タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

なりたいものになれる世界とは?【ゾン100 #05】

ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~(2) (サンデーGXコミックス)

前回の放送から一週間空きましたが、来週も世界陸上でお休みになるようで、他のアニメがどんどん話が進んでいくのに、このゾン100だけ何か置いてけぼりにされていってるような気がしないでもない。まぁ日曜17時というゴールデンタイムの宿命とでも言うしかないのだけど。

 

「ヒーロー オブ ザ デッド」

今回のお話は原作の第6・7話「ヒーローオブザデッド」。CAのユカリに触発されたアキラはこれまでの刹那的な快楽を追い求める方針をちょっと改めて「子供の頃に憧れた夢を思い出す」ことをやりたいことリストに書き記した。そんな折、アキラは子供の頃に抱いていたスーパーヒーローになる夢を思い出し、このゾンビだらけの世界で正義のヒーローになってやろうと一念発起。ヒーローになるために必要なアイテムを手に入れるためケンチョと水族館へ出かける…というのが今回のあらすじだ。

 

ヒーローになりたいというのはいささか幼稚に聞こえる夢ではあるが、仮面ライダーや戦隊ヒーロー、それに海外だとアベンジャーズといった数多くのヒーローが子供だけでなく大人の観客の心を動かしているのは言うまでもないことだし、ヒーローというのは人を救い続けないといけないので、アキラの今回の夢にはこれまでの願望に希薄だった時間軸の概念がある。それだけでも今回のアキラは人間として一歩前進したと言えるのではないだろうか?

 

ディストピアだからなりたいものになれる?

以前アニメ富豪刑事の10話でヒーローというのは他者の認定があって始めてヒーローたり得るということを私は論じたが、

tariho10281.hatenablog.com

その論に従えば、今回のアキラのヒーロー願望というのは(シズカが言った通り)日常的に社会から評価されず、自己価値観が満たされてない男が抱く願望であり、自己満足程度のものに過ぎないという辛辣な評価を下さざるを得ない。

 

ただ、シズカや以前私が語った論というのはあくまでも社会が機能していた状態においてはそうなのだけど、本作のようなゾンビパニックの状況下においてはあまり意味を成さない論かな~?と見ていて思った次第だ。

どれだけ論理武装してリスクに備えていても、未曽有のゾンビ禍においては論理の通用しない事態が勃発するし、現に今回は歩くホホジロザメのゾンビが出現し、シズカはパニック状態の女性に突き飛ばされ危うくサメの餌食になる所だったのだからね。そもそもゾンビウイルスが空気感染だけでなく水中の魚にまで感染するというのもちゃんと検証しないとわからないことだから、どうしても不測の事態は生じてしまうというものだ。

 

そして社会が機能していない状況下においては、ぶっちゃけ何者になろうが誰にも文句は言われない、ある意味なりたいものになれる世界というのは本作のようなディストピアにこそあるのではないだろうか?

勿論、日本では職業選択の自由が保障されているから別にディストピアでなくてもなりたいものにはなれるのだろうけど、やはり社会を機能させる上では皆が皆好きな仕事ばかりしていたら社会は成り立たないし、警察や自衛隊といった命がけのお仕事だってあることを考えると、誰もが好きなことをやれているという訳ではないというのは明確である(それに誇りを持っている人もいるから別に私は職業を差別している訳ではないですよ?)。

ただひたすらやりたいことだけをやって、好きな何者かになれる社会を実現させようと思ったら、やはり今現在のような人力に頼っている働き方ではまだまだで、徹底した機械化や「Detroit: Become Human」のようなアンドロイドに危険な仕事を任せるといった社会にまで発展しないと難しいだろう。また、ミュージシャンや画家といった芸術方面の仕事を目指すとなると、自分がいくら主観的に良いモノが作れたと思っていても客観的に評価されないとその職業は名乗れないという壁がある。そこはヒーローと同じで客観的な評価がないと社会においてその職業を名乗れない、名乗ったとしても鼻で笑われて終わりという惨めな結果になるということだ。

 

以上のことを考えると、やはりなりたいものになれる社会というのはユートピアではなくディストピアにおいて成り立つのではないかという逆説的な結論に至った。社会の歯車として勤労奉仕する必要がなくなり、客観性というものが意味を成さなくなった社会において人間は自由になれるのかもしないと思ったが、ディストピアでなくてもなりたいものになれる社会を作るのが今の我々の社会における課題ではないかと、小難しいことを言うようだがそう思った次第である。