タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

アマビエの解体と再構築

京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』を読了した。

文庫版 塗仏の宴 宴の始末 (講談社文庫)

記録にのこった妖怪たちを分析する膨大な蘊蓄がシリーズ定番となっているが、本作では「妖怪の解体と再構築について触れられている。詳しくは読んでもらった方がわかると思うし誤解も少ないはずだが、一応どういうことが本作で語られているのかざっくりと説明してみよう。

 

妖怪は、基本的には先人たちが理解できない現象や出来事に名や形を与えたものだが、中には言葉遊び的趣向で創作された妖怪もあるし、海外(主に中国)からの文化・思想が影響したものもある。特に本作『塗仏の宴』では、中国から流入した渡来人と彼らがもたらした技術がルーツではないかとされる妖怪が登場する。それらの妖怪は、当時渡来人を差別化する元となった「技術」が一般的なものになることで、神性的なものが「解体」され、その名残が「再構築」されて妖怪化したのではないか…と言われている。

これホントざっくりした説明で申し訳ないが、要は何が言いたいかというと、妖怪も歴史の中で一つのカテゴリーにまとめられたもの(例えば、ひょうすべが河童のカテゴリーに入っていること)や、解体・再構築が著しいあまりに名前と姿形しかのこっておらず詳細不明のものがいる、これを覚えていてもらいたいのだ。

 

で、ちょうどコロナウイルスの影響でアマビエ「疫病から人々を守るとされる妖怪」厚生労働省公式HPより)として話題になっているけど、正に今アマビエは『塗仏の宴』で言われているような「解体と再構築」が為されているのではないか?と思っており、妖怪学的にこの2020年は結構重要な年になるのではないかとも思っているのだ。

ja.wikipedia.org

 

では、アマビエの何が「解体」され「再構築」されたのか。

改訂・携帯版 日本妖怪大事典 (角川文庫)

村上健司編『日本妖怪大事典』のアマビエの項を見ると、弘化三年(1846年)4月中旬の瓦版に記録があり、それによると、肥後国の海中に毎夜光るものがあるので、ある役人が行ってみたところ、アマビエなる化け物が現れ、「当年より6ヶ年は豊作となるが、もし流行病がはやったら人々に私の写しを見せるように」と言って、海中に没したという。

 

以上を見ればわかると思うが、アマビエは厚生労働省のHPにあるような「疫病から人々を守るとされる妖怪」ではない。

まず、アマビエの予言のメインは「6ヶ年の豊作」であって流行病云々は付属的なものだ。豊作と流行病の予言はアマビエだけでなく神社姫という妖怪も文政二年(1819年)に予言をしているが、神社姫の方は「向こう7年は豊作だが、その後にコロリという病が流行る」と明言している。アマビエのように「“もし”流行病がはやったら」と仮定形ではないのだ。

ja.wikipedia.org

 

またアマビエは「もし流行病がはやったら人々に私の写しを見せるように」と言っているが、その写しが病人平癒に効果があるのか、それとも病気の感染予防に効果があるのか、その点には一切触れていない。ただ見せろとだけ言っているのだ。この点に関しては神社姫の方が具体的で、「我の写し絵を見ればその難を逃れることができ、さらに長寿を得るだろう」と言っている。

 

アマビエは記録が瓦版の一つしかないため、アマビコという妖怪の誤記ではないかという説もある。アマビコは猿に似た三本足、または頭から直接足が三本生えている見た目の妖怪として描かれており、予言や写し絵を見せて除災を促すなど共通した点もあるという。

 

アマビエの予言は上述したように1846年の出来事だが、神社姫は1819年に、アマビコはアマビエの出没以前の記録がのこっている。ということは、アマビエは神社姫やアマビコの諸要素が解体・再構築されて誕生した妖怪という解釈も出来るのだ。それに、アマビエの記録は江戸の瓦版で伝聞の色が強いため、実際肥後国で人々が見聞きした内容と違っている可能性は高い。

という訳で、アマビエは当時肥後国で目撃されたアマビエとは違っていたかもしれないし、予言や見た目に関しても既に前身となる妖怪がいるため、アマビエ自体に予言をする他の妖怪にないオリジナル要素はあまり無いのである。

 

当初はアマビエが「疫病から人々を守るとされる妖怪」とされたのはこれが初の解体・再構築だと思っていたが、ひょっとするとアマビエそのものが他の予言妖怪の解体・再構築によって生まれた妖怪かもしれず、そうだとすると現代の解体・再構築は第一段階ではなく、第二段階の動きなのかもしれない。