タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

江戸川乱歩賞「ペンネーム問題」についての個人的意見

Twitter で色々と議論が紛糾している江戸川乱歩賞の二次予選通過作品に対する講評の件、私も自身のアカウントでちょっとだけ意見は述べたけどちゃんとブログで残しておきたいと思ったので改めてここに書いておく。

 

tree-novel.com

問題となったのは二次予選通過者のがにまた氏「彼女が時計を奪わなければ」の講評。氏の作品に対する講評は以下の通り。

ミステリとして大きな穴はないが、過去の出来事の謎を現在から振り返って解明する構成を含め、設定がどうしても浅倉秋成の『六人の嘘つきな大学生』を連想させてしまうので損をしている。ネタバレと言っていい題名、真面目につけたとは思えないペンネーム、ともに減点対象。

この「真面目につけたとは思えないペンネーム」が減点対象となっていることに多くの人が意見を述べており、「そもそも江戸川乱歩エドガー・アラン・ポーをもじったものだから、そんな作家の名を冠する賞なのにペンネームで減点とかないだろ」っていう意見もあるし、「いや権威ある賞だし作家デビューするのだからラノベみたいなペンネームで応募する方がダメでしょ」という意見もあった。

 

ちなみに応募者であるがにまた氏の Twitter アカウントを見ると、氏のペンネームは「幼い頃からのあだ名」だそうであり、講評で指摘されたことについても真摯に受け止めているようなので、まぁ過剰反応せず氏の今後の創作活動が良き方向へ進むことを祈ろう!

 

…と話を終えても良いのだが、個人的にこの講評でちょっと不快に思うのが「真面目につけたとは思えない」というこの一文だ。

流石にペンネームだけで最終候補から落としたとは思わないにせよ、そのペンネームを真面目につけたかどうかって作者本人にしかわからない情報なのに、何でそれを第三者の他人に決めつけられなければならないの?って思う。少なくとも私は気分を害する物言いだと感じた。

 

例えば「がにまた(がに股)は容貌を蔑視する際に用いられることもあるのでペンネームとしてあまり相応しくない」という意見ならば納得がいくけど、真面目につけたかどうかって結局評者の主観に過ぎないし、今回のような公的な賞の選考でそういう主観な選評が行われると応募する側も「作品だけを評価してもらえないのか?」「評者のセンスで決められるのかな?」って変にハードルを上げることになって、私は良くないと思う。

 

「それを言われたくらいで筆を折るようなら作家にはなれない」という意見もあるし、「何も言われず落とされるよりマシ。指摘してもらえただけでも良しだよ」って前向きに考えることも出来るけど、ペンネームや作品のタイトルは書籍化するにあたって後で変更出来ない訳ではないし、書籍化する際に改題した作品なんて例を挙げたらいくらでも出て来るのだから、タイトルとペンネームが減点対象になるというのはやはり納得しにくい所ではある。

まぁ、結局応募作品の中身、つまり物語のプロットが過去作を連想させるという「二番煎じ感」が低評価の最大の原因で、タイトルとペンネームはついでという意味合いで講評ではあのように書かれたのかもしれないが、じゃあ言うに事欠いてペンネームとタイトルにケチつけたのかよってやはりムカつきは覚える訳で、作者が別に気にしてないならそれで良いのだけど、私だったら愚痴ってやけ酒ならぬ「やけ炭酸飲料」でも一杯やって不貞寝するだろうな。(割と感情的になっちゃうんですよね…)

 

ちなみに、私の「タリホー」というHNは本名の一部を抜粋してアナグラムにしたものなんですよ。なのでトランプの銘柄から名付けた訳じゃないですし、ザ・クロマニヨンズの楽曲とかも全然関係ないので、そこのところよろしく!