タリホーです。

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呪いと宗教と政(まつりごと)【ダークギャザリング #12】

来月から2クール目に突入。2クール目の展開を示したPVがアップされたので見たけど、割とセンシティブなあのエピソードもちゃんとアニメ化されるということがわかって俄然楽しみになりましたね。

 

「H城址-卒業生」

前回に引き続きH城址での霊との戦いとなる12話は、遂に夜宵の所有する破格の悪霊「卒業生」のお披露目となる。

今回お披露目となったのは、神が原因で共食いが生じた夜宵の部屋で誕生した僧侶の悪霊「邪経文大僧正」(以下「大僧正」と略す)。聞いた者全てを地獄に叩き落とすお経を読み上げ、そのお経を聞いた者もお経を唱えるため、本体となる「大僧正」を完全に封印しない限りお経の呪いが止まらない。夜宵は味方として「大僧正」を利用しているが、対処法を誤れば味方も殺すという点で卒業生の危険さを視聴者に見せつけた。2クール目にも「大僧正」とは別の卒業生が出て来るが、いずれの霊も取り扱い注意という点に変わりはない。

 

そんな訳で今回はこの「大僧正」に関する話をしたいと思うが、先に言っておくと「大僧正」はこの後登場する他の卒業生と違い、作中で霊になるまでの過去・背景が語られていない。何故人々を地獄に落とすお経を、それを笑いながら読むのかという謎を読み解くには、お経が敵を倒す武器として扱われるようになった時代背景を知る必要がある。

 

朝敵調伏のために利用された宗教

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

本来お経というものはその宗教における真理や世界の理を文字として書き記した巻物であり、宗教者はそこから得た知識をわかりやすく噛み砕いて一般民衆に布教するというのが勤めである。しかし時代が経つにつれ、お経は唱えるだけで功徳があるとか、悪霊を鎮め祓う効果があるといった具合に宗派によって別の使い方が発明され、ある種の武器のような扱い方をされるようになった。

 

そもそも宗教が武器・戦力として扱われるようになったのは政治との関係が大きい。平安時代、疫病や災害は死んだ人の怨霊によるものと考えられ(御霊信仰)、時の朝廷は死者の報復を非常に恐れた。そしてそんな怨霊を鎮めるために権力者たちが利用したのが真言密教の力である。

www.kurusonzan.or.jp

真言密教では三密加持、つまり仏と我々人類が互いに身体・言葉・心の三点で感応した時に悟りの世界が開かれると説いており、怨霊に対抗する手段として用いられた修法も宇宙に存在すると言われている仏たちのパワーを借りて行うものとされている。だから僧侶は全身全霊で修法に臨まないといけないし、それによって仏たちから得たパワーで僧侶は怨霊・悪霊を鎮めたり祓うことが出来るという訳である。

 

怨霊に対抗する手段として用いられた修法は、死んだ霊だけでなく生きている人間にまでその対象が向かう。その代表的な例となるのが平将門の乱であり、平将門が新皇として独立政治を始めた際、国家転覆を恐れた朝廷は各地の寺に大元帥を行うことを命じ、それによって将門を調伏しようと目論んだ。大元帥法とは平たく言うと呪術の一種であり、その当時の権力者たちは呪いを国家プロジェクトとして公的に行っていたのだ。鎌倉時代だと蒙古軍襲来の時に大元帥法が行われたと記録されているし、後醍醐天皇も倒幕のために明王を祀って修法を行ったと言われている。

 

このように呪いと宗教が政治と濃厚に結びついていた時代、修法を実行する寺や僧侶も普通にやっていては朝廷から褒賞はもらえないし、寺として高い位をいただくためには通常の修法における護摩壇ではいけないと、修法にパフォーマンス性やアピール要素が必要となってくる。

将門調伏の際、ある寺では80人以上の僧侶が7日間も真言を唱え続けたという記録が残っているが、こういった通常とは違う修法を行い敵が死んだとなれば、それだけの能力がある寺として国からも認められるし民衆もそういった力のある寺を必要とする。そうなれば僧侶たちは宗教者として信仰を布教しやすくなるのだから、宗教者が政治と結びついて敵を調伏するという行為には宗教者側にもメリットがあったということになる。

鎌倉時代に入り貴族から武士へと政権が移行すると、呪術で相手を呪わずとも実力で敵を倒せるようになり、やがて宗教は政治と切り離されることとなった。そして呪術は政治から民間へと活躍の場を移すことになる。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

さて、以上の政治と宗教の歴史を踏まえて今回の「大僧正」の背景について考えてみたいと思うが、「大僧正」も敵を調伏するための修法に携わっていた僧侶ではないかと推察されるし、生前は聞いた相手を地獄送りにする経を用いて数々の敵を調伏して来たのではないだろうか。

しかし力のある者は敵方にとって脅威となる存在であり、危険人物として真っ先に殺される。かつて中インドで生まれた曇無讖(どんむしん)という僧侶は、水の無い枯れ石から水を湧き出させて王(沮渠蒙遜)の喉の渇きを潤したというエピソードが残されており、呪術に秀でた者であったと記録されている。しかし、その法力の高さゆえに王は彼を警戒し、ある時敵国である北魏が曇無讖を迎え入れようとした際、王は刺客を雇って曇無讖を殺害したそうだ。

 

「大僧正」が敵を確実に調伏する能力の持ち主であり、それを恐れた権力者によって殺された者だと解釈すれば、「大僧正」もH城址の霊と同様に政争に巻き込まれた犠牲者と言えるのかもしれないが、H城址の霊と違うのは調伏すること、つまり敵を狩り討ち取ることに快楽や愉悦を覚える者であり、宗教者でありながらそこに執着したから今こうして悪霊として堕ちたと考えられる。仏教において執着は断つべきものなのに、そこに囚われているのだから、そりゃ悪霊になって当然である。

 

さいごに

今回は宗教と政治という観点から「大僧正」の背景を探る考察となったが、怨霊に対抗するために宇宙に存在する仏のパワーを利用するという部分は本作「ダークギャザリング」における戦い方に通じる所があって、そういう学問的な所から見ても面白さがあるからこの作品が好きなんだよね。初見の時はH城址の霊と「大僧正」にリンクする所が見出せなかったのだけど、今回考察して政争に巻き込まれた犠牲者という共通項が見出せたのは一つの収穫になったと思う。

なお、今回の宗教と政治に関する歴史背景はNHKBSプレミアムで今年の7月6日に放送されたダークサイドミステリー「“呪い”...人はなぜ呪うのか?〜呪術大国ニッポンの闇〜」を参考とさせていただいた。

結局H城址の霊は悪霊ではなく呪物によって悪霊化した善霊だったということが判明したが、2クール目ではH城址を魔窟に変えた闇の組織が姿を現す。その目的も徐々に明かされるだろうから、原作未読の方はそこも注目してもらいたい。

 

さて、これで1クール目が終了したので一応この段階でのまとめ感想を述べておくが、この1クール目は「ダークギャザリング」の基礎を丁寧に描いた内容となっており、霊の捕縛・調教・保管といった夜宵の目的と行動を明らかにし、作品内における霊の法則(食べられたらどうなるか・エネルギーはどうやって得ているのか)をこの段階で詳しく説明することで2クール目でのバトルのテンポ感を崩さないよう構成されている。それだけにやや物語として地味で今一つパッとしないと感じた人もいたかもしれないが、この1クール目におけるウォーミングアップによって2クール目は加速的に物語が恐怖と緊張感を伴って展開される。選択や判断をちょっとでも誤れば待ち受けるのは壮絶な死であり、だからこそこの1クール目で夜宵・螢多朗・詠子(+愛依)の関係を盤石なものにする必要があったと考えれば、夜宵と螢多朗が唯一無二のバディになったことや螢多朗と詠子が友人から恋人に発展したのも納得である。関係が盤石でないと到底悪霊・怨霊に挑める訳がないからね。

 

2クール目は捕獲ターゲットとなる怨霊・悪霊と「卒業生」とのバトルがメインの見所となるが、互いの能力がぶつかり合うバトルとしての面白さは勿論、誰と誰が戦うのかという面にも注目すると面白い発見があるのではないかと思っている。