タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

新解釈・くびれ鬼【ダークギャザリング #05】

友達ってのはね、作ろうと思って作れるものじゃないのですよ。

(高校生活三年間を友達ゼロで貫いた私が言うのですから)

 

新入生歓迎会

社会復帰の第一歩として螢多朗が大学の旅行サークルの新歓に参加するという形で始まる5話。前回は詠子の生霊的な螢多朗への執着が描かれたが、今回は螢多朗に隠しカメラ付きの伊達眼鏡をプレゼントして、彼の動向をストーキング。夜宵もそれに乗じて螢多朗の様子を観察し実況中継を始めるという感じで前半はギャグ的な流れになっていたが、後半は悪霊によるT団地での集団自殺に巻き込まれた螢多朗を夜宵・詠子が助けに行くという割とシャレにならないというか、題材が題材なだけに今までの中では一番ショッキングな内容だった。

 

このT団地というのは東京都板橋区高島平団地がモデルであり、昭和50年頃から飛び降りを中心とした自殺の名所として有名な場所である。作中の夜宵が言っていたように一時期は3年の間に133人も自殺者が出たそうで、その異様なまでの自殺者の多さから心霊スポットしても紹介されている。実はこの団地、小学生の時に親に買ってもらったケイブンシャ勁文社)の『妖怪・幽霊大百科』にも「自殺の名所T団地」として紹介されていたから、今回のアニメを見てもしかして…と思って本棚から出してきて見たらやはり問題の団地だった。

現在は安全対策として共有スペースの外廊下や階段の部分には柵が取り付けられているようで自殺者もなく至って平和な団地になっているが、この異様な自殺者の多さについて、安易に霊だとか怪異の仕業と決めつけるのも違うんじゃないかと思う。というのも、団地が建てられた当時は高層建築自体が珍しかったし、確実に死ぬためにはより高い所から飛び降りないといけないのだから、自殺願望がある人が団地を選んだのには死ぬために必要な高さの条件を満たしていたのと、赤の他人が侵入しても気づかれなかったり咎められることがないという団地という建物の性質が大きく関係していると考えられる。また、「自殺者が多数出た=確実に死ねる」ということでもあり、報道や口コミで自殺者の情報が流れ拡散されると、それを聞きつけた自殺願望者がそこでなら確実に死ねると訪れた可能性だってある。要は、当時の報道の仕方にも自殺願望に悪影響を及ぼす問題があったのではないかと私は勘繰ってしまうのだ。※1

 

※1:と思って調べた所、1977年に父子三人の飛び降り心中事件がテレビや新聞で大きく報道されたことが切っ掛けで自殺の名所として広まり、その頃から自殺者が急増したとのこと。やはり報道による悪影響があったことは否めない。

高島平団地の概要と歴史について!なぜ、心霊スポットとしてこんなにも有名になってしまったのか?

 

この世に執着する「くびれ鬼」

今回の悪霊は相手に取り憑いて自殺に導くというやり口から「くびれ鬼」のタイプだと思われる。

ja.wikipedia.org

くびれ鬼については鬼太郎6期の感想記事※2でちらっと紹介したが改めて言及すると、元々は中国の古書に「縊鬼(いき)」として記されており、古代中国における鬼は死者の霊魂を指す言葉なので、人に取り憑き首をくくって死なせる霊という意味になる。

中国の死生観では、あの世つまり冥界の人口は一定に定められており、自分が転生したいと思っていても代わりとなる死者が冥界に入らないと転生は認められないと言われている。そのため、積極的に自殺や事故死をほう助して転生に必要な代わりの霊を求めようとする霊もいるようで、首を吊らせたり身投げをさせようとするのは、自分と同じ死に方でないと転生出来ないからだとされている。

 

要するに、くびれ鬼というのは自分が転生したいがために自殺を誘発させる悪霊ということになるのだが、今回の物語における長山の悪霊は従来のくびれ鬼とは全く目的が異なっている

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

転生が目的ではなく、むしろ転生したくないから自殺を誘発させ自殺者の霊を喰らってこの世に留まっているという真逆の目的だったのだから、これは従来のくびれ鬼の解釈とは異なる、新解釈のくびれ鬼という点で個人的に興味深いポイントだった。

元々長山がどうして現世に執着するようになったのかその理由は不明だが、少なくとも現在は「霊を喰って現世に留まらないと地獄に落ちるから食べている」という、手段が目的そのものになっているような状況に陥っていると私は感じた。言うまでもなく死者の魂を食べるなんてあの世の理から見れば大罪にあたるし、長山が食べるのをやめてそのままあの世に行けばまず間違いなく地獄落ちは確定だろう。長山もそれを恐れて死者の魂を食べ続けているのだろうが、結局そうやって食べれば食べるほど自分の罪はどんどん重くなっていくという悪循環に陥っていて、そういう意味でもこの悪霊はどうあがいても救われない魂なのだ。

 

※2:ゲゲゲの鬼太郎(6期)第25話「くびれ鬼の呪詛」視聴 - タリホーです。

 

さいごに

以上、くびれ鬼という観点から悪霊を分析してみたが、アニメ本編のことで何点か指摘しておきたいことがある。

原作では取り憑かれた男(町田)が悪霊に同調されやすい邪な心の人間だったとされているものの、具体的な心理背景については詳しく語られていなかった。そこが少しだけモヤっとしていたのだが、アニメでは過去に暴行事件で逮捕され周囲からのバッシングにより逆恨みで周囲の人間が死ねば良いと思っていたという心理的背景が補足されていた。この補足はナイスだったね。

 

あと原作を読んだ時はスルーしちゃった夜宵の「友達作りは死にゲー」という言葉、今回の悪霊を分析した上で改めて聞くと、人間関係というものは日々の転生によって発展・成長するものだとわかったような気がした。転生と言うと大げさなのだけど、要はちょっとずつ自分をアップデートさせる・変化させる・経験を積むという気心がないと新たな関係も生まれないしそれ以上の関係へと発展することもない。自分にしがみついていたらいつまでも生まれ変われないと言われているみたいで、個人的には耳の痛い話だなと思った。

最初に高校時代の私は友達ゼロだったって言ったけど、その当時の自分を振り返ると自分にこだわり過ぎていた面は確かにあったな~って反省するし、自分にこだわり過ぎて同級生に対する関心・好奇心がなくなっていたなと今更ながら思った。まぁだからと言って過去に戻れたとしても「ああ、あの子と友達になりたかったな」という人は正直いないので、特別後悔はしてないのですが。

 

さて、次回はキャンプ回。原作は2話にわたって描かれた話なのだが、原作通りやるとするなら1話だけだと正直感想としては薄くなると思うので、もしかしたら次回の感想はお休みにして、再来週にまとめてアップするかもしれません。一応それだけ言っておきます。

 

※単行本版では後日談として町田の名が明かされているが、そこではサークルでの集団強姦容疑で逮捕されたことになっている。

(2023.08.13 追記)