海賊の歌といえばヨーホーヨーホーのあれを思い出すが、山賊の歌なんてものがあるとは原作を読むまでついぞ知らなかったわ。
(以下、原作とドラマのネタバレあり)
4話(記憶喪失の爆弾魔)
今回のエピソードは原作4巻所収の「雨は俎上に降る」。ポテトサラダを食べに外出した久能は道中一人の男性と出会い話をしていくが、どうもその男性は記憶喪失状態で、しかも会話していくにつれその男は世間を騒がせる爆弾魔だと明らかになる。男は記憶喪失になる前に爆弾を仕掛けたことを思い出すが、果たして爆弾はどこに仕掛けられたのか?そして彼の犯行動機は何か?…といった謎を久能は解く羽目になる。これが今回のざっくりとしたあらすじだ。
ドラマではバスジャック事件の後、この爆弾魔騒動に久能は巻き込まれるが、原作ではバスジャック事件と爆弾魔騒動の間に久能は広島に赴いており、そこで狩集家の遺産相続絡みの事件に巻き込まれる。この事件は原作の2~4巻で描かれる長編で、横溝正史の作品のオマージュにもなっている。流石にドラマだと(予算の都合といった理由で)映像化が難しいのかカットされることになったが、読んだ感想としてはなかなか面白かったし横溝作品の某名作に通じる犯行動機を現代を舞台にして描いた原作者の挑戦を評価したい。
ドラマ冒頭、久能は爆弾魔が提示した暗号の解読を風呂光に依頼されるが、これはドラマオリジナルの展開で、原作にはない。恐らく原作の分量だとドラマ1話分の尺に満たなかったから追加されたと思うが、この暗号解読の際に出て来た江戸川乱歩『黒蜥蜴』、エラリー・クイーン『Yの悲劇』、アガサ・クリスティ『ABC殺人事件』はいずれもミステリマニア必読の傑作ミステリなので、興味ある方は是非読んでいただきたい。ちなみに映像化もされてるよ。
暗号自体はさほど魅力的ではなかったが、この追加要素によって今回爆弾魔が爆弾を仕掛け、それを警察に予告した動機がより鮮明化したという意味で、この追加要素は効果的だったと思う。
ちょっと話は変わるが、今回の暗号に国内外の古典ミステリのタイトルが用いられたとはいえ、爆弾魔・三船のキャラクターは古典ミステリに出て来るような典型的な犯人像では全然なく、比較的近年の本格ミステリ、それも島田荘司氏の作品に出て来そうなキャラクターだなと思った。
実は原作の今回のエピソードを読んだ時、島田氏のある短編を思い出した。その短編というのは「糸ノコとジグザグ」という奇妙なタイトルで、確か『毒を売る女』に収録されていたはず。
「糸ノコとジグザグ」はクリスマスイブの晩、とあるラジオ番組の生放送中にリスナーが投稿した一編の詩から始まる物語で、今回の物語とある種同じ暗号解読系のミステリとなっている。その短編に登場する詩の投稿者が、今回の爆弾魔と何となく似通っていると私は思ったのだ。
この「糸ノコとジグザグ」はコミカライズされており、現在無料で読める(↑)ので是非読んでもらいたい作品だが、今回のドラマでも描かれた複雑な二重心理――「誰にも知られず目的を達成したいという思い」と「誰かにわかってもらいたいという思い」――を描いているのが特徴で、そこに単純な謎解きミステリ以上の人間ドラマがつむがれている。なおかつ、この作品に登場するラジオ番組のDJ・林が抱える過去の過ちが犬堂ガロの過去の後悔と同じものだったから、余計につながりや共通項のようなものを感じてしまうのだ。
ミステリ作品には「犯人は誰か」「どんなトリックが用いられたのか」という謎解きのカタルシスに特化した作品もあれば、この「糸ノコとジグザグ」や今回のドラマのような人間心理に肉薄していくタイプのミステリもある(両方の要素を備えたミステリだってあるよ)。「ミステリと言う勿れ」は比較的後者に重点を置いた作品だが、今回の物語では母親に対する愛と憎悪という相反する感情を犯行予告の暗号として表現している。
大抵の人は今回の犯人のように過去の嫌な思い出なんて無い方が良い、消してしまいたいと思うだろうが、良い思い出も嫌な思い出も込みで人格・アイデンティティは形成されるものだ。それは無意識に形成されていくものだから簡単には理解出来ないし、受け入れがたいものだが、それを神様の贈り物と受け止められた時に新たな道が開けるのだろうと、そんなことを何となく私は思いながら今回のドラマを見終えた。