タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

時代性を排除した「貸しボート十三号」(シリーズ「横溝正史短編集Ⅱ」)

貸しボート十三号 「金田一耕助」シリーズ (角川文庫)

シリーズ「横溝正史短編集」、前回放送されたのが2016年11月なのでその間約3年ちょっと。そしてその3年ちょっとの間にシリーズ「江戸川乱歩短編集」の方は第二・第三シーズンの話が放送されていたため、横溝クラスタの一人である私、「金田一の方はまだなのか」と何とももどかしい思いがあったのだが、この度ようやく第二シーズン放送!

待っていたぞ、きたなカワイイ(汚い+可愛い)池松金田一

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「貸しボート十三号」

第一週目は「貸しボート十三号」、事件の概要は以下の通り。

東京は浜離宮公園沖に漂う貸しボートの中に男女二人の死体が横たわっていた。それだけなら単純な心中事件として片付けられてしまうが、問題は死体の状況。男性の方は何故かパンツ姿の裸体で、心臓を刺されて殺されたにもかかわらず、頸部には紐で絞められた跡があった。反対に女性は衣服を着用しており、死因は頸部圧迫による窒息死(絞殺)、なのに心臓を一突きにされている

そして最大の謎は両者とも首が切断された途中で放棄された「半斬り」の状態になっていたこと。ちなみに女性は首の七分ほど、男性は三分ほどを切断された状態で放置されていた。

 

この「貸しボート十三号」は、金田一耕助シリーズ屈指のホワイダニットものであり、いくつもの「何故そうしたのか?」と思われる描写がいくつもある。

①犯人は何故男性の方を裸体にしたのか?もし犯人ではなく被害者自身が脱いだのなら、何故被害者は脱いだのか?

②どちらも同じ凶器で殺害しても良かったのに、何故犯人は男性を刺殺し、女性を絞殺したのか?

何故両方の被害者とも、「もう一度殺されている」のか?(死体の余計な損壊)

何故両方の被害者とも首斬りが中断されているのか?

 

ちなみに、「貸しボート十三号」は昭和32年に発表された作品だが、後に改稿版が発表されており、今回ドラマ化したのは改稿版の方である。原形版の方は金田一耕助の帰還』光文社文庫)で読むことが出来る。

金田一耕助の帰還―傑作推理小説 (光文社文庫)

原形版の方は事件の謎となる部分は改稿版と同じだが、改稿版で登場するX大学ボート部の部員はほとんど登場せず、謎解きも唐突で地の文による解説形式で進むため小説としてあまり面白いとは思わない。その分、改稿版ではボート部員それぞれの描写があり、同じ部員で被害者の駿河譲治との人間関係が克明に描かれている。そのため事件そのものはグロテスクにもかかわらず読後感は青春小説らしい爽快さに包まれているのが大きな特徴だろう。

 

時代性を排除した風景描写

既にシリーズ「横溝正史短編集」を承知の視聴者ならわかるが、このドラマは台詞・展開は原作通りだが、その分演出・衣裳に遊びがある趣向となっている。

今回「貸しボート十三号」の演出を担当したのは宇野丈良氏。前シーズンでは「黒蘭姫」を、「江戸川乱歩短編集」では「D坂の殺人事件」を担当している。

これまでは、昭和ミステリらしいオーソドックスな演出や飾りつけの印象があったが、今回は昭和らしい風景描写もなく、色合いも全体的にモノトーンで華やかさがない。

見ている当初はホワイトボードのある会議室や紙パックのジュースなどを見て、現代寄りにしている演出だと思ったが、終盤でボート部部員をはじめとする一同が集まった場面を見ると、どうも現代に寄せている感じもしない。現代寄りにするならもうちょっと部員たちの服装・髪型に多少の差異があっても良いのにみなピシッと統一されている。

この演出を一言で表現するならば「時代性の排除」とするのが相応しいと思う。昭和っぽくもなければ現代的でもない。完全な白黒映像でもないし、カラフルでもないモノトーンな画面というのも、昭和・平成・令和のどの時代にも属さない感じをより際立たせている。

 

でもこの原作における演出はこれで正解だと思う。というのも、世間一般に流布する横溝正史ミステリは「おどろおどろしい」とか「旧来の社会構造が生み出した悲劇」とか割とドロドロ要素強めで猟奇性が高いイメージを抱かれがちなのだが、「貸しボート十三号」は表層こそグロく見えるが、他のシリーズ作におけるエログロや猟奇性はない。そういう観点から私は「貸しボート十三号」は横溝正史が怪奇・猟奇的作風一辺倒のミステリ作家ではないことを証明する作品だと思っている。だから、映像で昭和性を出したり死体の猟奇性を強調することはこの作品に限ってそぐわない訳であり、故に「正解」と言いたいのだ。

 

あと今回の映像化で気づかされたこともあり、それが「死体の首が半斬りで放棄された理由」についてなのだが、作中では先に殺された女性と同じ状態にすることで両者とも同一の犯人によって殺害されたと見せかけるためだと説明されているけど、それならば両者とも首を完全に切断してしまうという選択もあったし、首を隠してしまえば一応は身元不明遺体として処理されるのだから、ボート部の名誉を守り駿河の罪業を隠すためにも、警察に色々詮索されたくないならそうすべきだったのではないだろうか?

でもその選択をとらなかった所に、残酷になりきれない犯人の心情が垣間見えてちょっと心を動かされるのだ。改稿版が手元にないから確かなことは言えないのだけれど、原作では「同朋の首を完全に切断するなんて、そんな惨いことは出来ない。それに丁重に供養されることなく、身元不明の死体として処理されるのも忍びない」といった犯人の心情は描かれていなかったように思う。あくまで両者とも同一の犯人によって殺害されたと見せかける目的で、やむなく同朋の首を半斬りにしたという程度の描写に留まっていたはずだ。

 

原作を始めて読んだのが5年程前のことで、その当時は上述したような犯人の心情までは推察出来ず、文面の情報を読み取るのみに終わったが、今回のドラマによってまた別の見方が出来た。そういう意味で今回は最高のドラマ化だったと評価したい。

 

 

次回は「華やかな野獣」。ただ原作未読なので今回のように新たな発見は得られない。純粋に話の面白さを当ブログで語れれば良いかと思う。