タリホーです。

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ゲゲゲの鬼太郎(5期)第1話「妖怪の棲む街」視聴

今日からYouTube東映アニメーションミュージアムチャンネルで毎週「ゲゲゲの鬼太郎」5期が期間限定で配信される(初回は8月5日まで)。ということで、せっかくだからリアルタイムで視聴していた時を少し振り返りながら感想を語ろうと思う。

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6期完結時に「5期は6期ほど感想が出てこないんじゃないかな」といった内容を当ブログで述べていたが、改めて見ると色々語れそうな部分があったので気を改めて書いていこうと思う。

 

過去作(4期以前)との比較で生じた違和感

記念すべき5期の1話は、子供のいたずらで封印を解かれた水虎が封印を解いた子供たちを襲うという至極シンプルな内容。水虎については6期の64話の記事で詳しく紹介しているのでここでは割愛する。

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放送当時は「コナンが鬼太郎かよ」とか猫娘キャラ変しすぎだろ」といった外野からの意見が飛び交っていた記憶があるが、実際私はそういった面はあまり気にしておらず普通に見ていたと思う。とはいえ、初回の感想は「まぁまぁ面白かった」という感じ。少なくとも6期の初回を見た時のような興奮はなかったと思うし、どちらかというとこの次の回に登場するがしゃどくろを楽しみにしていたと思う。

 

期待した初回に釈然としない「何か違う」といった感覚を抱いた理由がハッキリとしたのは少し経ってからだと思うが、その理由は二つ。

①鬼太郎ファミリーの人間(子供)への対応

②敵(水虎)が「知性なき敵」として描かれていること

鬼太郎ファミリーが総出で敵を倒すというのは3期から続く形式なのでそれはおかしいと思わないが、(子供たちに原因があるとはいえ)険のある対応は今までの鬼太郎と比べると少々冷徹だし、猫娘にしても子供にかけた一言が「大丈夫?」ではなく「感謝してよね、助けてあげたんだから」とこれまた冷たい。過去作でも今回のような悪ガキが出てくる回はあるが、こんな冷たい対応を鬼太郎ファミリーはとっていなかったと思う。

 

そして水虎が「知性なき敵」として描かれているのも、過去の水虎回だけでなく初回の敵としても少々イレギュラーなのだ。封印を解いた子供を襲ったとはいえ、襲った子供をどうするのか、その目的は劇中で明らかになっていない。2期の初回「妖怪復活」に登場する泥田坊は「知性なき敵」にカテゴライズ出来るが、それでも「田んぼを奪われた怒り」という意図が読み取れる。3・4期の初回に登場した敵は人間の一方的な開発に怒り、思い上がった人間への叛意を露わにしているし、1期初回の「おばけナイター」はバットを盗んだ子供に対する妖怪の怒りが描かれている。※

一応5期の水虎は封印を解いた子供しか襲っていないから「封印を解かれたことに対する怒り」と解釈出来るが、それでも各期の初回で描かれた妖怪の怒りと比べると弱いし初回のテーマとしてもいささか弱すぎる。バトルシーンにしても妖怪というより怪獣っぽさが強く、これまでの鬼太郎アニメにおける妖怪らしさがあまり感じられなかったのも違和感の理由の一つだ。

 

上記の二点の違和感の原因を特に深く考えることなく今まで過ごしてきたが、今回改めて視聴して、その原因は5期の設定の一つである「妖怪横丁」と関係しているのではないかと考えた。

 

※参考までに、1~4期の初回のリンク先を貼っておく。

(1期):https://www.youtube.com/watch?v=tOeZG79lcUI

(2期):https://www.youtube.com/watch?v=v7ye0Q82ejA

(3期):https://www.youtube.com/watch?v=6Hz7TkY5uP0

(4期):https://www.youtube.com/watch?v=LKEP284uNTI

 

5期は人間と妖怪が「分断」した社会

つい最近まで5期の妖怪横丁は多数の妖怪を登場させるための賑やかしとしての舞台装置程度にしか思っていなかったし、事実人間が一切干渉しない横丁内での内輪揉めみたいな、妖怪同士のごたごたをコミカルに描いた事件も5期で何話も描かれているが、初回の鬼太郎たちの子供に対する態度と合わせて考えれば、妖怪横丁という設定自体が人間と妖怪が分断した社会であることの象徴だったと気づくことが出来たのだ。

原作でも妖怪アパートといった種族が異なる妖怪が棲むコミュニティ(共同体)はあったものの、妖怪横丁ほど大規模ではなかった。原作で妖怪アパートが設立された理由は不明だが、3期では住処を失った妖怪のためのアパートとして描かれており、難民を救済するためのコミュニティだった。ということは、妖怪横丁も元は住処を失った妖怪たちが集まって出来た難民キャンプであり、それが発展して生まれたのがあの妖怪横丁ではないだろうか?

 

そもそも妖怪で人間のような集団生活を送っているタイプは一部で、集団で定住生活を送るようになるのは鬼太郎作品においては比較的最近の出来事なのだ。これは原作の鬼太郎についても同様で、現在の鬼太郎ハウスやゲゲゲの森という設定が定着したのも3期辺りの話である。イベント等で他種族が集まることはあるが、一部例外を除いて妖怪は他種族の妖怪と基本的に群れることはあまりないのだ。

 

つまり、群れない妖怪が群れて定住生活を営む妖怪横丁という設定の違和感は、これまでアニメで鬼太郎が提唱していた「人間と妖怪の共存」が失敗したことを表しており、人間(子供)に対する冷徹さも共存相手でないがゆえの冷たさだったと腑に落ちたのだ。

今思えば5期が放送された頃は大規模な都市開発も下火というか頭打ち状態で、4期以前のような「人間の一方的な開発で妖怪の住処が奪われる」状況が成立しにくくなっていたし、そうなると2期から続いていた開発に対する怒りという敵妖怪の動機も描きにくくなる。それゆえに、5期の水虎は「知性なき妖怪」であり復活した原因が子供のいたずらになったのではないかと思うのだ。

水虎復活の原因を大人でなく子供にしているのは、大人だと従来のような「汚い大人による悪事」というプロットのままで人間と妖怪の分断を描くには弱いということもあっただろうし、子供のいたずらでも冷たく突き放すような発言を鬼太郎にさせることで、人間と妖怪の分断が進んでいるのではなく、既に分断されていることを視聴者に提示したと読み取れる。

 

 

さて、来週は2話が配信されるはずだが、2話はねずみ男のメイン回。今回の記事であえて触れなかった5期ねずみ男の描写についても触れたい。