タリホーです。私事ですが、先日28日に誕生日を迎えまして、ついに「クレヨンしんちゃん」の野原みさえと同じ年齢に到達しました。
ついこの間成人したと思っていたら、もう30代間近。早い人だったらもう配偶者もいて子供もいるかもしれないのに、私の方は特に大きな進展もなく仕事をしながら趣味に興じるという、そんな感じの生活です。
それはさておき、誕生日は予定していたアクマゲームの映画でも見ようと思っていたのだが、天気があまり良くなかったのと、最近残業続きで外出する気分じゃなく家でゆっくりしたかったので、アクマゲームの鑑賞&レビューは11月に延期することとして、今回は最近テレビで放送されたり、ネットで配信された映画を3本ほど見たので、その作品についてレビューしたいと思う。
(以下、映画本編の内容について一部ネタバレあり)
「ビートルジュース」(1988年)
今年続編の「ビートルジュース ビートルジュース」が公開されたことは知っていたが、その始まりとなる一作目は見たことが無かった。先日関西テレビの深夜枠でこの一作目が放送されていたので一応ティム・バートン作品が好きな者として録画し視聴した。
物語はニューイングランドの田舎町に住むメイトランド夫妻の不幸な事故死から始まる。橋から車ごと転落し死亡した夫妻は、自分が幽霊になったことに気づかず帰宅。家には死んで間もない死者のためのガイドブックが置かれていたり、家から出ようとすると異世界にとばされ巨大な縞模様のヘビの怪物に襲われそうになったりと、数々の異変に遭遇したことで夫妻はようやく幽霊になったことに気づく。
メイトランド夫妻亡き後、家は売られて新たにディーツ一家が引っ越して来たが、夫のチャールズは金もうけばかり考えており、妻のデリアは独りよがりな芸術作品を作る彫刻家、前妻の子であるリディアも喪服のように黒い服装ばかり着て陰気な性格という一癖も二癖もある一家の到来にメイトランド夫妻は困惑。しかも、あろうことかデリアはメイトランド夫妻の家を自分の趣味に合わせて大改築。これにメイトランド夫妻は憤慨し、彼らを脅かして家から追い出そうと画策する。しかし、霊感のないディーツ夫妻にはまるで効果がなく、メイトランド夫妻はガイドブックを頼りにあの世のケースワーカーであるジュノに相談すると、「ガイドブックをよく読んで脅かせ。あ、くれぐれもビートルジュースにだけは頼むなよ!」という旨の忠告を受ける。ビートルジュースは生きた人間を驚かせる(自称)バイオ・エクソシストであるが、同時にトラブルメーカーとしても有名だったのである。
ということで、第一作目の「ビートルジュース」は幽霊になったメイトランド夫妻の奮闘を描いた物語で、てっきりタイトルからビートルジュースが主人公だとばかり思っていたが、むしろビートルジュースは物語をひっかき回す道化役、或いはヴィラン役と言った方が良いだろう。
これまでティム・バートン監督作品はそれなりに見て来たつもりだったが、本作を見ると「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」や「チャーリーとチョコレート工場」がいかにマトモな作品だったのか、こんなムチャクチャな作品をよくもまぁ作ったものだなとある意味驚かされたわ。特にビートルジュースの日本語吹き替えを担当したのが、芸人の西川のりおさんということもあってか、劇中のビートルジュースの怒涛のしゃべくりには圧倒されたし、途中何を言っているのかわからないくらいのべつ幕なしに喋り倒すので、メイトランド夫妻の存在を喰う濃いキャラであったことは間違いない。
で、ティム・バートン監督ならではの独特なあの世の世界観やアクの強いビートルジュースなど、確かに映画として見所は沢山あるし、バナナ・ボートを踊るシーンは名場面だったから続編が生まれるだけのことはある作品だけど、一方で脚本に関してはかなり強引な筋運びというのが正直な感想で、例えば物語序盤のメイトランド夫妻が異世界の砂漠地帯にとばされるシーン。結局何故家から出ようとするとあの砂漠の異世界にとばされるのか劇中で一切説明がないし、最終的にハッピーエンドで着地したとはいえ、メイトランド夫妻とディーツ一家の和解がなし崩し的な感じで決着するので、論理的に見るとかなり消化不良を起こす作品だ。ビートルジュースが二つの家族の共通の敵になったから、というのはわかるんだけど、それで今までのことがチャラになってめでたしめでたしというのは流石に強引過ぎるような気がしたもの。
そういう訳で本作は長所と短所がハッキリしている分、好き嫌いが分かれるパクチーみたいな映画だったと私は思っている。しかし、少なくとも同じ監督の「ダーク・シャドウ」よりかは面白かった。「ダーク・シャドウ」は海外の連続ドラマが原作だったせいか、2時間程度の映画としてまとめると話は凡庸な展開で特別意外性はないし、カーペンターズ等の1970年代の楽曲が印象に残る作品ではあったが特別光るような目立った長所がなく、コメディ要素も薄味だった。その点「ビートルジュース」は良くも悪くもビートルジュースが暴れてくれるおかげで物語の展開が読みづらく、どのように結末が着地するのか予想出来なかった。そこは褒めても良いのではないだろうか?
「本陣殺人事件」(1975年)
中尾彬さん演じるジーンズ姿の金田一耕助でお馴染みの映画版「本陣殺人事件」は先日のBS松竹東急で放送されていたのを録画し視聴した。「本陣殺人事件」はテレビドラマだと1977年の横溝正史シリーズ、1983年の2時間ドラマ版(どちらも古谷一行さん主演)、1992年の2時間ドラマ版(片岡鶴太郎さん主演)を視聴しており、片岡版については以前当ブログでレビュー済みなので詳しくは該当記事(↓)を参照してもらいたい。
「本陣殺人事件」は1947年に「三本指の男」というタイトルで初めて映画化されたが、事件だけでなく探偵の金田一もかなり原作の設定から大きく変えているらしい。あいにく1947年の映画は未見なので詳しいことは言えないけど、本作で中尾さんが演じた金田一は見た目こそジーンズ姿で洋装ではあるが、性格等の基本的な部分は原作の金田一とさほど変わっていない。金田一を洋装にしたのは恐らく劇中の事件が映画公開と同じ1970年代に起こった事件として改変したから、という程度の理由だろう。
ストーリーは今更書くまでもないので省略させてもらうが、ドラマ版よりも原作準拠な内容で少し驚いた。1970年代の事件なので連絡手段が電報から電話になっていたり、飯屋が駄菓子屋になっていたり、厳密には原作と違う部分もあるけど、話の流れや犯人の動機は原作にかなり忠実に作られている。
ドラマでは原作の犯行動機が常人にはやや理解しがたいということもあってか、犯行動機を補強する追加要素があるのに、本作ではその犯行動機をいじることなく真正面から描いている。そんな犯人を含む一柳家の人々の病的な部分をこの映画では存分に描いているのがこの作品の評価ポイントである。鈴子は原作でも病を抱えた女性として描かれているから映画でも病的な人物として描くのは当然だけど、いとこの良介もよく見るとチック症なのか顔の表情を何度もひきつらせるようにしかめていたし、三郎も家族との関係に精神的な歪みを感じさせるキャラだった。この辺りはネタバレになるので詳しくは述べないが、三郎がとある人物と嬉々として握手していたシーンは正直ドン引きしたな。「これから〇〇する人に何でそんな嬉しそうに握手出来るの…?」って思ったもの。
そういう訳で映画版「本陣」は間違いなく原作の映像化としてはクオリティの高い一作なのだが、あえて一つケチをつけさせてもらうと、エンタメ映画として見るとかなり退屈な仕上がりになっていたと感じた。全体的に静寂な空気を漂わせる演出を取り入れているため、物語として盛り上がりや派手な展開もなく、探偵である金田一の大活躍が見られる訳でもないので、私みたいに横溝正史の原作や映像作品を色々と見て来たミステリオタクならば「フムフム、これはなかなか良く出来た作品だね」って評価出来るけど、ミステリにさほど興味のない観客には長く退屈に感じるかもしれない。特に劇場の暗い空間で見ていたら眠くなる人がいてもおかしくはない。本作と市川崑監督の「犬神家の一族」を比べれば、いかに「犬神家」がエンタメ作品として観客を楽しませつつミステリ映画としても質の高い脚本・演出であったか一目瞭然だ。
なので、個人的にはミステリ初心者には本作の映画版「本陣」はおススメ出来ない。おススメするならば、古谷一行さん主演の2時間ドラマ版が丁度良いだろう。(横溝正史シリーズ版は2時間以上あるし、片岡版は原作と別物レベルで改変しまくっているから…)
「妖怪大戦争」(1968年)
1968年版の大映製作による「妖怪大戦争」は YouTube の角川シネマコレクションチャンネルで配信されていたのを見た。配信は11月8日の20時までなので、気になる方は出来るだけ早く見ることをおススメする。
2005年の「妖怪大戦争」は今年の春にレビューしたので、今回はその元祖となる1968年版を見ることが出来たのは嬉しい限りだが、先に言っておくと私は1968年版「妖怪大戦争」はあまり面白いと思わなかった。その理由はこれから詳しく述べるが、まずは簡単にあらすじを説明しておく。
舞台は1751年の江戸時代、古代バビロニアの遺跡に封印されていた吸血妖怪ダイモンが、墓荒らしの仕業によって4000年の眠りから目覚めてしまう。ダイモンは海を渡り日本の伊豆へ降り立ち、たまたま浜辺を見回っていた代官の磯部兵庫の血を吸って殺してしまう。ダイモンは磯部に乗り移って彼に成りすまし、屋敷の神棚や仏壇を破壊してまわる。突然の主の豹変に家来や代官の娘・千絵は驚き戸惑うが、ダイモンは更に家来の一人を殺して憑依することで磯部家を掌握。更に大勢の人間の血を吸うために、使用人の女性を呼びつけ殺したり、家来をつかわせて領地の娘や子供を呼びよせ、逆らう者は処刑するといった暴虐の限りを尽くし始める。
主人の悪行を妖怪変化の仕業だと見抜いた家来の一人、川野左平次は叔父で修験者の大日坊に相談し、彼の助言のもと左平次は怨敵退散の仕込みを行い、大日坊も護摩焚きによる祈祷でダイモンを退治しようとするが、ダイモンの魔力にはかなわず大日坊は殺害されてしまう。
一方、左平次だけではなく屋敷の庭池に住んでいた河童も、主の異変とその正体に気づき、自分の縄張りに入って来たダイモンに勝負を持ちかけるがあっけなく返り討ちに遭い、河童は仲間妖怪の助けを得るべく近所の廃寺へと向かう…。
以上が映画の前半部分のあらすじで、後半は油すましやろくろ首といった仲間妖怪たちも加わってダイモンとの激しい戦いが描かれるのだが、「妖怪大戦争」というタイトルの割には戦争と呼べるようなシーンは正味終盤の10分程度しかなく、本作が約80分の作品だと考えれば、ハッキリ言って映画のタイトルと内容が釣り合っているとは到底思えない。まだ終盤の大激闘以外にも妖怪たちがダイモンと互角に渡り合っていたなら見応えがあったのだけど、基本的に日本妖怪はダイモンにやられっぱなしで不甲斐ないし、(経緯は省くが)途中で壺に封印されて脱出出来なくなるという間抜けなことになっているから、日本妖怪も確かに頑張っていたけど、正直人間である左平次の方が健闘してたんじゃね?って思ったくらい。
そう思ったのは物語の構成も大きく関係している。前半40分は人間を中心とした物語で、後半40分のうち30分は日本妖怪も頑張ってはいたけど、大きくダイモンに致命傷を与えたのは左平次だし、壺に封印された妖怪たちを助けたのは千絵だから、やはり全体的に見ると日本妖怪が大活躍した映画とは言えない構成なのだ。
それに80分という限られた尺しかないのに、何か展開がモッサリしているのも気に入らないんだよね。これは「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を見ているだけに余計思ってしまう不満ポイントなのだが、ゲ謎が約105分であれだけ濃い物語を描いていたのを見ると、本作は「ここはそんなに尺を取らなくても良いでしょ!」って感じたシーンがいくつもある。序盤だと磯部兵庫がダイモンに襲われ刀を振り回すシーンはもう少し短くしても良かったんじゃないかな~と思うし、中盤で日本妖怪たちが屋敷に潜入するシーンだったかな、あの門番二人のやり取りも本作のコメディパートとはいえ正直あってもなくても問題ないシーンだったから、凄く間延びした展開で「次はどうなるのかな?」というワクワク感に乏しい。
このモッサリとした展開は特撮の技術が発展途上というのも影響しているだろう。公開当時はなかなかの映像技術だったのかもしれないが、今のキレッキレのアクションシーンを見ている人間としては、本作のアクション要素はキレが悪いし見応えもあまりないんだよね。ろくろ首がダイモンの身体に巻き付くシーンも身体にまとわりついてるだけでギュウギュウに締め上げているように見えなかったから、そういうヌルいアクションも本作の評価を下げたポイントだ。(ダイモンの持っていた杖?がジャキーンと大きくなる、あの演出はカッコ良くて好きだけどね?)
そして何より一番の不満ポイントは妖怪の見せ方がなってない!これに尽きる。
一番の見せ場である終盤のダイモンとの戦争シーンは大勢の日本妖怪が登場するのだけど、背景が黒一色でそこに半透明で大勢の妖怪たちを映すものだから、妖怪の一体一体が際立っておらず「ただ妖怪がうじゃうじゃいる画面」にしかなっていないのが凄く勿体ない。元々日本の妖怪は色味が地味だから黒い背景とか暗い画面だとイマイチパッとしないからこそ、見せ方や照明の当て方には工夫が必要なのに、個人的に本作からはそういった工夫が感じられなかった。
同年の春に公開された「妖怪百物語」はその点妖怪の一体一体がちゃんと印象に残る作品だったし、妖怪の怖さと面白さを味わえる秀作だったから、尚更本作の妖怪の見せ方には不満が残るのである。最後の妖怪たちが行列を成して帰って行くシーンも「妖怪百物語」の方がそれぞれの妖怪の姿がわかるカットになっていたし、ぬらりひょんが行列の最後を扇子をあおぎながらゆったりと歩くのが印象的だった。
ウィキペディアの情報によると、本作は「妖怪百物語」が予想外の好評だったことから大映京都撮影所によって制作され、同年の冬に公開されたらしい。10ヶ月にも満たない期間で制作されたことを考慮すれば、よく出来た作品と言えるのかもしれないが、それでも前作を超える秀作・傑作だったかと言われると正直そうは思わない。一応 YouTube のコメント欄も見てみたがほとんど好評の意見が多かったから、単純に映画作品に対する私の目が肥えてしまったのか、めんどくさい妖怪オタクになってしまっただけなのか、はたまた好評の意見は視聴者の思い出補正によるものなのか。いずれにせよ気になる方は是非この機会に見てみてはいかがだろうか?(おススメはしないけど)