タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第81話「熱血漫画家 妖怪ひでり神」視聴

カラスのヘリコプターよりも妖怪ホバークラフト(劇中に登場した障子窓の付いた雲)派のタリホーです。

 

ひでり神

ja.wikipedia.org

中国神話にも登場するこの妖怪は、文字通り干ばつを引き起こす妖怪。原作やアニメでは両手両足共に二本あるのに対して、『今昔画図続百鬼』では両手両足共に一本で描かれている。これを捕まえて濁った水に沈めて殺せば干ばつは治まるが、もの凄く動きが素早いため捕らえるのは困難だと言われている。

 

アニメでは1・3・4・5期に登場する。

あらかじめ言っておくが、元々原作に登場するひでり神は絵を描いたり小説を執筆するといった創作趣味を持った妖怪ではなく、ねずみ男によって営利誘拐の片棒を担がされる羽目になった妖怪なのだ。創作趣味が後付け設定されるようになったのは、ねずみ男が誘拐ターゲットとして選んだのが雑誌を出版している会社の編集者であり、その際「妖怪の描いた漫画」というエサで編集者をさらっていったからだ。つまり、3・5・6期におけるひでり神の創作趣味は、原作でねずみ男がついたウソが元ということになる。

一番原作に近いのは1期で、その次が3期。4期のひでり神は妖怪というよりは土地神に近い設定で、毎年奉納される酒が杜氏の代替わりによって味の質が落ちてしまったことに怒り暴れるという設定になっている。5期ではホラー作家としてねずみ男を仲介役につけて活動していたが、西洋妖怪の企みによって凶暴化した。ちなみに、5期のひでり神回は5期の終盤で展開された妖怪四十七士探しの始まりとなる重要な回でもある。

 

創作で闘う

画像

今期のひでり神は3期と同様に漫画を描くのが好きな妖怪。ただ、3期のひでり神の漫画はおよそ漫画とは呼べないクオリティ(詳しくはアニメを見てもらえばわかるのだが、そもそも漫画の体裁にもなってないのだよね…ww)なのに対し、今期のひでり神は葛飾北斎以降の漫画文化に通暁し、コマ割りや見開きカットを描くだけの技量はあるので、その差は月とスッポンと言って良いだろう。

 

原作と共通するのは漫画雑誌の出版社と編集者が登場し、ひでり神の所持する妖怪ホバークラフトが出て来たくらいで、それ以外は完全にオリジナル。脚本は金月龍之介氏によるものだったが、今回の話を見て「そういや珍しくバトルシーンが一切無かったな」と思った。以前も言及したが、金月氏がこれまで担当した脚本の回は多かれ少なかれバトルシーンがあり、バトルシーンを簡素化にしてしまう6期において良い形で作用していた。

原作ではドライヤーの様に熱風を吹いたり、火山の熱でパワーアップして火を吹くのがひでり神の見せ場であったが、今期は感情が高ぶった際に身体から熱気を放った程度で、それ以外に妖怪としての能力を披露するようなことはなかった。

実を言うと、今回の話はやりようによっては原作に寄せることはいくらでも出来るプロットだった。「妖怪だから」という理由で日本コミック大賞から下ろされたひでり神が激高・暴走し、それを鬼太郎が止める。という具合にすればバトルシーンも取り入れられるし、原作でひでり神の暴走を止めた野づちを出すことも出来た。しかし、今期はそれをしなかった。

 

もうこれは今回の話を見た方なら理由がわかると思うが、もし上述したようにひでり神が暴走したり、鬼太郎の尽力によってひでり神の漫画が大賞を受賞するという様なプロットにしてしまうと、話の根幹となる「創作で闘う意味」が大きく損なわれてしまうからだ。

今回の脚本で注目すべきは暴力性が一切排除されている点にある。些細かもしれないがこれは非常に重要であり、鬼太郎とは別の形で世の中と闘うものたちを表現している。確かに編集長をはじめとする出版社の上層部がとった態度は差別的であり権力的圧力を感じさせるものがあった(リスクマネジメントとしては当然の行為だとする意見もあるかもしれないが)。しかし、鬼太郎がとったように別の圧力を以て圧力に対抗するというのは創作者にとって敗北を意味する。

 

創作者は発想・表現・技術を武器に闘う。それを熟知していたからこそ角富はストイックかつシビアにひでり神の描く漫画を指南し、ダメなものは容赦なくボツにした。そして「妖怪だから」という理由で大賞辞退を決めた出版社を見切って独立したのだ。

創作は虚構を通して現実の本質を描いたり、人があるべき姿や理想とするものを表現する場である。極端なことを言うようだが、良き創作によって人間は教訓を得たり、正しい倫理観を保っていると思うのだ(おとぎ話とかヒーロー戦隊モノを例に挙げればわかっていただけるだろうか?)。

「現実を見ろ」という言葉があるが、より良い現実を作り出すには理想が要る。その理想を可視化させたものが創作の世界であり、それに少しでも近づけるよう人は夢を抱き努力する。そう考えると創作が持つ力は馬鹿にならないし、その力を信じている角富やひでり神は実に崇高な精神の持ち主と言えるだろう。理想主義的と言われてしまえばそれまでかもしれないが、鬼太郎たちとは別の方法でこの世の中を生きて闘う彼らは、ぬらりひょん編において鬼太郎たちが目指す希望の象徴になるのではないだろうか?

 

あ、そう言えば今回はSNSがプラスの形で作用していたのも見逃せなかったな。これまでは匿名の悪意とか、承認欲求目的といったマイナスな面が主にクローズアップされていたけど、今回は応援・支持を可視化するツールとして機能していた。どんなモノでも使い方次第で良くも悪くもなるといういい例だ。

 

最後に蛇足として豆知識を。ひでり神のデビュー作「ロケットメン」は水木先生の貸本漫画時代の作品であるロケットマンをもじったもの。「ロケットマン」はSF作品だが、「第二の月」という後の鬼太郎作品にも出て来るアイテムが見られる。

ロケットマン (水木しげる) - Wikipedia

 

 

さーて次回はぬっぺっぽうが出て来る。次回も金月氏が脚本を担当するみたいだが、予告を見る限りバトル回の予感がする。ぬっぺっぽう(ぬっぺらぼう)は4・5期ではメインで登場しなかったのでどういう話になるかも気になるね。