タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

後半になって急に面白くなった「全ラ飯」についてちょっと語る(蛙化現象と過程を飛ばす一条)

録画したはいいけど見るタイミングがなかったり、「別にこれは今すぐ見なくてもいいか…」と後回しにするドラマが最近は増えていて、その中の一つにカンテレで深夜に放送されている「全ラ飯」があった。

 

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金融庁勤めのエリートサラリーマンである一条颯太と、一条の亡き祖母・みづ知が住んでいた町で青果店を営む青年・三木真尋が、一条の祖母が遺した世界の料理レシピを通じて互いに関係を深めていくという物語。ジャンルとしてはBLドラマに分類出来るが、ドラマタイトルの「ラ」には一条のストレス解消法である全裸での食事、つまり全裸の「ラ」だけでなく、恋愛(ラブ)としての「ラ」や人生(ライフ)としての「ラ」という意味も込めているようで、当然料理も出て来る訳だから一種の飯テロ的なドラマでもある。

 

一つのテーマにしぼらず恋愛だったり登場人物の生活・人生を盛り込んだドラマなので、正直前半の5話まではちょっと物語として散漫というか、本筋である一条と真尋の関係の進展があまりなく、一条の後輩の女性社員のトラブル解決とか職場のお偉いさんの銀婚式とか外堀・枝葉の部分ばかり描かれていたので何かイマイチだな~、盛り上がりに欠けるな~と思っていた。

でもこのドラマ、6話から急に恋愛ドラマとしてアクセルを踏んできて、真尋が眠っている一条にキスをしたことを切っ掛けに両者の誤解とすれ違いが勃発。しかも一条の後輩社員である小町が一条との交際を申し込んでくるわ、真尋の元彼が現れるわで急激に周辺の人間関係が恋愛ドラマの様相を呈してきて、「オイオイどうしたんだ脚本」って戸惑いを覚えながらも、ゆる~くぬる~く関係性が発展するようなドラマじゃなくて良かったとも思っている。要はやっと自分が見たい展開にドラマは移行してきたなという感じである。

 

(ここからドラマのネタバレあり)

 

「過程」をすっ飛ばしがちな一条

本作の主人公である一条は金融庁の広報室に勤めるサラリーマンで、上司や同期・後輩社員からも慕われているエリートだが、周囲に気遣い隠れて残業をしたりとストレスを溜め込みがち。その反動からか、自宅では全裸で食事をとるという異様な手段でストレスを解消している。この設定のちょっとぶっ飛んだ感じに興味が湧いてドラマを見ようと思った訳だが、ドラマを見ていくと自身の孤独な環境や共有出来ないストレスを「全裸飯」という非日常的な手段で解消しようとしていたのだろうと何となくわかり、個人的には腑に落ちたというか、いたずらに盛った設定ではないと思った次第だ。

この「全裸飯」も含めて一条の行動・思考を見ていると、一条って結構「過程」をすっ飛ばす傾向がある人間だな~って私なりに彼のパーソナリティーを分析している。例えば2話では「全裸飯」を真尋に見られてしまい、その言い訳をしようと料理を作る気がないのに野菜の注文をして真尋を呼び出している。7話では真尋に「キスしてみないか」と言葉をかけ拒絶されてしまうが、これに対し8話で一条は真尋にキスされた時に生じた心のモヤモヤが真尋に対する恋愛感情によるものかどうか確かめるためだと告白し、余計に真尋を傷つけてしまう。

 

これは一条に限らずわりかし男性がやらかしがちなミスだと私は思っているが、手順を踏んで徐々に解消していけば良いのに今すぐ解消しようとして大事な過程をすっ飛ばしている。一条の場合は「全裸飯」というストレス解消法から見ても即効性のある解消法をとっているし、2話・7話の行動にしても短絡的で自分本位な考えに陥りがちということがわかる。そもそもキスって恋愛ドラマでは山場だったりクライマックスの時にするものなのに今の段階で、真尋が自分に恋愛的感情があるのかどうかもハッキリしてない時点でそういう行動をとったのだから、9話で小町が指摘したように恋愛偏差値が低いと言われて当然なのだ。

 

仕事は出来ても心情の面で未熟な所が一条にはあったとこれだけでもわかっていただけると思うが、この一条の未熟さは個人的には子供っぽい未熟さだと感じていて、それが一条が真尋に惹かれる理由と関わっているんじゃないかなと思っている。

実はちょっとドラマを見ていて気になったことがあって、物語の中で一条の祖母(みづ知)の存在は何度も言及されているのに、一条の両親の情報は全くと言っていいほど出てこない。これは脚本が意図して情報をカットしているのかそこまではわからないけど、祖母との想い出はあるのに両親に関して言及がないということは、一条の家庭環境も真尋と同じように実は複雑で、それが原因で共有出来ない孤独感や寂しさを抱えていたのではないかと、そう思わざるを得ないのだ。真尋と料理をすることに安心感や楽しさを覚えたというのも、二人の共同作業の中に家庭的な要素や、もっと言うと真尋に対して母性的なものを感じ取ったからではないかと考えられる。「流石にそれは考えすぎじゃない?」って突っ込まれるかもしれないけど、真尋と料理をしている一条が、母親に料理を教えてもらっている子供のように見える時があったから、それでついそんなイメージというか仮説が出て来たのだ。

 

真尋の拒絶は蛙化現象なのか?

クスクスな出会い

7話での一条からのキスの提案に真尋は拒絶、「好きでもないのにそういうことするな」と彼の意思を突っぱねてしまう。この場面を見た時私は、つい最近SNSで話題になった蛙化現象という言葉が頭をよぎった。

ja.wikipedia.org

蛙化現象は自分が好意を抱いている相手が自分に好意を向けて来た途端に、その相手に嫌悪感を持つという現象で、グリム童話の「蛙の王様」が語源となっている。7話では正に真尋が学生時代の出来事が切っ掛けで片想いをしていた一条が自分に好意を向けて来た、それも友情ではなくキスという恋愛的行為としての好意だから、蛙化現象と判断しても良いと最初は思った。

ただよく考えると、蛙化現象は相手に対して生理的嫌悪感を抱くのが一般的で、一条のキスの提案にしても明確な好意というよりは自分の気持ちを確認するというボヤけた部分があったから、厳密には蛙化現象とは違うかもしれないと思ったので、改めてこの辺りの両者の状況や心情を考えていきたい。

 

真尋が一条を好きになったのは、学生時代に両親の仲が悪化し離婚することになり、学校でも周りから腫れ物にさわるような扱いを受け孤立していた中で、一条だけが彼を思って弁当を譲ってくれたという出来事が切っ掛けとなっている。これが現在の真尋の仕事に影響していることを思うと、真尋のアイデンティティの一部を形成したと言っても良いレベルの凄い出来事だし、その二人が再会したのだからそれこそ劇中で言われたように運命的な再会だったという訳だ。

6話の最後では、一条が真尋との関係を家族的な交際として認識していたため、そこでつい自分の内側にある一条に対する恋愛感情、つまり一条が夢で見たキスは実際に自分がしたことだとカミングアウトしてしまう。もっと深い関係性になりたいという内に秘めた強い思いが思わず出てしまった結果とはいえ、それが一条を戸惑わせ、あのキスの提案になったことを思うと、ある意味見ようによっては今回の一連の流れは真尋の自分勝手な行動・言動の結果であり(言い方は厳しいが)自業自得とも思えてしまう。

 

真尋の拒絶は今まで友人・家族的交際として振る舞っていた一条がキスが切っ掛けで途端に恋人的な行為をしてきたという一条の急激な変化に対する不信感があってのことだろうし、もしかしたらその不信感の大本には両親の離婚や学生時代に孤立したことも多かれ少なかれ関係していると思っているが、一条にしても真尋にしても、お互い関係性の詰め方や心情的な部分の理解が未熟ということもあって、大きなすれ違いとなってしまった。

私が一条に対して何か言うとするなら、さきほど言ったように恋愛としての過程を色々すっ飛ばしていきなりキスというのは流石に拒絶されて当然だし、8話で「自分の気持ちを確かめる」ためにキスしようとしたというのは、結局自分本位というか相手を思ってのことじゃないからデリカシーがないよなと、彼の残念な面を批判したいかな。

真尋は自分の感情に負けて互いの関係を悪化させてしまったから、そういう意味では不器用な子だと思うんだよね。「自分の気持ちを確かめる」ためにキスしようとした一条の言葉に、「じゃあ確かめて違う、ってなったらどうするつもりだったのか」と問い返していたが、一条がサイコパスとかでない限りは「違うからハイさよなら」とは流石にならないってことは最低限伝えたいと思う。

 

あとこれは一条と真尋の両者に対して言いたいことだけど、人間の感情って電源ボタンのオン・オフみたいに切り替えられるものじゃなく、グラデーションのように連続的・段階的に変化していくものだし、一条はそれを踏まえて関係を深めるプロセスを大事にしてほしいし、真尋は感情がグラデーションであることに気づけたら絶望・失望も多少はやわらぐのではないかと思っている。

ドラマはまだ未完結で12話で終わるようだが、真尋の元彼がこれから登場してまた劇中の人物の関係に変化が起こっていくみたいなので、ドラマ完結後に語れることがあったらその時は再度感想をアップするつもりだ。