タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ドラマ備忘録:「貴族探偵」 ~これは「沼を掘る」作品!~

1月以降全然ミステリの話をしてこなかったので、流石にうちのブログの本意から外れているような気がしてきたから気を引き締めるというか、本来の自分に立ち返るような気持ちで今回は2017年にフジテレビで放送された「貴族探偵」について語ろうと思う。

 

貴族探偵 -Main Theme-

今から6年前、私が大学4回生の頃に放送された作品だけど、この年は新本格ミステリ※1の30周年という節目の年で、京都の大垣書店でそれを記念するイベントが開催されたくらいミステリマニアにとっては特別な年だったんだよね。そんな特別な年に麻耶雄嵩の「貴族探偵」がドラマ化、しかも主演があの相葉雅紀さんという奇跡の重ね合わせみたいな事態になったのだから、今振り返っても2017年は凄い年だったと思うよ。

制作側は月9ドラマの30周年として「貴族探偵」の映像化に踏み切った訳だが、だったら普通王道の恋愛ドラマにするのが定石で、わざわざ新本格ミステリの作家陣の中でも異質な麻耶氏の作品を映像化しようとした、これだけでもう異常としか言いようがないのです!(褒めてます)

 

ドラマ「貴族探偵」の素晴らしさに関してはファンなら重々承知のはずだし、改変の妙について詳しく解説したサイト※2もあるので、今回は敢えてこのドラマにハマれなかった、或いは何が面白いのか全然わからなかった人に向けてこの備忘録を書いていこうかと思う

 

※1:本格派推理小説 - Wikipediaを参照。

※2:「貴族探偵」はいかに改造されたか?(当然ですがネタバレありです)

 

麻耶雄嵩の作風

まずドラマのことを語る前に、原作者である麻耶雄嵩氏について語らないといけない。麻耶氏は綾辻行人氏や有栖川有栖氏といった新本格ミステリの作家陣の一人であり、「メルカトル鮎」シリーズや「神様」シリーズなどを生み出した作者だ。

メルカトルと美袋のための殺人 (集英社文庫)神様ゲーム (講談社文庫)

 

新本格ミステリはトリックやロジックといった謎解きを重視した作風で、あまり作中人物の心情や人間ドラマ的な部分を描かないという特徴があるが、麻耶氏の作品はそんな新本格ミステリの作品群の中でも特に異質というか、ミステリ小説のお約束すらも壊してしまう勢いのある作品を世に出している作家なのだ。

 

例えば、『夏と冬の奏鳴曲(ソナタ)』という作品では作中の探偵役が解決を明示せず読者にそれを委ねてしまう。『さよなら神様』ではいきなり真実(犯人の名前)が提示され、それに合った推理を登場人物がしていくという捻くれた構成になっている。『メルカトルかく語りき』は非常にロジカルな作品にもかかわらず、最後に明かされる答えが全て(犯人当てミステリとして)異常

 

こんな具合に麻耶氏の作品は非常にトリッキーでミステリ初心者には決しておススメ出来ないものが多い。麻耶氏の作品は国内外の有名な推理小説を50冊~100冊くらい読んで「あ~もう大体展開は読めるし、正直飽きて来たな~」と思ったレベルのミステリマニアが麻耶作品を読んでようやくその面白さがわかるという感じで、そういう経験値を踏まないことには氏の作風とトリックの凄さがわからないと思う。

だからドラマや映画として頻繁に映像化されている東野圭吾氏や宮部みゆき氏の作品を読んで「これがミステリの真骨頂だ!」と思っている人には永遠に新本格ミステリをはじめとするトリック・ロジック重視のミステリの良さはわからないと思うし、麻耶氏の作品は特に虚構性が強い設定で、トリックのために人間性を極限まで削ぎ落とした作品が多いので、そういう点でも読者を選ぶ作風なのだ。

(あ、別に東野氏や宮部氏の作品をディスっている訳じゃないですよ?)

 

ある意味「低評価」は当然と言えば当然、だけど…

以上の麻耶氏の作風を知っていただければ、ドラマ化決定の際に原作ファンが「麻耶作品を月9で!?正気か!?」と反応したのも理解出来るだろう。そう、そもそもドラマ向きの作家・作品ではないのだ。トリック・ロジックのために人と人が紡ぐドラマ要素を削ぎ落とす作家なのだから、いわゆるドラマ好きが見て楽しめる要素は原作にはないと思うし、ドラマ評論家が酷評・低評価を下したのも当然と言えば当然なのだ。

 

ただここでドラマ好き・ドラマウォッチャー界隈にちょっと喧嘩を売るようなことを言うかもしれないけど、もしトリック・ロジック重視のドラマはダメで人間ドラマこそ描くべきものだと主張する方がいたら「じゃあ貴方がたの言う人間ドラマってそんなに優れているものですか??普遍性の名の下にあぐらをかいて予定調和な物語を輩出しているドラマの何が優れているのですか??」と抗議したい。

確かにドラマは映画と違ってテレビ・配信で見るものだから家事のついでとか「ながら見」が出来る気安さというのも売りの一つであり、一概に予定調和な展開をバカにするのも間違ってはいると思う。とは言えよ?それを引き合いに出して「これは人間が描けてない」とか優劣を付けるというのも違うと思うし、「ドラマは人を描かないといけない」という絶対的なルールを壊す作品があっても良いと思うのだ。

 

そもそも新本格ミステリって「人が描けていない」という批判をモロに受けて来たジャンルの作品だし、そんなことは百も承知で作家陣は様々なトリックを生み出して来たのだ。そしてそのトリック・ロジックの面白さに読者が気付いているから今も活動が出来ている訳であって、でなかったら先ほど名を挙げた綾辻氏も有栖川氏も零細作家になっているか或いは全く別の作風に転換していないとおかしい。

 

あとミステリは他のジャンルの物語と違い受動的に情報を受け取っているようでは面白くないと思う。小説なら時系列とか手がかりとなるアイテムをある程度把握しないと後で探偵が語る推理についていけなくなるし、ドラマの場合は各シーンに映っているアイテムや登場人物の証言を見逃さない・聞き逃さないくらいの態度で挑まないと、やはり本格的な謎解きの面白さを楽しめないと思う。要は非常に「ながら見」に向かないジャンルの作品なのだ。

フジテレビで「貴族探偵」の審議会が行われた際に「登場人物が多くてわかりにくい」「一回見ただけではストーリーがわからない」「問題提起をスパンと出すべき」といった各委員の意見が出た※3ようだが、やはりこれはミステリドラマを受動的に見るからこういう意見が出る訳で、積極的に情報を探し出すくらいの能動性がないと劇中で何が起こっていて事件として何がおかしいのかを整理出来ないと思う。

 

だから本当に本格ミステリの映像化は難しいのだ。視聴者にわかりやすい作りにすると結果的にロジックやトリックの濃度を薄めないといけないし、説明的な台詞が増えて面白みに欠けてしまう。初見で全てが分かる作りにしろというのは正直無理難題に近い意見だ。

そして一般的な視聴者は登場人物に感情移入することを求める。つまりトリックやロジックというのはミステリ好きでない人からしたらクリスマスツリーの装飾物であってツリーそのものではない。しかし、ミステリ好きにとってトリックやロジックは木の幹であり枝葉となるもので決して装飾物ではない。この認識のズレもドラマ「貴族探偵」の評価を二分する所じゃないかと私は考えているのだ。

 

※3:番組審議会議事録概要 - フジテレビ

 

トリックを描いているから人間が描けていない訳ではない

これまで「トリック・ロジック」と「人間ドラマ」は相容れぬもののように語ってきたが、それは違う。トリックやロジックから作中人物の心理や行動パターンが読み解ける作品は数多くあるし、敢えて心理描写を描かずトリックを明かすことで視聴者(読者)に人物の内面を推測させるという手法をとった作品だってあるのだ。まぁ、麻耶氏の作品におけるトリックは作中人物の心理と必ずしも密接に繋がってるとは言えないし、むしろそういう点ではドラマの方がトリックと作中人物の心理とをつなげる改変をしていたなと評価している。※4

だからミステリ作品はそういう点でも親切じゃないというか、読む側見る側が意欲的に深掘りしないと発見出来ない面白さがある。でもだからこそ他のジャンルでは味わえない快感というのがあって、それはポジティブな発見だけでなく「この推理には無理があるのでは?」「このトリックは実際には実行不可能じゃない?」といったネガティブな発見も、ある意味ミステリを読み解く上での面白さなのだ。

 

※4:例を挙げるなら、4話「幣もとりあへず」で死体が風呂場からひきずり出されていたという謎が提示されたが、あれはドラマオリジナルの謎であり、犯人の心理や原作のトリックと関わるという点で面白い追加要素だったと思う。

 

ドラマの枠外で起こった異文化交流

本筋となるドラマの話から外れかけて来たので軌道修正。改めてドラマの話に移ろう。

togetter.com

記事の冒頭で言ったように私が今更ドラマの魅力を語らずとも既にまとめサイトでまとめられた絶賛の声を読めば凄さがわかっていただけるし、麻耶雄嵩の作家性を飲み込みやすい形で映像化した秀作だったと今も思う。ミステリとしても多重解決・信頼出来ない語り手・密室トリックとミステリの定番ネタをこれでもかと詰め込んだ幕の内弁当みたいな世界観で、実に「貴族探偵」というタイトルに相応しいゴージャスな作品だった。

 

ただ、ドラマの内容だけで終わらないのがこのドラマの更に凄い所だと思っていてそれをこれから語っていきたいのだが、当然ながらこのドラマって一般的なドラマとしては勿論のこと、ミステリとしても「これを見ておけばミステリマニアを自称出来る」みたいな、そんな作品ではないと思うし、相葉さんのファンにしても「ここに相葉雅紀の全てがある」と思っている人は流石にいないんじゃないかと思いたい。実際、ドラマの一般的な評価は決して高くなかった訳だからね。

でも、だからこそ私を含むミステリマニアは麻耶雄嵩という作家の特殊性をSNSを通して発信し続けたし、「今更『人間が描けてない』批判とか、ドラマ評論家もまだまだだな~」とかそういう軽口も叩けた。相葉さんの演技に関しても「棒演技」だとか「貴族らしくない」といった酷評っぷりでそこは彼のファンも少なからず心を痛めたと思っているが、ここでも麻耶雄嵩ファンを始めとするミステリマニアが「いや、これは麻耶作品だからこれで良いのだ」「これは普通の貴族じゃないのだ」と(擁護とは違うが)そういう意見で反論した。

これが切っ掛けかどうかは定かではないが、外野の評価が低かったがゆえに主演の相葉さんのファンとミステリマニアががっちりスクラムを組んでこの「貴族探偵」を応援することが出来たと思うし、ドラマでは相葉さんにまつわるアイテムが物語に盛り込まれたこともあって、相葉さんのファンとミステリマニアとの間でちょっとした異文化交流みたいな状況が生じたのもこのドラマのステキな思い出の一つと言えよう。

 

基本的にファンは同じファン同士で絡むことが多いし、いくら面白い作品があったとしてもその布教が全く別ジャンルを推す人に届くことって早々ない。「貴族探偵」にしても相葉さん主演で月9ドラマだったからこのような異文化交流が生まれたのだろうし、これが深夜枠のドラマだったらこのような現象には至らなかったはずだ。

 

あとこの異文化交流が成功したのは本作がミステリというジャンルだったのも大きいと私は思っていて、これが例えば恋愛ドラマだったらこうはいかなかったのではないだろうか。というのも、恋愛小説(ドラマ)を布教・おススメするとなるとシチュエーションに触れることになるが、シチュエーションに触れた段階である程度物語の筋が読めてしまう危険性があるし、かと言ってそれを伏せて紹介するとなると漠然とした布教・紹介になってしまう。

私は最近BLドラマ「美しい彼」の感想・考察をブログにアップしていたが、他の方の感想やおススメの仕方を見ても、両者の関係の尊さには触れられても、全く関心のない人にドラマを見させる文章が書けるかというとやはり難しいと思う。ファン同士のお茶会みたいなことにはなっても、外野の誰かを引きずり込むような沼としての感想だったり考察を書くというのは(恋愛ものだけに限らないが)至難の業だろう。

 

一方ミステリは比較的おススメしやすいジャンルだ。肝心なネタバレさえしなければ、物語のシチュエーション、登場人物、謎となるテーマといった具合におススメ要素を細分化出来るので、大邸宅を舞台にした連続殺人が好きな人なら綾辻氏の館シリーズなんかを勧めるし、密室殺人を扱った作品なら国内外に幾つもある。探偵が大活躍する作品に興味があるのなら代表的なシャーロック・ホームズ明智小五郎といったシリーズがあるし、血腥いのが苦手な方には人が死なないミステリをおススメ出来る。

勿論これは私がミステリ小説を何十冊と読んできたからこのようにおススメ要素を細分化出来るのであって、恋愛小説を専門に読んできた人なら同じように細分化しておススメ出来るのかもしれない。あくまでもこれは私タリホーの偏見に過ぎないことを断った上での主張と思っていただきたい。

 

ミステリというジャンルだから布教・異文化交流が成功したという私の主張に対して異論・反論は当然あるだろうが、それはともかく結果的に相葉さんのファンとミステリマニアとの間の相乗効果があったというのは紛れもない事実だし、それがなかったらドラマ9話放送前の原作「こうもり」の予習キャンペーンも広まらなかったことは間違いない。普通は原作とドラマの両方を履修するって原作のファンじゃないとやらないことだし、放送前に改変に注目するというのも他の原作を元にしたドラマではなかなか意識されない部分だ。

togetter.com

 

正直9話に関してはドラマ制作陣がどんなに頑張っても「こうもり」の映像化は成功しなかっただろう。これは原作を知っていないと改変の妙がわからないし、知っていたからこそのサプライズが盛り込まれていた。だからこの9話に関してはドラマ制作陣と我々視聴者の共同作業によって完成された作品と言っても過言ではないと思うし、あの予習キャンペーンにしても別にドラマ公式が「原作を読んでね!」と働きかけをした訳じゃなくてほぼ自発的に広まったキャンペーンなのだから、それだけに当時リアタイで9話を視聴しその興奮を味わえたことが凄く特別な体験として残っている。

 

まとめ

以上、私なりにドラマ「貴族探偵」の特殊さというか、何故これだけの熱量をもって視聴していたかを自分なりに語ってみたが、「貴族探偵」を沼として例えるなら直径30~40センチの沼である。つまりうっかりハマるタイプのものではなく意図的にハマる気がないとハマれないような沼だし、ハマったからといってその深淵まで行きつけるかというと多分ほとんどの人は無理じゃないかと思う。

「ある意味『低評価』は当然~」の項でも言ったように、受動的にドラマだけを見て楽しさ・面白さを得ようという態度では永遠につまらないドラマのままだし、自ら沼を掘る(同じテーマ・シチュエーションのミステリを読んでみる、作中で実行されたトリックが可能か検証してみる、原作との違いを比べる)くらいの勢いがないといけない。でもそうやって能動的に掘った者には他のドラマでは味わえない体験があるというのがこのドラマ「貴族探偵」の唯一無二な点であり、それがミステリという広大な沼へと繋がっていくのだ。

 

もしこのブログを読んでドラマ「貴族探偵」に興味を持たれた方は、沼を掘る作業として国内外のミステリ小説を読むことを私からおススメする。国内だと先ほど挙げた新本格ミステリの作家のものが良いし、海外だと最低限エラリー・クイーンは読んでおかないといけないだろうね。