タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

前代未聞の30分で「犬神家の一族」チャレンジ!?(シリーズ「横溝正史短編集Ⅱ」)

金田一耕助ファイル5 犬神家の一族 (角川文庫)

第三週目は過去最大の問題作、約30分で長編犬神家の一族を描く前代未聞の試み。これを正しく評価するには、まず原作の要点を振り返るしかないよね。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

犬神家の一族』、各章のおさらい

原作は発端から大団円まで計38章から成る。

 

1・発端

犬神佐兵衛の生い立ち。佐兵衛の臨終。

2・絶世の美人

金田一那須に到着。珠世を目撃。

3・寝室の蝮

珠世のボートに穴。過去二度にわたる奇禍。若林死亡

4・古舘弁護士

古舘登場。遺言状が誰かに読まれた形跡あり。

5・佐清帰る

佐清の復員。珠世に対する疑惑。

6・斧・琴・菊

金田一、犬神邸に赴き遺言状公開の席に坐す。仮面の佐清

7・血を吹く遺言状

遺言状の読み上げ、珠世との結婚に関する相続条件。青沼静馬の存在。

8・犬神系図

犬神家の家系について。静馬の経歴。

9・疑問の猿蔵

猿蔵の生い立ちについて。

10・奉納手型

奉納手型による指紋照合の提案。

11・凶報至る

松子、手型比べを拒絶。

12・菊畑

佐武の死体(頭部)発見

13・菊花のブローチ

犯行現場(展望台)の検証。珠世のブローチを発見。

14・指紋のある時計

珠世、前夜佐武と会ったことを告白。佐武の乱暴。

15・捨て小舟

佐清の手型比べ。死体を運んだボートの発見。柏屋の証言。

16・疑問のX

復員兵Xの存在。珠世と猿蔵に対する疑惑。

17・琴の師匠

香琴師匠の登場。松子夫人に尋問。

18・珠世沈黙す

佐武の死体(胴体)発見。珠世の「手型比べ」の教唆。佐清の指紋一致。何かを言おうとする珠世。

19・唐櫃の中

佐兵衛翁の秘密(衆道の契り)。

20・柘榴

佐武の通夜。復員兵X、珠世の寝室に潜伏。佐清、襲撃される。

21・佐智爪を磨ぐ

復員兵X、消息不明になる。佐智、珠世を昏睡させる。

22・影の人

佐智、豊畑村の空き屋敷へ珠世を運ぶ。佐智、「影の人」の襲撃に遭う。猿蔵に電話。

23・琴の糸

珠世、犬神邸に戻る。猿蔵、珠世発見の経緯を語る。佐智の死体発見

24・傷ましき小夜子

佐智の死体検分。復員兵Xの痕跡。小夜子の発狂。

25・人差指の血

梅子の松子に対する怒り。琴糸の心当たり。松子、指にケガ。香琴の一言と松子の視線。

26・噫無残!

犬神三姉妹の過去(菊乃への襲撃、斧・琴・菊の呪い)。

27・珠世の素姓

静馬の消息。消えた佐智のボタン。大山神主の暴露。

28・奇怪な判じ物

事件の整理。佐兵衛翁の秘密。佐清の死体発見

29・血染めのボタン

珠世、佐清の死体の指紋照合を依頼。佐智のボタンが発見される。判じ物の意味が判明。

30・運命の母子

香琴=青沼菊乃だと判明。

31・三つの手型

佐清と静馬の相似。菊乃の証言(松子の嘘)。佐清の死体と奉納手型の指紋不一致。

32・雪の雪ヶ峰

本物の佐清、珠世を襲撃。佐清、雪ヶ峰へ逃走するが逮捕される。

33・わが告白

佐清の告白書。金田一佐清に尋問。

34・静馬と佐清

金田一、真犯人を松子と指摘。松子、認める。金田一、事件の経緯を語る。

35・恐ろしき偶然

金田一の事件経緯の解説と佐清の告白(佐武殺しまで)。

36・悲しき放浪者

佐智殺しに至る真相の告白。

37・静馬のジレンマ

松子、一連の殺人に関する告白。静馬のジレンマ。

38・大団円

松子、一族に後事を託し自殺

 

超高速!犬神家

今回は30分という制約があったため、舞台は犬神家の広間を中心に展開。過去回想以外は全て広間で進む一幕ものとして描かれている。そのため、犬神家の一族以外の関係者は広間に来て話をするという、一種の出前形式になっているのが面白い所の一つ。

 

そして、肝心な物語の展開は以下の通り。()内は上記の章ナンバー。

若林死亡(3)

→佐兵衛の臨終(1)

→仮面の佐清(6)

→遺言状の読み上げ、珠世との結婚に関する相続条件。青沼静馬の存在(7)

→犬神家の家系について。静馬の経歴(8)

→猿蔵の生い立ちについて(9)

→奉納手型による指紋照合の提案(10)

→松子、手型比べを拒絶(11)

佐武の死体(頭部)発見(12)

佐清の手型比べ。柏屋の証言(15)

佐清の指紋一致。何かを言おうとする珠世(18)

→佐智、珠世を昏睡させる(21)

→猿蔵に電話(22)

→猿蔵、珠世発見の経緯を語る。佐智の死体発見(23)

→梅子の松子に対する怒り。琴糸の心当たり(25)

→犬神三姉妹の過去(菊乃への襲撃、斧・琴・菊の呪い)(26)

→大山神主の暴露(27)

佐清の死体発見(28)

判じ物の意味が判明(29)

佐清の死体と奉納手型の指紋不一致(31

→本物の佐清、珠世を襲撃(32)

佐清の告白書(33)

金田一、真犯人を松子と指摘。松子、認める。金田一、事件の経緯を語る(34)

金田一の事件経緯の解説と佐清の告白(佐武殺しまで)(35)

→佐智殺しに至る真相の告白(36)

→松子、一連の殺人に関する告白。静馬のジレンマ(37)

松子、一族に後事を託し自殺(38)

 こうやって整理してみると、序盤(1~5章)こそ思い切った省略や順番の入れ替えをしているものの、それ以降は各章のキーポイントを押さえて映像化しており、確かに原作に忠実だったなと思う

懐中時計やブローチ、佐智のボタンといった小物は謎解きの手がかりとして登場するが、今回は謎解きに特化していないため、省略したのは妥当と言えるだろう。ただ、よく見たら佐智死亡後、小夜子が指先でボタンらしきものをいじっていた描写があったので完全に小物となる手がかりを省略した訳ではなさそうだ。

 

個人的に感心したのは今までの映像化作品で省略されていた「斧・琴・菊自体に価値はない」点や、大山神主の暴露による静馬のジレンマが省略されずに描かれたこと。また、開幕時に若林が遺言状を握りながら死亡していたが、これが後に明かされる「松子夫人が若林を買収して遺言状の写しをとらせていた」という事実の伏線になっているのも巧い演出と言えるだろう。

 

神話となった「犬神家の一族

今回の演出は渋江修平氏。前シーズンでは「百日紅の下にて」、江戸川乱歩短編集では「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「人でなしの恋」を担当している。色彩の鮮やかさと独特な演出技法によって、強烈なビジュアルを視聴者の脳裏に焼き付けさせる方だが、今回もその技量を遺憾なく発揮していたと思う。

(何気に調べてみたら、過去にKing & PrinceのMVも担当されていた方で驚いた!)

 

犬神家の一族』を象徴する「湖に逆立ちした足」をタライの中に表現したり、大山神主に阿部祐二リポーターを起用したり、佐清野々村議員並みの心情吐露をさせたりと、一つ一つは突拍子がなく荒唐無稽に見える演出を一つの作品としてまとめ上げたのも凄いが、これによって旧来の映像化における「地方財閥の一族内で起こった連続殺人」という一種の俗っぽさを霧散させ、神話の域に昇華させたのは一つの偉業と言って良いのではないだろうか。

 恐らく神話として演出する目的はなかったのかもしれないが、30分という制約によって原作における「財閥」「復員」要素が薄まり、結果的に「忠誠心」「親子愛」といった普遍的な部分が前面に出ることになって神話の域に昇華されたと考えるべきだろう。

 

先々週の「貸しボート十三号」もそうだったが、横溝ミステリは時代性を排除しても何ら遜色のない普遍性を備えている。だからこそ、今日まで読み継がれ何度も映像化されてきたのだ、ということを改めて実感出来たような気がする。

炎天でも涼やかな間宮さんがいた、「ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~」2話

炎天下で非番でもピッシリとスーツでキメてくる警視…まさか身体に冷えピタでも貼っているのか…!?

 

(以下、ドラマのネタバレあり)

 

「静かな炎天」

 2話は原作「静かな炎天」のドラマ化。以前テレビ朝日系のバラエティ番組「アメトーーク!」の読書芸人において、メイプル超合金カズレーザーさんが本作を紹介したとのこと。また本作は別冊宝島で発行されているブック・ランキングこのミステリーがすごい!」(略称「このミス」)の2017年度国内編で2位にランクインしている。

 

ただ、私は「このミス」よりも探偵小説研究会編著の本格ミステリ・ベスト10」の方を支持しているので、本作はドラマ化されるまで耳にしたことがなかった(ちなみに「本格ミステリ・ベスト10」2017年度国内編では、本作は18位)。

個人的に「このミス」はライトなミステリオタク向けのブック・ランキングという偏見があり、ロジックや凝りに凝ったトリックを求めるミステリオタクとしては、「本格ミステリ・ベスト10」の方が信用出来るのだ。

だから本作「静かな炎天」はガチガチのミステリオタクには物足りないかもしれないが、「ミステリ小説に挑戦しようかしら?」「複雑なトリックは理解するのが難しくて読んでも面白くないし、ライトなのが良い」と思っている方にはオススメ出来る作品と言えるだろう。私も一度原作本を手に取ってざっと目を通したけど、この作品はミステリ初心者ならず読書ビギナーを読書の沼に引きずり込む牽引力がある(つまり、他作品も読みたくなる)と感じたし、あのカズレーザーさんがオススメするのも頷ける、“間口の広い”ミステリ小説なのだ。

 

それはさておき、本作は一見すると何てことのない事象の数々が一つの犯罪計画に繋がっていた…というタイプのミステリ。こういうタイプのミステリを今パッと思い出せと言われたら、私はドイルの赤毛連盟」とか、クリスティの「料理人の失踪」を思い出す。長編でこういった作品をあまり見かけないのは「何てことのない事象」が延々と続くと読者がダレてくることが筆者もわかっているからだろう。まぁ単に思い出せないか出会っていないだけで、実際はそういうタイプの名作長編もゴロゴロあるのかもしれないが…。

本作の場合は「立て続けに舞い込む探偵依頼」が「何てことのない事象」として物語を動かしていく。読者にとっては「何てことのない事象」だが、主人公で不運気質の葉村にとっては「何てことのある事象」であり、それが町内会長である糸永への疑惑へと向かっていくのが本作の面白い所だ。

 

前回は不運な人生から逃れようと別の人生を乗っ取ろうとした女の心情が印象に残ったが、今回は老害の母」という不運から逃れようとしたが、葉村という「筋金入りの不運」によってそれが潰されていき懊悩する糸永の姿が印象に残った。

糸永側から見れば今回の状況はかなり洒落にならない上に気の休まらない話であり、物語の演出・構成によってはかなーり嫌な気分にさせられることになったのだろうが、そんな後味の悪い感覚が残らなかったのは、葉村の存在が大きい。それは単に葉村が周りの人々に振り回されることによって生ずる喜劇的な空気だけではなく、彼女自身の優しさも影響していると思う。

 

言うまでもなく、探偵というのは犯人にとって敵である。しかし見方を変えれば、犯人が何を考えどう行動したのか、それを理解しようと奔走しているのだから、ある意味犯人を最も理解しようと努める者でもあり、味方でもあるのだ。

葉村が岡田警視と議論した糸永の犯罪計画が「仮定の話」として流されたのは、彼女が糸永の「最大の理解者」として彼の心情を斟酌したからであり、そこに葉村の人としての優しさが垣間見える。

 

岡田警視の存在について

ところで、終盤に登場した岡田警視、今回の物語においては正直な所「いなくても問題ない人物」なのだ。彼がいなくとも葉村の独白という形で真相を視聴者に明らかにする演出も出来たはずなのにそれをしなかった。ならば彼の存在理由は何だろうか?

自分なりに考えたが、今回の岡田警視は「この物語を“ミステリ”として着地させるためのマレビト的存在として登場したのではないだろうか?

まれびと - Wikipedia

 

もし岡田警視が登場しなかったら、葉村は今回の一連の出来事を「糸永の気まぐれの好意」として処理し、「最大の理解者」として彼の計画を胸底深くにしまいこんで何も語らず日常に戻っただろう。しかし、この物語は探偵物語であり、舞台の中心はミステリ専門書店。そんな結末、視聴者の大半は許さないだろう。

だから、この一連の出来事を「事件」として彼女に語らせ、合理的説明を為させるために岡田警視が登場したのではないかと思っている。本当はもっと現実的な目的があって葉村に接触しているのかもしれないが、物語の構造として彼の立ち位置を考えるとそうなってしまう。炎天にもかかわらず彼が汗もかかずにスーツでキメているのも、彼がマレビトとして存在することを示しているような気さえしてくる。

 

ドラマオリジナルキャラクターである彼の存在については後々もっと必然的な理由が明らかになるのかもしれないが、現段階で掴める彼の一端はこれ位。間宮さんのファンでなくても是非注目してもらいたい。

 

書籍紹介

さて、今回もミステリにそれほど詳しくない方を少しでもミステリの沼に引きずり込んでやろうという思いで紹介していく。

ただ、今回はミステリだけでなく怪奇小説も入っているのだがね。

 

アガサ・クリスティーカリブ海の秘密』

カリブ海の秘密 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 書店の階段横にある「サマーホリデーミステリフェア」に置かれていたのがこちら。前回も紹介した「ミス・マープル」シリーズの一つで、マープルが逗留していたカリブ海のホテルで起こった連続殺人の謎を解く物語。老人をカッコ良く描いた快作としてオススメ出来る。

 

エドガー・アラン・ポー「黒猫」

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

 書店のイベント「真夏のホラーナイト」の黒板に貼られたポスター「THE BLACK CAT。これこそ、かのミステリ小説の始祖とも呼ばれるエドガー・アラン・ポーが著した怪奇短編小説「黒猫」の原題だ。物語は日本の怪談「累(かさね)」を彷彿とさせる因果応報譚で、猫を殺したことが切っ掛けで絞首刑に陥る男の恐怖が描かれている。書店に行かずとも青空文庫で読める作品なので是非どうぞ。

www.aozora.gr.jp

 

〇ウィリアム・フライヤー・ハーヴィー「炎天」

怪奇小説傑作集 1 英米編 1 [新版] (創元推理文庫)

 「黒猫」と同じく「真夏のホラーナイト」のイベントで紹介されていた怪奇短編小説。今回の劇中でも引用された「この炎天下じゃ人間だってたいがい変になる」という最後の一文が印象に残る。今回のドラマは二者の不運によって生じたミステリ」と表現出来るが、この「炎天」は二者の奇妙な偶然によって生じたホラー」と表現すれば良いだろうか。その二者をつなげて恐怖へと落とし込むのが、物語に漂ううだるような暑さなのだ。

ちなみに、「炎天」は私が敬愛する水木しげる先生によって「むし暑い日」というタイトルでコミカライズされていた。今回ドラマ化されてなかったら気づかずスルーするところだったわ。

怪物マチコミ 他 (水木しげる漫画大全集)

 

有栖川有栖『双頭の悪魔』

双頭の悪魔 (創元推理文庫)

 夏のミステリとして最後にこの一冊を紹介。「学生アリス」シリーズの一作であり代表作として有名。大雨によって分断された二つの村、その二つの村で起こった事件の謎解きをする物語だが、読者も犯人が当てられるよう作中に手がかりが散りばめられており、“読者への挑戦”が三度も挿入されたボリューミーなミステリ小説。

実は、劇中でとある人物が所持していたのがこの『双頭の悪魔』なのだが、お気づきになられただろうか?気づいた方は通である。所持していたのは上の文庫版ではなくて単行本の方なので、以下の画像をヒントに誰がどの場面で所持していたのか探してみては如何?

双頭の悪魔 (黄金の13)

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第90話「アイドル伝説さざえ鬼」視聴

 

さざえ鬼

ja.wikipedia.org

中国の『礼記』によると、雀は海中に入りハマグリとなり、田鼠はウズラに化けるとのこと。それならばさざえだって鬼になるだろうと鳥山石燕が『百器徒然袋』に描いたのがこの妖怪。そのため創作妖怪だと思うかもしれないが一応伝承も残っていて、房総半島には女に化けたさざえ鬼が宿泊先の亭主を取る(または殺す)話があり、また和歌山県の波切には美女に化けたさざえ鬼が自分を犯そうとした海賊たちの睾丸を食いちぎったという話が残っている。

ちなみに海賊の話にはオチがあって、食いちぎられて睾丸を失った海賊たちは、自分たちの睾丸を取り戻すべくさざえ鬼に莫大な黄金を渡した。つまり、「キンをキンで買い戻した」という訳である。

アニメでは1・3・4・5期に登場する定番の妖怪だが、各期のキャラ設定等については後述することにして次はこの妖怪を。

 

人魚

ja.wikipedia.org

洋の東西を問わず全世界で語られる半人半魚の妖怪。とはいえ、西洋ではその歌声と美貌で船乗りを魅惑し難破させてしまう魔性の妖怪としての性格が強い(映画「パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉」に出て来た人魚とかが正にそんな感じ)。

一方東洋では人魚の肉が不老不死の薬となる言い伝えがあったり、疫病・津波を予言するといった瑞祥の妖怪としての色が強い。人間を魅惑する必要がないせいか(一部例外はあるにせよ)西洋の人魚に比べると美人ではないし、人面魚に近い見た目のものが多い(腰から下ではなく首から下が魚)。

鬼太郎アニメではさざえ鬼の回に登場するが、3期ではさざえ鬼の回以外にも鬼道衆や磯女の回で登場する。また5期ではさざえ鬼の回に人魚は登場しないが、後に準レギュラーとしてアマビエが登場。かわうそとの名コンビぶりが板に付いていた。

 

食べるより、食べられたい

『ゲゲゲの鬼太郎』第90話「アイドル伝説さざえ鬼」より先行カットが到着! 鬼太郎がアイドルデビュー!?の画像-8

©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

今回の物語に入る前に、各期のさざえ鬼について振り返る。鬼太郎を食べるというのは共通しているのだが、その目的や話の展開については微妙に差異があるからだ。

まず1期は原作通り鬼太郎を食ってより強い神通力を得ようとするのだが、目的は同胞が人間に食われたことに対する復讐であり、鬼太郎を食べた後にさざえの殻を集め、そこに人間を封じ込めて「人間のつぼ焼き」にして食べようとするオリジナル展開が待ち構えている。

3期はほぼ原作通りだが、動機だけが違う。鬼太郎を食べようとした動機は公害による海洋汚染で病気になってしまった身体を治すためという切実なものであり、それを知った鬼太郎は公害をまき散らす工場にもお灸をすえた。そういう経緯があるため、3期のさざえ鬼は後に鬼太郎の仲間妖怪として何度も鬼太郎のピンチに駆けつけている。

4期は話の展開も鬼太郎を食う動機もほぼ原作通り。ただ、300年間人間に食われず生き延びたせいか、生に対する執着が凄まじく、鬼太郎に退治されてもなおその執着が消えることはなかった。

5期になると粘液で相手の攻撃を無効化するオリジナルの技だけでなく、美食家で金持ちという設定が追加される。海底に豪邸があり、潜水・空中飛行が可能な船を所有しているなど、桁外れのリッチマン。美食の追求のため鬼太郎をリサーチし、猫娘を使って鬼太郎をおびき出そうとした(だから人魚は出てこない)。

 

復讐・病気治療・延命・美食探求…。各期によって異なる動機だが、今期では「食べられるために食べる」という前代未聞の動機が飛び出す。

食物連鎖の荒波を乗り越え、ようやく人間同様食物連鎖の頂点に君臨することが出来たさざえ鬼がまさか食われることを目的に鬼太郎を食うなんて、そんな展開どうやって予測出来るんだよ!!

 

で、なぜそんな突拍子もない動機になったかというと、回転寿司ではツブ貝やホタテなどの貝類が寿司ネタとして人気なのに対して、さざえは寿司ネタにすらしてもらえないという一種の「寿司ネタ差別」が原因。だから魅力ある食材としてアピールしようと鬼太郎に化けて鬼太郎をおびき出し、よりパワーアップすべく鬼太郎を食べようとしたのだ、というのがさざえ鬼の目的。

…ここにきて多様性という6期最大クラスのテーマが、こんな馬鹿馬鹿しい差別につながるとはね。なんつー思考回路だ。

 

この突拍子もない思考回路はさざえ鬼だけでなく人魚にもあったようで、かつて不老不死になる食材として崇め奉られた人魚が昨今の医療技術によって日の目を見なくなり、アイドル活動により復権を目指そうとするのも、だいぶぶっ飛んでる。

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

「いやいや、食べられなくなったんだから逆に万々歳じゃねーの?」と思うし、「そんな形で目立って食われたら元も子もないのでは?」と思うのだが、こういった思考回路になってしまうのは、さざえ鬼も人魚も消費されることで存在意義を見出すもの」たちだからかもしれない。

ここでいう「消費」が物理的なものなのか精神的なものなのか、そこまで深く追究する話ではないだろうが、アイドル活動をするのだから精神的にも「誰かのものになりたい」という願望はあるのだろう。アイドル活動って、言ってみたら「自分の魅力を切り売りする商売」みたいな所はあるからね。実績・業績を残して誰かの記憶に残すというよりは、自分そのものの血と肉を以て誰かの記憶に残したい、みたいな?そういう一面があると思うんだ。

 

タリホー的夢判断

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

さーて、もう今回の話を見た方ならわかるが、一連の事件は全て鬼太郎の脳内で起こったことであり、すべては。序盤と終盤のみ現実であったがあとは全くの空の空。だから上記で述べたような「消費されることで存在意義を見出す」云々も空虚な戯言になってしまうのかもしれない。

でもそんなことを言ったら妖怪だって本来実体がなく存在するかどうかも怪しい空虚なものでしょ?それを無理やり見ようとして形にしたり意味を見出そうとするのが面白いし、事実原作者の水木先生もそうやって様々な妖怪を形にしてきた。

そんな訳で、今回の突拍子もないこの展開に無理やり意味を見出してみようと思う。あくまでこれから書くのは私なりの「お遊びとしての回答」に過ぎないのであしからず。

 

※以下の夢判断はこちらのサイトを参考にさせていただきました。

dreamusic7.web.fc2.com

 

・鬼太郎の偽物が出てきてアイドルデビュー

【アイドルタレント】:自分が作り上げた価値あるもの、実際には価値がなくても自分にとっては重要なもの、自己の中にある無感覚な“死んだ”部分

【偽物】:騙された気持ち、本物が別にあると感じている状態、代役、まやかし、犠牲

【異性から逃げる】:愛や性に対する不安感

→鬼太郎の偽物(=もう一人の自分)がアイドルとして人気があるのは、無意識に自分自身の男性としてのセックスアピールを感知しているのかもしれない。でも意識的な自分はそういうものの扱いに慣れておらず、それが女性に対する素っ気なさとして出てしまうのだろう。現につい最近それを示すような話があったからね…。

tariho10281.hatenablog.com

 

・さざえ鬼と人魚による一連の騒動

さざえ≒【貝】:秘密、潜在能力、頑なで内気な心、心が傷付けられることを避けるための防御、今の自分のあり方を守ろうとする態度、沈黙

【人魚】:無意識な自己と覚醒している自己を深い力で結びつけるもの、女性らしさ男性らしさの無意識的イメージ

【偽物と向き合う】:人に自分の本音を知られたくない気持ち

【食べられる】:自らの衝動に呑み込まれてしまうこと、性衝動に負けそうな状態

 →さざえ鬼やら人魚やらが出て来たのは、単に生もので食中毒にあたった影響(海の連想)なのかもしれないが、もしかすると精神世界において閉ざされた自分の才能(セックスアピール)を現実世界でもフル活用させるべきなのか、それともやめておくべきなのか。そういう一種のせめぎ合いの具現化かもしれない。

あとは、ぬらりひょんが掲げる「妖怪の復権も夢物語の形成に影響していると思っている。さざえ鬼も人魚も自分たちの地位を取り返すべくアイドル活動をしているのだから、今回の夢物語はぬらりひょんとは別の方法で「妖怪の復権」を目論むものを描いたと言えるだろう。

 

・アイドルデビューの始末をつける羽目になる

→偽物の鬼太郎=さざえ鬼は「鬼太郎が隠しておきたい潜在能力」の象徴。それが退治され、その後始末を提言してきたのは鬼太郎自身ではなく、目玉おやじ猫娘といった外側からの圧力。実生活でも目玉おやじ猫娘は鬼太郎に対して恋愛的な焚き付けをこれまでに何度も行っているのだから、それに対する鬼太郎の苦悩がこの場面の意味ではないだろうか?

 

以上を総括すると、今回の夢は「鬼太郎が抱えるセックスアピールに対する葛藤の物語」と言えるのではないだろうか?

アイドル要素を抜けば展開はほぼ原作通りにもかかわらず、アイドル要素と夢オチによって奇妙にもこういう解釈が出来てしまうのだから、ホント面白いよね。

 

さいごに(雑感)

・今回の脚本を担当したのは野村祐一氏。去年の木の子回以来、実に9ヶ月ぶりの脚本回だ。

 もしかしたら6期の序盤で放送されていたかもしれないこの物語、お蔵入りで寝かしておいて正解だったと思う。物語としての積み重ねのない序盤でこんな話を出したらただのカオス回止まりだったし、上記の様な夢判断も出来なかった。

でもこうなってくると他にも「お蔵入り脚本」があるのかちょっと気になるな。DVDのブックレットとかで明かしてくれないだろうか。

 

・今回の物語を「鬼太郎らしくない」と思った方もいただろうが、題材を一つ一つとってみると水木作品にも同様の趣向があって、例えばねずみ男が鬼太郎を解体する場面は原作「赤舌」でも見られるし、妖怪を食材とするアイデアは「さざえ鬼」だけでなく「妖怪危機一髪」にもある。「妖怪危機一髪」はスゴイよ、妖怪がソーセージになってホットドッグとして売られるんだもの。

更に言えば今回の夢オチも前例があって鬼太郎の登場しない短編「マンモスフラワー」で見られる。ただしこちらの夢は貧乏人が抱える切実な夢物語だけどね。

 

子泣きじじいが登場したにもかかわらず一切言葉を発しなかった理由を夢判断的に解釈するなら、

子泣きじじい」→「石になる能力を持った妖怪」→「石=無機物」→「無機物は夢を見ない」→「無機物は夢に介入出来ない」→「子泣きじじいは夢の鬼太郎に話せない」

という具合に発想が移っていき、この物語が夢である伏線として一切言葉を発さない立ち位置になったのではないだろうか?

 

 

次回は2期の名作群の一つアンコールワットの亡霊」のリメイク。脚本を担当するのは勿論このお方。

奢侈淫佚な事件が洒落っ気溢れるMVに変わる「華やかな野獣」(シリーズ「横溝正史短編集Ⅱ」)

華やかな野獣 「金田一耕助」シリーズ (角川文庫)

奢侈淫佚(しゃしいんいつ)…ぜいたくにふけり、みだらな楽しみや遊興にふけるさま。

 

待ちに待った第二週目は「華やかな野獣」。原作本は手元になく、電子書籍もやっておらず、古書店巡りもしなかったので、今回に限っては原作未読で楽しませてもらった(物語のざっくりとした粗筋は事前にちょっとだけ調べたけど)。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「華やかな野獣」

神奈川の本牧にある臨海荘では、月に一回館の女主人高杉奈々子によって会員制のパーティーが催されていた。パーティーの参加者は広いホールで相手を見つけると、各々客室へと引き上げて情事に及ぶことが出来た。これは、違法行為や不正は許さないが、性の享楽には寛大であった奈々子が設けたルールであった。

そんな折、部屋から奈々子がなかなか出てこないことを不審に思った太田寅蔵(奈々子の父の元水先案内人)・葛城京子(奈々子の父の妾)が部屋を見に行くと、そこには殺された奈々子の死体があった…というのが物語の始まり。

 

とある目的でボーイとして潜入していた金田一が登場することと、死体と死体現場に残された様々な痕跡を辿って「情痴の犯罪」と思しき殺人事件の謎を解くのが本作の見所。

 

男装の麗人たちによる殺人喜劇

今回の演出は佐藤佐吉氏によるもの。前シーズンでは「殺人鬼」を、江戸川乱歩短編集では「心理試験」「何者」「お勢登場」を担当している。

これまでの映像作品を見ていて、佐藤氏の演出は人のいやらしさというか露悪的な面をビジュアル化するのが巧いなと思っていたが、今回の「華やかな野獣」においてもそういう人間の一面を描きながらも、ある時はコミカル、またある時は洒脱に、所によっては卑俗な味付けを以て謎解きミステリ以上の映像効果をあげている。

 

昭和歌謡を随所に流す演出は従来と同じだが、今回特に私が気になった演出は以下の通り。

金田一以外全て女性の役者陣。(男装の麗人あり)

②パーティーにおける参加者の鼻マスク。

③リピートされる言葉。

④踊る金田一と謎解きのMV的演出。

⑤情交の演出及び性的オブジェクトとしての風船。

 

①については物語の演出でいくらかはカモフラージュ出来るものの、男性を起用するとどうしても性的な描写がドギツくなってしまう可能性があったため、金田一以外の登場人物を全て女性にしたと思われる。流石に「女性からみた男性のいやらしさを表現するため」などという高尚な試みはなされていない…はず。

 

②は大体の人ならわかると思うが、性的営みは動物全てが行なうものであり、性的享楽にふけるパーティー動物たちの交尾も同然という一種の皮肉なのだろう。パーティー会場の一幕はちょっぴり「時計じかけのオレンジ」っぽさも感じた。

 

そして③について。個人的にこの演出はどう解釈したら良いのか悩む。単に尺稼ぎなのか、重要な部分だから強調の意味も込めてリピートを繰り返しているのか。あ、でも神尾警部補がダイイングメッセージの「トラ」の意味に気づく場面。あそこの金田一は可愛かったな。萌えポイントだよ。

 

④は本作最大の評価ポイント。俗的な犯行に至るまでの犯人の描写が軽妙洒脱なMVとして描かれている。人によって好みが分かれるかもしれないが、麻薬密輸の秘密を暴こうとする者が自分の間近で性への快楽に耽っていることに対する犯人の焦燥や怒りが殺人喜劇として描かれているのが面白いのだ。

「こちとら麻薬密輸の秘密がバレるかもしれないってのにあいつらは楽しくS〇Xなんかしやがって…!!」というデスパレートさは本来見るに堪えないもの。そういう醜悪さもMVにしてしまえば鑑賞に堪えうるものになるのだというのが、今回の収穫。

 

⑤は犯人が聞いた奈々子と白いセーターの男との情交場面のこと。過去に「百日紅の下にて」で食事風景のバックで乱舞する布団という独特の情交描写があったが、今回は歌の応酬によってそれが為されているのがポイント。猛々しい軍歌と喜びの歌、そしてアンミカさんの「モウレツにやっとるねぇ~」が強烈で、「百日紅の下にて」と比べると直接的で下品に思える所はあるが、これはこれで屈指の名場面だと思う。

 

謎解きに関しては最早言うまでもない。鮮やかな消去法による犯人当てになっているし、臨海荘の立地条件が犯人特定のロジックにつながっているのも面白かった。

 

※今回のテーマ曲「ひと夏の経験」、物語の始まりとして印象に残る曲なので紹介。他にもタイガーマスクのテーマとか「あざみの如く棘あれば」「涙のtake a chance」など耳に残る曲があるが、それは各自ググるなり近くの年配の紳士淑女に聞くなりして調べてみてね。

www.youtube.com

 

…と思ったら佐藤氏本人がドラマで使用した曲のタイトルを公開してくれたよ!!

 (2020.01.26追記)

 

 

さて、来週はいよいよ問題作犬神家の一族。最早短編でもない長編作を30分間でどう描くのか?前代未聞の試みは歴史的快挙となるか、はたまた歴史的愚挙となるか?

間宮祥太朗がミステリの世界にいる喜びを噛みしめる、「ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~」1話

過去に間宮さんが出演したミステリドラマ、私が覚えている限りだと放課後はミステリーとともに金田一少年の事件簿N」だけだったと思う。

「放課後~」の方は未見だからどういう役回りか詳しく知らないが、調べてみると不良青年で学校内の事件に巻き込まれたという様な役回りで、メインキャラという感じではなさそうだった。

そして「金田一~」の方は3・4話の「鬼火島殺人事件」のゲストキャラとして登場。一応事件の発端となる人物だから重要だといえば重要だが、いじめの末に自殺未遂を起こして植物人間状態の青年という役だったから、やや印象に残りにくい。

 

そんな訳だから、間宮さんが今回ミステリドラマに、しかも探偵の葉村晶と比肩する頭脳を持つキャラクターとして登場してくれたので、私、心が滾っている

 

原作ものの映像化だし書店にも原作本が置いてあったから予習に読もうかと思ったが、間宮さん演じる岡田警視はドラマオリジナルキャラクターだと知ったので、未読で視聴することにした。

現金な男だと思われるかもしれないが、オリキャラを入れる話は原作と展開が変わる故、事前に原作の情報を知っていて、もし原作の方が優れているとドラマが楽しめなくなるかな?と思ったのも理由の一つである。

 

(以下、ドラマのネタバレあり)

 

「トラブルメイカー」

1話は葉村の人物紹介と、彼女が不運な理由の一つである姉・珠洲がもたらした「顔の無い死体」が絡む事件となっている。

とはいえ、事件の謎解き自体は大したことなく、珠洲と生沢努の共謀による生沢メイ殺しで葉村が死体の役として選ばれた…というお話。別にミステリの玄人でなくても「珠洲が葉村に海外旅行を強要した」場面と努の態度から推理をはたらかせることは十分可能。

 

どっちかというと謎解きそのものよりも不運から逃れようと人生そのものを変えようとする珠洲の人物像が印象に残った。自分自身ろくでもない人間だとわかっており、大金と別の身分を以て「不運」から逃れようとする。あさましくも切実な犯行動機だ。

現代では身分詐称が難しいからリアリティに欠けるきらいはあるが、昭和のミステリ小説とかではよくある犯行動機であり、現に今回劇中で登場したパトリシア・ハイスミス太陽がいっぱいアラン・ドロン主演で映画化した)もそういう類の犯罪小説だ。

太陽がいっぱい (河出文庫)

生憎私はこの『太陽がいっぱい』を読んだことがないが、この小説の主人公であるトム・リプリーを紹介したミステリガイドブック『ミステリ国の人々』を読んでいたので、この小説が「自分の人生を憎み、他人の人生を羨む」という一種普遍的な人間感情を扱った小説だということは知っている。

ミステリ国の人々

 

今回の物語では珠洲二重の嫉妬が描かれている。一つは金を持つ生沢メイ、もう一つは葉村。前者は当然ながら後者に対する嫉妬は恐らく「葉村の自由な生き方」に対する嫉妬だろう。金と男を求めることしか出来ない珠洲にとって、職を転々としながら生きる葉村の姿は自由に映り、妬ましく思った。だからこそ、死体役に彼女をチョイスしたのだろう。ケバケバしい身なりで強引な所があるから共感は出来ないが、根底にある感情は誰もが抱きうるものだ。

 

書籍紹介

このドラマ、ミステリ小説専門の書店が舞台となっているため、私の知っている様々なミステリ小説が散見される。画面に映った小説を全部紹介したい所だが、そんなことをしていたらキリがないので、目立ったものだけ紹介する。(今後も紹介する予定)

 

アガサ・クリスティーミス・マープル」シリーズ

片田舎の老婦人、ミス・マープルを主人公としたシリーズ作品。劇中で葉村が読んでいた『牧師館の殺人』『スリーピング・マーダー』など、12の長編と20の短編がある。

ミス・マープル - Wikipedia

個人的なオススメは『ポケットにライ麦を』と『鏡は横にひび割れて』。ちなみに、今回の珠洲の犯行動機と同様の動機を持った犯人がこのシリーズで登場するので、気になる方は読んでみては如何?

 

P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』

女には向かない職業 女探偵コーデリア・グレイ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

大衆食堂の場面で岡田警視の側にあった数冊のミステリ小説のうちの一冊がコレ。新米の女性探偵コーデリア・グレイが主人公の探偵小説。自殺した探偵事務所のボスの仕事を受け継いだグレイは、青年の縊死の真相を調べてほしいという依頼を受け調査に乗り出すが、そのうち命の危険にさらされることになる…というストーリー。

実は私この小説を読んだことがなくて、上記のストーリーは『ミステリ国の人々』からの受け売り。個人的にハードボイルドものは敬遠していてどうしても謎解き・トリック重視のミステリばかり読む傾向があるので、まだまだ勉強不足だなと思わされる。

ところで、岡田警視は読んでいるだろうが、中の人となる間宮さんは読んだことがあるのかしら?まぁどっちにせよこれで間宮さんが関係する小説となった(こじつけだけど…)のでまた今度書店で買って読むか。

 

アガサ・クリスティー『忘られぬ死』

忘られぬ死 (クリスティー文庫)

岡田警視が書店で手に取った一冊がこちら。「過去の毒殺事件」の真相を暴くべく、事件関係者が集まり当時の再現を行おうとする物語…とだけ言っておこう。出来るだけ本作は前情報なしで読むのが良いからだ。まず読んで損はないよ、オススメ。

 

さいごに(雑感)

・生沢努を演じた村上淳さん、一昨年放送された悪魔が来りて笛を吹くで新宮利彦を演じていたのを見ているせいか、私の中で「クズキャラを演じる人」というレッテルが形成されつつある。

 

・今回間宮さんの役は「ミステリアスな警視」ということで、現時点では何故葉村と接触をしようとしたのか、その目的は不明で演技に関してもあれが正解なのかどうか評価出来ない。間宮さん本人も後々明かされる事実と乖離がないよう注意しながら演じている様なので注目していきたい。

 

・今回は「顔の無い死体」が出てくる事件なので、劇中でもそれを扱った小説が紹介されるかもしれないと思っていたが、全然そんなことはなかったね…。ミステリ小説マニアの客も出てくるから横溝正史の「黒猫亭事件」辺りワンチャン口の端にのぼると予想していたのだが。

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第89話「手の目の呪い」視聴

ワル妖怪 妖対法で 要逮捕

 …な~んて標語が生まれそうな情勢になって参りました。

 

手の目

ja.wikipedia.org

鳥山石燕画図百鬼夜行』や『百鬼夜行絵巻』に描かれたこの妖怪、一説には花札や賭博に関係した言葉を使って描かれた創作の妖怪だとされているが、藤沢美雄『岩手の妖怪物語』では岩手県に手の目が出没した話も残っており、それによると夜盗に殺され金品を奪われた盲人が、自分を殺した夜盗を探すため妖怪と化し、その怨恨と執念から手に目が生まれたと言われている。

また『諸国百物語』では手に目のある化け物が肝試しに来た男を食い殺し、皮だけ残して去って行った話があるが、こちらの化け物は顔にも目があるため、水木先生は「手の目かじり」という別の妖怪として描いた。

 

アニメでは1・3・5期に登場。一貫して悪党妖怪として描かれており、1期では原作通り人間の手を操って強盗をはたらかせ、大金を得ようとした。ちなみに、1期は一応子供が見ることに配慮したのか、原作における手首の切り落としや目潰しといったグロい要素はカットされている。

3期では32話と77話に登場。32話では原作「妖怪大裁判」と同様に検事側妖怪として登場するが、77話では入らずの山の奥にある神殿の水を守る妖怪として登場。ただし77話の原作は鬼太郎の登場しない短編「迷路」が元であり、本来は餓鬼と人間との攻防がメインの物語にオリジナル要素として手の目が挿入された形になっている。

5期ではメインで登場することはなく、天邪鬼と共に妖怪大裁判や地獄横断クイズで鬼太郎を抹殺しようと企む卑怯な悪党妖怪として描かれた。特に地獄横断クイズの回、閻魔大王のお膝下で鬼太郎を抹殺しようとする手の目・天邪鬼の馬鹿さ加減には呆れたものだ。バレないとでも思ったのかよ…。

 

あやつる者はあやつられる者

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

今期の手の目は原作「手の目」の設定に則ったもので、手を操る能力や自分の目玉を相手の眼窩に入れて幻覚を見せる術は原作と同じ。メインとして登場したのは3期以来で、原作「手の目」のアニメ化は1期に次いで二度目となった。

ちょっと話がそれるかもしれないが、ここで鬼太郎作品における手の目の印象について語りたい。

上述した原作・アニメでの立ち位置からもわかるように、手の目はあんまり悪党妖怪としての強キャラ感はない。見た目こそ不気味だが、やっていることは人を操って強盗殺人を犯させ大金をせしめようとする俗っぽい悪行だったり、大物妖怪(百々爺)の後ろについて鬼太郎を抹殺しようとする等、立ち位置にショボさを感じる。

3期の77話は例外なのかもしれないが、あの話における手の目は「人間の仕業で餓鬼と共に山奥に封印されてしまい、その結果神聖な泉が餓鬼に侵されないよう守る羽目になった」という不遇な立場の妖怪として描かれている。

手を操る設定にしても、後に登場するそれ以上の能力と強さをもった悪魔ブエルにインパクトをかっさらわれ影が薄くなった所があるため、総合的に不遇な立場に追いやられているのが、個人的な手の目に対する印象なのだ。

 

で、今期においても手の目の立場は不遇と言わざるを得ない。妖怪を合法的に排除する法律が成立しようとしているため、それを阻止すべく法律に関わる委員会の有識者たちの手を操って不審死に追いやる。妖怪の尊厳を守るためのテロ行為に尽力した手の目だが、結局はぬらりひょんの手駒であり、猫仙人同様ぬらりひょんマニフェストと革命行為をより正当化させるための「殉職者」として仕立て上げられることになった。

手を操る手の目は可視化された操縦者だが、実際の所は「見えざる手」によって操られた被操縦者であったという訳であり、その「見えざる手」とは言うまでもなくぬらりひょんを示している。また今期の手の目は「普段は人間に悪さをしない妖怪」という善寄りの妖怪に設定されており、それだけにぬらりひょんの操りの悪辣さが際立っている。

 

ぬらりひょんの「見えざる手」

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

ぬらりひょんの「見えざる手」は何も手の目だけに働いているとは限らない。劇中で寺がブルーライトでライトアップされる場面があったが、あれもぬらりひょんの「見えざる手」が作用したと思っている。あのブルーライトによって手の目の眼光がカモフラージュされ、鬼太郎の手を操るための隙を生み出すことになったのだが、寺をライトアップするための資金提供をしたのは間違いなくぬらりひょんだろうし、他の場所に鬼太郎が現れる可能性も考慮して、鬼太郎が来るだろうと予想される様々な寺社仏閣にブルーライトの仕掛けが用意されていたかもしれない

あくまでもこれは私の推測でしかないが、土転びを味方につけるだけのためにゴルフ場開発の実行と中止を画策したヤツだから、それくらいの大規模なことはやりかねない。

 

更にこの「見えざる手」について言及すると、手の目が「殉職者」になったのも勿論偶然ではなく必然の結果。手の目に自爆用の爆弾を提供したのは言うまでもないが、鬼太郎が手の目によってやられないために、助けとなる猫娘の手は操らないよう手の目を誘導していた可能性がある。ホントに鬼太郎を抹殺する目的があったならば猫娘の手も乗っ取るのが一番良いのにそうなっていないのだから、ここにも「見えざる手」が作用していたと考えるべきだろう。

 

いや~、どこまで操っているのかちょっと混乱しそうになるが、押さえるべきポイントは「法案が可決される前に如何にして妖怪に危機感を持たせて戦力要員を確保し煽動させるか」ではないだろうか?

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

法案が可決され人間側の対策が十全に整った段階で煽動しても戦力となる妖怪は人間に狩られてしまうのだから、法案可決には至らせず、なおかつ妖怪の危機感を煽る事件を起こすことが今回のぬらりひょんの計画だったと思う。その目標を達成するため「手の目の殉職」が演出され、妖怪を排除する法律が可決されようとしていること・対妖怪用の武器が開発されていることを妖怪にアピールした。一方人間側に対しても妖怪によるテロ行為とその恐怖を植え付け、対立を激化させる方向へと差し向けた。

ここまで対立を激化させるからには、妖怪復権後はその功労者として優位な地位にいたいのだろう。「支配が目的ではない」と言っているが、やはり支配者階級に祀り上げられることは十分見越しているはず。

 

「妖怪による不当な行為の防止等に関する法律」(妖対法)

1月に入ってEDテーマが変わり、そこに女性総理が映っていることから政府レベルでの激突が予想されると以前述べたが、今回早くも妖怪と人間の関係を悪化させる出来事となる「妖怪による不当な行為の防止等に関する法律」(以下「妖対法」を成立させようとする目論みが明らかとなった。

言うまでもなく「妖対法」は公平性に欠けた法案であり、人間を妖怪の脅威から守るという名目で「妖怪狩り」を行うことが合法的に許されることになり、妖怪が人間から不当な行為を受けたとしても人間側が罰を受けることはない、どう考えても妖怪にとって不利な法案なのだ。

この法案の背景には一昨年起こった狸軍団による政権の乗っ取りや昨年起こった黒坊主による水質汚染騒動が関係している。正直狸軍団の時点で動いておくべきだと思ったが、まだその頃は政権を奪われたことに対する責任問題を対処するのに精一杯だっただろうから、そこまで思い至らなかったのだろう。

1年目は妖怪がいるかどうか人によって認知度合いが違う世界だったが、2年目となると名無し騒動もあって妖怪が完全に社会的に認知された世界となり、当然妖怪が起こした騒動を国が無視するのは物語として不自然。だから「妖対法」を成立させようという動きが出るのは当たり前だが、これに関してもぬらりひょんの「見えざる手」が働いているのだよな。狸軍団は名無しが黒幕だからともかく、黒坊主に関してはぬらりひょんが黒幕だから、間接的に法案成立の後押しをしていたことになる。

手の目の騒動によって一旦白紙となった「妖対法」、女性総理がこのまま引き下がるとは思えないので、次はどのような手を使うのか注目したい。(というか、どうせぬらりひょんがまた間接的に動かすのだろうな…)

 

※他にはブリガドーン計画や名無しによる騒動、ダイダラボッチなども影響していると考えられる。玉藻前に関しては、表面上は妖怪が関係していると一般市民が察することは出来ないが、政府関係者はねずみ男が乗り込んできた事実を知っているので、薄々あれも妖怪の仕業だったのではないかと思っているだろう。

 

さいごに(雑感等)

・吸血鬼ラ・セーヌ回で原作通り鬼太郎の手首が動く展開がなかったから、今回も手首切り落としはないと思っていたらまさかの手首チョンパ。手首を切り落とすまでは許容範囲で釘付けはアウトということなのだろうか。

 

・原作「手の目」では、退治された手の目が事件の真犯人として警察に引き渡される。その際「おれは妖怪だから人間の法律なんかつうようしない」と口答えする。「妖対法」を阻止する殉職者として手の目が選ばれたのは、もしかすると原作のこの台詞が関係しているかもしれない。

あ、ちなみに原作は猫娘ではなく砂かけ婆が鬼太郎の相棒となって活躍する話だから、今回おばばが出なかったのは少し寂しかったかな。手首チョンパの役目があったから猫娘だったのかもしれないが、そこは砂塵扇辺りの道具でクリアしてほしかった。

 

・今回は割と感想を書くのに手こずったが、その原因はぬらりひょんがどこまで操っているのか、幾らでも推測の輪を広げようと思えば広げられる」点にある。妖怪だけでなく人間も動かせるから、どこまでが偶然の結果でどこまでがぬらりひょんが意図的に動かしているのかを見極めるのが難しい。もう色々疑っていて「名無しが誕生したのもぬらりひょんの仕業だったりして」とかヘンな方向に今疑惑が向かっている所です。タスケテ…オーバーヒートしちゃう…。

 

・今回「妖対法」反対派として登場した壬生陽子。最後に総理から危険人物としてマークされた、ということは後々鬼太郎の味方として動くキャラクターとして活躍するのだろうか?一応彼女の存在は覚えておこう。

 

・時に鬼太郎の味方になったり敵になったりするねずみ男のグレーな立ち位置ぬらりひょんの革命への煽動を一蹴する発言につながるのはカッコよかったよ。

 何の因果か今ちょうど他局でシロクロつけたがるパンダのドラマが放送されているから、今回のねずみ男の一言がよりアンチテーゼとして際立っているように感じた。(ドラマの方は演出がクソ寒そうだったので見てない)

 

 

さて来週はさざえ鬼。鬼太郎がアイドルデビューという、ここにきてまたカオスな回になりそうな予感。ネットの情報では「6期鬼太郎は3月で終わり」※というのがほぼ確定の情報として流れているが、ここで悠長に一話完結回をやっていて収拾がつくのか少し不安。まだ西洋妖怪の方も話が進んでないのに大丈夫なのか…?

 

3月で終了することが確定した。けど残り話数少ないのにベアード復活もやってぬらりひょんの話も決着させるんだよね?マジで収拾つくのかな…。

mantan-web.jp

(2020.01.21追記)

時代性を排除した「貸しボート十三号」(シリーズ「横溝正史短編集Ⅱ」)

貸しボート十三号 「金田一耕助」シリーズ (角川文庫)

シリーズ「横溝正史短編集」、前回放送されたのが2016年11月なのでその間約3年ちょっと。そしてその3年ちょっとの間にシリーズ「江戸川乱歩短編集」の方は第二・第三シーズンの話が放送されていたため、横溝クラスタの一人である私、「金田一の方はまだなのか」と何とももどかしい思いがあったのだが、この度ようやく第二シーズン放送!

待っていたぞ、きたなカワイイ(汚い+可愛い)池松金田一

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「貸しボート十三号」

第一週目は「貸しボート十三号」、事件の概要は以下の通り。

東京は浜離宮公園沖に漂う貸しボートの中に男女二人の死体が横たわっていた。それだけなら単純な心中事件として片付けられてしまうが、問題は死体の状況。男性の方は何故かパンツ姿の裸体で、心臓を刺されて殺されたにもかかわらず、頸部には紐で絞められた跡があった。反対に女性は衣服を着用しており、死因は頸部圧迫による窒息死(絞殺)、なのに心臓を一突きにされている

そして最大の謎は両者とも首が切断された途中で放棄された「半斬り」の状態になっていたこと。ちなみに女性は首の七分ほど、男性は三分ほどを切断された状態で放置されていた。

 

この「貸しボート十三号」は、金田一耕助シリーズ屈指のホワイダニットものであり、いくつもの「何故そうしたのか?」と思われる描写がいくつもある。

①犯人は何故男性の方を裸体にしたのか?もし犯人ではなく被害者自身が脱いだのなら、何故被害者は脱いだのか?

②どちらも同じ凶器で殺害しても良かったのに、何故犯人は男性を刺殺し、女性を絞殺したのか?

何故両方の被害者とも、「もう一度殺されている」のか?(死体の余計な損壊)

何故両方の被害者とも首斬りが中断されているのか?

 

ちなみに、「貸しボート十三号」は昭和32年に発表された作品だが、後に改稿版が発表されており、今回ドラマ化したのは改稿版の方である。原形版の方は金田一耕助の帰還』光文社文庫)で読むことが出来る。

金田一耕助の帰還―傑作推理小説 (光文社文庫)

原形版の方は事件の謎となる部分は改稿版と同じだが、改稿版で登場するX大学ボート部の部員はほとんど登場せず、謎解きも唐突で地の文による解説形式で進むため小説としてあまり面白いとは思わない。その分、改稿版ではボート部員それぞれの描写があり、同じ部員で被害者の駿河譲治との人間関係が克明に描かれている。そのため事件そのものはグロテスクにもかかわらず読後感は青春小説らしい爽快さに包まれているのが大きな特徴だろう。

 

時代性を排除した風景描写

既にシリーズ「横溝正史短編集」を承知の視聴者ならわかるが、このドラマは台詞・展開は原作通りだが、その分演出・衣裳に遊びがある趣向となっている。

今回「貸しボート十三号」の演出を担当したのは宇野丈良氏。前シーズンでは「黒蘭姫」を、「江戸川乱歩短編集」では「D坂の殺人事件」を担当している。

これまでは、昭和ミステリらしいオーソドックスな演出や飾りつけの印象があったが、今回は昭和らしい風景描写もなく、色合いも全体的にモノトーンで華やかさがない。

見ている当初はホワイトボードのある会議室や紙パックのジュースなどを見て、現代寄りにしている演出だと思ったが、終盤でボート部部員をはじめとする一同が集まった場面を見ると、どうも現代に寄せている感じもしない。現代寄りにするならもうちょっと部員たちの服装・髪型に多少の差異があっても良いのにみなピシッと統一されている。

この演出を一言で表現するならば「時代性の排除」とするのが相応しいと思う。昭和っぽくもなければ現代的でもない。完全な白黒映像でもないし、カラフルでもないモノトーンな画面というのも、昭和・平成・令和のどの時代にも属さない感じをより際立たせている。

 

でもこの原作における演出はこれで正解だと思う。というのも、世間一般に流布する横溝正史ミステリは「おどろおどろしい」とか「旧来の社会構造が生み出した悲劇」とか割とドロドロ要素強めで猟奇性が高いイメージを抱かれがちなのだが、「貸しボート十三号」は表層こそグロく見えるが、他のシリーズ作におけるエログロや猟奇性はない。そういう観点から私は「貸しボート十三号」は横溝正史が怪奇・猟奇的作風一辺倒のミステリ作家ではないことを証明する作品だと思っている。だから、映像で昭和性を出したり死体の猟奇性を強調することはこの作品に限ってそぐわない訳であり、故に「正解」と言いたいのだ。

 

あと今回の映像化で気づかされたこともあり、それが「死体の首が半斬りで放棄された理由」についてなのだが、作中では先に殺された女性と同じ状態にすることで両者とも同一の犯人によって殺害されたと見せかけるためだと説明されているけど、それならば両者とも首を完全に切断してしまうという選択もあったし、首を隠してしまえば一応は身元不明遺体として処理されるのだから、ボート部の名誉を守り駿河の罪業を隠すためにも、警察に色々詮索されたくないならそうすべきだったのではないだろうか?

でもその選択をとらなかった所に、残酷になりきれない犯人の心情が垣間見えてちょっと心を動かされるのだ。改稿版が手元にないから確かなことは言えないのだけれど、原作では「同朋の首を完全に切断するなんて、そんな惨いことは出来ない。それに丁重に供養されることなく、身元不明の死体として処理されるのも忍びない」といった犯人の心情は描かれていなかったように思う。あくまで両者とも同一の犯人によって殺害されたと見せかける目的で、やむなく同朋の首を半斬りにしたという程度の描写に留まっていたはずだ。

 

原作を始めて読んだのが5年程前のことで、その当時は上述したような犯人の心情までは推察出来ず、文面の情報を読み取るのみに終わったが、今回のドラマによってまた別の見方が出来た。そういう意味で今回は最高のドラマ化だったと評価したい。

 

 

次回は「華やかな野獣」。ただ原作未読なので今回のように新たな発見は得られない。純粋に話の面白さを当ブログで語れれば良いかと思う。