ悪にならざるを得なかった伊吹丸など、同じ大逆の四将でも悪役としてのポジションがそれぞれ違っていて飽きない展開になっていた。

個人的な2年目吉野氏ベスト脚本は93話。これを見た時「あ、やはり吉野氏は1話完結の方が良いわ」と思った。

 

「さざえ鬼」という時限爆弾(野村氏)

1年目は6作も担当していたが、2年目はわずか2作止まりとなった野村氏。そのうちの1作は1年目の序盤に放送するつもりで書かれたものの、内容のぶっ飛び具合によりお蔵入りとなったさざえ鬼回なので、実質2年目は1作のみの脚本だったと言えるだろう。そんな1年以上非公開にされていたさざえ鬼回が2年目終盤に公開されたことで時限爆弾的効果を挙げたのは評価すべきだ。公開のタイミングの良さは勿論、ぶっ飛んでいながらも原作要素がちゃんと残っているのがなお良い。

2年目は2作しかないので、当然ながら2年目野村氏ベスト脚本は90話。

 

ドタバタコメディもイケることを証明(井上氏)

1年目で私は井上氏の脚本を「ハートフル」と評したが、もう一つに「自分らしく生きるとは」というテーマを扱ったものが多いなと感じていた。それ故少々食傷気味に感じており、2年目は別のテーマを扱ったものを見てみたいと思っていた。

ぬけ首回までは1年目と同様のテーマを引きずっているなと感じたが、65話の魔猫回でぶっ飛んだコメディも書けることを証明してくれた。この井上氏のコメディ要素は1年目の雪女の回で既にその片鱗が見えていたが、2年目でその本領が発揮されたのは良い発見になったと思う。

個人的な2年目井上氏ベスト脚本は72話。

 

2年目は主に原作消化(金月氏

1年目は担当した7作中5作がアニメオリジナルの脚本だったが、2年目は原作を元にした作品がほとんど。今年に入ってからはぬらりひょん編の重要な回の脚本を担当しており、西洋妖怪編で発揮された脚本力がこちらでも活かされている。

1年目では「バトル面でも視聴者を満足させる脚本」として紹介したが、2年目は内容によってバトルを出すべきでないものは原作にバトルがあってもカットしており、その判断の確かさが伝わった気がする。

個人的な2年目金月氏ベスト脚本は、本人もベストだと自負した54話。

 

パワーワードと風刺のギャグ風雲児(市川氏)

1年目の横谷氏に代わってギャグ回担当として新たに参戦してきた市川氏。横谷氏の脚本と比べるとナンセンス度の高いギャグが多く、取り入れられる社会風刺もより6期に根差したものになっている。とはいえ、ギャグを取り入れたせいもあってか、社会風刺の部分はあと一歩踏み込めてない感じがしたのでそこはマイナスポイントだったかな、と思う。

個人的な市川氏ベスト脚本は67話。「ぽっと出のにわか縄文人というパワーワードが素晴らしいので。

 

「5期」「墓場」経験者による温故知新な鬼太郎物語(長谷川氏)

2年目に初参戦した長谷川氏は、5期で26話までのシリーズ構成と1年目の脚本を担当し、墓場鬼太郎の脚本を務めている。そのため、6期の脚本陣の中で最もゲゲゲの鬼太郎の経験値が高いのがこの長谷川氏であり、2年目の中で1番多い9作を担当している。

担当した9作中3作は2期の名作群をリメイクしたもの。トラウマ級の2期の作風に対抗するとなると、ただひたすら怖いだけではいけない訳であり、6期ならではのアレンジを以て視聴に値するクオリティになっている。

その他の6作も過去作からの引用やアレンジが施されており、一刀両断出来ない割り切れなさや業の深さを残した物語として昇華されている。正に温故知新と言えるだろう。

個人的な長谷川氏ベスト脚本は78話。もうあれは文学作品のレベルだよ。

 

2年目はサポートと締めくくり(大野木氏)

1年目で名無しの暗躍譚を描きまくったからか、2年目上半期は吉野氏にメインを任せ、下半期のぬらりひょん編は序盤と終盤を2作ずつ担当した。ラ・セーヌ回はこの先のベアード復活に繋がる重要な回だったが、ヤマタノオロチと陰摩羅鬼は埋め合せ的物語。そのためか、1年目に比べるとサポートに徹している感じがした。

個人的な2年目大野木氏ベスト脚本は57話。最終回を推すべきなのだろうが、1期ぶりのラ・セーヌでシリアスとコメディの組み合わせをやったのが非常に良かったので。

 

ホームラン級が出るから油断ならない(伊達氏)

1年目はグッドエンドとバッドエンドの振り幅の大きさが印象に残ったが、2年目は担当した5作全てがグッドエンド(厳密に言うとこうもり猫回はカミーラが血の回収に成功しているのでバッドな部分もあるが…)。これは2年目に参戦した長谷川氏の脚本がバッドエンド寄りのものが多かったため、バランスをとる意味でグッドエンドの物語だけを書くことにしたのかもしれない。

基本的に伊達氏の脚本は「この話でこのメッセージを伝えたい」という軸があるためか、他の方の脚本と比べて単純な構成に見え、劇中で語られることもやや綺麗ごとに感じてしまう。そんな良くも悪くもわかりやすい作風の中で時に意表を突いた話を出してくるのが伊達氏の油断ならない所と言えるだろう。

個人的な2年目伊達氏ベスト脚本は68話。これこそ、上で述べた“意表を突いた”脚本。

 

 

6期全体の作風に対する批評

以上、脚本家別に作風を見てきたが、次は6期全体の作風に対してTwitter で見かけた意見も反映させながら語ってみようと思う。

この6期は1話目から定型を外れた物語を視聴者に提示し、オリジナルキャラクターの名無しの暗躍や、人間と妖怪の間に生じた争い等、3~5期とは明らかに異質な作風で日曜朝にしては挑戦的な描写が目立った。その描写に関しては意見が分かれる所もあり、特に意見が分かれていると感じたのは以下の点。

①バトルシーンの簡素化

②鬼太郎ファミリーの出番の減少

③妖怪がメインではなく人や物事を描く「媒体」として扱われている点

④思想に対する行動のズレ

人によって何が“地雷”となるかは違うため、上に挙げた4点が6期のダメな部分と言い切ってしまうのはどうかと思うが、上記の4点について改めて考えていきたい。

 

まず①について。これは6期がこれまでみたいに鬼太郎や妖怪たちが繰り出す技で魅せようとしているのではなく、劇中で生じた騒動から見えて来るものに焦点をあてた結果だと思っており、それを描くためにバトルシーンをカットしたと考えられる。勿論それがプラスになった回もあったし、マイナスになった回もある。

 

②に関しては他期との差別化を図る目的もあったと思うが、もう一つは鬼太郎に試練を与えることも含まれていると私は考えている。今期はこれまで以上に善悪で一刀両断出来ない事件があり、それによって鬼太郎が懊悩する場面もあったが、ここで砂かけ婆や過去作に登場した井戸仙人といった人生を達観した助言者が身近にいると鬼太郎が自分で考えることなく答えを得てしまい、成長する様が描けなくなるため必然的に距離を置くよう描かれたのではないかと思っている。3~5期みたいに仲間妖怪が全然増えないのも、助言者を遠ざけるだけでなく、終戦で描かれた人間と妖怪の軋轢がそもそも生じなくなるため、鬼太郎たちを孤立状態にして戦況を厳しいものにしていると考えるべきだろう。

 

そして③だが、これは①で言及したように妖怪の特性そのものの面白さで6期は勝負しておらず妖怪と人間が関わることで生まれる悲喜劇に重きを置いた結果だと思っている。これも①と同様プラスになった回とマイナスになった回があり、特に原作に登場する妖怪を扱ったものは、その原作を持ち出して改変する必然性があったのか? と疑問を生じる回も多々あったかなと思う。

 

最後に④についてだが、これは①の結果生じた弊害と考えるべきだろう。原作では退治方法にも色々あって敵を完全に倒すだけでなく封印や冬眠、無力化といった方法がとられたけど、今期は指鉄砲で倒して魂状態にするかしないかの二つに大別されてしまうので、制裁としてやり過ぎな部分があり、そこが6期最大のテーマである「多様性の尊重」と矛盾していると主張する方がいるのも頷ける。

人間に対する制裁についても同様で、鬼太郎が劇中で述べた主張にそぐわない、あまりにも酷な罰を受けた人間(ヤマタノオロチ回)がいたと思えば、殺されても文句言えない人々が見逃されていたり(猫仙人回)と、ちょっと個人的にモヤッとさせられた点があり、単話としては問題ないのにシリーズ全体の1つとして見ると「え?」と思わされる描写があったのは確か。この批判については6期制作陣、特にシリーズ構成の大野木氏は甘んじて受けるべきだと思っている。

 

あ、でも勿論評価すべき点もあるよ。予定調和をぶっ壊してサスペンス性に富んだ1年目の名無しの暗躍は(PS2のゲームで既に前身となる妖怪が出てきたものの)新奇性がありながら、鬼太郎が辿ったかもしれない別ルートの存在として効果的だったし、「単純なバトルものとして描かない」という制約の中でこれだけバリエーション豊かな物語を案出していったのは素直に偉業と言って良いと思う。

これだけ色々ブログで語れるのもメッセージ性や示唆に富んだ描写、鬼太郎シリーズにおけるレギュラー陣の関係性とか、そういった過去の積み重ねも合わせて現代の鬼太郎として描いたからこそであり、「今5期の鬼太郎の感想記事を書け」と言われても6期ほど色々書けないのじゃないかな~。

別にこれは5期がつまらないとかではなく、「このキャラ面白い!」とか「このバトルがアツい!」みたいな単純化された感想しか書けそうにないだけ。そう思うと10代前半で5期を、20代に入ってから6期をリアタイ出来たのは自分にとってタイミングが良かったと思っている。

 

正直ね、5期でああいう打ち切りに近い終わり方をしている上に目玉おやじの声を担当していた田の中勇さんが鬼籍に入られたから当時は6期以降の制作はないだろうなと諦めてた所があったんだよね。商業的な面で鬼太郎とドラゴンボールを比べると後者に分があるのは明らかだし、東映アニメーションの方も同じ二の舞を演じたくはないだろうからやらないと思っていた。

そんな思いに反して6期をやってくれたこと、それ自体が称賛に値するのだよ。

まぁ、脚本家の方全員が鬼太郎マニアって訳ではないし、今まで扱ってきた作品群の影響とかもあるから、話によっては「原作の読み込みが甘い」とか、「この改変は許せない」とか、ファンとして容認出来ない部分も少なからずあったけど、私はこれだけやってくれたらもう十分だと思う。(流石にこのテイストがずっと続くとアレだけど…ww)

 

さいごに ~この先の鬼太郎アニメに望むもの~

最後に個人的な欲求というか要求を「~べし」形式でまとめてみた。

 

【レギュラー陣の活躍度合いのバランスに注意すべし】

4期や5期みたいに毎回出せとは言わないが、出さなさ過ぎるとヒンシュクをかうのでバランス良く出していこう。これは鬼太郎メンバーに限らず、西洋妖怪軍団など、徒党を組んだ勢力を描く時も同様。6期は異色作として大目に見るけど、これからは群像劇の面白さを追求していってもらいたい。

 

5・6期で映像化されなかった原作を映像化すべし】

 当然だけど、過去に放送された定番の回が20年以上やらないと寂しいもので、「6期でこれが見たかった!」って作品も残念ながら結構ある。そんな訳で、以下に4期で放送されたが5・6期で放送されなかった原作を列挙しておく(オリジナル脚本でも原作に登場していた妖怪が出ていた場合、ノーカンとする)。

「人食い島」「雨ふり天狗」「猫町切符」「おりたたみ入道」「ばけ猫」「雪ん子」「妖怪ラリー」「マンモスフラワー」「朧車」「天狐」「鏡合戦」「大首」「ふくろさげ」「月の妖怪桂男」「おばけナイター」「大海獣

ちなみに1~3期で放送され、5・6期で放送されなかった原作は約30作。それも含めると50作近い原作が何十年もアニメ化されていないことになる。しかも未映像化の原作はまだまだあるので、その気になれば4年くらい余裕で放送出来るのだ。

 

世界妖怪をもっと推すべし】

今期は海外妖怪といえば西洋妖怪と一部東南アジアや南方から来た程度で寂しさを感じている。次期は西洋妖怪は勿論、中国(チー)にロシア(ヴォジャーイ)、そして南方(やし落とし・アカマタ等)と世界の妖怪が押し寄せる展開が見てみたい。それが無理なら原作の「世界おばけ旅行編」をやってもらいたい。あとは、もう5・6期で美人系の魔女は十分に見てしまったので、大衆の需要を無視して良いから原作通りの容貌で、ハリー・ポッターに出て来るベラトリックス・レストレンジみたいな残忍な魔女が見たい。

 

バックベアードは「帝王」から「強豪の一角」に戻すべし】

5期からベアードは西洋妖怪の帝王的存在になったが、これによって「妖怪ラリー」が出来なくなり、物語として自由度がなくなっている傾向があるので、今一度原点にかえって強豪妖怪の一角としてフットワークの軽さを見せてもらいたい。

 

【メッセージは「言わせる」のでなく「感じ取らせる」べし】

これは6期の良い所でも悪い所でもあるが、作品を通して視聴者に伝えたいことを露骨にキャラクターに言わせてしまっている部分がある。特に目玉おやじはそういう役割として使いやすいし、鬼太郎も四将編で自分の正義感を話すのだが、「ゲゲゲの鬼太郎」という作品に関して言えばあんまりこういうことをするのは危険かな、と思う。水木先生の作品からの引用ならばまだ良いが、オリジナルで主義主張をキャラクターに喋らせてしまうと物語との乖離が著しくなるので、メッセージはぽつりと漏らす程度が一番。長文でベラベラ喋らせてしまうのは(場合によって)鬼太郎作品の品格を落とすことになる

 

悪魔は妖怪と別格であるべし】

6期制作陣が一番反省すべき点だけど、ベアードの帝王としての格を上げるために悪魔が西洋妖怪編に配置されたのは明らかにダメ。悪魔は妖怪より上等の存在であり、メイン級でなければならないから、安易にベアードの配下にしたり、サブ的なゲストキャラとして登場させるのは御法度。今後新たに7期8期が制作されてもこれだけは絶対守って欲しいものだ。

 

オリジナル脚本も臆せず書くべし】

こんなの言われなくてもするだろうが、オリジナル脚本はその人の鬼太郎作品に対するイメージというか「私は鬼太郎作品をこういうものとして見ている」という考えが反映されるので、放送当時の世相だけでなく、自分なりの解釈で以て新たな鬼太郎物語を紡いで欲しい。好きな妖怪があるのなら、その妖怪の特性を活かした脚本を書くのも大歓迎。