タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

期待以上の出来となった「魔法のリノベ」とカオスな改悪で期待外れに終わった「新・信長公記」

4月期は興味のあるドラマが多くて豊作だったのに対し、7月期のドラマは食指をそそるものがなく、結局間宮さんが出演した「魔法のリノベ」と、原作漫画が意外に面白かった「新・信長公記の2つに搾って今期は視聴していた。

で、タイトルにも書いているように当初はイマイチだった「魔法のリノベ」が回が進むごとに私の中でハマってきた一方、「新・信長公記」は反対に回が進むにつれておや?と思う描写が多くなって最終的に何じゃコレ!という終わり方をした。

この2つのドラマについて、良くも悪くも言いたいことがあるので一応詳しく批評しようと思う。言うまでもなくドラマのネタバレをしながらの批評になるのであしからず。

 

トラウマや厄介な人をファンタジーとして昇華(「魔法のリノベ」)

魔法のリノベ : 1 (ジュールコミックス)

「魔法のリノベ」から始めよう。初回を視聴した時は瑠東東一郎氏のカット割りの多い画面演出や、オッサン的なウザいコメディテイストが強くて正直辟易とさせられたのだが、物語が進むにつれて初回のウザさが緩和されていって、本題となるリノベーションや、小梅や玄之介にある種のトラウマを与えた人物の登場なども相まって、面白く見ることが出来たし、当初は蛇足とも思えた「まるふクエスト」というドラマオリジナルの演出も、4話の桜子が登場してきた辺りから何となく意図が自分の中で見えてきた。

 

リノベ前の家や性格に難のある人物を本作では「魔物」と称しているが、現実での諸問題をファンタジーに置き換えるというのは精神的には対処法として良い方法だと思うし、自分の苦手な人や嫌いな人を魔物というファンタジーなものとして置き換えないと、やはりどこかで心が折れてしまったり、嫌な記憶を引きずってしまう。そういう人や出来事には出会わないのが一番なのだが、仕事をしていたらどうしても自分の嫌いな人とは出会ってしまうし、逃れられない魔物として人生に立ちはだかる存在だ。だからこそファンタジーとして解釈しつつ、それをどう現実的に対処すべきか。そういう人生の課題を乗り越えるヒントのようなものが、ドラマでは描かれていたのじゃないかな?と思った次第だ。4月期に放送していた「妖怪シェアハウス」も現実世界の厄介な人々を妖怪に置き換えていたから、やはり現実社会の嫌なことをファンタジーに置き換えるって今を生き抜く能力として結構大事ではないだろうか?

 

あと個人的なことになるが、梅玄コンビが両者とも(質は違うが)人間関係でトラウマになるような経験をしていることもこのドラマにのめり込めた要因の一つである。私も職場の人間関係が原因で適応障害になって仕事を辞めた人間なので、そういう公私問わずトラウマ的経験をした主人公・登場人物が仕事を通じて幸せになっていく物語として視聴者を勇気づけてくれる貢献を少なからずしていたと感じた。

他の方の感想で、もうちょっとコメディ要素を抑えて小梅や玄之介の人間関係や背景についてじっくり描いて欲しかったという意見も見かけたが、小梅を退職に追いやった桜子の背景とか描いたら物語が脱線しそうなので、私としてはあれくらいの塩梅で良かったと思う。とはいえ虎之介のあの自己中心的な他人事さは気になったけどね。兄弟間のコンプレックスから長男の玄之介に対してああいう行為をとったのか、それとも過去に成功体験がなく褒められた経験がなかったから、他者を足蹴にしてでも利益を得ようとする人間になったのか。そこは今でも色々と推測しちゃう。

 

頭脳戦としての原作を陳腐なヒューマンドラマに改悪(「新・信長公記」)

新・信長公記~ノブナガくんと私~(1) 新・信長公記 ノブナガくんと私 (ヤングマガジンコミックス)

ドラマが始まる前に「新・信長公記」の原作をスマホの漫画アプリを通して読んでみたが、乱暴に本作をまとめるなら「戦国武将のクローンにライアーゲーム(暴力あり)をやらせてみた」って感じの物語で、戦国武将のクローンが不良高校でトップになるため旗印戦というルールに則りバトルをするという話だ。ライアーゲームほど緻密な頭脳戦がある訳ではないが、それでも知略・謀略あるプロットに不良漫画らしい登場人物の情熱なんかも描かれていて普通に面白かった。ただ、そのまま原作通り映像化するとボリューム的に1クールもたないし、各武将クローンの出番に差があるといった問題もあるので、その辺りをどう解決して映像化するのか。そこが放送前の注目ポイントだった。

 

無駄な部分が削ぎ落されたプロットだからこそ、余白に入れられるモノも多くある作品だけあって、ドラマは原作以上に各武将クローンの個性を衣装を含めて際立たせているし、オリジナルの展開も入れていた。そこはドラマ化として一応考えてはいたと思うし3話までは特に大きな不満はなかったが、4話以降から雲行きが怪しくなって「あれ、思っていたのと違う展開になっている…」と視聴時の思いが冷めていった。

というのも、ドラマでは原作の旗印戦における策略や心理戦要素がことごとく簡略化され、武将クローンとしての宿命に抗い変化出来るかという一種のヒューマンドラマに舵を切ったからだ。特に6話以降の展開は原作とは別物と言って良いくらいで、ドラマから原作を読んだら、あまりにも展開が違い過ぎてビックリするのではないだろうか。

 

一応言っておくと私は原作通りやれば良いと思ってない。ライアーゲームが良い例で、あのドラマも原作通りやっていたら味気ない作品になっていたはずだ。ドラマならではの非日常的な世界観とフクナガをはじめとするキャラの改変が成功したからドラマも映画も長く続いたと思う。

しかし、本作「新・信長公記」における改変はいずれも浅い美談で、原作で紹介された武将のエピソードの方が各武将のキャラクターを深く知ることが出来たし、ドラマの後半で顕著に押し出された「人は変われる」というテーマも脚本のせいでガタガタだった。特に徳川家康が博士を殺していないと判明した9話に関しては一番突っ込みたかったよ。

子供の時とはいえ博士を殺したからこそ、その罪を受け入れ心を改めるということに意義があるのに、博士を殺していなかったのだからそもそも抗う宿命も何もあったものではない。それなのに家康は事実が判明してもなお苦悩しているというのが私には理解出来なかった。

 

それと、原作との違いの一つである織田信長がスーパーマンとして描かれていないのも実は不満として挙げられる。原作の信長は無気力な高校生だが、実は重機用ハンマーを持って振り回せるほどの怪力で、しかも頭も切れる。そんなスーパーマン信長が人を引き付ける説得力が原作にはあったが、ドラマの信長は理想はあれど具体的な計画・行動はあまり計算出来ない人間として描かれている。

だから4話のポイント倍増作戦以降、井伊直政が信長を信頼するに至る経緯が原作よりも説得力がなく、何となくなし崩し的に皆が信長をリーダーとしてクラスがまとまっていく展開が気に入らなかった。原作だと井伊が信長側についたのはもっと明確でロジカルな理由があったし、喧嘩の強さと合わせて信長に対する評価が一変した印象的な場面だったから、ドラマの改変は何というか、クラス内でカースト順位が高い井伊を味方につけたから皆が信長についていったみたいな感じになっていた。

 

信長のキャラ設定の改変に関して不満は大いにあるが、一方で原作通りやれなかった大人の事情も薄々察せられるのもまた確かなんだよね。実は原作の信長って結構体を張るシーンが多くて、ボルダリングみたいなこともやったりするし流血もする。勿論、ワイヤーやメイクなどでその辺りはいくらでも映像化は可能なのだが、主演がキンプリの永瀬廉さんだから、万が一撮影中に怪我をされて今後のスケジュールに支障をきたしたらエライことだろう。だからあまり本格的なアクションを取り入れにくかったのかもしれないし、原作の怪力設定を薄くしたのもそういう事情が絡んだのではないかと勝手に推測している。

とはいえ、その点を考慮したとしてもドラマの脚本のカオスさというか無茶苦茶さは大いに問題がある。以上で挙げた不満ポイント以外にも色々と突っ込みたいポイントや不満はあるが、武将クローンというSF要素・頭脳戦としての旗印戦・歴史要素・学園ドラマ的要素、どれもが中途半端だし、黒幕の理事長の思惑にしても稚拙で幼稚なものだったから、全てが浅かったなというのが正直な感想で、これだったら何も原作漫画のドラマ化でなく完全オリジナル脚本で勝負してもらいたかったな。

 

あと私がここまで不満点や問題点を言うのは、このドラマが100パーセント完全にダメだった訳ではなく、キャスト、特に主演の永瀬さんに関しては原作の信長を演じるに相応しい方だったからだ。これが100パーセントどこも褒める所がない作品ならわざわざ不満なんて書かないしとっくに視聴を打ち切っていたのだけど、永瀬さんは原作の信長に通じる気だるげな雰囲気とアイドルとしてのカリスマ性を合わせ持った方だと思うし、演技面に関しては私がここで言及するまでもなく他の出演作で評価されている方だから、(スーパーマンまでいかなくとも)原作のカリスマ性ある信長も十分演じられたと思う。それだけに今回のドラマ化における脚本には厳しい評価を下したいし、視聴率が低いことについてもそれはある意味当然と言えば当然の話。ドラマの言葉を借りるなら「是非に及ばず」とでも言うべきか。