タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

舞台「台風23号」観劇レビュー(「何も解決しない物語」から何を読み取ったか?)

どうも、タリホーです。森田剛さんと間宮祥太朗さんがW主演をつとめる舞台「台風23号」を大阪で観て来たので、記憶が新鮮なうちに感想を残しておこうと思います。

 

森ノ宮での観劇は舞台「オリエント急行殺人事件」の時以来、約5年ぶりなので改めて大阪に来るとこんなにビルがひしめく都会だったのかと新鮮な気分になりました。天気はあいにくの雨でしたが、主演が男前なお二方ということもあって女性の観客が9割という感じで賑わってましたね。座席は前から2番目のB席でしたが、役者の方々の演技を間近で見られたのは良かったものの、視線が見上げる状態での観劇になったので、個人的にはもう少し後ろの方だったら良かったかな~と、そういったことを思いながら観ることになりました。

 

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2年前に間宮さんが出演していた舞台「ツダマンの世界」の時は本編の内容をうっすらと(途中で間宮さんが裸になるとかその程度ですが)知った状態での鑑賞でしたが、今回はほとんど前情報なしの鑑賞ということで、まずはネタバレなしで感想をレビューすることにして、それからネタバレありで劇中の細かい点に触れて感想を述べていこうと思います。

 

作品概要

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物語の舞台は静岡近辺の海辺の田舎町。10月になっても暑さは引かず人々が辟易とするなか、感染症の流行で中止になっていた花火大会が久しぶりに開催されようとしていた。しかし、テレビでは戦後最大級の台風がこの辺りを直撃すると報じており地元の市役所はその対応に追われていた。町ではペットの犬が毒殺される事件が相次いでおり、そんな町を覆う不穏な空気を知ってか知らずか、この地域の配達員は黙々と荷物を届けている。本作はそんな町で暮らし働く人々の姿を群像劇として描いたお話だ。

 

上に載せたゲネプロを見ればわかるように、今回の舞台は吉本新喜劇のセットを豪華にしたような感じの場所で物語が展開され、場面転換なしで日中と日没後の2パートに分けて、この町で起こった騒動を描いている。森田さん演じる配達員、間宮さん演じる介護ヘルパーの田辺を含めた9名の登場人物によって物語は展開されていき、徐々に登場人物が抱える問題や心の暗部が露わになっていくのが本作の舞台の特徴だ。

 

本作の脚本と演出を担当し、劇中で星野という役で登場する赤堀雅秋氏によると、今回の舞台は「市井に生きる人々と、その生活を描くドラマ」であり「普通に暮らす人々の間に起こる小さな軋轢、金や色恋、病気など誰もの身の上に降りかかる可能性のあることを、脚色を加えて劇的にすることなく、生々しく書き、積み重ねていくことだけに邁進した」と公演パンフレットに記されている。

実際本作では劇中で派手な事件が起こったり劇的に何かが変わるような展開はないため、一般的なテレビドラマや映画と違い物語にほとんど起伏がないのが今回の舞台の異質なポイントだ。この脚本に関しては後ほどネタバレありで詳しく感想を述べていくが、この起伏の無さは評価が分かれる所であり、人によっては「こんなことをわざわざ舞台でやる意味があるか?」とか「舞台劇なのに大したことが起こらず退屈だな」という感想を抱いた人も少なからずいたと思う。

 

物語の質としてはコミカルな部分もあるとはいえ基本は人間の普遍的な感情、それも比較的ネガティブなものを取り扱っている。ちょっとした会話の中にも他者への悪意が向けられていたり、笑い話として語られる下りもよく聞いていると何かしらの怒りが含まれていたりと、笑いどころはあるけれども、素直に「アハハ!」と笑えないような場面も結構あった。

そして本作では町の人たちが抱える問題や、やり場のない怒りが台風という災害と結び付けて描かれているのもポイントで、登場人物の一人はこの災害を「救い」としてどこかで期待している。果たして、この台風は町の人々にどのような影響をもたらしたのか。そこも本作を鑑賞する上で重要となるだろう。

 

(以下、舞台本編の内容についてネタバレあり)

 

何も解決しない物語

基本的に舞台に限らずフィクションというものは起承転結の流れで構成され、何だかんだあっても、最後は劇中の問題が解決したり、或いは大破局といった悲劇(バッドエンド)として幕を閉じるのがお決まりだ。

しかし、本作「台風23号」は劇中で明らかになった人々の問題・課題が一切解決することなく物語は幕を閉じる。誰も自分の心の暗部を克服して人として成長することもないし、物語の裏で起こっていたペットの毒殺事件も、それが殺人事件に発展する訳でもなければ犯人が捕まる訳でもない。最後、森田さん演じる配達員が荷物を渡して物語を終えたことから察するに、劇中の人々は再び「善良で職務に忠実な市民」を装って日常に戻ったはずだ。

 

本作の結末は当然ながら映画やテレビドラマでは成立しない。いや、映像作品として制作すること自体は可能だが、決して視聴者の心には届かない駄作となっていたであろう。これは舞台だからこそ成立する物語であり、役者の演技を生で見ないことには本作における登場人物の心の闇、行き場のない怒りはダイレクトに観客に届かない。

仮に届いたとしても、本作をエンターテイメントとして観に行った人からしたら、こんな生々しい人間心理を見せられて、それが何の解決もなく終わるというのはスッキリしないだろうし「お金を払ってまで見るようなテーマ・内容ではない」という否定的な意見が出たとしてもおかしくないと思っている。

 

しかし、それでも私は本作は秀逸な舞台劇だったと評価したい。私のような素人は舞台はエンタメ作品だから多少は何か問題が解決したり、或いは逆に惨劇という形で大波乱を起こして物語を閉じたくなってしまうが、脚本・演出を担当した赤堀氏は人間のリアルな心理描写、日常に生きる人々、今現在起こっている社会問題を描くことにこだわり、いたずらに「救い」となる展開を盛り込まなかった。これはなかなか勇気がいることだし、下手をすれば観客から不評の嵐だって飛びかねない退屈な作品になってしまう可能性だってあった。

本作に満足出来たのは脚本だけでなく、演者の9名がいずれも実力派の方々であり、この物語を大きく膨らますだけの演技を舞台上で発揮してくださったことも大いに貢献していると言って良いのではないだろうか?

 

「では、本作は演者の好演のおかげで見応えがある作品になっただけで、脚本自体はリアリティ重視の退屈な内容なのか?」と思った人もいるだろうが、実は脚本も細かく見ていくと感心するポイントがいくつかある。それをここからはより具体的に述べていきたい。

 

10円玉を巡る駆け引き

森田さん演じる配達員が市役所横の自販機で飲料水を買う下り、ここで間宮さん演じる田辺が小銭が足りない彼に10円を渡している。配達員はその10円を田辺に夜中に返すと約束をするが、この10円玉を巡る配達員と田辺とのやり取りは、一見するとしょぼいコメディパートのように見えて、その裏で思わぬ駆け引きがあったことに観劇後私は気づいた。

 

劇中の配達員は良くも悪くも愚直という言葉が似合う人物であり、舞台を何度も横切り、時には会話している二人の間を割り込むようにして宅配をするという仕事ぶりを観客に見せつける。舞台劇だから単にキャラクターを誇張しただけかもしれないが、個人的に彼は発達障害とか強迫性障害といった精神に何かしらの疾患を抱えている人物のように私には映った。変な所で融通がきかないし、たかが10円を何が何でも田辺に返そうとする様子を見ても、実際ああいう人がいたら煙たがられたり、避けられたりしそうだと思わず感じてしまう。

 

一方田辺は表面こそ献身的に佐藤B作さん演じる古川老人の介護を務め好青年として振る舞っているものの、ヘルパーという職業柄お年寄りから罵倒やイタズラの標的にされ、男前であることが災いして木村多江さん演じる古川の娘・智子から性的なアプローチをかけられる始末。しかも藤井隆さん演じる智子の旦那・秀樹はそれを黙認し、"妻のお世話"まで田辺に押し付けているのだから、本来の職務以上の重荷を背負わされていたことになる。そしてそのフラストレーションを後ろ暗い行為によって解消してしまうというのが彼の役どころだ。

 

この二人の情報を踏まえて例の10円玉のやり取りを見ていると、配達員にとっては単に自分の倫理的な価値観から田辺に10円を返しているだけの話なのだが、田辺には配達員にお金を渡すことが、ある種のマウント行為であると同時に一種の贖罪であったと考えられるのだ。

何故なら田辺にとって配達員は(職種は違えども)「客にコキ使われる職業の人間」という自分と同じ共通点があり、実際劇中で田辺は配達員に「お互い大変ですね」とその労をねぎらうような言葉を投げかけている。田辺がかける言葉、そして10円を渡すという行為の裏には「自分はこんな配達員よりもちょっとは気が利くしお金を貸せる人間なのですよ~」という感情があったと考えられる。まぁたかが10円渡した程度でそんな優越感に浸られても…と思う人がいるかもしれないが、田辺が裏でやっていたことを考えると、自分が善良な人間として振る舞い、困っている人に10円を渡すという徳を積むことで裏でやっていた悪行を償っているつもりだったのかもしれない。秀樹から「あの人の優しさは何か押しつけがましい所がある」と批判されていたことを見ても、自分が善良であると周囲に思われることで心の安寧を図っていた可能性はあると考えている。

 

そして、田辺が10円を返そうとする配達員の善意を必死に拒否していたのも、以上の彼の心理を考えれば納得がいく。贖罪のつもりで渡した10円が戻ってきたら贖罪にはならないし、配達員より優位な立場ではなくなるのだからね?

 

笑いの沸点が低いという絶望

病気の母親を案じて東京から田舎のスナックへと帰って来た伊原六花さん演じる娘の宏美も、本作で印象的な登場人物の一人だ。彼女自身はどこにでもいる20代の女性だけど、彼女が抱える人生に対する絶望は深く私の心に刺さったポイントだ。

宏美は東京へ行ったものの特に充実した生活は送っておらず、それに対して秋山菜津子さん演じる母親の雅美は結婚して身を固めるよう言う。そして娘のお見合い相手として駒木根隆介さん演じるこの町の警官がスナックを訪れる。劇中ではこの宏美と警官が他愛ない会話をするシーンがあり、警官はこの際「最近めちゃくちゃ面白かった出来事」を宏美に語って聞かせる。これがまぁ実にしょうもない話で、宏美はその話に呆れてしまうのだが、この何気ないワンシーンも深読みすると、警官が語った下らない笑い話から彼女は深い絶望を感じ取ったのではないかと思わされる。

 

警官が語った笑い話は一言でまとめると「服についていた金のボタンが実はカナブンだった」というそれだけの話で、そんな些細なことで驚きと笑いを得られるなんてあの警官は実に幸せな人だと、そう思った人もいただろう。しかし、裏を返せばこれは「そんなしょうもないレベルまで笑いの沸点を下げないと幸福は得られない」という風にも読み取れるシーンであり、劇中の宏美ももしかしたら彼の笑い話からそんなネガティブなものを感じたのではないかと思わずにはいられなかった。別にあの警官と結婚するつもりがなかったとしても、「ああ、ここまで幸せのハードルを下げないと私は幸福を得られないのだろうか…」という諦念を抱くには十分だったのかもしれない。

 

そして彼女が人生に対して絶望を覚えた原因の一つには母親の存在も大きいと思っている。母親は娘に「身を固めろ」と言って娘をある意味コントロールしようとしたけど、逆に娘の宏美が母にガンの手術のことを言った時はそれを拒絶し、「私はあなたを安心させるために生きている訳じゃない」と言い返している。自分は娘の人生をコントロールしようとしているのに、逆に自分の人生はコントロールされたくないと言うのだから実に身勝手だし、そんな母親が今真剣になっているのがよりにもよってパチンコという有様だから、彼女が母親に対して救いようがないという捨て鉢な感情を抱き、自分の人生にも絶望を覚えても無理はないと思うのだ。

もしここで母親が娘の言葉を受け入れガンの治療に専念するという選択肢をとっていたとしたら、娘は「母親を説得して病気を治す手助けをした」という自負が生まれ、親子関係も(一時的なもの、仮初めのものかもしれないが…)安定したものになっていたのではないだろうか?

 

愚直な配達員だけが知っている

配達員というのは、私たちの人生に深く関わることはないが、日常生活においてこれほど何度も顔を合わせる他人はそういない。特に宅配や郵便配達の人は担当する地域が決まっているため、普段の生活の中で顔なじみになったというケースも珍しくないだろう。そして、そういう他人は肉親よりも自分の本音・本性をさらけ出しやすい存在でもある。本作の舞台における配達員も、身勝手な客に振り回されたり、善良な市民を演じる者のマウントの対象として扱われたりと、彼らの本音や本性を知らず知らずのうちに吸収している役どころである。

 

そんな配達員と登場人物とのやり取りの中で、やはり終盤の古川老人との会話が一番感動的だった。というのも、この物語で古川老人が唯一自分の本音を話し、お互いの心を通わせたのがあの配達員だからだ。普段自分の身辺の世話をしている娘やヘルパーではなく、タバコのやり取りをしただけの配達員に彼は己の境遇と孤独、死のうと思っても死ねない辛さを打ち明けている。この場面はある種の真実を描いているというか、完全な他人にこそ本音を打ち明けられるということがわかったし、最初はまともに見えなかった配達員が実は一番の真人間だったというこの描き方も実に寓話的だ。

 

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本作における配達員と古川老人のやり取りを見て思い出したのが、「狼の眉毛」という昔話である。地方によってあらすじは違うものの、狼に喰われて死のうと思っていた老人が狼から眉毛をもらい、その眉毛を目にかざすと人の本性が見えるという点は共通している。この舞台の古川老人も肉体の衰弱によって死を願い、そこで人間の醜い一面を見た上で、真人間である配達員と出会えたというのは、やはり寓話的なものを感じずにはいられないポイントなのだ。

 

さいごに(人生に必要なのは気つけ薬

ということで舞台「台風23号」の感想は以上の通りだが、劇中(作中)で何も問題が解決しない物語というのは、別に本作だけではない。有名な所だとアガサ・クリスティ『春にして君を離れ』という長編小説が挙げられるし、松本清張「熱い空気」が原作となった市原悦子さん主演の家政婦は見た!」シリーズもそれに該当する。もう昔のドラマだから知らない人の方が多いだろうけど、「家政婦は見た!」って家や企業の秘密を暴く物語であって、その後その家族・企業がどうなるのかという部分を描かずに物語を終えているから、別に今回の舞台劇だけが異常なのではない。むしろ解決とか決着を描かないからこそ、人間のリアルな一面を物語に反映させることが出来るのかもしれない。

 

こうやって舞台の内容を深読みすると、森田さんと間宮さんをW主演という形にしたのも個人的には納得で、森田さんが演じた配達員は素晴らしいとはお世辞にも言えない人柄だけど、この舞台の中で一番希望を感じさせる光の仕事人とでも呼ぶべき存在だったと思っている。幼い息子のささやかな発見を我がことのように喜ぶあの場面だけでも「あ、この人の人生にはこの先明るい希望があるな」と思わせられたし、反対に間宮さん演じる田辺は表面は人の嫌がる介護職をして周囲から好人物として見られているけど、その内側にはどうしようもない怒りを抱えていて、そのフラストレーションを誤った方法で発散してしまった闇の仕事人という配達員とは真逆の存在だった。やはり間宮さんって腹に一物抱えた役どころがバチクソ似合う人なので、演技だとわかっていても最後にブチギレた所は内心ドキドキしながら見てました…ww。

ただ一応言っておくと田辺は別にサイコパスとか元々精神に欠陥・欠落があったというようなキャラクターではなく、ヘルパーという仕事によって他者の人生を押し付けられ、自分のプライベートな時間が徐々になくなっていき、その結果善良な人を演じることでしか自分の輪郭を保てない、ただ周りから良い人だと思われることが生き甲斐になっているという、そんな空虚さを感じる人物だったと私は分析した。

 

こうやって今回の舞台を深く読み取ることが出来たのは、実を言うと私自身の経験も少なからず関係しているので最後にそれについても少し語っておきたい。

もう数年前に亡くなったが私の母方の祖父も寝たきりになった際にヘルパーさんのお世話になったことがあるので、今回の介護に関する業界の苦労なんかも他人事ではないと思って見ていたし、私の母もヘルパーさんに自分の家の悪口を言い過ぎて辟易とさせてしまったと前に反省していた。それだけ介護の仕事は単に老人の世話をするだけではなく、下手をすればその家の暗部に関わってしまうようなしんどい仕事だと認識している。私もヘルパーさんを雇う前に祖父のおむつの処理とかトイレの付き添いといった手伝いを一時期していたことがあるから、それを日常業務としてやることが肉体的にも精神的にも辛いことは多少なりともわかっていると思っている。でも現実はそんな介護職の窮状が改善されるどころか、むしろ悪化している所だってあるのだから、それこそ今回の舞台で田辺が思ったように「何か大災害でも起きれば世話をしなくて良いのに」という破滅的・幼児退行的な衝動に駆られるのも、まぁ恐ろしいけど理解出来るんだよね。

 

で、ここで安直に「それでも人生には希望はあるよ!」って話になっていたら私の本作に対する評価はもっと低いものになっていたのだけど、そこを描かなかったのは賢明な判断だったし、そんなリアルな人間の生き様を描くことで何故今の日本は介護や労働といった問題を抱えていながら社会が崩壊せずギリギリの均衡を保っていられるのか、その理由の一端を私は見出せたような気がする。そのヒントが劇中で登場人物が何度もスパスパ吸っていたタバコである。

 

言うまでもなくタバコは身体にとって有害な物質だ。最近は禁煙や分煙といったマナーが広まったことで昔よりは喫煙者の数も減っている。それでも未だにタバコは働く人々のストレスを抑えるための嗜好品として幅をきかせているし、長期的に見たら身体に良いことなど何もないけど、だからと言ってタバコを完全に排除したら多くの人がストレスを抱えた状態で仕事をする羽目になる。たばこ税があることを見ても、たとえ有害であっても社会には必要な物品なのだ。

 

要は何が言いたいかというと、もう今の日本において希望だけでは社会を支えることは不可能になっているのではないか、タバコやジャンクフードといった一見すると身体に良くないものでも、それがある種の気つけ薬になるのであれば、その気つけ薬となるものをどれだけ持っているかがこの先の日本社会を生き抜く上で重要となるのではないかと私は言いたいのである。

先日の衆議院選挙の投票率を見てもわかるように、やはり私たちの中には政治・経済というものに諦めの感情を抱いている人がいるだろうし、今生きている世代が現状の問題を全て解決出来るとは正直思えない。そんな絶望に近い状況の中でどれだけ正気や理性を保っていられるか、この限られた生涯の中でそんな気つけ薬となるモノをどれだけ発見し確保出来るかが今を生きる日本人の課題なのではないだろうか?

 

一応この考えに至ったのには先ほどと同様私なりの経験が関係していて、それは5年程前に地方の中小企業で働いていた頃の話になる。当時私は会社の独身寮に住んでいて、徒歩で会社と独身寮を行き来するような単調な毎日だったのだけど、ある日上司にひどく怒られて凄く落ち込んでいた時に、「もう私の人生何もいいことがないな…」と思って、近くを流れていた川を見て「ここに落ちたら川底の石に頭をぶつけて楽に死ねるのだろうか」と、ついそんなことを考えるほど結構危うい精神状態だったんだよね。

そんな時に川の向こう岸の独身寮の入り口の前にトラックが一台停まっていて、それが宅配便のトラックだと気づいた時「あっ、そういや鬼太郎の漫画をネット注文してたんだ!」と思い出して、その品を代引きで受け取り部屋で開封してようやく「死にたい」という感情がおさまった。あの時の宅配便のトラックと注文した漫画のおかげで私は正気を取り戻したことを思うと、それが私にとっての気つけ薬だったのだな~と思ったし、今回の舞台における配達員を見ていると、彼は単に荷物を運ぶだけの仕事と思っているかもしれないが、そうやって真面目に仕事をしている姿がどこかで人の心の安定・支えになっているのかもしれないと、何かそんなことも考えてしまった。

 

そんな訳で、舞台「台風23号」は予想していた以上に私の心に刺さる作品でした。出演者をはじめとするこの舞台に関わった全ての人に感謝の意を表します。ありがとうございました!