2週間ぶりの鬼太郎。今回はブランクを埋め合わせるに十分な展開になっていたと思う。
邪魅
95話ゲスト妖怪「邪魅」
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2020年3月15日
原作「妖怪関ヶ原」に登場。毛むくじゃらの動物のような姿をした妖怪。人や妖怪を狂わす毒気を吐き、それを吸ったものは邪魅の言いなりになる。その昔、ガマ仙人により力を封じられ、百年間ガマの姿に変えられていた。#ゲゲゲの鬼太郎 pic.twitter.com/kIJUYxtBA3
元々は中国の妖怪で、人に害をなす妖怪の総称だとされている。そのためか、『今昔画図続百鬼』に描かれている邪魅の姿は上半身のみで、下半身は曖昧になっている。比較的憑き物に近い妖怪と言えるだろう。
アニメでは1・3・4・5期に登場したが、原作「妖怪関ヶ原」と同じ展開なのは4期まで。5期の邪魅は無数の人間を喰おうとして黄泉の国に幽閉された凶暴な妖怪という設定になっており、原作のように知恵の回るタイプではなく本能の赴くまま暴れる獣のような妖怪として描かれている。正直邪魅である必然性はなかったが、それは置いておこう。
今期の邪魅は1年目からゲゲゲの森にいるモブ妖怪として描かれてきたが、手の目回ではぬらりひょんの扇動によって人間に敵意を持ち、そして今回妖怪大同盟のリーダーとしてぬらりひょんたちに加勢しようとした。
そういや、4期の邪魅はぬらりひょんの差し金で鬼太郎を襲っていたから、ここにきて邪魅がぬらりひょんに加勢する展開は4期の影響が少なからずあるのかもしれない。
グレーがブラックになる
今回は前回ぬらりひょんと手を組んだバックベアード軍団が日本へ来て一つの街が壊滅、それによって妖対法が成立し、人間と妖怪間の争いが激化する展開となった。
ところで、前回の記事でねずみ男が旅行に参加しなかったのは、1年目同様渦中の外に置くことで、最終戦において頼みの綱として鬼太郎たちを救う展開に持っていくためだと予想したが、この予想は大きく裏切られることになった。
いや、手の目回でぬらりひょんの扇動に対してグレーな立場を保持する姿勢でいることを示していたからここまでガッツリ鬼太郎の窮状に報いるとは思わなかったのよ。今期のねずみ男はあくまでもニヒリスト的で義理・人情で動くような3期以降のねずみ男とはちょっと違うかなと思っていたが、鬼太郎に対しては義理があったのだな。
言われてみれば11話の狸軍団回で鬼太郎が石になった時はちょっと心配そうな顔をしていたから全く友人としての思いが無かったわけでもないし、20話の妖花の回で旅に付き合っているのだから、やはり鬼太郎との付き合いは損得勘定を抜きにした部分が大いにあったと思う。
ただ、ねずみ男が今回揉め事に関わったのは、「戦争を嫌う」6期ならではの設定があったからだと思う。
今期のねずみ男は「愚かな人間が何人被害を受けようが構わないが、何の罪もない人が大量死するのは我慢出来ない」という考えがあり、それが13話の輪入道回とか、前述した20話、75話の玉藻前回から見ることが出来る。大量死を嫌うのは自分がそれに巻き込まれる側の弱者を自覚しているからであり、それ故今回は戦争を回避せんがために、総理との黒いつながりを用いて鬼太郎に手を貸したのだろう。
(ちなみに、2期のねずみ男は軍事産業の持ち株を高騰させるため、国際会議に縁切り虫を放ち、戦争を引き起こそうとしたなかなかの鬼畜。そのアイデア自体は人間が思いついたものでねずみ男は加担したに過ぎないが、五十歩百歩でそんなに変わらない)
しかし、それが結果的に鬼太郎が殺されるという展開になってしまったのがねずみ男にとっての大誤算!!
©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション
以前47話の記事で言ったと思うが、鬼太郎が殺されること自体はそれほどショッキングではない。
主人公だし、原作でも散々殺されて再起不能状態に陥っても復活しているのだから「またどうせ閻魔大王の計らいとかで復活出来るでしょ?」というのが私の意見。
あ、でも鬼太郎を殺した対象が人間だった点は色々思う所があって、鬼太郎の先祖にあたる幽霊族は人間によって滅ぼされているから、「あぁまた同じ悲劇が…」と感慨にふける所はあったかな。厳密に言うと幽霊族が滅んだのは争いを嫌い戦う術を持たなかったからであり、人間に直接攻撃されたのではなく、彼ら自身が人間のいる場所から逃げて食糧危機に陥り餓死していった結果。
だから、今回の悲劇とは事情が違うという向きもあるだろうが、人間のために尽力しても人間に憎まれ殺される展開に同じような虚しさを感じてしまう。でも、元々原作の鬼太郎も当初は人間のために戦っても評価されないケースがあったし、最大の理解者は虫たちというスタンスだったから、ある意味原作らしいと言えばらしいのかも。
で、一番の問題はねずみ男だよ。
鬼太郎はやられてから本領を発揮するので心配はしてません。むしろねずみ男の方が...。#ゲゲゲの鬼太郎
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2020年3月15日
中立とまではいかないがグレーな立場を保持していたねずみ男がここで黒い立場のバックベアードやぬらりひょんの妖怪大同盟に加担してしまう辺り、いくら戦争を嫌悪し忌避しても個人的感情を支配されてしまえばオセロの如く簡単にひっくり返ってしまうものだと気づかされる。
多分だけどね、第二次世界大戦の頃の日本国民全てが大東亜共栄圏を理想としていた訳ではないだろうし、諸外国の思想がどうとかそんなことよりも身近な人の平和を望む方が圧倒的に多かったと思う。でもそんな個人的な感情が戦争の前では大きな思想に包括されてしまう。一刻も早く戦争が終結されることを願って敵地へ赴く人の思いも、自分達の平和のためにやむなく殺さざるを得ない苦悩も、全てが「大東亜共栄圏」やら「鬼畜米英の殺戮」という言葉によって包括され、結果大量死を以て終結することになった。戦争が肉体のみならず思想を殺すと言われるのはそのためである。
正に今回のねずみ男は個人的な感情=鬼太郎が総理に殺されたことに対する憎しみが人間そのものに対する憎悪へとすり替えられ、妖怪大同盟に加わることになったのだから、やはり今期のぬらりひょんは非常に政治的であり凶悪な存在と言えるだろう。自分達の生存を保持するための戦いも、個人的な憎悪さえも、全てぬらりひょんの「妖怪復権」のマニュフェストに包括されてしまうのだから…。
©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション
もう一つの敵は「既成事実と生理的嫌悪」
今回の物語の構図は47話と近いものがあって、消滅した猫娘が鬼太郎に、殺した張本人であるまなが総理に、それに対して怒る鬼太郎がねずみ男に置き換えられたに過ぎない。
が、問題はその悲劇を生み出す原因の違い。1年目は名無しの印象操作による誤解によって生じた悲劇だったため、真実を知れば修復する余地があったのに対し、今回の一連の騒動は誤解を解いてめでたしめでたし、なんてことにはならない。
何故ならそこには誤解ではなく既成事実という大きな壁が立ちはだかっているからだ。
総理が妖対法を成立させようとしたのは1年目から起こっていた妖怪たちのテロ行為という事実があってのことだし、おどろおどろ回に登場した美琴が妖怪を憎むのも妖怪と化した父親が鬼太郎に殺された事実に基づく憎悪だ。妖怪たちが人間に対して危機感を持つのも対妖怪用の武器が開発されたからであり、いずれの事実も誤解の入る余地がない。妖怪テロで散々な目に遭っている総理に穏健な手段をとれなんて話は通用しないし、父親を失った美琴だって何を言われても父が戻ることはないのだからダメ。妖怪の側にしても自分達を殺せる武器が完全になくならない以上は安心出来ないのだからね。
つまり、対話や理屈で対処出来る問題ではなく、(今のところ)彼ら自身の気の持ちようでしか解決出来ない問題なのだ。
更にこの既成事実に生理的嫌悪が付随しているのが厄介。個人レベルならまだ良かったが国のトップである総理がそれを動機に妖怪の排除を進めているのだからね。劇中では妖怪ってことになっているけど、これを他民族に置き換えたら差別発言で総辞職待ったなしだよ。
この生理的嫌悪も既成事実と同様理屈で対処出来ない(嫌悪の対象から遠ざかるくらいしか方法がない)ので、今後の展開でどう処理していくのか見物である。(個人的にはメン・イン・ブラックのニューラライザーで記憶でも消去しない限り解決しないと思っているのだが…)
さいごに(雑感)
マシンガン朱の盆カッケー。#ゲゲゲの鬼太郎
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2020年3月15日
・正確にはガトリング砲と呼ぶみたいだが、悪役に徹する朱の盆のカッコよさをビシビシ感じている。
©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション
・モブ妖怪をよく見ると、(夜行さんやお歯黒べったりは前にも出ていたが)5期で出てきた舞首とか雪入道がいてちょっと懐かしくなった。あと原作でメイン回があった足長手長やかまなりもいたが、彼らのメイン回見てみたかったな~…。
・ここに来てねずみ男が大同盟に加入する展開も単にグレーが黒に変わる危険を描いた脚本の意図だけでなく、ぬらりひょんの明確な目的があるのだろうか。まぁ西洋妖怪編でヘイトスピーチによってゲゲゲの森の妖怪たちを扇動させたことがあるから、その能力を利用する可能性が高そうだ。
それはそれとしてこの期に及んで出てこない石動くん! そういうところだぞ君は!
— 峰守ひろかず (@Minemori_H) 2020年3月15日
・ほ ん と そ れ 。鵺とかラ・セーヌの時は都合よく現れたくせに、名無しの時とかこういう超重大な局面に限って全然出てこねーんだよ!何なの?電波の届かぬ深山で修業でもしているの!?