タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

タリホー的作品批評のススメ

2018年8月から始めたこのブログも約5年8ヶ月経って、おかげさまで読者登録も50人を超え、先日の投稿記事が500番目となった。

 

昨年、500番目の記事を投稿した辺りで当ブログの執筆スタイルや、執筆する上での注意点について書くと予告したのだが、当ブログは書籍・ドラマ・アニメ・映画といった作品批評がメインなので、作品批評について常日頃気を付けていること、私にとって「作品を批評する」とはどういう意義があるのか、批評する上で参考というか理想としている動画やテレビ番組について、色々語ってみようと思う。

 

神経症的な作品批評がメジャーな現代

批評家自体は昔からずっと存在したものの、昨今はインターネットの普及やSNSの隆盛によって誰もが批評を行ってそれを手軽に読むことが出来る時代だ。それに、電子書籍や有料配信などで最新の流行作品だけでなく、昔の歴史的名作も見ることが出来るのだから、相対的に見ても昔より今の人々の方が目が肥えているんじゃないかと思う。

 

誰もが感想・考察・解説・批評を行って、不特定多数の人間に発信出来るようになった分、評論を生業とする専門家の存在価値が問われるし、2年前に書評家の豊崎由美氏のツイートが炎上した出来事※1を見ても、「高尚なことを評論しているから良いのか?」という疑問が生じた。作品と読者(視聴者)を巡り合わせることが出来たらそれで良いし、他人の批評の巧拙についてとやかく言うのはみっともないと思ったものだ。

 

とは言ったものの、YouTubeSNSにおけるレビュー動画や批評を見ていると最近の批評にはちょっとした偏りというか、ある種の傾向があるような気がする。何と言えば良いのかな、物語の整合性とか演出の意図、作中のアイテムに対する考察とかを細かく拾う、重箱の隅を楊枝でほじくる感じのレビューが目立っている。

これはぶっちゃけ私もやっていることだからあまり偉そうなことは言えないのだけど、(誤解と偏見を恐れずに言うならば)私の感覚としては現代人の作品批評って神経症を患った状態で作品を見ている感じがして、作品に対して寛容な見方が出来なくなっていると正直思うのだ。昔は原作を大胆に改変した映像作品を発表してもあまり炎上しなかったけど、今は下手に改変しようものなら炎上するのは当たり前で、例えば長谷川町子原作の「いじわるばあさん」を実写化した青島幸男版の意地悪ばあさんなんか今だったら間違いなく炎上案件になっていただろう。青島版は当時原作者が否定的なコメントを残した逸話があるが、それでも青島版は人気を博したドラマシリーズだったし、スペシャルドラマが何回も放送されていた。

 

Wの悲劇 角川映画 THE BEST [Blu-ray]

あと薬師丸ひろ子さん主演の映画Wの悲劇なんかも、今だったら間違いなく炎上しただろうね。この原作はミステリ小説なんだけど、映画は原作で起こった事件を劇中劇として描き、舞台女優がスキャンダルに巻き込まれながら成長していく様をメインにした青春映画として改変したのだ。だから謎解き要素はないし原作と別物と言って良いのだけど、中途半端に原作通り映像化して凡作になるよりも、別物になっても良いから傑作を作りたいという潔さがあるし、ある意味賢明な判断だったかもしれない。※2

 

批評する側も神経症的になると作り手も神経質になるというものか、昔に比べると今の作品はメッセージ性を重視したものが多く、特に映画「クレヨンしんちゃん」はそういった時代の影響をモロに受けている。ただドタバタとしたコメディを描くだけではいけない、物語に意味やメッセージがないといけないという、そんな強迫観念が植え付けられているような気がしてならない。

一応言っておくと神経質に作品批評をすること自体は悪くないし、そういう見方をしないと見えてこないこともある。しかしこれはある程度コツというか方法論を自分の中で確立しておかないと、逆に貧相で狭量な見方になってしまう恐れがある。部分にこだわって作品全体を眺められなくなったり、「辻褄が合わないからこれは駄作だ」という短絡的な思考に陥ったりする危険がある。

私も映画やドラマを見た後に感想をよく漁るのだが、ただただ技術面の巧拙ばかりに囚われているレビューはやっぱり面白くないし、そういう批評を見ると勿体なさを感じてしまう。もう一歩踏み込めば、たとえ作品自体が駄作・凡作でも豊かな体験が出来るのに、そこに至らないまま早々に結論を出してしまっているのが多くの現代人における批評の傾向なのだ。

 

※1:豊崎由美氏の書評についてのツイートに対する個人的意見 - タリホーです。

※2:他にも松竹制作の「八つ墓村」はミステリ要素を抜いてホラーに特化した改変が為されているし、こういう改変の例を挙げたら昭和の映画はキリないぞ!

 

批評は「自己との対話」

専門家に限らず多くの人が作品批評をする時に、出来るだけ客観的に作品を眺めようとするが、これは私としてはあまり良くない物の見方だと思う。アカデミックに先行作品と比較して作品を批評・分析するというのは学問として究めるつもりがあるなら客観的に批評をするのは別に構わないが、基本的に作品批評は「自己との対話」、つまり主観的なものであるべきだと考えている。

作品の良し悪しを批判することは誰だって出来るけど、そこから「何故この作品は私に刺さるのか」「何故世間的に大絶賛されている作品が私には合わないのか」を考えるとなると、結局自分と対話しないとその答えは見つからないし、自己との対話の中で導き出された意見の方が独自性や批評としての魅力がある。

 

私を例にして話をするならば、私は「ゲゲゲの鬼太郎」や「地獄先生ぬ~べ~」といった怪異や妖怪を扱った作品は好きだけど、「ポケモン」や「デジモン」には興味が一切湧かない。どちらも怪物(モンスター)を扱っているのにこのような差が出るのは何故だろうか…?と私なりに考えてみたのだが、それは「その怪物に歴史的背景があるかどうか?」※3を私が気にするタイプだからではないかと思うし、原色的なキャラクターがあまり好きではないという嗜好もあるかもしれない。もっと言うと、怪物を捕らえてそれを使役して戦わせることが競技となっている「ポケモン」の世界観に対して子供ながらに人間のエゴや醜さを感じ取ってしまったから避けたという考え方も出来るのだ。

このように自己分析的に作品批評を行うと、自分の好き嫌いの基準とか、自分がこの世界をどのように見ていて、何を理想としているか、どういうことが許せてどういうことが容認出来ないのか、といったことがわかるし、客観的な批評では辿り着けない唯一無二の批評が出来るという点で、自己対話による批評は面白いしやりがいがある。

 

ただし、メリットだけでなくデメリットもあるのが厄介な所で、フロイトの「夢判断」のように、自己対話による批評は自分が普段見て見ぬフリをしたり心の奥底にしまいこんでいたモノを明らかにする行為なので、その結果自分のイヤ~な面や狭量さが露呈したり、自分の性癖を暴露することにもなりかねないので結構恐ろしい。大多数の人の批評が客観止まりなのはこういうデメリットによる所も大きいと思う。

でもやっぱり楽しいんだよね ♡

正論よりも悪口を聞いている方が面白いという感覚があるけどさ、正論はどうしても客観的で総合的な世評になりがちだから面白みに欠けるけど、悪口ってそれを言う人の価値観がモロに出て来るから、悪口の質にもよりけりだけど、正論に比べると悪口の方が魅力的だったりする。悪口は(正論と違い)社会や世界を建設的に良くするものではなく、自分の内側(心)を充実させる方法の一つだと思っているし、単純な悪口は人を傷つけるものになってしまうが、それを自己との対話を通して精製した上で述べるのであれば、それは立派な批評になる。

 

www.youtube.com

悪口に関しては精神科医名越康文先生のこちらの動画を紹介しておくが、やはりレビュー動画でも絶賛より酷評の動画の方が再生数が多いし、悪口には人の結束力を高める作用もあることは確かだ。しかし、批評とするからには単なる袋叩きになってはいけないと思うし、集団リンチ的状況を生み出さないためにも、自己との対話をする、つまり自分自身に対しても批判的な目線を持つという視点を私は心掛けているのだ。

 

※3:「ポケットモンスター」は1996年に発売されたゲームから始まったことから考えるとポケモンは歴史の浅い怪物と言えるのではないだろうか?(めっちゃ失礼だよね、ゴメンね?)

 

教科書ではなく資料集を目指す

私が普段レビューをする時に気を付けているのは、内容が教科書的になってはいけないということだ。教科書は基本的な知識を身に着ける上では非常にまとまっていて効率的な本だけど、知識の幅をそれ以上広げられないという欠点があると思う。

例えば国語の教科書は文章読解や作中人物の心情を把握することに特化しているけど、作中の舞台背景だったり、それを書いた著者がどういう人物かという点については簡単に説明して終わってしまうことがほとんどだ。そういった舞台背景や人物はジャンルとしては歴史や社会といった分野になってしまうので、学校の効率化された授業形態だとなかなか各分野をそれぞれ関連させて知識や思考の幅を広げるのが難しいんじゃないかな~?と思うのだ。今はどうなっているか知らないけど、少なくとも私が学生だった頃の授業では国語から歴史の知識を拾ってその知識の幅を広げることは出来なかったし、大学に進学しないことには、そういう幅の広げ方もわからなかった。

 

教科書は基本的な情報・知識しか書かれてないためすぐ捨ててしまったが、反対に国語便覧や日本史の史料集は今も実家に置いており、今目を通しても面白いと感じる。やはり資料集の方が圧倒的に情報量が多いし、教科書が整理された情報・簡略化された情報なのに対して資料集はそのままの情報(例えば旧仮名遣いで書かれた文章・当時の風景写真や風俗など)が載せられているため、読んでいてインスピレーションが湧いたり、色んな想像が出来る余地があるのだ。

だから私のブログも出来るだけレビューする際は読む側の刺激になるような内容、多面的な見方の助けになるようなことを出来るだけ述べるようにはしているし、私自身が読み返したくなるようなレビューを書けば、他の人が読んでもそれなりに読み応えのあるものになるだろうと思って自分なりに考えながら執筆しているつもりである。

 

性格分類を反映させて

私は先ほど紹介した名越先生切っ掛けで体癖論を知り、最近ではMBTI診断というものもやっている。

 

pr.yakan-hiko.com

www.16personalities.com

こういう性格分類というものは別に「相手の思っていることを見抜いてやる!」という打算的なもの、マウント目的ではなくて、単純にその人がどういう基準で動くのか?といった相互理解やコミュニケーションを円滑にする上で必要かつ有用なツールだと思っている。それに、物語の登場人物は人間もしくは人間的思考回路を持った生物であることがほとんどなのだから、作品の分析や批評にも活かせる。

 

ちなみに私は体癖論だと左右型の4種体癖、MBTI診断では提唱者(INFJ-T)※4という診断になった。提唱者タイプは世界的に見ると珍しいらしく、診断内容を読むと確かに私がこれまで書いたレビューや考察って理想主義的な内容だな~とその診断の正確さに感心するばかりだ。

tariho10281.hatenablog.com

(特にこの6期鬼太郎の座敷童子の時の感想は理想主義的ですよね…ww)

 

それに自分が4種体癖だと実感するのはブログを執筆する際になかなか文章がまとまらない時なんだよね。4種体癖は感情が固まらない傾向が強く、自分の感情を理解するのに時間がかかると言われているのだけど、私自身スラスラ執筆出来ないし批評をする際も「ここでモヤモヤするのは何故だろう…」と悩む時も結構ある。で、消化不良な出来事や嫌なことはずっと覚えていて、モノによっては10年以上前の出来事でも今年あった出来事のように思い出すという未練たらしい面があるから、そこも作品批評をする時に反映されている所が少なからずあると思う。

 

そんな性格だから当然文章で感想を述べるのが私の性に合っていて、動画や配信だとコメントが固まらず結局当たり障りのないことを言ってしまうのは自分でもわかっているから、こうやってじっくり考えながら出来るだけ誤解のない言葉を紡いでいるという感じかな。自分の性格を知っておくのも自分なりの批評をする上で大事だと思うし、他の人の批評を読む時も「あ~この人は論理性を大事にするのだな」とか「この人は楽しければそれでOKって感じだね」とレビュワーの批評のクセを読み取ることが出来てまた別の面白さが出て来ると思う。

 

※4:同じ提唱者でもAタイプとTタイプがあって、Aタイプは自己主張型でストレス耐性があり、Tタイプは繊細で周りの意見に耳を傾けるという違いがある。

ちなみに、日本の芸能人だと江頭2:50さん、ゆうたろう(俳優)さん、大橋和也(なにわ男子)さんがAタイプで、Tタイプはやす子さん、西畑大吾(なにわ男子)さんなどが挙げられる。

 

時間がかかっても「届くべき人に届く」レビューでありたい

レビュー動画と違って個人ブログでの作品批評は多くの人の目に触れないという短所がある。正直言うと私は当ブログでとあるドラマのレビュー記事を投稿して自分としては「よく書けた!」と思っていたにもかかわらず、あまり反響が芳しくなくて意気消沈した記憶がある。それで一時期は「もう真剣に書くだけ無駄やな…」と軽いうつ状態になったこともあったけど、今は気にせず執筆が出来ている。

 

tariho10281.hatenablog.com

その切っ掛けとなったのは昨年投稿したこの記事だけど、投稿した時は特に反応がなかったのに、数ヶ月経ってからこの記事内容に共感した方が Twitter の方で紹介してくださった。この時に「あ、時間がかかっても真摯に書いたものは届くべき所に届くのだ」という悟りを得て、それからは読者の反応とかもあまり気にせブログを書くことが出来るようになった。

何かと時短とかスピード感を求められがちな昨今、自分の意見をすぐに人の目に触れさせようと拡散したり、多くの人に読んでもらうために過剰な文章表現をするブログもあるけれど、私のブログは流行に囚われることなく本気で作品と向き合いたい人に届くことが理想であり、そういう好影響を与える内容の批評をこれからも書いていきたい。

 

さいごに(執筆における憧れ)

長々と語って来たけど、何をするにしてもやっぱり理想や目標、或いは憧れとなる存在を頭の片隅に置いてことを行うのが大事だし、最後に私が作品批評をするにあたって参考にしたり、憧れの対象としているものを紹介するのも悪くないだろう。

 

・シリーズ「深読み読書会」(NHK

私が好きな番組だけど不定期だしあまり再放送はやってない。過去に横溝正史金田一耕助シリーズの代表作や小松左京の『日本沈没』、江戸川乱歩の『孤島の鬼』で読書会をやっているのを視聴したが面白かったし、多角的に作品を評価したり作者が作品に込めた思いを深読みするという試みが私には刺激的だった。

 

・ダークサイドミステリー(NHK

www.nhk.jp

毎年4月~9月の半年間放送されるオカルトや猟奇事件、怪奇文学といった怪しげなものを特集するミステリー探求番組。私も当ブログで「アンデッドガール・マーダーファルス」や「ダークギャザリング」の感想・解説を書いた時にはこの番組の知識が大変参考になった。一応今年も今月から第6シーズンが始まったのだが、BS4Kでの放送みたいでBS(2K)は未定らしい。割と楽しみにしてたので早くBSでも放送してもらいたいものだ。

 

・ゲームさんぽ

2019年にライブドアニュースYouTube チャンネルから始まった企画で、各分野の専門家と共にゲームの音響や照明・建物・キャラクター・家具調度品などを深掘りしていくという従来のゲーム実況では得られない教養を我々視聴者に提供する番組。ある意味私が最も理想とする作品批評の方法だと思う

www.youtube.com

現在はライブドア社から独立してゲームさんぽ専門のチャンネルを開いた方がおり、「ゲームさんぽ」の番組は本家と分家のような状況になっているけど、どちらも面白いのでおススメです。

 

名越康文TV シークレットトーク youtube 分室

www.youtube.com

「ゲームさんぽ」と併せておススメしたいのがこちら。当ブログでも過去に何度か紹介したけど、体癖論に関することや人間心理を分析する上で勉強になることが多い。あと私は過去に適応障害で一度心がズタズタになった経験があるため、精神科医の方が発信することって日常生活における心の支えになったり生きる指標になったりとそういう点でも参考になることが多いですね。

 

・ホッカイロレン

www.youtube.com

これまで紹介して来た番組・チャンネルとは毛色が異なるが、作品批評という点で何気にリスペクトしているのがこちらのホッカイロレン氏である。作品批評をしているユーチューバーは数あれど、ホッカイロレン氏はレビュー動画をある種のエンタメとして演出しているのが特徴で、視聴者を楽しませようとする心意気が感じられる。

レビューする対象となる作品も、今話題の映画だけでなく誰も取り扱わないB級・Z級のクソ映画や宗教団体が制作したカルト映画など多岐にわたっており、世評に囚われずに独自の切り口でレビューしている所に好感が持てる。先ほど私が説明した「自己との対話」が出来ていることは、レビュー動画を見ていただければ明らかだ。