タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

不可侵を越えて【ダークギャザリング #16】

今回は箸休め的な回なので、これまでの内容から読み取れたことも含めた感想・解説です。

 

「物件」

旧Fトンネル戦で猟奇殺人鬼の霊と30体もの悪霊化した被害者の霊を何とか確保した夜宵たち。命は無事だったものの、螢太朗は「軍曹」の祈りの影響を受け身体衰弱状態に陥っており、詠子は今回初めて生命の危機を体感したことで恐怖を愛する感情に揺らぎが生じていた。

これまで詠子は怪異と遭遇していたとはいえ、霊たちのターゲットは夜宵や螢太朗であり、詠子はサポーターとして恐怖を享受しているに過ぎなかった。結局自分の恐怖を愛する感情は安全性が保障された上での興奮なのか、それを確かめるため詠子が向かったのは、平将門の首が祀られている東京都千代田区大手町の将門塚だった。

 

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平将門については12話の感想記事で、国家転覆の朝敵として大元帥法の呪いをかけられた人物として紹介したが、その呪いが効いたのか、承平天慶の乱で将門は飛んできた矢が額に刺さって討ち死にとなり、その首は京の都に晒されたという。死後、首だけになった将門の魂は再び戦をしようと思い東へ向かって首が飛んで行き、途中で力尽きて落ちた場所が現在の将門塚のある大手町である。これが首塚に伝わる平将門の伝説だ。

 

原作が発表された当時は周辺工事のため塚の背後の五輪塔は強化ガラス製の防護ケースに覆われており漫画でもそれが描かれていたが、現在は改修工事が完了して改修前よりも近代的でスタイリッシュな装いとなった。アニメも当然ながら改修後の首塚に変更されている。

 

「霊の日常」を侵す物語

今更ながら本作「ダークギャザリング」の特殊性について改めて語っておこうと思うが、本来ホラーの基礎となるのは私たち一般人の日常が怪異に侵食される様を描くことであり、普段寝起きしている家に霊が入り込んでそこに住む家族がどんどんおかしくなっていく、或いは心霊スポットという非日常的空間に入った人々の恐怖体験を描くことが一般的なホラーのプロットだ。

しかし、この「ダークギャザリング」は生きた人間が霊の空間を侵略するというのがホラーとして特殊なポイントである。これは言い換えるなら「一般人が霊の日常を侵食する」という事態になっており、この逆転現象に本作ならではの面白さがあると私は考えている。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

ただ一応断っておくが、本来霊の領域というものは生きた人間がそう易々と侵すことの出来ない場所であって、今回詠子と夜宵が訪れた将門塚は正に不可侵の聖域とでも言うべき場所なのだ。大正時代に大蔵省が仮庁舎を建てようとした際や、戦後のGHQ区画整理の際にこの塚を移設・撤去しようとした関係者が事故・不審死を遂げていることから見てもそれは明らかである。フィクションだから夜宵たちは対処出来ているけど実際霊の世界というのは未知の部分が圧倒的に多いし、その未知こそ恐怖の源泉なのだから容易に侵略出来てしまうとホラーとしての魅力に欠けてしまう。

 

でも本作が「霊の日常」を侵食する物語なのにもかかわらずホラーとして成立しているのは、未知を切り開く際に生じる緊張感やハラハラドキドキを上手に描いているからだと思う。このドキドキ感は何と言えば良いのだろう、死体を解剖するようなドキドキ感という感じだろうか。

私たちはこの身体の中に内臓というものがあって、お腹を切り開いたら腸や胃、肝臓・腎臓があることは知識としては知っているけど、じゃあ実際に「今から死体の腹を切るので内臓を見ますか?」と言われたら緊張すると思うし、想像以上のグロテスクさに吐き気を催す人だっているだろう。ましてや、まだ解剖というものが学問として成立していなかった時代に人体を切り開いて中に何があるのか確かめた人々にとって、それは未知の領域であり霊の世界とある意味同質だったと言えるのだ。

 

本作でも理論上は霊を捕縛するシステム・法則があって現にその方法で霊を確保することに成功してはいるがどこに落とし穴や盲点があるかわからないし、心霊スポットの情報にしてもネット上の情報と実際の現場の情報とでは天と地ほどの差がある。H城址だと前情報の段階では善霊かと思いきや実際は呪物で悪霊化していたし、旧Fトンネルの霊は和服の女ではなく狂暴な猟奇殺人鬼の霊だった。

知識として頭に入っている現実は私たちの精神を安定させてくれるが、実際に目の当たりにした現実との間にズレが生じると、それは大きな不安となって襲い掛かって来る。本作はそのズレがどの心霊スポットにおいてもあるから緊張感が持続するし、それが描けているからちゃんと怖いのだ。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

そして一般的なホラーにはない「生きた人間が霊を侵略する恐怖」を描いているのがこれまた本作ならではのポイント。この役目は主に夜宵と詠子が担っており、この狂気とも言える行為は彼女たちの快楽的な部分とつながっているから、やはりホラーなことに変わりはないが、行為だけを取り出して見るとそれは非常に学問的と言えるのだ。

先ほどの解剖の例に戻ると、昔の価値観で考えれば人間の身体を切り開くなど到底考えられない、ある種冒涜的行為であり、血や内臓といった穢れに触れるという点でもタブーに近い行為であった。しかし、その不可侵であるべき聖域を敢えて侵したからこそ医学というものは飛躍的に発展し今日に至った訳であって、オカルトを切り開いたことで生まれた発見・突破口はこの世界に幾つもある。

 

今回詠子は将門塚から帰って来た際、人形の耐久性が霊の強さ・形代としての強度に反映されることを安奈の形代を利用した「無限修復人形」というサンプルを作ることで検証しようとした。本来形代というのは自身の穢れや災厄をうつして川に流すというもので、一回こっきりの使い捨てタイプの道具だ。夜宵のぬいぐるみを利用したシステムも形代の利用方法としてはかなりイレギュラーな使い方だったが、ここにまた新たな形代が発明された訳である。

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13話の感想記事で私は「狂気」も武器になると言ったのは、この「無限修復人形」のことを原作で知っていたからそう述べたのだ。正気のままでは道具・武器はそれ以上の役割を果たさない。狂気的な発想があるから、恐ろしいまでの飛躍と発展が生まれる訳であり、不可侵の領域に立ち入ることの必然性がこの「無限修復人形」に込められていると言えるだろう。

 

主要キャラの体癖診断(詠子の光と闇、夜宵の闘争本能、螢太朗の憑依体質の素)

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

今回は振り返り的な要素が強い回だったので、私も改めて本作の主要人物の体癖から性格や行動原理といった面を読み解いていきたいと思う。基本的にアニメは原作者のイラストのクセが出るから実際の人間よりも体癖を見抜くのが難しいし、本作もそういう点では容易に読み解きにくいタイプの作品だけど、一応手がかりはあったので紹介していこう。

 

まず本作のメインヒロイン詠子から。彼女は目立った身体的特徴はないが、胸が外側に出る感じで張っていることや博愛的で多くの人を引き寄せるコミュ力がある(4話より)様子から見て開閉型の10種という感じだ。

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10種体癖については「ゾン100」の6話の感想記事で紹介したのでその記事を貼っておくが、基本的に開閉型は愛憎が行動原理にあるから一度味方だと認識した相手にはとことん世話を焼くし親身になる一方で裏切り者に対しては容赦なく冷酷になれるという側面がある。10種も博愛的な性格とはいえ誰でも受け入れる訳ではなく好き嫌いは一応あって、全面的に自分を頼ってくれないとつれない態度になるし裏切った相手には冷たくなる。

その点詠子は一般的な10種ほど裏切りに対する冷酷さは感じないが、とはいえ10種の要素はちゃんとあって、例えばこれまで描かれてきた彼女の狂気的な面は10種体癖のダークサイドな一面を表している。先ほども言ったように10種は博愛的性格で多くの人を引き寄せ包み込む性質がある。ただこれが闇の方向に傾くとジョロウグモのように一度捕まえた相手を離さないという感じになるのだ。

 

詠子の場合、引きこもっていた螢太朗に対する献身ぶりや神代愛依に対する優しさは10種体癖の光の面、つまり「世話焼きをいとわない」という形で表れていたけど、闇の面が出ると自分と同じ恐怖の虜にしようと螢太朗をじわじわと縛り付ける行為をとったり、今回のように自分を道連れにしようとした安奈を「無限修復人形」として拘束している。だから寶月詠子は典型的な10種体癖ではないけどその性格には10種体癖の光と闇が凝縮されていると言って良いのだ。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

次に夜宵を診断する。正直な所、夜宵はダボっとした服を着用していて体型がわかりづらいので体癖を見抜くのが結構難しい。顔立ちを見ると丸顔だから左右型の3種体癖かな~?とも思ったが、3種は感情がコロコロと変わりやすく思考が直感型なので、夜宵の性格と一致しない。※1(両親と死別する前と後で体癖が変わった可能性もあるが…)

そこで体型で判断するのではなく身体の動きから考えていくと、特に身体の動きで著しい特徴が見られたのは霊との戦闘シーン。ここで彼女の動きを見ていると、身体をねじる動きが結構な頻度で見られるのだ。この身体の動きにねじれが生じるという特徴が体癖論では7種・8種に該当する。※2ねじれ型は勝ち負けにこだわる性質が強く非常に闘争的な思考である場合が多い。特に夜宵は上半身をねじる動きや目力の強さから見て「勝つ」ことにこだわる7種体癖だと判断した。

 

実際夜宵は母の魂を連れ去った空亡を倒し打ち勝つことを目標にしているし、相手と張り合う意識がかなり強い。9話で愛依を狙っている神に宣戦布告をした場面を見ればそれは一目瞭然だが、普通なら物怖じするような相手に対して戦意を向けられるのは闘争心の強いねじれ型ならではだと思うし、ねじれ型はエネルギーが余剰気味になると衝動的な行為をとってしまう。この後の10話で夜宵は何の計画もなく神に宣戦布告したことを反省していたけど、正にその衝動性がねじれ型の特徴であり、他の体癖だと逃げたり他の方法を模索する所を真正面から挑むという所に体癖的な性格が反映されているのだ。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

最後に螢太朗を診断するが、まず霊媒体質という設定の時点で奇数体癖(1・3・5・7・9種)の可能性は低いかなと感じた。というのも奇数体癖は能動的なタイプで自分からアクションを起こすタイプが多いのに対し、偶数体癖(2・4・6・8・10種)は受動的で周りの環境に左右されやすいからであり、特に螢太朗はこれまでのストーリーから判断して上下型の2種体癖だと考えた。

 

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2種体癖については以前ドラマ「金田一少年の事件簿」の最終回で言及したのでその時の記事を貼っておくが、2種は公平さを重視する性格で相手の話を聞き正確に伝えることが出来る。そのため会社組織にも順応し信頼されやすいタイプだと言われているが、螢太朗の人の良さはやはり2種的な優しさがあるし、相手が子供だからという色眼鏡なしで夜宵の悪霊狩りの目的をちゃんと聞いた上で協力しているのも、上下型の行動原理(毀誉褒貶)と矛盾しない。

螢太朗を2種と診断したのにはいくつか理由があるが、例えば6話で螢太朗は夜宵の悪霊狩りに協力することを決めるけど、もしこれが4種だとしたらもっと迷いに迷ってあの時点で意志を決められないと思うし、仮に決めたとしても心の中にモヤモヤしたものを抱えながら動いていたと思う。これは私(タリホー)自身が4種体癖なのでわかることだけど、4種は感情が他の体癖以上に固まりにくいから、こんな重大な選択を迫られたらもっと葛藤が生じるし、引きずっている感じがないとおかしいと思うのだ。

 

2種体癖は性の目覚めが遅いという面があり、そのため恋愛においても義務を遂行するような形で進めていくと言われている。これも6話以降の流れを見ていけば読み取れるのだが、詠子を恋人(彼女)として受け入れたとはいえまだギクシャクとした感じは抜けていないし、実は原作だとこの後の物語で螢太朗は詠子とデートすることを約束するのだ。※3その下りを見ると、これまでの詠子の支えに対してはスラスラと感謝の思いを話せたのに、デートという恋愛の話に移ると急にドギマギして赤面しながらデートの提案を持ち出している。しかも一ヶ月という準備期間を設けてその間にデートプランを練り込むとまで言っているから、頭の中で考えをああでもないこうでもないと巡らす、つまりは頭脳をメインで使う所に上下型の特徴が出ているのである。

 

※1:性格的には神代愛依の方が3種だと考えられる。

※2:旧旧Fトンネルの霊も身体を変形してねじっていたから体癖としては夜宵と同じねじれ型に該当する。

※3:原作の第38話を参照。

 

さいごに

ということで今回は前半を16話の感想、後半をこれまでの内容に基づくメインキャラの体癖診断に筆を割いた。体癖に関しては野口晴哉『体癖』ほか、Wikipediaの記事やYouTube名越康文先生の動画などを参考にした。体癖に関してはまだ勉強中なので説明として至らない点も多いと思うが、そこはご了承願いたい。

さて、螢太朗の休息中に夜宵と詠子は卒業生を一箇所に保管するための家探しを行い目を付けたのが、過去に大量殺人がありその家に入った女性警官が頭部が巨大な赤子の奇形児を産んで死亡したという曰くのある一軒家。通称「受胎告知の家」として呼ばれている激ヤバ事故物件に二人は挑む。またこの家がもう、ねぇ…。(汗)