タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

取り込まれ、染められて【ダークギャザリング #24】

学校の悪夢と言えば、「リトルナイトメア2」の学校ステージですよ。

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「ダークギャザリング」の先生の霊も色々と読み取り甲斐があったけど、リトルナイトメアの先生もプロの方が見ると色々読み取れるキャラみたいで興味深いんですよねこれが。

 

学校の怪談 / 悪夢」

今回は前回からの続き。前半は学校での先生の悪霊との戦いが描かれ、後半はドロシーと夜宵の対話がメインとなるパートだった。

 

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学校編については前回の記事で8割くらいは感想・解説を述べたので、今回は残りの2割程度の感想しか語れないが、その2割について話す前にちょっと寄り道というか前回述べたことの補足をしておきたい。

 

前回私はこの先生の悪霊は生徒に対する怨みだけでなく、生徒に対する恐れも抱いているとカラスを用いた呪いの手段から推察したが、その考えを後押しするのが今回描写された先生の口腔内にあったロウソクである。

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

手持ちのロウソクだけでなく口の中にまでロウソクを仕込んでいたというこの二段仕込みは、自分から鬼ごっこを仕掛けておきながら生徒をいつでも殺せるようコッソリ準備していたという大人のズルさを象徴しているという感じではなく、むしろ予測不能な子供に対する恐怖心から、保険をかけて口の中にもロウソクを忍ばせていたという風に私には感じられた。憎悪の部分はあくまでもドロシーの策略によって増幅させられただけであって、本質的な部分はこの口の中のロウソクが象徴するように、「一歩でも私に近づいて来たら殺す」というような生徒に対する警戒心や敵愾心なのではないだろうか?

 

ある意味「食育」に貢献した先生

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

これまで夜宵たちのボディーガードとして霊を喰らいまくっていたドクロ頭の霊が今回の一件によって霊としてレベルアップを果たし、まだ完全体でないにもかかわらず卒業生に勝るとも劣らない威圧感を放ったことから「過渡期の御霊」と呼ばれることになった。彼が収容されているグレイの宇宙人人形が象徴するように、未知の可能性を秘めたこの霊の活躍は今後原作で描かれていくことになるのだが、それにしてもこの霊が成長することとなった場が学校であり、先生の魂(と言っても本体ではないのだけど)を喰らって強化されたというのは、何だかブラックジョークみたいでスパイスの効いたオチである。

 

生前は受け持ったクラスの生徒にいじめられ、死後はドロシーによって悪霊化されるといった散々な目に遭い先生は先生としての尊厳が踏みにじられる羽目になったが、最終的に自らの魂の一部が喰われたことで「御霊」の強化に貢献したのだから、意図せず「御霊」の食育に貢献したと言えるのかもしれない。

まぁ厳密に言うと「御霊」は成長したというよりは失われた記憶・能力の一部を取り戻した(=回帰した)という感じだし、そもそも食育というのは様々な経験を通じて食の知識と正しい食生活を送れる人を育む取り組みなので、用語としては使い方が間違っているのだけど、食べることで育まれたという点では「御霊」の成長も広い意味で食育と言っても良いよね?ダメかな?

 

自分の色が誰かの色になる恐怖(なり代わりの本質とは?)

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

今回の学校編は悪霊化した先生の霊との戦いを通じて、クラスの委員長である女子生徒が詠子と同じ「恐怖を愛する仲間」として引き込まれたり、夜宵が「なり代わり陣営」の目的を暴くべく「なり代わり」のフリをして入り込んだりと、それぞれが所属する陣営の中に引きこんだり入り込むということが一つのテーマとして描かれていたように思う。これは学校という場を語る上でも実は重要なポイントではないかと思うのだ。

 

基本的に私たちは生まれ落ちた瞬間から社会という大きな枠組みの中に所属することになり、家族の一員・幼稚園(保育所)の園児を経て小学校へ入学する。この辺りから自分の明確な意思で所属するクラブだったり友達を選択していく。つまり、自分がどの陣営に所属するのかを選択していき、その属した場所や集団の影響を受けて人格というものが形成されていく。勿論、個人個人が本来持っている資質や性格もあるので、所属する集団の影響を全て受けるということはないだろう。とはいえ、集団や陣営に属するというのは自分の人生の一部をそこに委ねることであり、それで運命が大きく変わった人もいる。本作における先生の霊は正にその良い例で、受け持つクラスが違っていたら彼の教師生命ももっと健やかで長いものになっていただろうし、螢太朗だって夜宵や詠子というグループに属さなければ、また違った人生が待っていただろう。それだけ集団や組織が個人に与える影響というものは大きいのである。

こういうことは普段あまり意識しないものだが、教育の場である学校も例外ではない。学校によっては教育方針や校風も全然違ってくるし、属した場所によって私たちの思想というものも左右される。一見すると客観的に物事を判断しているような人も、実は所属している組織の影響を受けた考えをもとに判断している、なんてことがあるのだから、自分が主観的・客観的に判断していると思っている人ほど、実は過去(或いは現在)所属していた組織・集団の影響を受けていることに気づかないものだ。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

自分の持ち味だと思っていた色が、実は誰かによって染め上げられた色だった。これって当たり前の話だけど、見ようによっては下手なホラー作品以上に怖い話ではないだろうか。自分の意志で動いているようで、その実は誰かの思惑や思想によって動かされているというのは、本作における「なり代わり陣営」を彷彿とさせるし、オズワルドやドロシーといった「なり代わり陣営」は相手に勘付かれることなく相手を自分たちの色に染め上げるようなそんな集団だと考えれば、彼らのヤバさもより真に迫るものになるだろう。

自分の肉体が別の魂によってダークな色に染まってしまう、本作の「なり代わり」はある意味私たちの現実社会で既に昔から起こっていることだ。戦争なんか特にそれが如実に表れるケースであり、政治家は国民を従順な戦士として染め上げることに心血を注いでいた。第二次世界大戦における大東亜共栄圏構想も、それぞれの国が持つ色を自国の色に染め上げようとする暴力的構想だったし、「なり代わり」というのは単に入れ替わるだけではなく、自分の色が奪われ無色になるという恐怖でもあるのだ。

 

「なり代わり陣営」が空亡を復活させようとする目的はまだハッキリとはわからないが、ドロシーの話を聞く感じだとあの世とこの世がひっくり返るような、それこそ生きた人間が死者となり、死者が生きた人間になるレベルの計画をしているように思えてならない。空亡はさしずめ、人間世界における核兵器みたいなものだろうか。この先の「なり代わり陣営」との戦いは国盗り物語の様相になっていくのかもしれない。

 

さいごに

ということで今回は「なり代わり陣営」の存在から、フィクションではなく現実社会における「なり代わり」、すなわち自分の思想や言動は誰かによって染められたものであるという可能性とその恐ろしさについて言及した。これはアイデンティティの問題にもつながってくる心理学的に見てもなかなか深いテーマだ。

自分の思想や言動が誰かに染められたものだとしたら、では本当の自分とは一体何なのか?自分というのは一つの塊のようなものなのか?いやそもそも本当の自分なんてものがあるのだろうか?こういった問いについてまた何かの機会に語ることが出来たら良いなと思っている。

 

本作では「なり代わり」は実際にある現象として描かれているが、「なり代わり」というのは正直な所、この世界に散らばっている思想の一つに過ぎない。要は自分を乗っ取るもの・操るものをポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかの違いであり、ポジティブに解釈するならその存在は自分を正しい方向へと導いてくれる守護霊や指導霊・先祖霊となり、ネガティブに解釈すれば自分の身体を意のままに操る「なり代わり」の悪霊となるのだ。私たちは結果からその正体を判断するしかないが、いずれにせよ私たちは自分の肉体の内側に自分の意志とは違う別の「何か」を感知してきた。その「何か」をどう表現するかで、この世界の見え方は全く違ったものになると言えるだろう。

 

蛇足ではあるが、最後に「なり代わり」を描いた他のホラーアニメを紹介しておこう。

・「学校の怪談」第7話「鏡に盗まれた魂!! うつしみ」

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前回の感想記事で紹介したアニメ「学校の怪談」。7話に登場する鏡の怪異「うつしみ」のエピソードは「ダークギャザリング」よりもダイレクトに「なり代わり」の恐怖を描いている。テイストとしては若干ゾンビパニック的な要素があって、そこも面白い。

 

・「墓場鬼太郎」第11話「アホな男」

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ゲゲゲの鬼太郎」の原型となった「墓場鬼太郎」からは最終回の「アホな男」を紹介しよう。これも「なり代わり」を描いたエピソードだけど、この物語は「なり代わり」を通して人間にとっての本当の幸福とは何かを視聴者に訴えかけた秀作である。サブタイトルの「アホな男」とは一体誰に向けられた言葉なのか?是非ともその目で確かめてもらいたい。

 

さて、アニメ「ダークギャザリング」も次回でひとまずの幕引きとなる。原作は当然ながらまだ完結してないけど、25話までの総評とこの先の原作展開について一部語る感じで本作の感想・解説を締めくくろうと考えている所だ。