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【ゲゲゲの鬼太郎】毛羽毛現(1~5期)を見比べる

ゲゲゲの鬼太郎歴代セレクション、第十三回目は毛羽毛現。

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いつもなら早速見比べ感想に移るけど、今回は6期に登場しなかった妖怪なのでまずは簡単に毛羽毛現についてご紹介。

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毛羽毛現は鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に描かれた毛むくじゃらの妖怪。姿だけで具体的に何をする妖怪なのかは不明だが、後世の妖怪図鑑では日当たりの悪い中庭やじめっとした床下に潜んでおり、便所脇の手水鉢の水を飲んだりする妖怪として紹介されている。この毛羽毛現が棲みついた家は病人が出たり、病気にならなくとも家人が体調を崩すと言われている。

 

原作では人間の文明を嫌い古代を好む妖怪として現れ、子供の魂を抜き取り化石に移すことで恐竜を復活させ、現代の文明社会を壊そうと目論んだ。このことを踏まえた上で、1~5期の見比べをしていこう。

 

1期(ズーズー弁の毛羽毛現)

1期は今回の配信が初めての視聴となる。大筋は原作と同じ流れではあるが、ねずみ男がふらり火をゲットする下りや、恐竜から逃げるために子供からもらった柿の実を利用する流れはアニメオリジナルで、こういった細かいアニメオリジナルの演出が見ていて楽しかった。毛羽毛現の毛が本体と一心同体という設定も1期独自のものである。

さて、1期毛羽毛現の最大の特徴はズーズー弁で話すということだ。恐竜が活動していた時代から生きている妖怪のはずなのに、人間の東北弁が板についているというこのちぐはぐとした設定が印象的で、これを見ていると群馬を秘境・未開の土地としてイジるような田舎イジりが60年代から既にあったんだな~と思わされる。

 

3期(野性をも凌駕する子供の純真さ)

3期は化石調査の宿題をするということでとある村まで来たユメコちゃんと鬼太郎が森の中で恐竜やマンモスを目撃する所から物語は始まる。(「小学校の課題にしてはハードル高すぎじゃね…?」とは思ったがそこはアニメなのでこれ以上は追及しない)

基本的に展開は原作と大体同じだが、恐竜から逃れて毛羽毛現の隠れ家である地下洞窟へ行くという下りはアニメオリジナル。原作と1期は鬼太郎のやぶにらみ光線で決着がついたのだが、3期は子供の純真な心が毛羽毛現を改心させたという形で和解エンドとなった。汚れなき子供の魂は強大な野性の力をも凌駕する不思議な力があるという感じで何ともファンタジックなオチになっている。

が、毛羽毛現が望んだ「妖怪と人間が平和に暮らせる時代」は残念ながら2023年現在でも訪れてないので、そこは何というか現実の厳しさを突きつけられるし、子供も正直な所本編で描かれているほど純真でもないから、80年代はまだまだ夢物語が描きやすい時代だったんだなと、そういう風に感じた。

 

4期(バブル経済ボケに対する警鐘としての物語)

4期の毛羽毛現回は完全アニメオリジナルの物語で、がしゃどくろを操り霊山ハイウェイを通る車を襲っていたという設定。実は霊山ハイウェイは建設会社社長と自然保護省の大臣が金もうけの為に作った高速道路で、邪な目的で自然保護地区を破壊したことを知った鬼太郎はこの社長と大臣を懲らしめる…というお話だ。

毛羽毛現に「動物の毛や羽毛が集まって生まれた妖怪」というオリジナル設定が盛り込まれ、悪い人間を懲らしめるという「ゆうれい電車」さながらのプロットとして描かれたこの物語に限らず、4期はこういった人間を懲らしめる話が意外にも多い。例えば13話「妖怪屋敷へいらっしゃい」は妖怪を信じない、思い上がりの強い人間を懲らしめるエピソードだし、87話「迷い家の倉ぼっこ」では強欲な社長を懲らしめる物語だ。こういった人間を懲らしめるエピソードは3期でもいくつかあったけど、3期の場合は比較的悪徳企業家といった限定的な人間だったのに対し、4期はその悪い人間の層が少し幅広くなったような気がする。これは恐らくバブル経済崩壊後の4期の世相を反映した結果ではないかと私は考えている。

2期・3期でも公害・環境汚染は取り沙汰されていたけど、それはあくまでもその被害が報告される場所限定の話だった。しかし4期が放送された90年代辺りから、もういい加減地球環境のことを考えないと将来人間が棲めない星になるのではないか?という認識が広まって来て、自然との向き合い方を今一度考えるポイントに入っていた。にもかかわらず政治・経済は従来通り公共事業・大規模な開発をすれば国が豊かになるという思考でストップしたままで、一般民衆もそれがこの先マズい結果をもたらすということに気づいている人が多くなかった。だからこそ、4期は思考が80年代の状態で止まっている人々に向けて以上のような話を生み出したのかなと思ったのである。

 

5期(思想が過激派な毛羽毛現)

5期の毛羽毛現回は、妖怪横丁内部の物語をメインで描いていた吉田玲子氏が担当している。人間の街に汚染され行き倒れになっていた毛羽毛現を目玉おやじが助け、二人は親友となったが、毛羽毛現は太古至上主義とでも言うべき過激派思想の持ち主で、人間のような暮らしをする妖怪横丁を嫌悪し、鬼太郎ファミリーを恐竜に変えて横丁を破壊したというお話だ。

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以前6話の感想で、妖怪横丁は人間界から離れた共同体にもかかわらず、その生活様式は人間的で自己矛盾したことになっていると言及した。人間化する妖怪とその粛清を5期の序盤で描いていたということになるが、この毛羽毛現のエピソードも人間化した妖怪の文明に対して純粋な太古の時代を愛する毛羽毛現が粛清するという話になっている。(とはいえ、人間が編み出した太極拳をモデルにしたと思しき恐竜拳をやっているのだから、何だかんだ毛羽毛現も人間の文明を取り入れてるんだよね…)

同じ妖怪でも理想や価値観は違う。分かり合えていたと思っていたら根本的な部分では価値観が合わなかったり、相性が悪いと思っている相手ほど実は根っこの部分で一致する所があったりと、この毛羽毛現回は人間関係の複雑さみたいなものも描いているのが面白いポイントで、私も学生の頃、同級生なのにどうも話やノリが合わないなと思った人が一杯いたから、そういったコミュニケーションの難しさも描いているという点では意義のある物語だったと評価したい。

それにしても改めて5期を見ると、恐竜と化した鬼太郎ファミリーが鬼太郎を除くとクソコラみたいな見た目で何か笑っちゃったよ。

 

 

ということで1~5期、全体としては「自然」が一つのテーマになっているけど、4期は「ゆうれい電車」的な物語で5期は「友情」がメインテーマになっているから、原作に近いのは1・3期で4・5期で物語が大幅にアレンジされたことがこれでわかる。4期までは毛羽毛現も鬼太郎や人間に対して一定の理解があったけど、5期で完全に袂を分かつことになった。これは5期の初回感想で言ったことにも関係してくるが、5期における妖怪横丁は人間と妖怪が完全に分断した世界の象徴であり、そこから相互理解や共存をする必要はない、必要なのは棲み分けをすることなのだという一つの結論がこの時期に出されたと読み取れる。これまで議論や交渉をしてうまくいかなかったのだから、今更改めて共存の道を探っても仕方がないという諦観を感じさせるのが5期鬼太郎の特徴と言えるだろう。

毛羽毛現回でおススメはやはり1期だろうか。1期は鬼太郎とねずみ男がかわいいなと思う場面があるし、毛羽毛現のキャラに関しては歴代の中で一番個性的だった。