【あらすじ更新】
— 【公式】富豪刑事 Balance:UNLIMITED (@fugoukeiji_bul) 2020年9月16日
check-10「人生は、札束に刷り込むようなものじゃない」
ポリアドルに向かう貨物船の中で、テロリスト・ワインスキーに追い詰められた大助。
新たな装備も無力化され、窮地に陥った彼を救ったのは加藤だった。(続く)
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茂丸引っ張るね~。動機は墓場に持っていくつもりなのかな。
check-10「人生は、札束に刷り込むようなものじゃない」
サブタイトルはアメリカの劇作家クリフォード・オデッツが遺した格言「Life shouldn’t be printed on dollar bills」を訳したもの。格言の具体的な意味について記した資料は見つけられなかったが、オデッツが手掛けた作品は貧しい移民・労働者のストライキや映画俳優の堕落を通して、人間の生きるべき道とは何かを訴えかけるものだという。彼自身もユダヤ系アメリカ人で、57年の生涯のうち二度の離婚を経験(うち一回は彼の不倫が原因)しているのだから、それなりに波瀾万丈の人生を送った人物なのだ。
この格言が生まれたのも、彼が共産主義者党に参加し、社会主義的作風の作品を世に出したことから見て、資本主義社会へのアンチテーゼと思われる。
今回は前回貨物船に潜入した大助と加藤が再会。二人でワインスキーを撃退し、茂丸の野望を阻止する所まで描かれた。
劇中で登場する謎の物質アドリウムについて、劇中で登場するガジェット解説の記事によると超電導物質らしく、貨物船には研究のための核融合炉まで搭載されていた模様。
劇中でも言われていたように、平和目的に使えば至極便利なエネルギー物質だが、軍事利用されれば危険な兵器と化す。これは原子力と同じ話で、今回架空の物質が持ち出されたのはプラズマ銃という武器を成立させるのに実在の化学物質だと都合が悪かった(=実在の化学物質で今の技術だとプラズマ銃を作るのは困難)ことや、既存の化学物質の扱いで小百合と揉めることはないだろうし、殺害の動機になりにくいという理由で要請された設定だと思われる。
「公務員」から「ヒーロー」へ
今回はほとんどがワインスキーや貨物船内の船員とのバトルのためとりわけ深く考えるネタはないだろうと思っていたが、公式HPの解説にあった「公務員からヒーローになっていくという」加藤のドラマ部分について触れてみようかと。
過去の立て籠もり事件の失態によるトラウマから現対本部という閑職に回された加藤は、言うなればヒーローになり損ねた男として鬱屈した日々を送っていた。それが大助という破天荒な起爆剤によってヒーローとしての自分を取り戻すというのが本作の事件と並行して描かれた内容。本筋は大助の両親の死とその真相だが、バディものとして互いが互いを高め合ったり乗り越えたりするのはよくある話。
加藤がヒーローとしての自分を取り戻したのも大助が「公務員である前にヒーローだったじゃないか」という一言が背中を押したおかげだが、この場面を見て思ったのは「ヒーローって他者の認定があって始めてヒーローたり得るのではないか」ということ。
クレヨンしんちゃんのぶりぶりざえもんみたいに、自分でヒーローを名乗っている輩は論外で、大抵自分がヒーローだと思って悪と戦っているヒーローなんていない。第三者が尊敬・感謝・憧れの念を抱いて特定の人物をヒーローとして認定し、そうやって今日のヒーロー像みたいなものが定着したと言えるだろう。
そもそもヒーローの語源となったのは古代ギリシアの文化とその神話によるものだが、英雄視されるギリシアの神々もヒーローとは言い難い面は大いにある。やらかした失敗よりも、やり遂げた偉業がクローズアップされてヒーローとなったとでも言えば良いかな。
あとやった行いに対して余りにも死が悲劇的なものだと英雄視される向きがあるが、最近だと黒人差別の被害者の一人、ジョージ・フロイド氏が良い例だと思う。
生前の彼は一民間人に過ぎなかったが、白人警官の拘束によって窒息死して以降、メディアや民衆は彼を取り上げ、デモには彼の写真や大幕が高々と掲げられた。もし彼が黒人でなかったらここまで火は燃え広がらなかったかもしれないが、彼が黒人であったことが連綿と続く黒人差別と結びつき、このような大ごとに発展したと考えられる。
話が脱線したので戻すが、加藤がヒーローとしての自分を取り戻し、トラウマだった拳銃を撃てるようになったのも、日ごろ彼を歯牙にもかけない振る舞いをみせる大助が言ったからこそ、その効果が発揮されたのだろう。これは星野や現対本部のメンバーではなく、彼の行為をずっと見てきた大助がヒーローと認定することに大きな意味があったのだ。
加藤の拳銃のトラウマは人を撃ったことによる失敗が原因であり、今回の場合「大助の指示通りパイプを撃つべきか。いや直接大助を襲うワインスキーを撃てば大助がやられることはないはず…。ああ、でももしワインスキーを撃ったらあの時みたいにやらかすのでは…」といった具合に彼の中で葛藤があったと思う。そういう葛藤を打破したのが先の大助の認定発言で、彼の信頼に基づく認定があったから加藤も迷いなく大助の信頼に報いパイプを撃つという選択がとれたのではないかと思う。
そもそもトラウマの原因となった立てこもり事件の一件は防衛反応としての一発であり、そんなに責め苦を負う必要もなかったのだが、向けられた銃がおもちゃと見抜けなかったことがヒーローとしての自分が許せない領分だったのだろう。それ故自縄自縛に陥っていたのだから、(「あんな一言で立ち直れるなんて単純な展開だ」と思う向きはあるにせよ)大助のような人物による“憑き物落とし”は必然の結果だったのだ。
そんなこんなで最終回はどうなることやら。毎回エンディング前に計上される金額も気になる所。