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ドラマ「パリピ孔明」がドラマ化の最適解を見せつけた!

ドラマ「パリピ孔明」の最終回から一週間以上経った。Twitter で簡単に最終回の感想はツイートしたが、やはり本作のドラマとしての改変の巧さはもっと具体的に評価しておきたいと思ったので書くことにした。

 

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ドラマ放送前の5月に注目ポイントについて言及したが、今回はそれを踏まえながらドラマ版「パリピ孔明」を評価していきたい。

 

(以下、原作・アニメ含むドラマ本編のネタバレあり)

 

評価ポイント①「サマーソニア編」をコンパクト化

アニメ版は30分×12話という尺の制限から原作の「10万イイネ企画」までを映像化しているが、ドラマはその約2倍も尺があるため、「10万イイネ企画」以降のエピソードをどう映像化するのか、そこが放送前の注目ポイントだった。

原作では「10万イイネ企画」の後は英子の故郷・京都で行われる祭りのエピソードや有能なスタッフの参入、音楽事務所の壁を越えたコラボ企画の実施を経て、一大イベントである「サマーソニア編」が展開される。「サマーソニア編」ではスーパースターとして認知されているアーティストの前園ケイジと孔明が全面対決するという物語であり、前園が雇う屈強なスタッフと、英子をサポートするスタッフや仲間が互いに戦いを繰り広げる、知略ありバトルありのエンタメ活劇となっている。

 

ドラマ版は1~6話をかけて「10万イイネ企画」を描き、その後はどうなったかというと、7・8話でサマーソニアで発表するための楽曲制作を描き、9・10話で原作のサマーソニア編を描くという構成になっている。勿論原作の「サマーソニア編」は2話分で収まりきるような分量ではないので、前園とイーストサウスのエピソードを中心にした物語としてコンパクトにまとめ上げている。そのため原作と比べると「サマーソニア編」の音楽イベントとしての規模はドラマにおける「10万イイネ企画」と同様に小規模なものになったのは否めないが、10万イイネ企画がサマーソニアへの出場を賭けた企画である以上、肝心のサマーソニアを描かないというのはドラマとして消化不良で終わってしまうし、あえて原作通りのエピソード順にしなかったことが連ドラとしてキレイな着地が出来た要因の一つになっていると私は思うのである。

 

評価ポイント②ディズニーヴィランズ的な前園ケイジ

「サマーソニア編」を描く以上、当然の帰結としてドラマのラスボスとなるのは前園ケイジになる訳だが、ドラマ放送前のキャスト発表で前園をメンディーさんが演じると知った時は正直改悪なのでは?と思わずにはいられなかった。原作の前園は色白でいかにもアイドルという感じの見た目なので、その原作からかけ離れた見た目のメンディーさんを起用した意図が正直わからず困惑させられたのだけど、いざドラマ本編を見て最終回を経た今となってはこのメンディーさん演じる前園はこの作品と非常にマッチしていたし、悪役としても良い塩梅の悪役として改変されていたのが良かった。

というのも、原作の前園は大企業の御曹司として育ち、エリート意識の強さから手段を選ばず他者を見下して生きてきたという男で、サマーソニアのイベントで自分の悪事が露見してもなお否を認めるどころかファンをバカにするという自己防衛に走る、ホント~に嫌な奴でしかないんだよね。こういう悪役を描くのは原作が規模の大きなイベントだからこそ巨悪を倒すという点で一種のカタルシスが生じるからまだ良いのだけど、ドラマでこのキャラ設定のままにしていたら、単なる嫌なヤツとして終わってしまいあまり物語として後味良く終われない可能性があった。

 

その点ドラマはどうしたかというと、イーストサウスをゴーストライターとして拘束する点は原作通りだけど、主に性格面を改変させて悪役だけど何か憎めない、ディズニーヴィランズ的悪として描いているのが巧いなと思った。作詞・作曲・ダンスも出来るスターというのは原作と同じ設定だけど、そのスター性がちょっと誇張されているというか、あのロバート秋山さんがよくやっている「クリエイターズ・ファイル」に登場する感じのオモロいスター、イジれる余地があるスターにしているのがイイんだよね。

 

悪役ってある意味幼稚で未熟な面があるし、本作の前園も子供っぽい無邪気さのある悪役だけど、その根底にはイーストサウスへのリスペクトがあるというのはあの一見ダサく見える毛皮の上着に短パンという服装からもうかがえるし、下積み時代にオーナー小林の元へ売り込みに行っていたというドラマオリジナルの背景が描かれたことで、憎むべき悪役ではないということがちゃんと視聴者にも伝わるようになっていたと思う。

それに原作通りのアイドル的な見た目の前園だと、他の演者のアクの強さに負けてラスボスとして弱く見えてしまうきらいがあったけど、メンディーさんはゴリゴリのアフリカンな見た目だから本作に登場するキャラとしても一人だけ浮くことなくバランスがとれていて、そこも今思えば配役として絶妙だったなと評価したいポイントだ。

 

評価ポイント③サブメンバーの背景を補完

基本的に群像劇になるとどうしても主要人物ばかりを中心に物語が展開するため、他の登場人物の描写がおろそかになりがちで、それは実は原作にもあてはまるウィークポイントなのだが、ドラマではその弱点となる背景描写の甘さがオリジナルの物語を入れることでちゃんと補完されていたのが地味ながら素晴らしいと評価したポイントの一つだ。特にそれが顕著に表れたのが7・8話の英子が新曲「Time Capsule」を制作するエピソードなのだけど、7話ではミア西表が英子の代わりにテレビに出演して「Dreamer」を歌い、8話ではオーナー小林と歌姫マリア・ディーゼルとの意外なつながりとその過去が描かれている。どちらも原作にはないオリジナルの展開で、原作既読勢としてここは普通に面白かったと思ったけど、それと同時に原作で足りないなと感じていた部分が補完されていたのも良かったね。

 

ミアは原作だと当初は英子を引き立て役に利用しようとして出し抜かれ、そこからライバル歌手として精進して圧倒的なパフォーマーになるキャラなのだけど、そこに至る過程が原作だとあまり描写されておらず、京都のエピソードで急に何かライバル歌手として強くなって英子の前に立つという感じなので、そこが唐突というか読者として鵜呑みにするしかなかったのが少々マイナスポイントとして感じた部分だ。

一方ドラマのミアは自分が歌手として才能を伸ばしたいのに、事務所の方針でダンスメインのパフォーマンスをさせられていること、テレビ番組で曲がフルで歌えない、下手したら口パクで流されることへの不満を抱えた歌手として描かれている。結果的に孔明の策によってミアは歌手としての才能を認められ大手音楽事務所に移籍するという躍進を遂げるのだが、この7話でミアが英子にとっての友人でありライバルとして英子とはまた違う歌唱力のあるアーティストであることが証明され、英子の代打として嫌悪感を覚えるテレビの歌番組に出るという彼女の人柄の良さも表れていた

 

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しかもこの場面、本職が歌手ではなくダンサーである菅原小春さんが実際に歌っているのだから、ドラマのミアも一つの挑戦としてテレビに立ったけど、彼女を演じる菅原さんにとってもこれは大きな挑戦だったのだから、そこも実にドラマチックで素晴らしかったなと感動する。

 

そして8話はオーナー小林の過去をメインにした回だったが、原作でまだ言及されていない小林とマリアとの接点を描いた回としてこれも実に印象的なエピソードだった。小林はマリアと共にバンドを組んでいたが自身の勇み足によってバンドは解体され、やくざ者として流血沙汰を巻き起こすような底辺の人間として生きていた。このドラマオリジナルの小林の設定は、個人的にあそこまで血腥い過去を背負わせなくても良かったのではないかと設定の過剰さが気になった。とはいえ、その過去の描写が自殺しようとした英子にマリアの歌を聴かせ、孔明と名乗る得体のしれない男を従業員として雇った行動に対する理由付けになっている。オーナー小林を元やくざとして描いたのは、社会の流れから外れた者を受け止める受け皿として立っている男として成立させる意味がちゃんとあったのだ。

よくよく考えればいくら三国志マニアとはいえ孔明を雇うというのは経営者にしてはリスキーなことをするなと思うし、これが漫画やアニメならフィクションとしてスルー出来るかもしれないけど、実写となるとやはり違和感が生じる部分なのでそこを埋める設定としてはちょうど良かったのではないだろうか?

 

あと他にも赤兎馬カンフーの「穴掘ってんじゃねえぞ」という原作の台詞が英子の楽曲制作の切っ掛けになったり、英子の出場を邪魔する前園陣営の妨害の助太刀として活かされた点も面白かった&関心したし、英子のファン1号である密偵ちゃん(原作は男性)の存在もこの物語には欠かせなかった。こういうメインではないキャラにもスポットライトが当たっているのがドラマの良い所で、原作通りやっていたらここまで印象に残る名脇役にはならなかったのではないかと思う。

 

まとめ

以上、大きく3つのポイントに分けてドラマの長所を評価してみたが、何と言っても本作が実写化作品として素晴らしいのは、ドラマは原作とは違いこの10話で一つの作品として完結させたことだ。昨今は続編を作ることを前提としたドラマ制作や、いつでも続編が作れるように中途半端な決着をさせるドラマも結構あって、そこに不満を抱く人も多いと私は考えているが、本作は原作を読まずともこのドラマだけで、この10話だけで作品として成立しているし、そうでないと最後に英子とマリアがコラボするというあの展開も生まれなかったはずだ。まだ原作では英子はマリアと出会っただけで二人で歌は歌っていないし、その辺りは原作でもいずれ描かれる未来かもしれない。

あと言うまでもなく劇中で披露された歌謡曲もホントに良かったね。私は音楽に関しては素人だからこの辺りの分野については詳しく語れないけど、アニメ版の「Dreamer」は力強さがある歌なのに対し、ドラマは繊細さ・優しさがあってまた味わいの違う良さがあったなと思うよ。これはどちらが優れているとかではなく、どちらも良いという意味であり、優劣を付けること自体ナンセンスなのでそこはハッキリ言っておくよ。

 

こういう漫画原作の実写化を見ると、やはり脚本も演出もセンスがないといけないと改めて思う。原作通りやれば作品として必ず成立する訳ではないし、原作の芯となる部分をつかめていない映像化は、何か独りよがりなアレンジだったりオリジナリティを出してきて失敗しているケースが多いから、その点に関して今回の「パリピ孔明」のドラマ化はキャスティングの妙・脚本の改変の巧さ・演出のセンス良さ、全てが揃った実写化のお手本となる作品だったと断言しよう

続編を意識していない一つの作品としてドラマは完結したけど、このクオリティならば原作の京都のエピソードもきっと良い物語になりそうなので、また同じスタッフでやってほしいですね。