タリホーです。

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ゲゲゲの鬼太郎(5期)第14話「鬼太郎死す!? 牛鬼復活」視聴

今回は11月4日までの配信。

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牛鬼

牛鬼については6期22話の感想記事で言及しているが、伝承で伝わる牛鬼については触れていなかったのでここでおさらいしておく。

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牛鬼は西日本の海岸や、近畿・中国地方の沼・淵などに出没した記録が残っている妖怪。出没場所の違いはあれど凶暴な性格は共通しており、人を食い殺したり毒をまき散らして人々を病気にさせたりと、かなり恐ろしい妖怪である。鳥取や島根では蓑にまとわりつく怪火のことを牛鬼と呼ぶが、それ以外の地域は頭が牛で胴体が鬼の姿の妖怪として伝わっている。

アニメでは2期以降連続で映像化されている定番のエピソードで、今回の5期でも瀬戸内海の地域に出没する妖怪として描かれている。具体的なことについては後述するが、この5期の牛鬼は原作やこれまで映像化された各期の牛鬼と比べて脚色の要素が強い。この改変が物語としてどうだったかを今回語っていこうと思う。

 

迦楼羅

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原作やこれまでの鬼太郎アニメで牛鬼を退治・封印してきたこの神様はインド神話ガルーダが前身となっており、仏教では千手観音を守る二十八部衆の一員として配されている。衆生の煩悩である三毒を喰らう怪鳥としても信仰されている。

(が、新桃太郎伝説というゲームでは何故か悪役として登場していることで一部の間では有名)

 

友情を優先した牛鬼回

6期の感想記事でも言及しているように、牛鬼回は基本のプロットが決まっており、各期で大体は共通しているが、その中でも特に改変要素が多かったのがこの5期だ。特に最大の改変となったのは、牛鬼が知性のある妖怪として描かれている点である。

原作を含めて牛鬼は知性のかけらもない妖怪として描かれており、食糧となる人間を狙って執拗に襲い家屋を破壊する怪獣として描かれているが、この5期では人語を理解し鬼太郎を罠に嵌めるだけの知性がある。しかも、口から糸を吐き相手を絡めとることも出来るから能力的には過去作の牛鬼で一番強いのではないだろうか?ただ、強い割には直接人を獲って食うのではなく、捕らえた人間の恐怖を吸い取り糧としているので、図体と見合わない印象も正直受けた。

 

で、今回の物語は鬼太郎とねずみ男の友情を中心に置いた物語のため、牛鬼の改変要素とこの物語がうまいこと組み合わさっているかどうかを今回の評価ポイントとしたが、ハッキリ言って今回この組み合わせは失敗だったかなと思う

脚本はお馴染み長谷川氏によるもので、これまで当ブログで言及してきた分については好意的に評価してきたものの、今回に関しては挑戦的な改変をしたとはいえ、残念ながら幽霊電車や以津真天回ほどの秀作として生まれ変わらなかった。

 

では何故秀作になりきれなかったのか自分なりに考えてみたが、やはり最大の原因は牛鬼の改変にあると思う。

今回の物語はねずみ男のような奴でも自分を犠牲に出来る鬼太郎を描き、それにより理屈を抜きにした友情を描こうとした。そのためねずみ男が牛鬼となり、そこから原作通り鬼太郎が牛鬼になってしまう展開となるが、そこで「牛鬼を殺した者が牛鬼となる」原作のルールを採用してしまうとねずみ男が帰らぬ人となってしまう。だから牛鬼に知性を与え、牛鬼の都合で相手の身体を選んで移れるように改変されたのだろう。

しかし、この二人の友情を優先したが故に却って牛鬼の強さや行動原理に納得のいかなさみたいなものが出て来たのも確かで、その点についても言及しておきたいと思う。

 

牛鬼の怖さは原始生物的恐怖

そもそも原作における牛鬼の怖さとは何か考えたことはあるだろうか?

怪獣的な怖さなら蛟龍や大海獣といった存在があるから、怪獣の怖さだけでは牛鬼の怖さは語れない。やはり「殺した相手に寄生して生き続ける」牛鬼の習性こそが恐怖を引き立てていると思うのだ。牛鬼に殺されるかもしれない恐怖は当然ながら、自分の知っている人が牛鬼になるかもしれない恐怖、自分自身が怪物になってしまうかもしれない恐怖といったものが付随しているから、鬼太郎作品でも有名なエピソードとして何度も映像化されてきたと思う。

この牛鬼の不死性はアメーバやプラナリアみたいな生物に近いなと思っていて、牛鬼が知性なき妖怪として描かれているのもこの不死性が原始的かつ単純な生体構造(本体が生きた気体)だからではないだろうか?知性がないから行動に予測がつかず、完全に殺すことが出来ない。何といえば良いだろうか、原始生物的な恐怖が牛鬼にはある、とそう表現したい。

 

牛鬼回はプロットをいじるべきではない

以上の牛鬼の恐怖についての個人的意見をふまえると、知性があり自由に相手に寄生出来る5期の牛鬼の能力と行動に納得いかないというか、生物的に無駄な動きをしているのではないかと思う所がある。

そもそも口から糸を吐いて相手を絡めとったり、寄生した相手の記憶を利用して罠を張れるのなら、わざわざ大きな体を動かして人々を襲わなくても、今回鬼太郎を洞窟に誘い込んだ手口と同様に人々を洞窟に誘い込んで捕らえれば良いのだ。あんなに派手に動き回ってエネルギーを消費せずとも賢く糧となる人間を充分得られるはずで、それだけに今回の牛鬼の行動には違和感があったのだ。

それに人を食うのではなく恐怖を吸うというのも原作にあった怖さを殺す結果になっていて、何故そんな改変をしたのかイマイチ理解出来ないのも評価を低くした理由の一つである。魂を喰らう夜叉や生気を吸い取るがしゃどくろ・子供を食べようとした海座頭と比べてもやはり恐怖を吸うというのはあまり怖さを感じないだろう。

 

鬼太郎とねずみ男の友情を描くのは結構だが、今回はその描写のために牛鬼の設定をあまりにも犠牲にしてしまった。そして二人の関係に尺を割いたため迦楼羅様の存在も空気みたいになっており、現在アニメ化された牛鬼回で唯一迦楼羅様の台詞がないのがこの5期なのだ。

改変自体がダメだとは言わないし、原作の鬼太郎は余白の部分も多いから改変によって新しい見方・解釈が出来るのもアニメの面白い部分だと思う。ただ、この牛鬼回に関しては改変すればするほど悪化するのではないかというのが2~6期の牛鬼回を見て思った意見であり、演出面で改変した6期はその点賢明だったと思う。そういう訳で脚本を原作からいじったという点で5期に次いで4期がちょっと個人的にはイマイチなのだ。

4期の牛鬼回については見ていただければわかると思うが、特に突っ込んだのは牛鬼の封印方法について。何と、岩にお札を貼り付けただけなのだよ?それで良いのか迦楼羅様。

 

 

さて、次回は妖怪横丁の日常回。一応原作のエピソードはあるのだが、全然別物なのでそれについても話していきたいかな。