タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

4-6月期に見たドラマをまとめてざっくりレビューする

春期は何気にテレビドラマを色々と見ていたので、簡単でも良いからまとめて感想を残しておこうと思い立った。

 

・「合理的にあり得ない」

初回から最終回まで見ていて、やはりプロットは時代劇的だなと思わざるを得なかった。内容は善人・弱者をカモにする悪党をやっつけるという、わかりやすい勧善懲悪モノだし、人情派の親分とそれを支える切れ者の部下、お調子者に美しきマドンナ等々、軽妙なキャラと強引な筋運びが正に時代劇っぽい。これがドラマとしてダメと言っている訳ではなく、エンタメという点では安定感があって個人的には今期で一番安心して見られたドラマかもしれない。

 

・「全ラ飯」

9話まで見た時点での感想は以下の記事の通り。

tariho10281.hatenablog.com

で、10話以降にも書くべき所があったら単独記事で書こうかなと思っていたけど、結局全て誤解・勘違いの集積でしたで二人の仲も丸く収まっちゃったし(あの叙述トリック的な勘違いは良かったんですけどね?)、何か最終話になって急に一条が海外へ行ってしまうとか脚本が強引かつツッコミ所が多くて、ときめきとかキュンとする要素は正直なかったね。

(偏見になるかもだけど)片田舎の割に近所のおばさんは同性愛に理解があるし、会社の同僚・上司もまずまず平和的な人だというのはまぁ良かったとは思うけどさ、真尋はともかく一条に関しては最後まで好きにはなれなかったな~。短絡的で過程を飛ばすし最終話の決断にしたって真尋に相談することなく勝手に決めちゃうし。「運命だから」って雑なまとめで物語をシメたのもねぇ。

 

・「月読くんの禁断お夜食」

「美しい彼」切っ掛けで萩原さんが出演しているドラマに興味を持ち視聴した。八木さんも今期は別のドラマに出演していたが、そっちは見る余裕がなかったのとホスト業界に食指が動かなかったので視聴は見送った。

初回から最終話まで見たが、平日の仕事をやり切った女性に送るご褒美としてのドラマって感じの内容で、それ以上のものは見出せなかった。一応原作マンガも目を通したけど、特別ドラマの改変が優れていたという感じではなかったし、原作の改悪にもなっていなかったとも思う。強いて言うなら、男性も女性も家に帰った時に美味しいご飯を作って待ってくれる相手を求めてるんだな~というのが、総合的に見た上での感想かな。

あとこれは全くドラマとは関係ない話になるが、萩原さんって意外にも私が過去に見ていたドラマにしれっと出演していて、視聴していた当時は全然気づかず、後で調べて「あ、このドラマにも出てたんだ」って気づくことが多い。それは単純に脇役だから印象に残らなかったのかもしれないが、この感じが人知れず家にあがって勝手に茶を飲むという、妖怪ぬらりひょんを連想させるものがある。だから私は萩原さんを俳優界のぬらりひょんだと勝手に命名している。いや、これは勿論褒めてるんですよ?ぬらりひょんは妖怪の総大将とも称されてるのだから、いずれ総大将クラスの名優になるだろうという期待も込みで、ね?

 

・「ラストマン」

個人的に放送前一番期待していたのがこのドラマで、脚本が黒岩勉氏ということもあって雑な物語にはならないという信頼もあった。で、初回を見たのだけど、正直「ん?」って感じで思っていたのとは違っていた。全盲の捜査官を主人公にするのだから、特殊な刑事ミステリになるのだろうと当初は期待していたが、実際は謎解きに比重を置いたドラマではなく、いじめや痴漢冤罪・SNSの承認欲求を目的とした暴走や誹謗中傷などの社会問題を扱った、社会派ミステリとしての側面が強いドラマだった。

そういう意味では確かによく出来たドラマであったことは間違いないが、私はもっと事件自体が複雑で、犯人が仕掛けたトリックを皆見が全盲としてのメリットを活かして謎解きをするとばかり(勝手に)期待していた。だから素直に面白かったな~と言えないのがもどかしい所である。まぁよくよく考えたら、日曜劇場はエンタメ性だけを売りにしたドラマを放送する枠ではないし、何かしら主人公たちに大義名分を持たせる傾向があるので、それを勘定に入れず期待していた私がバカだったということなのだが…。

 

全話見た中で個人的に良かったなと思ったのは4話と8話で、特に8話はバスジャック犯を演じた京本大我さんの演技が出色だったね。内容はSNSの誹謗中傷問題という過去に日テレが放送していた「3年A組」と同じテーマだったけど、このドラマではそれを訴えた犯人が犯罪者としてキチンと批判・糾弾されていたし、犯人の過去や犯罪に至る背景を丁寧に描けなかったにもかかわらず、それを京本さんは演技で見事に表現してみせた。母親を喪った悲しみ、本当に殺してやりたい匿名のネット民を殺せないというもどかしさや怒り、そして善良だった自分が殺人という一線を越えることに対する恐れ・緊張感。それらが1話完結の物語という限定的な尺の中に凝縮されていたから、物語自体は比較的シンプルだったけど、見応えのある回になったと高く評価したい。

 

・「だが、情熱はある」

もう今更私が言うまでもなくドラマ史に残る名作だったということについては異論はないだろう。では何が凄かったかという点について自分なりに語るとすれば、森本さんも高橋さんも山里さん・若林さんのキャラを部分ではなく全体を捉えて演技に反映させていること、これがドラマの成功の一つのポイントだったんじゃないかなと思う。

芸人としての山里・若林をマネ出来る人は多いと思うが、それはあくまでも一部にしか過ぎないからモノマネ止まりになってしまう。でもこのドラマは学生の頃から今現在までの二人を描く訳であって、それを今現在の山里・若林の姿だけを元にしていたら絶対に失敗していただろう。その当時の自分の年齢や対面した相手によって態度や口調、身体の動きは変化していくし、それが出来ていたからこそ、視聴者も森本さんや高橋さんの演技力を高く評価したのではないだろうか。

森本さんも高橋さんも元々ジャニーズの中で芸達者な二人だとは風の噂で聞いていたが、今回のドラマは存命の芸人二人の半生をドラマにしており、フィクションと違い明確な比較対象となる人物がいたことで、より二人の演技力の確かさ、性格俳優としての一面が世に広まる結果になった。演じた本人は存命の、それも普段バラエティで顔を合わせる機会の多い方を演じるのだからプレッシャーも尋常ではなかったかもしれないが、その苦しみも何というのかな、劇中の山里・若林が経験した苦汁として活かされたのかなと、つい思ってしまった。

 

で、物語に関しては劇中で水卜アナのナレーションが述べたように、サクセスストーリーだとか自己啓発とか参考になる物語として描くつもりはないと念押しされているし実際確かにそうなのかもしれない。(個人的には十分サクセスしているとは思うけどね?)

ただ、迷える人々の灯台という意味ではむしろ自己啓発書なんかよりもはるかに私たち視聴者を勇気づけてくれるドラマだし、山里さんや若林さんが自分のみじめったらしい部分を惜しげもなく自己開示したことが却って人間の悩みの普遍性を物語っていたと思う。

「こんなん私しか悩んでないことやろ」って思っていることは実は他の人にも案外当てはまる悩みの場合が多く、例えば山里さんは自分がいくら努力しても報われず、周りばかりチヤホヤされていることに対してただならぬ嫉妬と怒りに囚われていたけど、私こういう怒りに囚われた人を学生の頃から今に至るまで少なくとも3人くらいは見てきている。周りは敵だと言わんばかりに周囲にむかって針をとがらせるハリネズミ状態だから理屈が通用しないし、逆に怒りのはけ口にされてしまった経験もあるくらいだ。

だからこの物語を通して肩の荷が下りたとか、救われた気分になった人もきっといるだろう。ホアキン・フェニックスが演じたあのジョーカーみたいに、社会への恨みを抱え闇堕ちしてしまいそうな人々にも、良い方向に作用するドラマになっていたと信じたい。

 

 

以上の5作品が春期視聴していたドラマである。夏期は間宮さんが出演する「真夏のシンデレラ」と、当ブログで既に言及した「ノッキンオン・ロックドドア」、それから8月スタートの「ギフテッド」を視聴する予定だ。