タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

レゾンデートルで悩む者たちを救う物語【ノッキンオン・ロックドドア #04・05】

いきなり愚痴から始まって申し訳ないけど、まずはこのツイート(名義が「Twitter」から「X」になって「ツイート」も「ポスト」になったけど、知ったことか!)を見てもらいたい。

こちらはドラマウォッチャーとして様々なドラマを視聴しておられる明日菜子さんのツイートだけど、私このツイートを見た時に凄いくやしく感じたというか「いや違うんだよ!役者の魅力だけで成立しているドラマじゃないんだよこれが!」って反論のリプでも飛ばそうかと思った。やめたけど。

 

当ブログのこれまでのノキドア感想記事を読んだ方ならわかってもらえると思うが、ドラマ版のノキドアはドラマとして原作のままやると面白みに欠けてしまうかもしれない部分を補完し、原作にはない面白さを追加・改変している。勿論これは原作既読だからわかることなんだけど、原作を読まなくたって1話における密室解体に仕組まれた企みや2話の「死神」と物語とのリンクのさせ方は十分読み取れることだと思う。それなのに、脚本を無視してキャストの力量だけで頑張ってるドラマみたいな括りでまとめられていたのが私には凄いくやしいのだ。

 

まぁ、あくまでも個人の意見だし原作を読んでない人の感想だから目くじらを立てるなと言われるかもしれないが、フォロワーが数千人単位の方だとそれだけ影響力も大きいし一般認知として定着されることもあるので、前に相沢沙呼氏の一件を語った時に言及した「原作に触れないドラマ評論家」問題と同様の由々しき事態だなと感じた。

tariho10281.hatenablog.com

ドラマ評論家は「広く・浅く」全体の流れや変遷を語る必要があるだろうし、面白いドラマを普及するという役目もあるから特定のジャンルに詳しい訳ではないのは百も承知なのだが、それでもこういうツイートを見ると私自身の拡散力の無さ・文才の無さに忸怩たる思いがする。でも少しでも魅力が誰かに伝わるよう私は感想・解説をアップしているのだ。(別に使命感とかではなく好きでやっていることではあるが)

 

一応言っておくと私は「もっとこの作品が深く知りたい・深く読み取りたい!」といった人向けにこのブログを書いているので積極的に記事をSNSで拡散するようなことはしてないけど、だからと言ってバズる野望を捨てた訳では決してないし、読んで賛同してもらえたらそりゃ嬉しいことこの上ないよ?

 

「消える少女追う少女」

ノッキンオン・ロックドドア2 (徳間文庫)

4・5話のエピソードは原作2巻の4話目に収録されている「消える少女追う少女」。移動手段として日産の中古車〈パオ〉を倒理と氷雨が購入した直後、探偵事務所に女子高生の高橋優花から人探しの依頼が持ち込まれる。高橋とは別の高校に通う潮路岬という女子高生が二日前から音信不通で連絡がとれないので探して欲しいとのことだが、何の変哲もない人探しに倒理は意気消沈。

しかし、話を聞いていくと高橋は潮路と失踪直前に出会っており、駅近くの一本道の地下通路に入ってから彼女の行方がわからなくなったという。状況から見て、地下通路の中で潮路岬は消えたということになるが…?

 

ということで単純な人探しから一転、奇妙な女子高生消失事件に二人の探偵が挑むことになった訳だが、今回の謎はズバリこの二点!

〈How〉一本道の地下通路から潮路岬はどのようにして消えたのか?

〈Why〉何故潮路岬は失踪したのか?

原作では潮路の行方を中心に追う物語になっているが、ドラマは地下通路が夜になると人気がなく外から見通しの悪い危険な場所、つまり犯罪多発地点であることや、近辺で犯罪グループによる子供の拉致・誘拐事件が実際に起こっているという情報が追加された。1~3話までは完結済みの事件の謎を解決してきた二人だが、今回は現在進行形で起こっている犯罪を防がなければならないので、原作とは違いイムリミット・サスペンスの要素が加味されているのがドラマ版ならではの味付けになっている。

 

(以下、原作を含むドラマのネタバレあり)

 

思春期、レゾンデートルの悩み

真相は原作と同じなので改めて言及しないが、ドラマで追加されたことが潮路岬の「計画」を補強しているのが個人的に注目したポイントだ。

原作では潮路の失踪計画はさほど入念さを感じなかったし、地下通路で消えたという狂言も倒理の発言(不可能犯罪にしか興味がない)に対するとっさの思いつきから出たことだったが、ドラマは自分のことを調査してもらいたいが警察沙汰にまでしたくない(=大ごとになって親や学校に迷惑をかけたくない)という絶妙な塩梅を保つために、犯罪グループが話していた防犯カメラの情報を利用して失踪場所に地下通路を選んだことになっている。偶然得た情報とはいえ、そこから変装までして失踪計画を実行に移し、探偵二人を欺いていたのだから大した女子高生である。

 

失踪動機の大本は思春期の学生をはじめとする人々が抱えるレゾンデートル(存在理由)の悩みだ。これは昔からある哲学的な悩みだが、社会に出て自分がどういう役割を果たし、誰が認めてくれるのかといった悩みはいつの時代にもあって、特に思春期になると自分が周囲からどのように見られているのか意識するようになるし、バカにされたり仲間外れにされることを恐れて自分の個性を殺してまでその場の環境に適応しようとする人もいる。

大人になると家計のやりくりだとか仕事のことで頭がいっぱいになって存在理由などどうでもよくなるので、大抵の人はそこでその悩みから抜け出すが、老境に差し掛かると今度は自分のことを看取ってくれる人はいるのだろうか、私が死んだら悲しんでくれる人はいるのかと、またレゾンデートルの悩みが再浮上するので、この悩みは人生の初期と晩年期に発生する普遍的なものだと私は思っている。

 

原作では、潮路のレゾンデートルの悩みに対して倒理は「誰もあなたを見てなかったけど、自分も周りに自分自身を見せてなかったのではないか」というやや批判的な言葉を投げかけている。その上で倒理と氷雨は彼女の普通でない所を評価し事件は解決するという運びになっているのだが、ドラマの方は倒理の語りかけがより丁寧になっていて、批判的だった原作と比べると倒理の優しさが見えるシーンになっていた。

予測不能な人生の上では、自分の役割や周囲の評価なんてどのように変わってもおかしくない。人間は容易にカテゴライズ出来ない生き物であり、本当の自分を知っている人なんて少ない方が良いという倒理の語りかけは、潮路の救いになると同時に一見傍若無人とも見える倒理の弱さや繊細さも垣間見えて、実に奥行きのある描写になっていたと評価したい。

 

また、潮路の失踪計画が犯罪グループの逮捕と誘拐された女子高生の発見につながっており、原作以上に潮路の心が救われる展開になっているのも見逃せない。辛辣な言い方をすれば今回の狂言失踪は自分勝手な動機で他人を振り回しているのだから、誹りを受けても文句は言えないという意見もあるだろう。しかし、それが結果的に別の女子高生の危機を救うことになった。この事実が「人生は予測不能」という倒理の語りかけを裏付けており、彼の語りが単なる綺麗ごとになっていないのも脚本として巧いポイントだと感じた。

 

※その倒理の弱さ・繊細さに西畑さん演じる氷雨が複雑な感情を抱いていること、何かしらの罪悪感を抱えていることをうかがわせる表情を見逃してはならない。

 

さいごに

今回は改変としては大きなことをしていないとはいえ、原作で描かれた物語の軸とも言える潮路岬の動機や計画に至るまでの過程をオリジナル要素で補強しているのが評価ポイントで、1~3話の改変が「おぉこれは凄い改変だな!」というミステリマニアとしての興奮を感じさせるものだったとすると、今回の4・5話の改変は「う~む…素晴らしい…!」としみじみとした感情にふけるような旨みがあった。

 

あと今回の物語はこれから夏休みが明けて2学期に突入する学生たちを励ましたり勇気づける効果があるのではないかな?と私は考えている。

ちょうどこの時期ってニュースとかでも取り上げられるように学生の不登校が起こりやすい時期で、休み中の生活リズムに慣れてしまって学校の生活リズムが辛く感じるのが一番の理由だと言われているけど、2学期って体育祭とか文化祭といったクラス一丸となって作業をする行事が増えるから1学期以上に人間関係の上でストレスを抱えやすくなると私は思うし、そこでクラスメイトとうまくいかずに心を病む学生も少なからずいるのではないだろうか。周囲に適応出来ない自分を責めて「学校でダメなら大人になってもどうせ私は会社に適応出来ないんだろうな」とマイナスの未来を想像して塞ぎ込んでしまう人もきっといるだろう。或いは、クラス内の協調性を保とうとして自分の意見を押し殺し、自分は学生時代に何も出来なかったという絶望を抱えたまま大人になった人もいるかもしれない。こういった学生時代の共有出来ない苦しみ、周囲に馴染めない、或いは周囲に馴染もうとして自分を殺し、凡庸な人間になってしまった人々にとって今回の物語には何かしら救いとなるものが込められていたと私は思っているのだ。

 

以上を踏まえてハッキリ言おう、「ノッキンオン・ロックドドア」は事件の謎を解くだけの探偵物語、ジャニーズ主演のドラマだと侮るなかれ。

 

次回は原作1巻のエピソード「十円玉が少なすぎる」が映像化となる。正直映像化に向かない内容だと思っていた話なので、次回はその辺りのことをミステリマニアとして解説しよう。