タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

正に生まれ変わる勢いで【ゾン100 #03】

ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~(1) (サンデーGXコミックス)

ゾン100はリアタイ出来ないのでいつも録画して見てるんですけど、今回は「アレ、録画ミスった?」と焦りましたね。冒頭が原作と違っていたので。

 

「ベストフレンド オブ ザ デッド」

今回は原作の第3話「ベストフレンドオブザデッド」。私が最初録画をミスったと思った冒頭のホストクラブのシーンは、原作の最初の1ページ目で描かれた「ホスト VS ゾンビ」の戦いを膨らませて描いたもので、原作ではさほど重要ではない。というか、ホスト役に宮野真守さんが出てたって後で知ったのだけど、意外な形で豪華声優が出て来るものですね。

それはさておき、ゾンビパニックによって自由が得られたとはいえ、やはり人恋しくなるというものか、アキラは大学時代の親友ケンチョこと、竜崎憲一朗を訪ねに単身ゾンビだらけの新宿へ赴く。

 

ということで、今回は親友が物語のテーマであることは一目瞭然なのだが、私の場合家族以外でゾンビパニックの時に何が何でも会いに行きたい人って正直思いつかなくて、まぁ大学時代のサークル(推理小説研究会)の仲間なら会っても良いかなとは思うけど、「会っても良い」と「会いたい」には大きな溝があるし、高校以前の交友関係に至っては完全に関係をリセットしてしまっているので、やはり私はこういう事態になったら孤軍奮闘するしかないのかな~と思いながら見ていた。

Twitterのフォロワーさんなら私の個人的な愚痴もツイートで目にしているだろうからそれなりに心は許せるかもしれないけど、ただネット上のタリホーとして発言している私とリアルの私って全然違いますからね。こうやって色々感想とか述べてるけどリアルの私は千と千尋カオナシ並みに何も喋りませんよ。コメントとかも全然即興性がないので月並みなことしか言えないし。

 

生まれ変わる勢い

自分語りはこれくらいにしてアニメ本編の感想に戻ろう。アキラとケンチョは親友であるとはいえ、社会人になってからの二人は決して良好な関係であるとは言えなかった。ケンチョは本当は仕事面で充実していなかったのにアキラの前では虚勢を張って自慢をし、ブラック企業から抜け出せないアキラをバカにするような態度をとった。一方でアキラはそんなケンチョをひがみ嫉妬するという、競合的態度(相手を裁くような態度)で互いにいがみ合う結果になっている。

同級生でも職種が違うと全然人生の方向も違ってくるし、そうなると隣の芝生は青いとやらで色眼鏡で相手をどうしても見てしまう。私も以前、何気なく中学の同級生の名前をエゴサしたらその子は不動産の営業でバリバリに成績を収めていてビックリしたから、やはり社会人になると対等な関係のままでいることの方が難しい。

しかし、ゾンビパニックにより社会人としての栄誉だったり功績といった、様々な人を見る上でのフィルター(色眼鏡)がほぼ意味のないものになってしまった訳だから、そこでようやくアキラもケンチョも大学時代の頃の関係性を取り戻し、自分のみじめな所も開示しさらけ出せたのだろう。

 

あのビルからビルへ飛び移る場面。見ようによっては一種の通過儀礼としての意味もあったなと私は思っていて、特にアニメではケンチョが飛び移る際「おぎゃあああ!」と叫んで飛び移っていたが、原作では「おおおお!」と単なる雄たけびであって特段深い意味はなかった。しかし、アニメはそこに生まれ変わるという意味合いを持たせているのが素敵なポイントで、ケンチョが裸芸を持っていたという意味に止まらず、社会人として見栄を張って幸福のフリをしていた自分を脱ぎ捨てて、新たに「なりたい自分」に生まれ変わるという、そんな命がけの決意表明として読み取れるような場面だった。

そしてその生まれ変わる一歩を引き出したのがアキラのあのぶっ飛んでいるとしか思えない無謀な勇気というのも良い。親友って趣味や好み・価値観が合うとかそれでも良いのだけど、「自分の良い所を引き出してくれる」っていうのが実は重要なポイントで、相性が良いというのはつまりはそういうことなのではないだろうか?趣味や価値観を共有するだけではなく、互いにポジティブな影響を及ぼし合っていく。それがベストフレンドとしての一つの定義ではないかと考えた次第である。