タリホーです。

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ゲゲゲの鬼太郎(5期)第10話「荒ぶる神! 雷獣」視聴

今回は10月7日までの配信。

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雷獣

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一般的に落雷は天にいるカミナリ様の仕業だと言われているが、長野や新潟では雷と共に雷獣が落ちて来たという伝承がある。狸や鼬に似た姿をしており、新潟に落ちた雷獣は前足が二本、後足が四本、全長約1.8メートル、首は野猪に似て長い牙を備え、爪は水晶のようで水掻きがあり、焦げ茶色の体をしていたという。

新潟県三島郡の西生寺、岩手県花巻市の雄山寺には雷獣のミイラがあるが、これは猫に似た姿をしている。

原作には登場せず5期で初登場。水木先生の妖怪画と比べると背中や頭部に雷のようなトゲが付いており体は猫っぽく、口ひげが付いている。パッと見た感じポケモンに出ていてもおかしくないビジュアルだ。

 

徹底的なテンプレストーリー

5期の雷獣回はあまり記憶に残っていなかったため改めてちゃんと見ると驚いた。

あまりにもテンプレ過ぎる展開だったので。

どういう所がテンプレかというと、

①舞台が農村部

土地開発が原因で妖怪が暴れる

③見かねた子供が妖怪ポストに手紙を出す

④鬼太郎やその仲間が駆けつける

ねずみ男が何かしらの形で関わる

⑥妖怪が退治・封印される

⑦大人が妖怪の存在を認め、改心する

原作全てがこうではないが、鬼太郎作品の定番プロットといえばこんな感じで、最後に虫たちが鬼太郎をたたえて合唱をはじめたらもう完璧なテンプレなのだが、流石にそこまでは描写されなかったね。

雷獣はアニメオリジナルの物語にも関わらず何故こんなにテンプレな物語を?と思ったが、これが10話目である意味節目の時期ともとれるため、ここでテンプレにしたのは敢えてやったことであり、「これが本来の鬼太郎のストーリーなのだよ」と視聴者に伝える目的が多少なりともあったのではないかと考えている。

 

原作には原作の型があるように、アニメにはアニメの型がある。3期にはバトルものとしての型があるし、4期は原点回帰を意識した型がある。5期の型はと言われると3・4期みたいに明確な型ではないが、地獄との関わりが他期以上に深く、妖怪四十七士といったローカルな面にもスポットをあてているから、恐らくその辺りが5期としての型だったのではないかと思う。これは比較的2年目でようやく型として固まった感じがするが、1年目の長谷川氏がシリーズ構成に入っていた時期はまだ明確な型のようなものがなかった感じがする。

もしかしたら模索時期だったのかもしれないが、ここでカッチリテンプレ的な物語を出してきたのは脚本の長谷川氏が頭を整理する目的もあったと勝手に思っていて、やはり型を知らないとオリジナリティは出せないし、オリジナルな部分ばかり出していると鬼太郎作品でやる意味がない。「型を知ることで型破りが出来る」と以前市川猿之助さんがそんなことを言っていたが、これはホントに正しくて、型を知っていないと型破りなことをやられた所でそれが良いのか悪いのか評価出来ないからだ。

 

だから今回の雷獣回は実は鬼太郎作品を評価する指標としてのテンプレ物語と見なすことも出来る。そういう意味ではテンプレも案外悪いものではない、必然的なテンプレだったと今の私は断言出来るのだ。特にアニメから鬼太郎作品に入った人なんかは鬼太郎作品の型というものをまだ知らないから、こうやってアニメでそれを提示したのは古参として感謝すべきことなのかもしれない。

6期は3~5期で築かれたテンプレを意図的に崩しており、そこに拒絶感を催した鬼太郎ファンの方もいたが、型を知っていたからこそ型の破り方に面白みを感じたし、その破り方を客観視して批評出来たと思うのだ。漠然とこの作品が好きだ・嫌いだと評価するのも面白いが、型を知りその違いを評価して面白がることが出来れば、駄作はほとんどないと言えるのかもしれない(でも6期ベリアル回とかブチギレ案件もあったけどね)

 

 

次回は白山坊の登場する回。これも今までの型を破った物語だがそれはまた次回の感想で。