タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ゲゲゲの鬼太郎(5期)第26話「妖怪アイドル!? アマビエ」視聴

前回の赤舌見比べ回(↓)で予告した通り、5期アマビエ回のレビューをしていきます。

tariho10281.hatenablog.com

 

5期の感想は現在(見比べ回を除いて)1話から25話まで言及済みなので良ければそちらも見ていただけると幸いです。

(検索欄で「ゲゲゲの鬼太郎(5期)」と入力すれば出てきますよ)

 

アマビエ

まずは今回初登場となったアマビエについて紹介しよう。

tariho10281.hatenablog.com

アマビエについては2020年のコロナ禍真っただ中の時に上の記事で詳しく語っているが、改めて説明するとアマビエは件(くだん)や神社姫、アマビコといった予言獣に属する妖怪であり、弘化三年(1846年)4月中旬の瓦版で肥後国(現在の熊本県)に出没したと記されている。しかし、アマビエの記録はこの瓦版の記事一枚だけなので、妖怪研究家の湯本豪一氏はアマビコの伝承が伝言ゲームのように各地で伝聞されていく中で改変され生まれた妖怪ではないかと述べている。

 

アニメでは神聖な予言獣という感じではなくポップなアイドルキャラとして登場。蒼坊主の紹介によって妖怪横丁を訪れ、後に準レギュラーとして横丁メンバーと共に活躍することとなった。特にかわうそとは水の妖怪として馬が合ったのか、夫婦漫才的な関係性を築き、お転婆なアマビエをかわうそが突っ込むというのが基本パターンとなっている。

 

※ダークサイドミステリー「超常実録! 本当にあった!? 日本史怪事件ファイル」(2021年8月12日放送)を参照。

 

無用の長物となった予言獣

5期をリアタイしていた当時の私は小学生だったので特に何も気づかぬままスルーしてたけど、今回の物語では予言獣であるアマビエが人間や妖怪から無用の長物扱いされており、個人的には「よくそこに着目したな!」と脚本の三条陸氏に関心した次第である。

よくよく考えなくても現代は科学技術の発達により、天気や政治・経済といったあらゆる分野で予報・予測が立てられるようになっている。まぁ流石に地震や疫病までは事前に予測を立てて防ぐことは出来ないにせよ、昔に比べたら対策の余地や選択肢がかなり増えたということは間違いない。で、そんな時代だから昔みたいに予言獣という怪異の出る幕がなくなるのも当然で、人間から必要とされなくなった予言獣の孤独を描いていのが私は流石だなと思ったのだ。

 

そもそも予言獣が江戸時代に広く民間の間で広まったのは、まだ医学が発達しておらず疫病・飢饉といった災厄に対して藁にもすがりたいという思いがあったからなのは間違いないが、もう一つは当時の瓦版売りが「予言獣の姿を描いて家の中に貼れば救われる」という迷信を利用して、予言獣の画が描かれた瓦版を売って儲けようとしたという説だ。先ほど紹介したアマビコは、場所は違うのに目撃者の名字や内容がほぼ同じであることから、各地の瓦版売りが元となるアマビコ伝承を一部脚色して書き換え、それを売ったのではないかと考えられており、その過程でアマビエも生み出されたということになる。

 

明治期に入ると文明開化の影響もあって予言獣の迷信は公的に禁止され一旦は廃れたものの、今度は人面牛のくだんが予言獣として現れ、戦争の勝敗を予言するようになった。くだんは第一次世界大戦の際は戦争の勝利を予言し、第二次世界大戦では敗戦と予言、爆弾による被害を免れるためには小豆飯やおはぎを食べよとまで言っている。これは江戸時代の予言獣の成立背景とは違っており、戦争に対する不安や国に対する不信感が生み出したものだとされている。

当時の日本政府は言論統制なども行っていたし、公の場で国に対する不信や不満を言うことが出来ない状況だった。だからこそ、そういったマイナスの感情を代弁する者として予言獣が生み出されたと考えられており、くだんはそんな戦時下の日本の空気が反映された妖怪だと言えよう。

 

以上を踏まえれば現代において予言獣が無用なのもわかっていただけるだろう。別に国や政治に対する不平不満を言っても逮捕されないし、疫病予防のワクチンも開発される時代なのだから、予言獣が入り込む余地はないし新たな予言獣が生み出されることもない。

とはいえ、2020年のコロナ禍におけるアマビエの再ブレイクを見れば、予言獣の出る幕が完全になくなった訳ではないし、昔みたいに本気で疫病対策のためにアマビエが描かれたのではなく、ある種の流行のファッション的な感じで描かれたという所に予言獣の別の役割、すなわち行動規制・ステイホームで息の詰まる生活を送る人々の息抜きとしての役割があったということになる。そういう意味ではアマビエもまたコロナ禍の日本を映した鏡であったと言えるのではないだろうか?

 

予言をする以上に大事なこと

アニメ本編の感想に戻ろう。今回の物語は無用の長物として扱われていたアマビエが、砂かけ婆によって「本当に読むべきは相手の運命ではなく相手の気持ち」だということを教えられた回だったと、そうまとめることが出来る話だったと思う。勿論この話の段階ではまだアマビエは相手の心に寄り添えていないし、先日言及した赤舌回でもまだ自己顕示欲の強さが抜け切れていなかったが、それでも赤舌の暴走の際にアマビエは「あんたは怒りをぶちまけて暴れてるただのバカちんだよ!」と言えたのは成長したなって思うよね。

いくら自分の予言が正しくても相手の意に沿えてなければ単なる嫌がらせになるし、赤舌の怒りにしても相手に怒りの原因が伝わらなければ意味がない。相手の心に沿った発言・行動をしないと事態は改善しないという点で、赤舌の回にアマビエをぶつけたのには物語としての必然性がちゃんとあったのだなと気づけた。今回の配信がなければ危うくこの良さをスルーしたままだったよ。