タリホーです。

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【ゲゲゲの鬼太郎】火車(2~5期)を見比べる

ゲゲゲの鬼太郎歴代セレクション、第九回目は餅殺しでお馴染みの火車

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原作では結構恐ろしい妖怪として描かれてるが、果たしてアニメではどうか。今回は6期を除いた2~5期までの見比べ感想を語っていこう。

 

(6期火車回の感想はこちら ↓)

tariho10281.hatenablog.com

 

2期(意外にも漢気を見せたねずみ男

原作「逆モチ殺し」初の映像化となる2期は、中盤で幸吉少年とねずみ男火車に操られるという点を除けばほぼ原作通り。火車の恐ろしさと目玉おやじの意外な必殺技が明らかとなり、鬼太郎の幽霊族としての強みは父親である目玉おやじも同様にそうだったということがよくわかるエピソードである。

内容は原作通りなのであまりツッコミポイントとかは特にないけど、改めて見て印象的だったのは、今回のねずみ男がいつにも増して漢気を見せているという所だろうか。火車の恐ろしさを知らなかったしお金がかかっていたという理由もあったとはいえ、鬼太郎が尻込みする案件を引き受けようとした姿勢は半妖怪なりの意地というものだろうか。

あともう一点気になったのは物語の終盤で開拓村が元は妖怪が棲む土地だったのに、不作続きで村人が村を離れ限界集落化していたというアニメオリジナルの設定だ。いわゆる農村部の過疎化問題を2期の時点で取り入れていたのは意外に感じた。冒頭で母親の死を描きながら、同時に村やその土地も死に向かっていたということを提示した2期は、そんな絶望的な中でも生命の芽吹きが見出されるという希望の余地を与えたエンドで物語をしめくくっている。

 

3期(鬼太郎、極道に入る)

3期も内容は原作と同じだが、火車と鬼太郎の魂が入れ替わった後の展開はオリジナルで、鬼太郎に成りすました火車暴力団を乗っ取って組長になるというのが3期火車回の面白いポイントだ。

ところで劇中の暴力団の描写を見た感じ、どうも放送当時の80年代の暴力団ではなくひと昔もふた昔も前の暴力団をモデルにしているようで、この辺りはあまりリアル過ぎると視聴者が引いてしまうと制作陣が判断したのか、意図的に昔ながらの極道を出すことでコメディ色を出しているのが絶妙だなと思った。劇中で緋牡丹博徒シリーズのテーマソング「緋牡丹博徒※1が一瞬流れたけど、緋牡丹博徒シリーズも1960年代後半から70年代前半にかけて公開されたヤクザ映画なので、やはり意図的に時代からズレたヤクザを出したと考えるべきだろう。80年代なら拳銃の一丁や二丁は持ってないとおかしいもんね。

餅つき大会で火車をおびき出す展開も同じくアニメオリジナルだが、改めて見て思うと組長就任のお祝いで人間が主催者のはずなのにどう見ても妖怪以外の何者でもないぬりかべが餅つきをやっているのを見て、火車は罠か何かだと疑わなかったのかな?ってツッコミたくなった。

あ、もしかして着ぐるみを着た人間だと思ったのかな?

いやいやだとしたら火車、人間界のこと意外と詳しいな!?

 

※1:緋牡丹博徒 歌 藤純子 - YouTube

 

4期(竹中直人みたいな火車

4期は魂を入れ替える火車の能力と餅が好きという点を除いてほぼオリジナルの物語。親の通夜に出席しない三人の親不孝な子供火車が怒り、死んだ母親の魂と共に三人を連れ去ってしまうという物語だ。

4期は感動路線の話が多いという印象が強く、この火車回もその例に漏れず死んだ母親の思いが最終的に子供たちを優しく包み込むというお話で、それに関しては良いと思う。が、私は火車のキャラ設定がどうもこの感動路線の内容に合っていないというか、死んだ母親の不憫さに泣いているのに肝心のその母親の魂を餅に入れて喰うという無茶苦茶さが竹中直人さんの「笑いながら怒る人」※2を見ているみたいで、この改変に関しては正直評価出来ないんだよね。

YouTube のコメント欄を見ると「感動した」という意見がいくつもあるけど、私は感動物語には夾雑物となるモノをあまり入れて欲しくない人間だし、火車の親不孝を嘆き怒るという人情味ある性格に対して魂を喰らうという妖怪の性質を掛け合わせたのが単なる矛盾にしかなっていないのがマイナスポイントとして評価する理由だ。

 

※2:【1988年】竹中直人「痛さを極端に表現する人」「あいうえおに感情を込めて言う人」「笑いながら怒る人」他 - YouTube

 

5期(後日談としての火車エピソード)

5期も4期と同様火車の基本設定以外は完全オリジナルエピソードで、内容としては5期の2年目で展開された妖怪四十七士編のエピソードの一つとなる。

5期の火車は暴れ者だったが目玉おやじに懲らしめられて更生し、妖怪横丁で「ひのわや」という運送業輪入道・白坊主と共に営んでいるという設定だ。つまり、「逆モチ殺し」後の火車を描いたというのが5期ならではであり、過去作や原作を知らない視聴者を原作や過去作のアニメに導くという点でこの回は個人的に面白いことをやっているなと思った。元々原作の火車もおやじの逆モチ殺しに遭って完全に敗北を認めているから、更生したという5期の設定にしても原作と齟齬を来してはいない。

物語は浅草の仲見世で起こった餅泥棒を事件として描いており、火車が無実を証明するために鬼太郎と入れ替わるというのがストーリーとして面白いし、入れ替わりの動機も無実証明という正当な理由があるから初見でも納得がいく作りになっている。4期ではこの魂の入れ替えが取って付けた感じの扱いになっていただけに、5期は設定の活かし方がホントによく出来ているなと感心させられた。

ゲスト妖怪として畑怨霊が登場したが、畑怨霊は3期でアニメに初登場。3期では小豆の神と称して小豆連合から小豆を騙し取るという役柄で、4期では鬼太郎の味方妖怪として登場、そして5期では餅を食べまくる怨霊という悪妖怪として姿を見せた。一応6期にも登場するが、ほとんど扱いはモブ妖怪に等しく大した活躍は見られない。

 

 

以上、2~5期、そして6期も合わせて火車回を見ていくと、3期以降火車の魂入れ替えの設定を利用して入れ替わりモノとしての面白さを重視する傾向になっていることがわかるだろう。5期までは鬼太郎と火車という二人だけの入れ替わりだったが、6期はねずみ男猫娘まで加わってより複雑な入れ替わり劇が展開した。

入れ替わりモノとなると必然的に物語もコメディ寄りになって3・5・6期は正に入れ替わりによって生じたドタバタを描いておりその面白さを前面に出している。ただ、正直私はコメディとしての火車回はもう十分だと思っていて、もし7期が制作される際には、2期のように怖い火車をまた描いて欲しいという欲があるのだ。

火車回をおススメするなら、ぶっちゃけ4期以外は全部おススメという感じで4期は今回改めて見ても口に合わなかった。何かあのキャラ設定の無茶苦茶さを見ていると、脚本の矢島大輔氏がプロデューサーか誰かに「火車回で感動路線の物語を作ってくれ」という無茶な要望でも出されたのかしら?とか、体調を崩した状態で脚本を執筆したのだろうか?という邪推がはたらいて、もう純粋に作品を眺められないんですよね。先ほど言ったように4期は感動路線の話が多いので、何か制作の都合でそういう感動路線縛りみたいな制約・取り決めもあったのかな~?と思わずにはいられない。