どうも、タリホーです。
記事タイトルを見たらわかると思うんですが、もうホント今回ちょっとスルー出来ないくらい腹の立つことがあって、既に Twitter の方では色々と言ったのですが、一旦ここでまとめて私の思っていること・考えていることを話しておこうかと思います。
いつもは出来るだけ節度を持った感じで語っているつもりですが、今回はガチで怒っているので、乱暴な言葉遣いになるかもしれません。その点を理解していただいた上で読んでいただけると幸いです。
発端
何も知らない人のためにまず経緯を説明しておこう。
発端となったのは上に載せた水木プロダクションの原口尚子氏(水木先生の長女)と夫で代表取締役の原口智裕氏をインタビューした記事である。映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」のヒットに対して夫妻はどう思い、今後の展望についてどう考えているのか語った内容だが、インタビューで交わされたある発言に対して一部のファンが過剰反応し怒りや悲しみを示す事態になった。その問題となった箇所を抜粋する。
――映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(2023年11月17日公開)は興行収入27.8億円を超える大ヒット作品となりました。
智裕 映画制作の話は、TVアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』6期(2018〜2020年放映)の放送中に、東映アニメーションのプロデューサー(当時)の永富大地さんと雑談中に「6期が好評だから映画を作りたいですね」という話をしていたんですよ。もともと6期を作るときには、あまり子供向けにしないでほしいと要望しました。というのも、5期が未就学児から小学校低学年向けだったので、視聴者が限られていたんですよね。そこで、6期は子供だけでなく大人も楽しめるような作品にしてください、とお願いしたんです。その結果、妖怪をやっつけるだけの勧善懲悪ではなく、多少難解な社会問題などのテーマも扱える作品となり、大人も楽しめる内容にしていただきました。ですから映画の話が出たときにも、子供向けのアニメにしないでください、人間ドラマを作ってほしいとお願いをしたんですね。そういった、こちらの思いを汲んでいただいたうえで、永富さんががんばって東映アニメさんで企画を通してくれました。
(中略)
智裕 この映画以降、『ゲゲゲの鬼太郎』という作品に対する見方が変わった人も多かったんじゃないでしょうか。それまで『ゲゲゲの鬼太郎』といえば、子供向けのアニメでした。大人になってからわざわざ観るものとは思われていなかったはずです。それが『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』のおかげで、水木作品は子供向けだけのものではないことが、わかってもらえたんじゃないでしょうか。映画を観た方に、マンガの『鬼太郎』シリーズや『総員玉砕せよ!』(水木しげるの戦争体験に基づく戦記マンガ)にまで興味を持っていただけたのは、最大の成果だと思っています。
――妖怪の描写も、それまでのシリーズとは一線を画すものでした。
尚子 やはり妖怪は、気配で感じるものですからね。いままでの『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメに出てくる妖怪は、まるで怪獣のような、実体を持つ存在でした。しかし実際の妖怪は、昔の人が恐怖を感じたときに「ここになにかいるかもしれない」という気配で感じるものですから。今回の映画が大人向けである以上は、妖怪を実体のあるものとしては描かないでほしいとオーダーをしました。実体になってしまうと、勧善懲悪の妖怪退治アニメになってしまいますからね。
智裕 水木やゲゲ郎、龍賀一族などの本格的な人間ドラマを観ようとしたときに、急に実体の妖怪が出てきてバトルが始まると、大人の観客は興ざめしちゃうかもしれません。映画では禁忌の島で妖怪がガッツリと出てきたり、河童が出てきたりしますけど、そこにはあまり重きを置いていませんでしたよね。
尚子 実際の映像ではエフェクトや効果がかかって、ぼんやりとした存在として劇中に登場しています。水木の妖怪観を汲んでくれた妖怪描写になっていたと思います。
特に過剰反応されているポイントを赤色の下線で示したが、このインタビューを読んだ一部のファンが「5期を子供向け作品だとバカにしている」「鬼太郎は妖怪漫画なのに人間ドラマを重視して改悪した」という怒りの意見を示している。実際私も Twitter で確認したが、具体的にはこのようなコメントである。
《「子供向け」と言われたことに対するコメント》
「日本爆裂の4.2億に対してゲ謎が25.3億で6倍以上の興行収入なのはそうだけどよ…そうだけどよォ……ッ!視聴者層の子供切り捨ててそれでいいのかよアンタら……ッ!!」
「ぼくはね、大人向けでもいいんです。いいんですけど、大人向け=とりあえずエログロ入れときました~(笑)みたいなのが本当に無理。それだけで大人向け表現のつもりなのまじでちゃんちゃらおかしくない?奇を衒ってるつもりなのか原作の固定概念ぶっ壊しときました~(笑)も。生かす腕が無かっただけの間違いだろ…」
「ちょっと落ち着いたので言う。5期はリアタイ時にヤバかった大人の私の心を支えてくれた大恩あるアニメですが…それを公式が大人の鑑賞に耐えない幼稚な作品(超意訳)扱いするって何を考えているんですかね?児童文学も子供向けアニメも、大人の心により刺さってくる作品いくらでもあるでしょうに。」
「あの記事ほんまに、5期鬼太郎を低年齢層向けと一蹴した発言してるのマジで許さんからな そう言ってバカにして『大人向け(笑)』な作品作ってアホみたいな齟齬を生んで見てた人からしょーもない事で指摘される程度の面白さの作品産んでるんやろうが」
「「それまで『ゲゲゲの鬼太郎といえば、子供向けのアニメでした。大人になってからわざわざ観るものとは思われていなかったはずです。」
なんてひどい言い草 再燃してまた見直している人やずっと応援してくださっているファンの方々にも失礼では?」
「5期と6期が別の方針で作られてるって言いたかったのはわかる。でもそれを言うために『5期は子供向けで視聴者が限られていた。だから6期は子供向けにしないでとお願いした』って、5期を下げるように聞こえる言い方をしてほしくなかった。5期ファンじゃない人にはわからないのかもね。」
《妖怪より人間ドラマを優先したことに対するコメント》
「妖怪が気配なのは現実での話や 画の世界では血肉を持って活きててええんや…それができるのが鬼太郎なんやで」
「妖怪漫画の金字塔という大看板をそっちのけにして人間ドラマに傾倒したところでそのジャンルにだって老舗は山程あるわけだからな 何故持ち味を捨てるのか」
「妖怪漫画と言えば鬼太郎が挙げられるというだけで水木IPからしたら圧倒的アドで、かつそれを売りにしてけば良いのに、自らそのアドをゴミ箱にぶちこんで唾までかけてんのなんなんですかね?鬼太郎でヒトコワは求めてないんだよ。おばけは怖い、オバコワを求めてるんよ。」
《子供を排除する姿勢についてのコメント》
「インタビュー読みました。やはり図書館への原作本の寄付は間違ってなかったですね。小学校の図書室への寄贈も必要そう…今後も続けていきます。だってロードも記念館も展覧会も舞台も映画もネトフリもお金使わないと触れられないじゃないですか。水木作品には子供の頃に自然と出会って欲しいです。」
「子ども向けと妖怪を排すると言わんばかりの現水木プロインタビューを見て、水木先生没後の2016年に行われた第一回ゲゲゲ忌を思い出す。あの時は、鬼太郎や妖怪に触れて貰おうと、京極先生が主催して布田天神社の境内で無料アニメ上映会を開催してた。子どもも、大人も、立ち止まって夢中で見てた」
※アカウント名まで晒す必要はないのでこのような形で載せます。
以上のような意見を見たので、実際に私もインタビュー記事に目を通したけど、原口夫妻が5期や過去作を別にバカにしているとは思わなかったし、「5期が子供向け」という発言に関しては放送当時の周囲の反応とか当時のアニメ制作スタッフがどの視聴者層に向けて作ったのかを把握していたからそう言ったのかな?という感じである。当時発売されていたオモチャや任天堂のゲームソフトを見ても、基本的にはターゲットは子供にしぼっていた印象である。
正直私はこれまで鬼太郎を含む水木作品を愛する人々は水木作品に触れて水木先生の価値観や思想を胸に受け止め、水木先生と同様鬼太郎の映像化には寛容な心を持った方ばかりだという認識があったので、今回の一件でハッキリ言って怒りを覚えたし、情けないというか不甲斐ないというか、とにかく心が乱された。
あんまりこんな言葉を使いたくなかったが今回のインタビューを読んで怒っている人に関しては被害妄想レベルの曲解をしていると言いたくなったし、害悪とさえ感じてしまう。
6期の時も東映アニメーションの制作スタッフである大野木寛氏やプロデューサーの永富大地氏の不用意な発言・ツイートが炎上した事態があったが、まぁそれは相手方にも問題があるなと思いスルーしていた。しかし今回は水木プロの代表が叩かれるという事態だったので流石の私も黙っていられなかった。
これで怒っているファンはもうちょっと読解力を上げるべきだと思うぞ??これは相手の言葉が足りないから生じた誤解ではない。読み手の読解力の問題だ。
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月8日
ちょっとマジで腹が立ったわ。
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月8日
どこに「これから大人向きでやっていく」なんて書いてあるの?ゲ謎は大人向けの内容だからあまり妖怪がハッキリしすぎないよう気配を重視したって話でしょ?
勝手に曲解してキレるのマジでやめろ。ファンが供給元潰してどーすんだよ!!(# ゚Д゚)
あのインタビュー読んだけど別に5期を貶した訳じゃなくて、5期が子供向けにだいぶシフトしたから今度の6期は大人向けの社会問題を取り入れた作風にしたという、要は差別化を図っただけの話でしょ?
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月8日
何でそれで5期が貶されたってなるの?素直に読めよバカタレが。
向こうの事情を100%把握した訳でもないのに「こーいうこと言ったから」とか「去年はやっていたのに今年はやってない」という部分だけを見てアレコレ言うなよもう。名探偵でもないのにー。
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月8日
勿論、私も水木プロのこれまでの動向とかゲゲゲ忌とか全ての情報を把握していないから、もしかしたら今回ファンの間でこういう過剰反応が生じたのは、何かしら過去にそういう子供を排除して大人向けにするような動きがあったのかもしれない、という可能性は考えている。先ほど引用したファンの意見の中でも、過去に京極夏彦先生の主催でアニメの無料上映会があったらしいから、結果的に子供が見る機会を減らすことになったという指摘も頷ける。
とはいえ、水木プロも東映アニメーションも別にボランティアでアニメ制作をしている訳じゃないのだから、「お金がないと作品に触れられない」と文句を言うのは悪質なクレームも良いところである。向こうだって経営やら何やらで好き勝手にファンに大盤振る舞いが出来る訳でもないし、そういった会社側の事情も考えずに子供が作品に触れる機会を排除しているというのはどういう了見なのか?水木プロや東映アニメーションで働いていたり、経営状況を把握している訳でもないくせに。
水木しげるの作品を愛していただいている皆様へ https://t.co/G5uN14Wcjp pic.twitter.com/1SPBf3CJh5
— 株式会社水木プロダクション (@mizukipro) 2024年8月9日
後日、今回の一件を受けて水木プロは以上のような声明を出し、「子供」と「大人」という形で作品に優劣は付けていない旨を示した。
私はね、公式にこんな声明を出させる状況にまで追い詰めたファンが許せないし、この声明が出た後も「誤解されるようなことを言う方が悪い」とか「考え無しに好きな作品を貶されたこっちの身にもなってほしい」とか「『誤解されて残念です』っていうのが他責的で心象が宜しくない」とか、あくまでも私たちファンは被害者ですけど?という態度でね。
ハァー…。ちょっと叫ぶわ。
恥を知れ!(怒)
5期が大人を、6期が子供を完全に排除したとは思わない
5期が子供向け・6期が大人向けというのは「期」という大きな枠で見た場合においてはそういう印象だけど、別に5期にも大人もゾッとしたり感心するエピソードはあったし、6期にも子供に向けたメッセージ性のあるエピソードはあった。だから智裕氏のインタビュー発言だけを切り取って怒るのはどうかと思うし、「期」にこだわらず各エピソードに目を向ければ、どちらか一方が優れてもう一方が劣っているという曲解にまで至らないと思う。
そうやって一部のファンが過剰反応したのは、恐らく5期が打ち切りで終わったというコンプレックスの表れじゃないかと言いたい。勿論あくまでも私の偏見であることを承知で言わせてもらうが、5期が予定通り妖怪四十七士編を完結して、西洋妖怪や中国妖怪、そしてぬらりひょんファミリーとの決着まで描き切っていたら、たとえ「子供向け(笑)」と言われても、「いやいやこれだけの長大なエピソードを描き切ったのだから、放送当時それだけ人気だったんですよ~」と笑い飛ばせたと思うのだ。それが打ち切りに近いエンドで終わった上に、大人向けでダークな作風を重視した6期が映画を含めて話題になってしまった。そういう腹立たしさや納得のいかなさが今回このような形で噴出したというのが勝手ながら私の抱いた憶測である。
一応私も5期はリアタイ視聴していたので放送当時の印象を言わせてもらうと、少なくとも私が通っていた学校では5期を見ている人は本当に少数で話題になっていなかったし、やはりドラゴンボールとかワンピースとかが人気だったんだよね。だから5期世代の悔しさは私も経験しているし打ち切りエンドになったことも本当に残念だと思っている。
以前 YouTube で5期のエピソードが配信された際に再評価させてもらったが、放送当時は「萌えキャラ化してニワカオタクに迎合している」と感じたポイントも、こういう計算でキャラを設定したのかな?と好意的に見直す点も多かった。全体的には子供向けでオリジナルエピソードが多かったが子供だましのテイストではなかったと思うし、「死人つき」のリメイクや「陰摩羅鬼」「かわうそ」のエピソードなど、優れた回もあったことは間違いない。
では6期はどうだったかという点については最終回放送後にこちら(↑)の記事にざっとまとめたが、確かに従来の鬼太郎アニメと比べると鬼太郎と妖怪が戦う描写がかなり減っているし、妖怪が人間の心の闇だったり社会問題を描く媒体という扱われ方をしているというのも他の期にはない特色だ。
しかしだからと言って原作漫画を改悪しているとか、子供の需要を無視しているというネガティブな印象は抱いていない。1年目の夏に放送された妖怪学校の回や妖花のエピソード、牛鬼の回は子供も大人も楽しめる作品として充実したクオリティだったと思うし、境港を舞台にした海座頭や蟹坊主・魔猫に隠れ里の回なども水木先生の故郷に対するリスペクトがないと描けない作品だったと思う。
勿論制作側が伝えたいことが物語の中で反映されていなかった回もあったし、西洋妖怪編に関しては私は歴代の中で一番クオリティが低いと感じさせられた。でもこういった不満のある回は3期でも4期でも、そして5期でもあるし、特別6期だけが酷いとは思っていない。あくまでも6期の作風は他期との差別化を図ったからああなっただけだと思っているし、「5期がイマイチヒットしなかったから今度はダーク路線の大人向けでいくか」というそんな捻くれた考えであのようなテイストになったというのは流石に邪推が過ぎるのではないだろうか?(可能性がゼロだとは言わないけど…)
あと私が6期は原作をバカにしていないと論じる根拠があって、それが5期の20話・21話と関連してくるのだけど、5期ってアニメオリジナルのエピソードが多かった分、逆に原作があるエピソードをわざわざオリジナルエピソードに改変してた回もあったんだよね。特にそれが気になったのが20話と21話なのだが、「おどろおどろ」は特に水木作品らしいエピソードだったから、それを恋物語として改変するのはどうなのだろうってやはり納得いかない点はあったし、これ以外にも5期だと穴ぐら入道の回とかも改変としてはう~んって感じの内容だった。(針女の回はオリジナルだけど良かったね!)
で、その点6期は「石妖」「麻桶毛」「魔猫」「土転び(新編版)」といった原作でまだ映像化されていなかったエピソードもアレンジを加えて映像化していたし、「カモイ伝」など、よっぽどコアなオタクでない限り知らないエピソードもアレンジして映像化していたのだから、この点を無視して6期を批判している人は、ちょっと考えを改めて欲しいと言いたくなってしまう。
そもそも1期から6期まで、ここまで作風だったりテイストの違う鬼太郎作品が生まれたのは他ならぬ水木先生のおかげであると私は声高に主張したいのだ。
水木先生はどれだけアニメが原作から変わっていようと、それが面白ければ良いというスタンスの人だったと記憶しているし、そういうスタンスでいられたのには自分の作品(原作)が一番面白いという確固たる自信があったからである。アニメでどう描かれようと最終的に読者(視聴者)は原作が一番面白くてクオリティが高いとわかってくれるという自負があったからこそ、ウエンツ瑛士さん主演の実写映画も好意的に評価していたし、妖怪の映画やアニメが量産されることを喜ばしく思っていただろう。
(実際インタビューでも「鬼太郎のおかげで儲かった」とか言ってましたもの…w)
だからね、5期が良いとか6期が改悪だとか、そういう次元の低い争いを私はしてほしくないんですよ。6期が嫌いな人もいるかもしれないけど、ゲ謎の映画も含めてあれだけ思い切ったことがやれたのは、1~5期がそれぞれ全く異なる鬼太郎を生み出したという積み重ねも絶対にあると思うし、その点に関しては間違いなく5期も貢献しているのだ。たとえ6期が原作の作風と違っていたとしても、それが原作自体を蹂躙することにはならないし、大人向けの鬼太郎がヒットしたからと言って子供向けの鬼太郎作品が日陰に追いやられるなんて、それは杞憂だと思う。
私たちが今推している鬼太郎を始めとする水木作品はそんなことで斜陽化するような、そんなヤワな代物ではないし、何期であろうと今自分が推している作品は素晴らしいという自信と誇りを持ちなさい!
言わなくても良いだろうが、約50年にわたって何度もリメイクされるアニメなんて、世界広しと言えども「ゲゲゲの鬼太郎」くらいだし、同じ原作のエピソードでも期によって内容やテイストが違うなんて、他の漫画原作のアニメではなかなか出来ないことだよ?そういう柔軟性があるのが「ゲゲゲの鬼太郎」の良い所なのだから、そんな水木プロの代表個人の発言でキレる必要などないし、黙ってどっかりと構えていれば良いのだ。
妖怪を蔑ろにしてはいない
先ほど挙げた過剰反応しているファンの意見で、「鬼太郎は妖怪漫画なのに人間ドラマを優先している」という批判について述べようと思うが、6期やゲ謎は妖怪の描き方に対するアプローチの仕方が従来とは違うというだけの話であって、別に今までの描き方を智裕氏が間違っているとかバカにしているということではないと思う。ゲ謎のストーリーにおいて妖怪との戦闘がメインになると、軸となる物語にブレが生じてしまいそこで観る側の熱が冷めてしまうという話ではないだろうか?
鬼太郎対妖怪という構図はこれまでの劇場版で散々やり尽くしてきたから、今回の映画では妖怪を敵として描かず「気配」という形で随所に出現させ「妖怪は意識しないとその存在を掴めない」ということを演出で示したのは素晴らしい試みだったと評価している。それがカシャボや幽霊赤児という隠れ妖怪の存在であり、禁域の島の妖怪たちにしてもよ~く見ないとどういう妖怪なのかわからない個体もいた。否定派としては「妖怪の見事な姿をシルエットとしてぼかしたり隠したりするなんて悪手」だと言いたいのかもしれないし、ぶっちゃけて言うと私も禁域の島の妖怪は細かく描かれていたからもう少し明るくハッキリとした姿が見たいという欲があった。でも別にそれは大きな不満ではないし、ああいう演出が採用されたからと言って妖怪を蔑ろにされたと感じるのは違うような気がする。
この点に関してはゲ謎を妖怪映画として論じているこちらの動画(↑)を紹介しておくが、今回の映画って別に龍賀一族の引き立て役として妖怪がいるという訳ではないし、むしろ人間のエグさを描くことで相対的に妖怪がどういう存在なのかっていうことが、いちいち言葉にしなくても感覚で伝わるように作られた映画だったと思う。
特にそれを感じたのがゲゲ郎と水木が墓場で酒を酌み交わすシーンで、ここでは釣瓶火が照明として二人を照らしてくれているのだけど、あの場面は勿論ゲゲ郎と水木が腹を割って話すというエモさもある一方で、そんな二人のどちら側にも属さない釣瓶火が、ただ黙って二人を照らしてタバコの火をつけてくれるという、この描写に凄く私は癒やされたんだよ。
妖怪は牛鬼とか濡れ女みたいに危害を加えるものもいるけど、中には「ただそこにいるだけ」っていうタイプの妖怪も結構いて、こういうタイプの妖怪は「ゲゲゲの鬼太郎」という作品においてはあまり描かれていない。まぁ5期に登場した川男はそういうタイプだったから例外はあるにはあるが、基本は鬼太郎と対峙する、何らかのアクションを起こす妖怪がほとんどだ。しかし今回のゲ謎においては目立ったアクションをしたのは禁域の島の妖怪たちと河童くらいで、それ以外の妖怪は傍観者に近い。
でもそれが劇中でゲゲ郎が言っていた「妖怪は見えない(見ようとしない)だけでどこにでもいる」という言葉につながるのだ。人間に見えなくともそばに寄り添ったりその営みをどこかで眺めている。そんな水木をはじめとする人間が抱える孤独を癒やす「癒やしとしての妖怪」を描いた所を私は評価したいのだ。
なので「鬼太郎作品は妖怪をメインにしてナンボだろ」とか「人間の怖さより妖怪の怖さを描けよ」という意見を見ると、つくづく人間はエゴが強くて欲深いよな~と思う次第だ(私も一応人間ですけどね)。活躍せずともそこにいる。これもまた妖怪なのだ。
歴史的事実の継承としての「ゲ謎」
それに今回のゲ謎は話自体かなりエグいしPG12(12歳以下が観る場合保護者の同伴と助言・指導が必要)という年齢制限がついているけど、だからと言って子供を切り捨てたような作品だと言うのは大げさである。
これが単にエログロ要素を入れた露悪的な映画だったら、ここまでヒットしなかったと思うし、そんな作品だったら私も酷評している。今回の映画で描かれたことは第二次世界大戦における戦争の負の側面を描いた話という点に注目してもらいたいのだ。
表層は「犬神家」といった横溝正史作品のオマージュだけど、そこで描かれる龍賀の女の務めは従軍慰安婦という国家のためという大義名分のもと兵士に身体を捧げることになった女性たちにも通ずる要素だし、血液製剤「M」はヒロポンといった覚醒剤、その製造で行われた人体実験は731部隊のメタファーでもあると考えている。戦場で飲まず食わず眠らず働いていた不死身の軍隊というあの逸話も、戦時中の「月月火水木金金」という標語・軍歌が背景にあると考えて良いだろう。
で、こういった出来事って語り継がなければいけない歴史的事実なのに、学校の授業ではあまり深く掘り下げて教えてくれないし、ましてやアニメといった映像作品で描くとなるとかなり難しい題材だ。今回の映画があえて大人向けの作品となったのにはこういう事情があるからだと私は考えている。
子供に従軍慰安婦とか731部隊のことを伝えようとするとやはり直接的にそういう人々を劇中で描かないといけないし、具体的に説明しなければならない。しかしそれでは映画として面白くないし、説教臭いつまらない映画になってしまう。だからこそゲ謎では哭倉村の龍賀一族という限定された空間の中で起こった惨劇という物語の中にそういった歴史的事実を組み込むという工夫をしている。子供が観たら単に村人や龍賀一族が悲惨な殺され方をしているという風に見えてしまうけど、大人が見たらそこにちゃんと意味があると読み取れる作りになっているし、制作側もそれは伝わるはずだと思って作っていたと思う。そういうファンと作り手との信頼関係がないと、なかなかこんなセンシティブな作品は生み出せないよ。
そしてゲ謎は過去の悲惨な歴史を後世に語り継ぐことが希望につながるというテーマがあるから、本作を観た親世代の大人が子供に対して「実際に過去にはこういう出来事があってね…」と語ることが出来る作品になっている。そういう親子間のコミュニケーションツールとして、歴史の継承としての意義がこの「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」にはあったと言えるのだ。だから「大人向け」ではあるけれども「子供を無視した作品」では決してない!
さいごに
以上、色々と語ったし一部のファンに物申しているけれど、別に今回過剰反応して攻撃的な意見を述べたファンに対して、考えを改めて貰おうと思ってはいないし、相手の態度や考えを改めさせようとするというのは得てして傲慢になりがちなので、6期が嫌いなら嫌いで良いですし、今の水木プロのやり方が気に入らないならどうぞご勝手に、というのが正直な所です。あくまでも私は鬼太郎作品を、今回の映画をどう評価しているのかを語ったというだけの話なので。
別に水木プロのやることに盲信的になれとは言わないよ。でもね、私たちファンがしっかりしないと、ロクに内情を知らない外野が隙を突いてあることないこと喋ってジャンルを潰すことだってあるから、ファンが曲解でありもしないことを責めたら絶対に良くないの!
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月8日
でも、これから水木プロが挑もうとすること、そしてそれを応援する人の歩みを邪魔することだけは決して許さないし、私たちファンが6期や映画から鬼太郎作品に興味を持った人を否定するような空気を作ってはいけないと思っている。もしまたそういう事態になるようであれば、私はもっと厳しい言葉で非難するつもりだし、そのために議論を戦わせるだけの覚悟は出来ている。勿論、今回私が語ったことに対して異論・反論があれば全然してもらって構わないのでそこのところよろしく。
(追記:Twitter で述べた意見を以下にまとめておきます)
批判している人は大概主語がデカい。「水木作品は〜」とか「鬼太郎は〜」とか。
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月10日
水木先生没後にテイストを変えたからって「水木先生が死んだから作り手が好き放題やれるようになった」って感じになっててそこも悲しいわ。
鬼太郎が妖怪漫画なのは確かにそうだけど妖怪バトル漫画として固まったのは3期辺りで初期の「墓場の鬼太郎」の時はそんなに「ザ・妖怪!」って感じの話ではなかったと思うんだけどな〜。いずれにせよ自分の主観を水木作品の絶対的な定義として語らないでほしいわ。
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月10日
それに6期がああいうテイストになったのは、2期という前例もあったから思い切れた訳で、2期で水木先生の短編を鬼太郎物語としてリメイクしてなかったら、多分6期の内容も変わっていたのではないかと思う。
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月10日
水木作品を長年追っている私ですら水木先生の全作品を読めてないのに、何で古参のファンは勝手に水木作品をこうだと定義付けられるのか理解に苦しむ。そんな一つの枠で語れるお方ではないんだよ!
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月10日
少なくとも水木先生は自分が描いた作品の中でも妖怪と鬼太郎が特に儲かったなーという感じで、妖怪はこう描くべきだという主義主張は言ってなかったと思うけどね。
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月10日
皆が妖怪の存在に触れて心穏やかになれるならそれで良い。何なら私の懐にもカネが入るし、って感じ。
っていうか水木先生が妖怪漫画の大家なのは確かだけど貸本漫画時代から妖怪メインの漫画を描いてた訳じゃないし。結果的に妖怪と鬼太郎が戦うストーリーが受けてヒットしたから妖怪漫画の大家となったという感じで、好きなものなら海外の怪奇小説の翻案とかSFとかいろんなことに手を付けていたよ。
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月10日
で、水木プロとしてはこれだけ鬼太郎がヒットしたのだから、まだ世に出ていない(映像化されてない)短編や歴史長編といったものにも触れてほしいから色々やってるだけで、それを鬼太郎や妖怪をバカにしている、蔑ろにしているというのは余りにも浅はかな批判では?
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月10日
「鬼太郎以外の短編を世に出したいなら、わざわざ鬼太郎アニメに組み込むなよ!」と反論されると思うが、まぁそこは制作側もいきなり無名の短編を出すよりは鬼太郎とブレンドした方が見やすいという意向もあるのではないかと。少なくとも私は2期のおかげで「心配屋」や「地相眼」を知った人間なので。
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2024年8月10日