タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

【最終回】四人が選んだ"依存"と"逃避"【ノッキンオン・ロックドドア #09】

四年前、私はこの原作はドラマにピッタリの作品だと言っていた。

そして四年後の今、このドラマは最終回を迎えた。

原作読了から四年の待望と二ヶ月ちょっとのドラマ放送を経た訳だが、それでは最終回の感想を語っていくこととしよう。

 

(以下、原作を含むドラマのネタバレあり)

 

「ドアの鍵を開けるとき」

ノッキンオン・ロックドドア2 (徳間文庫)

最終回は原作2巻の最終エピソードである「ドアの鍵を開けるとき」。シリーズの縦軸として倒理・氷雨・穿地・糸切の四人の間でパンドラの箱の如く扱われてきた6年前の密室殺害未遂事件の謎を解く物語で、何故彼ら四人が探偵・刑事・犯罪コンサルタントの道へ進むことになったのか、彼らの知られざる裏の物語がこのエピソードで明かされる。

ドラマは約30分でこのエピソードを描いたため細かい部分が省略されており、特に原作でじっくり捜査の過程を描いた「連続ボウガン事件」はダイジェストとして省略されている。省略されたのは少々残念ではあるが、このエピソードの本題はこの事件ではなく密室殺害未遂の方なので、この省略は妥当と言ったトコだろう。

 

今回はこれまでに比べると改変はほとんどなく、ボウガン事件の容疑者である杵塚が君塚という名になっており、保険金目当てで両親や関係者を殺害したという設定が追加され、原作以上に悪辣な人物として描かれている程度だ。原作の杵塚はあくまでも犬殺ししかやっておらず犯罪としては軽いものだったが、ドラマは君塚を法の網をくぐり抜けた犯罪者として強調しており、だからこそこの後起こる密室殺害未遂事件にも重みが出て来るという点で、この改変は原作の補強になっていると評価して良いだろう。

 

さて、倒理が被害者となった密室殺害未遂事件の謎はこの二つ。

〈How〉犯人はどのようにして現場を密室にしたのか?

〈Why〉何故犯人は現場を密室にしたのか?倒理が壁に書いた「ミカゲ」は何を意味するのか?

部屋の扉と窓は内側から鍵がかかっており、ドアの鍵はコタツの上にあったコーヒーの中に浸かっているというシンプルなもの。鍵は普段電灯の紐に吊るしてあったはずなのに、電灯の紐が切れてカップの中に浸かっていたことが、事件解明の手がかりとなる。

 

※ちなみに、DVD/Blu-ray に収録されているディレクターズカット版では、四人の学生時代の関係性や、ボウガン事件の犯人を特定するに至った推理と根拠がキチンと描写されている。また、密室殺害未遂の方は電灯の紐を切った理由は言及されているものの、(原作と違い)犯人がカギをかけて密室にした理由までは語られていない

オーディオコメンタリーでは主演の二人と堤監督による撮影当時のお話を聞くことが出来るが、夏場で冷房もなしでの撮影だったとは…!

(2024.04.18 追記)

 

探偵は事件を「解決」しないといけない

原作未読の方のために原作者の青崎氏が Twitter で補足説明をしていたが、この事件の直前に糸切と倒理は二人で探偵業をやろうと話しており、穿地は一族が警察出身者のためそれに倣って警察の道へ、氷雨は製薬会社の営業部に就職するはずだった。しかしその運命を狂わせたのが密室殺害未遂事件であり、連続ボウガン事件に関わらなければ予定通りの道を進んでいたかもしれない。

そんな彼らの運命を狂わす原因となった連続ボウガン事件で描かれたのは「法の網をくぐり抜けた犯罪者」に加えて「真実は告げられるべきか?」というテーマも横たわっている。これはミステリの女王アガサ・クリスティも晩年のポワロシリーズで取り扱っているくらいミステリにおいては定番のテーマであり、善悪を考える上でも重要となる。

本作では犬を殺された被害者遺族である杉好に犯人と真相を伝えるべきかという点で四人の間で意見が衝突する。倒理は被害者遺族に真実を伝えるべきという意見なのに対し、他の三人は真実を伝えて杉好が君塚を殺害したら結果的に犯罪を後押しすることになる、確たる証拠がないのに軽率に真実を伝えてはならないという意見で反対する。

真実を伝えねば犯罪者を見逃すことになり、真実を伝えたら新たな犯罪者を生むことになるかもしれないという正に究極の二択問題。ドラマや原作を見た方は既にご存じの通り、結果真実は遺族に伝えられたのだが、この事件で糸切美影は自分が探偵に向いていないと悟る。

探偵は「推理」だけでなく事件を「解決」しないといけないのだと

 

「探偵は事件を解決する者」という定義は2017年にフジテレビで相葉雅紀さん主演でドラマ化した貴族探偵(原作は麻耶雄嵩の同名作品)においてそれがユニークな形で提示されていたのでそれを元に話をするが、「推理」というのは老若男女問わず誰でも出来る行為・能力であって、探偵の本分ではない。探偵は事件を解決することが本分であり、解決に導けるのであればいかなる手段を用いても構わない。使えるのなら超能力でも良いし、極端な話アウトローな手段をとったとしても、依頼人の希望に沿う形であれば、過程は問題にならないのだ。

そして「解決する=真実を明らかにする」ことではない依頼人が真実を求めているのならともかく、そうでない場合もある。これは先述したアガサ・クリスティの某作品でも描かれており、必ずしも真実を公にすることがプラスになるとは限らない。推理から導き出した答えをどう取り扱い解決に導くか。それこそ探偵が最も重視すべきことなのだ。

 

以上のことを踏まえると糸切が探偵に向いていないと悟ったのも理解出来る。彼は推理力に関しては四人の中でも抜群であったが、解決に導くという肝心の能力が欠けていた。いや、能力が欠けていたというよりは解決する際に生じる探偵としての責任を背負い込めないと言った方が正確だろう。解決が全て良い結果になるとは限らないし、依頼を受けたことが切っ掛けで誰かに恨まれたり、誰かの人生を壊してしまったりと新たな悲劇を生むことだってある。探偵とは誰かの人生に深く関わる仕事なのだから、そこに介入するには相当の覚悟と責任がいる。その責任を背負いこむだけの心の容量が糸切美影には無かったというだけの話だ。

 

かくして糸切は手段だけを提供し、その後の相手の人生や成り行きには干渉しない犯罪コンサルタントの道を選んだ。原作でも彼は「身軽さ」を重視しており、背負いこむものは少ない方が良いと言っていたが、責任から逃避したとはいえ完全犯罪を目論んだり悪を栄えさせようといった意識はない。倒理や氷雨・穿地に不可能犯罪をお題として出している辺り、ビジネスとして完全犯罪は提供するが、犯罪は暴かれるべきであるという矛盾した倫理観があり、歪んではいるが彼なりの正義感として三人に依存していることは事実だ。

 

原作では糸切が6年前の事件を今になって明らかにしようと思い立った理由が不明でそこがモヤっとしたポイントだが、ドラマでは前回の検事射殺事件で穿地が刑事を辞めることになったので、自分切っ掛けでかつての仲間の人生を狂わせたことに罪悪感を覚えたのか、6年前の事件を明らかにして彼女の決意を思い止まらせようとした、という形で描かれている。彼なりの罪滅ぼしということもあるだろうが、穿地が刑事を辞めてしまったら自分が提供した犯罪計画が完全犯罪になってしまう恐れもある。だから彼女を警察組織に留まらせておきたいのだという利己的な考えも多少はあるかもしれない。

 

贖罪としての探偵

糸切も歪んでいたが、倒理・氷雨の歪みもなかなかのもの。殺意が無かったとはいえ氷雨は倒理を傷つけ、倒理は傷が深ければ死んでいたかもしれなかった。そんな加害者側の氷雨が二人で探偵をやろうと提案し、被害者側の倒理はそれを(条件付きとはいえ)受け入れたのは第三者から見ると異様としか言いようがない。

 

恐らく氷雨の理屈としては、自分が糸切という名探偵を倒理から奪い糸切を犯罪の道へ歩ませてしまったことに対する贖罪の念から探偵業の提案をしたと考えるべきだろうか。そして自分が探偵として事件を解決することによって罪滅ぼしをしていくという思いもあるだろう。糸切と密会していながら彼を倒理や穿地に突き出さなかったのは、自分が罪を犯した人間だからその資格がないという認識あってのことだろう。

一方の倒理は友人を犯罪者にしたくなかったということに加えて、感情的な問題を扱うと暴走してしまうことを今回の一件で自覚したというのも大きい。理性的に考えれば氷雨ら三人の意見が正しいのに、自分ごととして被害者側の心に共感し寄り添い過ぎてしまうのはビジネスとして探偵をやる上では欠点になりかねない。だから彼は感情的な問題、つまりホワイダニットという動機からは距離を置いてその分野を氷雨に一任するという形で探偵をやることに決めたのだろう。

 

この最終回の内容を踏まえて初回の画家密室殺人事件を振り返れば、倒理が何故傍若無人な振る舞いをしたのかわかる。彼は人の心がないから傍若無人なのではない。むしろわかり過ぎるから人との心理的な距離をとることに必死という感じなのだ。それは事件解決後の由希子夫人との会話からもうかがえることで、多分6年前の倒理だったら由希子夫人のやった一種の完全犯罪――夫と息子を犠牲にして画家に返り咲く――に怒りを示したと思う。あのように冷静に対処出来たのは氷雨との一件があったからだろうし、あの時に彼は清濁併せ吞むことを身をもって学んだと考えられる。

 

糸切は責任から逃げ、倒理は感情と距離をとり、そして氷雨は贖罪という形で倒理に依存をした。この三人の病的な歪みに比べれば穿地はまだ健全というか一人だけ蚊帳の外に近い状態だったので変に歪むことがなかったと思う。とはいえ彼女も完全に独立・自立した人間という訳ではなく、謎解きには倒理と氷雨の力を頼っている部分はあるし、そういう点では依存していると言える。まぁ男三人の病的な依存関係に比べたらドライな依存なのだけど。

 

総評

さて、これで四人が抱えていた事件の謎が明かされ、それぞれが今の道を歩むことになった理由についても以上の分析の通りである。「穿地は糸切だけでなく倒理や氷雨もぶん殴って良い」という感想を見かけたけどホント「それな」としか言いようがないわ。

 

これでドラマも終わりということで最後に総評としてこのドラマの評価をすると、まずこれまで当ブログで何度も言及してきたように、脚本による原作の改変が実に秀逸で毎回毎回ちゃんとドラマとして意味のある改変をしていることが読み解けて、こうしてブログで詳しく解説が書けたのは私にとって楽しくもあり嬉しいことだった。

原作は一話一話が単なる謎解きだけのミステリなのに対し、ドラマは単なる謎解きだけで終わらないミステリとして描かれたのは、やはり小説と映像作品という媒体の違いも大きく関係していると私は考えている。小説の場合は1つがさほど重みのない短編であっても、それが短編集という一冊の本になればまとめて7つ(2巻は6つ)のエピソードを読めるから充実度の高い作品となる。しかしドラマは小説と違い連続で次のエピソードを見ることが出来ないし次のエピソードが放送されるまでに一週間時間が空いてしまう。そのため、一つのエピソードをそのまま原作通りやってしまうと謎解きだけの軽いミステリとして視聴者の印象に残ってしまう。だからこそ一つ一つのエピソードに原作にはない犯行動機や設定を加えて重量感のあるミステリにしたと私は思っている。

 

また今回ドラマ化されたエピソードも適当に選ばれたのではなく最終回の6年前の事件につながるようなエピソードがチョイスされているのも見逃してはならない。

2・3話の議員毒殺事件は氷雨が探偵になった動機に関わる「贖罪」が重要なワードになっていたし、4・5話の女子高生失踪事件では最終回の真相につながる布石として「倒理がいなくなったら僕は追いかけるけど、僕がいなくなっても追いかけないで」ということを氷雨に言わせた。7・8話の検事射殺事件は本来自分に関係のない事件に関わったことで別の悲劇が生じたという内容になっており、これは6年前の密室殺害未遂事件の構図と似ている。6話は制作側が映像化したかったミステリということで最終回にリンクする要素はないけど、1話に関しては倒理が土足で四ノ宮家にあがって氷雨に注意される場面があり、最終回では逆に氷雨が倒理の部屋に土足であがって注意されている。初回に敢えて氷雨の常識人的要素を強調しておくことで、最終回において氷雨の異常性というか常軌を逸した面が際立つのだから、この対比的演出は連ドラならではで良かったと思うよ。

 

演技面に関しては私は素人なのであんまりエラそうに言える知識はないが、松村さんも西畑さんも原作の倒理・氷雨のキャラを見事に演じていたと思う。実を言うと YouTube のなにわ男子公式チャンネルで普段の西畑さんの様子を見ていたので、いざドラマで西畑さんが氷雨を演じているのを見ると「何かキザったらしくカッコつけてるな~…ww」という風に最初は思った。しかしよく考えれば氷雨は当初から探偵になろうと思ってた訳ではなく贖罪の念から探偵になった人間なので、ナチュラルではなくどこか背伸びをして探偵らしく振る舞っている様氷雨の演技として実は大正解であり、原作既読だったからこの演技プランについては割と早い段階で見抜けたのではないかと思っている。

 

ということで、長くなったがこれにてノキドア感想・解説を終える。出演者をはじめとするスタッフの適格な仕事によってノキドアは当初の予想を超えたクールでスタイリッシュな、それでいて面白い本格ミステリドラマとなって原作ファンとして満足です。シナリオブックもDVDも購入しますし、続編も是非やってもらいたいですね!

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(最終回当日に「あつまれどうぶつの森」でノキドアの事務所を再現してみました)