タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

救いのヒントは過去の記憶の中にある【ゾン100 #04】

ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~(2) (サンデーGXコミックス)

どうもタリホーです。今回のお話はCAさんとのコンパということで、正直テーマに距離感を覚えるなと原作を読んだ時は思ったのですが、アニメを見てちょっと認識が変わったというか、原作を読んだ時には出てこなかった感想が出て来たのでそれを書いてみます。

 

「CA オブ ザ デッド」

今回の物語は単行本2巻所収の第4・5話「CAオブザデッド」。親友のケンチョを救い出したアキラは、「やりたいことリスト」を消化するためにベランピングをやっていたが、リストの中には「CAさんとコンパをする」という、このゾンビ禍では実現不可能とも思える内容も書かれていた。

そんな折、アキラは大型テレビの大画面でゲームがしたいという夢をかなえるために、ケンチョを引き連れ池袋へと向かうが、そこで出会ったのは一人の中年男性と三人組の女性であり、何とその女性たちはCAだという。こうして図らずもCAさんとのコンパが実現してしまったのだが、アキラたちの周囲にはゾンビがうろついており、一緒にいた中年男性の様子も徐々におかしくなっていく…というのが今回のあらすじだ。

 

さっきも言ったように今回は「CAさんとコンパ」という内容が自分との間に距離感があるため、今回は特に書くこともないかな~、まぁ書くとしたら子供の頃になりたかった職業程度のことかな~?というのがアニメ視聴前の原作を読んだ段階での私の所感だった。

一応私は子供の頃はお医者さんになりたいな~と漠然と思っていたのですが、小学校高学年の頃に同級生がキックボードで遊んでて、その際勢いよくアスファルトの坂道で転倒、頭から血を流しているのを見た瞬間「あ、血ダメだ」と即座に医者という選択肢を捨てましたね。

あとは漫画家や小説家とかにも憧れたんですけど、それは高校で文芸部に所属していざ実際に創作をやって自分には向いていないとわかったし、何かの本で「作家は最悪刑務所に入っても出来る仕事だから最終手段としてとっておけ」みたいなことが書いてあったので、結局仕事で自分の夢を実現させるという選択肢はなくなったというか、こうやってブログで仕事としてではなく趣味で書いているだけでも満たされるのでまぁいっか~という感じで今に至っております。

 

自分を救うヒントは過去にあり

今回の物語ってざっくり言うと、外から見たら華やかに見える職業も実際は疲弊する要素が沢山あったり、外面が良いだけに偏見や誹謗中傷にもさらされやすいということがCAの愚痴によって示されている一方で、そんな職業でも憧れや夢を抱いて「今の仕事が好き」と自信を持って言える人がいることも示している。そしてそんな夢を支えているのは過去の記憶というのがCAのユカリが語った話からうかがえる。この過去の記憶というのが今回の物語における重要な鍵になると思った。

 

アキラはブラック企業から解放され会社に使役されるゾンビ状態から人間に復帰したという風に見えるのだけど、実は厳密には人間には戻っていない。何と言えば良いだろう、ネガティブなゾンビからポジティブなゾンビへ変化したという感じで、人間性としては欠如している要素が大いにあるというのが私の抱いた印象だ。それは初回から前回の3話までにかけて描かれた彼のぶっとんだ勇気というか勢いからも見てとれるのだけど、それに加えて彼の「やりたいことリスト」に現状書かれている内容のほとんどが時間の概念が欠如している。これが重要なポイントだと指摘したいのだ。

今やりたい、今楽しみたい、今味わいたいといったような時間の幅がほとんどない願望、叶ってしまえばそれでおしまいになる望み、自分の過去に直結しない刹那的な快楽に基づく「やりたいこと」なので、それでは結局時間の概念をなくして目の前の獲物をむさぼり喰らうゾンビと同質の欲望・願望に過ぎないと思わないだろうか?

 

だからCAのユカリに出会わなかったら、恐らくアキラの「やりたいことリスト」はあっという間に行き詰まることになっただろう。当然だ、今現在を満たす快楽なんてたかが知れているし、人間には過去・現在・未来という時間軸がある訳で、それを満たす希望や夢・願望がないと人は人間性というものを失ってしまうし、それが満たされてようやく人は充足感を得られると私は考えているのだからね。

そんな訳で、私はアキラが人間性を取り戻したのは実は今回の4話になってからだと思っており、自分を救うための希望や願望は過去の経験や記憶の中にそのヒントが埋もれていると今回の4話で私は見出すことが出来たと思っている。アキラが「やりたいことリスト」に新たに記した「子供の頃に憧れた夢を思い出す」という望みは、正に彼が人間性を取り戻すための第一歩になったことであろう。