タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

堕ちる神、拾う夜宵【ダークギャザリング #03】

前回から本作の心霊スポットのモデルとなった場所を紹介しているけど、一応ここでハッキリ言っておく。

当ブログでは心霊スポットに行くことは推奨していませんからね?

むしろ、行って得することよりも損することの方が圧倒的に多いのでやめた方が良いですよ(住居不法侵入の可能性・建物老朽化による怪我や事故の恐れ・不良や犯罪者がたむろしている危険性などなど…)。

 

「ふたり」

亡霊を狩り、その魂をぬいぐるみに閉じ込め自分の部屋に飼っている夜宵。更に螢多朗の爪を要求するという理解不能な行動に対して、遂に螢多朗は心霊スポットの同行を拒絶。今回は夜宵と詠子の二人だけで心霊スポットへ行くことになる。これが3話のあらすじだ。

恐怖というのは理解不能なものに対する感情なので、今回は夜宵の行動方針というか夜宵の部屋に仕掛けられた呪術の理(ことわり)を明らかにする回なのだが、それで恐怖が拭い去られるのかと言うとそんなことは全然なく、むしろ螢多朗と詠子にふりかかった呪いを祓うためにはそれ以上の闇を飼いならす必要があるということなので、これから先もっとヤバい霊が出現するということは容易に想像がつくだろう。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

さて、今回は螢多朗と詠子の呪いの元凶となる霊を殺すための戦力として神の力、それも邪神の力を手に入れようと心霊スポットへ赴くのだが、今回の心霊スポットのモデルは八王子市の宗教施設「真の道」。今は廃寺となっていることや水子供養のための施設であることは同じだが、鬼子母神を祀っているというのは恐らく本作オリジナル要素で、「真の道」で鬼子母神が祀られているというのは、私が調べた限りだとそんな情報はなかった。

 

ja.wikipedia.org

鬼子母神は仏教の守護神でサンスクリット語で「ハーリーティー」と呼ぶことから訶梨帝母(かりていも)という当て字の別名がある。

インドの鬼神パーンチカの妻である鬼子母神には500人の子供がおり、その子供を育てるために人間の子供を捕らえて食べることから恐れられていたが、それを見かねたお釈迦様が500人の子供のうち一人を隠して、鬼子母神に子を喪う母親の辛さ・悲しさを説いた。それによって鬼子母神は心を改め仏法の守護神となり、安産・子育ての神として祀られるようになった…というのが、鬼子母神の基礎知識である。

鬼神の妻という面もあるからか呪法として鬼子母神を用いることもあり、「鬼子母神敬愛法」という密教の呪法や、ドクロを用いて霊を召喚する「鬼子母神髑髏法」という術もあるそうだ。

 

そんな鬼子母神水子の執念によって邪神となっているのが本作のユニークポイントではあるが、この「神が堕ちる」という発想はキリスト教イスラム教といった一神教の世界ではなく多神教の文化ならではの発想だと思うし、日本の神道はパワーの強い霊を「神」として祀り上げて自分たちに攻撃の矛先が向かないようにしているという面もあるから、そういう意味では日本は誰しもが神になれる可能性を持っているということになるだろう。菅原道真は正にその良い例だからね。

だから鬼子母神が堕ちるというのも個人的には納得しているが、じゃあ何故堕ちたのかと考えると、どうも鬼子母神水子供養の神としては向いていないんじゃないかな~?と思っていて、子供に対する執着を子育て・安産・子守りといったポジティブな方向に転化して神としての役割を果たしているから、生者の執着はまだしも死者の執着(=水子の執着)までは流石に処理しきれないというか、そこはやはり水子供養のベテラン・地蔵菩薩の領分だと思う。

 

あと実を言うと、夜宵を追いかけたあの霊が本当に鬼子母神そのものなのか?という疑問があって、元々はあの山を根城にしている神霊に人間が「鬼子母神の役割」を割り当てたという可能性も私は考えている。つまり、本物の鬼子母神ではないから水子の魂を導けず、邪神として堕ちてしまったという解釈も成り立つのだ。先ほど挙げた菅原道真も元は怨霊であり、それを鎮めて「学問の神様」という役を割り当てることで落ち着いたのだから、決しておかしな話でも可能性ゼロの発想でもないと私は思っている。

 

※朝里樹・えいとえふ『創作のための呪術用語辞典』より。

 

「蟲毒」と「ひとりかくれんぼ」の掛け合わせ

悪霊を集めて共食いをさせ、より強い霊を生み出すという古代中国の呪術「蟲毒」の方式が夜宵の部屋で行われているということは、オカルトに詳しくない人でも理解出来たと思う。そして今回はその霊が憑いたぬいぐるみに自分の肉体の一部(爪)を入れることで、霊同士を牽制させて攻撃が自分たちに向けられないようにするという夜宵ならではの呪い対策が明らかとなった。

 

ぬいぐるみに自分の爪を入れるという行為に何か既視感があるな~と思って調べたら、その正体は2006、7年頃からネット上で伝えられているひとりかくれんぼという一種の降霊術だ。

www.nicovideo.jp

www.nicovideo.jp

ひとりかくれんぼ」のやり方に関しては文で説明するよりも上に載せた動画を見ていただいた方がわかりやすい(し面白い)かなと思うので割愛するが、要は自分で自分に呪いをかけ、それを自ら解除するという危険な遊びである。

霊が取り憑くぬいぐるみに自分の一部を入れて霊と自分との間に関係を生じさせ、それを先に攻撃することで相手の霊に「自分を攻撃して良い」という許可を与える。理屈の上ではこういうことになるのだが、本作「ダークギャザリング」ではそのぬいぐるみを複数体作って「蟲毒」も成立させながら、同時に霊同士の牽制もさせているというこの掛け合わせが秀逸で、この掛け合わせを考えた原作者の近藤憲一氏は本当にオカルトネタを具に研究して、それを自分のネタとして換骨奪胎させていることがわかって感心する。

 

さいごに

ということで3話の感想・解説は以上となるが、原作を読んだ時、2話の時点では「まぁまぁ面白いオカルトホラー」って所だったのが、この3話で「なかなか面白い作品では?」ってなって、この後の展開で「この作品は面白い!」と確定したんだよね。主人公自体に特殊能力や特殊な武器があるというのではなく、あくまでも古代の呪術やオカルトネタに基づいているから私に刺さっているし、呪いや霊に関する理屈も何でもアリになってないからそこも評価したい。

そうそう、今回螢多朗だけでなく詠子も呪われていたことが明らかになったので、次回は詠子のダークサイドについて語ろうかなと予定している。