タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

醸成される学校の悪夢【ダークギャザリング #23】

学校の教科で好きだったのは国語・社会(主に歴史)・図工で、嫌いだったのは体育・数学・英語でした。

 

学校の怪談 / 鬼ごっこ

旧I水門の少年霊を無事捕縛した夜宵は帰宅、テレビの報道で愛依が空亡と神の戦いによって引き起こされた新幹線の脱線事故に巻き込まれていることを知り、彼女の安否確認のため京都へ行こうとするがGW明けに学校を休むわけにもいかず、夜宵は何とか学校を休校にする手段を模索しようとするが…。

 

ということで今回は夜宵が通う小学校・鴇勾台小学校を舞台にした学校の怪談がテーマの物語。これまで描かれた夜宵の人間関係は螢太朗と詠子といった身内に近い関係性ばかりだったので、今回ようやく社会的なつながり、要は学校内での人間関係が描かれたというのは新鮮味があった。

事故で両親を喪ったという家庭の事情もあってか、クラスメイトも夜宵のことを気にかけているみたいだし、あのガキ大将的存在の権田という男の子もお化けを信じてる夜宵をバカにしているようで、実は両親を喪ったことに対する悲しみを引きずらないようわざと喧嘩を売ったりちょっかいをかけている感じがしたので、何だかんだ夜宵は恵まれた人間関係を築けているみたいで思わず保護者目線で眺めちゃったな。

 

そんな良好な学園生活の裏では、なり代わり陣営の一人であるドロシーが学校内でとある悪霊を醸成させており、今回その悪霊が夜宵だけでなく学校全体に霊障を及ぼすという大事件に発展する。今回はその原因となった先生の悪霊について読み解いていこうと思うが、その前に軽く学校の怪談について触れておきたい。

学校の怪談(1) (講談社KK文庫)  学校の怪談

学校の怪談」は学校とその周辺地域を舞台にした怪談話の総称で、1990年代の第二次オカルトブームによって爆発的にその認知度を広める。子供による口承文化として広まった学校の怪談は1995年に初めて映画化され、それから1999年まで毎年新作映画が公開されるほどの人気コンテンツだった。

 

2000年代に入ると人気は少しずつ沈静化していき、それ以降はネット上の都市伝説や怪異がヒットしていくのだけど、個人的に2000年代以降の学校の怪談テーマの作品で印象的だったのが2000年の10月から放送されたアニメ「学校の怪談

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このアニメは学校に潜む悪いお化けや裏山の開発によって封印が解かれた怪異・悪霊の類を宮ノ下さつきを筆頭とする小学生たちが霊眠(要は封印)させていくというストーリーなのだけど、この作品は非力な小学生が得体の知れない怪異に立ち向かうという点が魅力的であり、なかなかスリリングだよ。

子供向けのアニメとはいえ結構しっかり怖いエピソードもあって、特に「ババサレ」「闇目」のエピソードは大人になった今でも怖いな~と思う。勿論、単に怖い話ばかりではなく感動的なエピソードもあって、物語としてクオリティの高い作品だという評価は今も変わりない。

 

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あと2009年に放送された「怪談レストラン」も子供向けのホラーアニメとしてなかなか良かったなと思う。こちらは学校の怪談だけでなく昔話や海外の怪談も扱っているので怪談としての守備範囲はより一層広くなっており、その分前述したアニメ「学校の怪談」と比べると怖さはだいぶマイルド路線だけど、話にバリエーションがあって純粋に楽しいアニメ作品だったなと思う。また新作でなくても良いから再放送してくれるといいんだけどね。

 

先生にとっての悪夢

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

先生の悪霊によって昏睡状態に陥った生徒たちは、その夢の中で悪霊に追いかけ回され見つかればカラスに身体をついばまれて殺されるという文字通りの悪夢を味わうことになるが、もう既に本編を見た方ならご存じの通り、今回は単に生徒たちの悪夢を描いたエピソードではない。むしろ重要なのは悪霊となった先生側から描かれた悪夢の方である

 

生前の先生は自分が受け持つクラスの生徒からいじめを受けており、女子生徒の悪だくみによって盗撮の濡れ衣を着せられ、妻にも見放されて誹謗中傷の的となり、犯罪者としてテレビに晒された結果、無残な自殺を遂げた実に哀れな被害者の霊である。※1

基本的に学校の先生が加害者として生徒に体罰を与えたり、性的な犯罪行為によって警察に捕まったという事件はニュースで度々取り沙汰されているけど、逆に先生が被害者となったケースも実際にある。その代表的なケースが2003年に福岡市で起こった「教師によるいじめ」事件だ。

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この事件は当初学校の先生が生徒を差別するような発言をしたり、自殺の強要や虐待行為を行っていたと大々的にニュースで実名報道されたが、いざ裁判が始まると原告側の生徒や両親の発言に虚偽の内容があったことが判明し、10年間にわたる裁判の末「教師によるいじめの事実は認められない」と判決が下り、先生の懲戒処分は取り消されたという。

 

でっちあげ (新潮文庫)

事件の詳細は福田ますみ『でっちあげ ー福岡「殺人教師」事件の真相』に記されているので興味のある方は是非読んでもらいたいが、この事件について知らなくても学校という閉ざされた環境下では本当の犯罪だけでなく冤罪も容易に生まれるのではないか?と薄々感じている人も多いと思う。いじめに限らず生徒同士の喧嘩とかも先生が内々で解決しようとするし、そこに第三者による客観的な調査が(よっぽどのことがない限りは)入って来ないから、学校という場は良いことも育まれる一方、今回の物語のように悪いことも芽吹いて成長する温床になるというのは、もう明白な事実として断言しても良いんじゃないかなと思うくらいだ。

 

私たちは学生生活を経験しているから生徒目線で「あの時の〇〇先生は厳しかった」とか「□□先生に叩かれた」といった、先生を主体とした学校の悪夢を語りがちだけど、じゃあ先生は学校で好き放題やれているかというとそんなことは全然ない。一つのクラスを任されたら生徒たちが喧嘩したりいじめをしないよう目を光らせ指導していかないといけないし、特に小学校の先生は1クラス全ての授業を担当するため授業の準備やテスト・宿題の採点、保護者向けのプリントの用意だとかそういった日々の労働自体がハードモードなのだ。

でもそういった忙しさは生徒には伝わらないし、私もそういった先生の忙しさというのは中学生辺りになって何となくわかってきたというレベルなので、それがわからない生徒は尚更先生を目の敵にしたり、それが酷くなると今回の物語のように自分たちの都合で先生を排除しようとする動きにまでエスカレートする。

 

今回の物語の冒頭、夜宵は京都行きのため公式に学校を休校に追いやる方法を考えていたけど、これも悪い言い方をすると彼女自身の都合で学校を壊そうとする発想だし、こんな考えが集団発生したらそれこそ学級崩壊を引き起こす。そうならないよう先生は生徒を指導し統率させるが、それが出来ない先生は「教師失格」という烙印を捺され、生徒の問題ではなく先生の指導力不足として批判されるのがオチだ。

だから結果的に生徒にとってはそうやって教育と称して子供を管理しようとする先生が悪夢のような存在・疎ましい存在として映り、反対に先生は言う事を聞かない自分本位な子供たちをクラスとして統率し指導しなければならないという責務を負い、それが失敗した際に生じる学級崩壊・保護者からの苦情を恐れて常に頭を悩ますこととなる。これが学校という場で生み出される悪夢の正体ではないだろうか?

 

※1:単行本では先生の娘だけは父親が無実であることを信じていたものの救えなかったことを後悔し、後に弁護士の道へ進んだという後日談が記されている。ちなみに、先生に濡れ衣を着せた女子生徒や先生をいじめた連中は、その後自らの行いが祟って壮絶な死を以てその報いを受けたそうである。

 

てるてる坊主の見立て

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

今回の悪霊が教育の失敗の果てに生まれた存在であることは前述した通りだが、生前だけでなく死後もドロシーという子供によってその魂が蹂躙されることになったのだから正に踏んだり蹴ったりである。

 

そんな哀れな先生の自殺した現場には黒板に「悪魔ノ子ラ苦悶ノ果テ滅バン事ヲ欲ス」という呪詛の言葉が書き殴られていた。一見すると物凄い憎悪と怨念を感じる光景・文面だけど、この自殺の現場をよくよく観察すると先生がドロシーが介入するまで悪霊化しなかった理由も何となくだが推察することが出来そうだ

黒板に書き殴った文をよく読んでもらいたい。自ら怨霊となって私を追い詰めた子供たちを殺してやる!という意味ではなく「滅バン事ヲ欲ス」、つまり「滅んで欲しい」という意味であり、怨みの文言にしてはやや消極的ではないだろうか?それに、何故自分の顔をわざわざ隠してから自殺したのだろう?自分の顔を見られたくない理由があるのだろうか、それとも別の意味があるのだろうか…?とつらつら考えていて、「何かこの先生の悪霊、こわ~いてるてる坊主みたいだな」と思った時に、ようやくこの先生の自殺現場に込められた意図がわかったのだ。

 

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てるてる坊主と言えば「あ~した天気にしておくれ ♪」という歌の文句はよく知られているが、問題は歌の三番。願いを叶えられずに明日の天気がくもり空・雨模様になってしまった場合、てるてる坊主は無情にも首をチョン切られてしまう。てるてる坊主は明日の天気を晴れにすることが使命であり、それが出来ないものは首を切られるというのだから、なかなかに残酷というかシビアな世界だなと思うが、この歌を踏まえてあの自殺現場を眺めると、先生は自らをてるてる坊主に見立てて自殺したと推察出来ないだろうか?

 

あの先生は生徒を指導することで彼らを明るい未来へと導くという理想の先生像を明日の天気を晴れにするてるてる坊主と重ね合わせていたが、結局生徒を導くどころか自分の人生を滅茶苦茶にされてしまった。あの自殺現場にはそんな生徒たちに対する怨み※2も表現されている一方で、先生としての職務を果たせなかったという自責の念も反映されており、それであんな紙袋(?)をかぶって自らの首を切ることで、責務を達成出来なかったてるてる坊主として自らを蔑んだという理屈が成り立つ。

まぁ、自責の表現としては余りにも自虐的過ぎてあれだと見た人に伝わらないし回りくどいので、元々この先生の性格も結構優柔不断な面が強かったのではないかと思わずにはいられない。だからこそ今まで悪霊化せずに済んでいたのだろうけど。

 

※2:言う事を聞かない、制御不能な生徒を隠喩しているのがあのカラスだと考えれば、全てのカラスが殺されておらず、自分の死骸をついばむカラスが存在することも、自分の教師としての至らなさ・不完全さを表現していると考えられる。

 

さいごに

今回は学校の怪談というサブタイトルが付いていたとはいえ、従来の「学校の怪談」に出て来る口裂け女トイレの花子さんといった、来歴・過去背景がハッキリしていない怪異が襲って来るのではなく、子供にいじめられ社会的に抹殺された先生というハッキリとした過去と動機を持つ霊だ。これは個人的には斬新な切り口だったなと思う。

基本的に学校の怪談もメインとなるのはやはり女性や子供の姿をした怪異で、男性の怪異は赤マントや人体模型の怪、人面犬といった例を挙げてもわかるように変質者的な要素やユーモアさが勝っているため、従来の男性怪異とは質が異なるのも今回の悪霊の特殊さを物語っていると言えよう。

 

また、前回までは殺意や憎悪のメーターが振り切れた悪霊・怨霊ばかりが出て来たのに対し、今回の先生の霊は生徒たちに対する憎悪や怨みはあるけど、その感情のメーターが100%に振り切っている感じではなく、どこか中途半端な殺意として表れているのも特徴的だ。それはカラスに襲わせるという手段から見てもわかるけど、「花魁」の場合は相手の命をすすれるというメリットがあるから無数の蝶を飛ばして利用することに合理性が見出せるのに対し、今回のカラスを使った殺し方には特別合理性もなさそうだし、ましてや嗜虐性だったり、なぶり殺す感じもない。

この先生の手口を私なりに解釈すると、それは生徒に対する恐怖心が反映されているんじゃないかなと思う。何故生徒たちに嫌われているのかわからないまま一方的にいじめられ続けていたのだから、先生にとっては生徒たちの方が得体の知れない・何を考えているのかわからない怪異であり、それゆえ直接的な攻撃が出来ないという心理的事情があると思うのだ。

 

それは先ほど推察をした自殺現場にも表れていて、先ほどは「てるてる坊主の見立て」として推察した顔を隠すという行為には、実はもう一つ自分が匿名の存在になりたいという逃避的思考も込められていたと思うんだよね。あの先生は女子生徒の奸計によって犯罪者として実名が報道され顔も晒された。そういう非難の目に晒された経験があるから余計に「自分を見ないでくれ!」という感情があって、それでこんな自分を消し去りたいという思いから顔を隠したという読み解きも出来る。

だからあの自殺現場は坂下という名の男性教諭が自殺した場所というよりも、「教師の役目を果たせなかった者」というメタファーとして自らの肉体を記号化した自殺現場という風に感じたし、そうすることで今自分が抱えている苦しみから解放されようとした先生の切実さ、逼迫した思いが私には伝わったような気がする。

 

さて、この「ダークギャザリング」も残すところはあと2話くらいだろうか?次回は学校編の解決になるけど、今回色々語り過ぎたので次回は多分軽い感想記事になると思います(汗)。これだったら「てるてる坊主」の見立ての話は次回語った方が良かったかな…。