タリホーです。

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ゲゲゲの鬼太郎(6期)第96話「第二次妖怪大戦争」視聴

セミファイナル

昨年と同様、来週でどう収拾をつけるのか気になるものの、完全ハッピーエンドは無理だろうな、ここまでくると。

 

「レックス・ネモレンシス」の

今回は鬼太郎が殺されたことにより、ゲゲゲの森の妖怪たちも人間と戦争することを決意。1年目の西洋妖怪軍団襲来の時に次ぐ第二次妖怪大戦争が勃発。そしてぬらりひょんは、用済みとばかりに西洋妖怪たちを毒殺(これは公式Twitter の先行カットで薄々予想していたが)。最後の仕上げに、ねずみ男をけしかけてまなの殺害を目論んだものの、毒を盛られたバックベアードが返り討ちとして地球外から世界中に無差別爆撃を開始し、この窮状を打開すべくまなは鬼太郎を連れ戻しに行く…という展開だった。

 

前回の記事で邪魅がここに来て大同盟に加わろうとしたのは4期の影響があるからだろうと言及していたが、今回邪魅が実はぬらりひょん派に既についていて扇動役として仕込まれていたことがわかって「やはり4期の影響か」とその思いが強くなった。

まぁ元々原作に出て来る邪魅も毒気で相手を狂わせ悪いことをさせる妖怪だったから、扇動役として他の妖怪を狂わせる立場で登場したのはピッタリと言えばピッタリだったかもね。

 

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

ところで、今回は聞きなれぬワードが二つばかり出て来た。その内の一つが、西洋妖怪軍団を死に至らしめることになったワイン「ルゲシ・ド・ズミーキ」(名前の由来は言わずもがな)に混入されていた「レックス・ネモレンシス」の

勿論これは原作や他の水木作品に登場しない(多分)ので、早速調べてみた。

 

レックス・ネモレンシスとは日本語で「森の王」を意味する。これはイギリスの社会人類学ジェームズ・フレイザーによって著された金枝篇という未開社会の神話・呪術・信仰に関する集成的研究書に記されている。

ja.wikipedia.org

ウィキペディアの情報なので完全に正しいとは言えないかもしれないが、これによるとイタリアのネミの村には聖なる湖(ネミの湖)と聖なる木立(アリキアの木立)があり、その木立には聖なる樹(ヤドリギ)が生えていた。

その聖なる樹の枝(金枝)は誰も折ってはならないとされているが、例外として逃亡奴隷はその枝を折ることが許されていたという。

村の聖所では、ディアナ・ネモレンシス(森のディアナ)が崇拝されており、その祭祀役を果たしていたのが先述した「森の王」と呼ばれる人なのだ。この職には逃亡奴隷だけがつくことが出来るが、その条件として①金枝を持ってくること②現在の「森の王」を殺すこと、が必要とされている。

 

この王殺しについて、一説には森のディアナに捧げる生贄の名残だとか、ローマ帝国統治下の職位継承の表れではないかと言われているが、ここでは割愛するとして、要は何が言いたいかというと、「レックス・ネモレンシス」の血とはつまり王殺しの象徴であり、だからこそバックベアードを殺す毒として相応しいのだ

単に神に仇なす側面の強い西洋妖怪が苦手とするものだったら他に聖水とか色々あっただろうが、ここで「レックス・ネモレンシス」の血を選択し、帝王として君臨しているバックベアードを殺す道具として用いたのは最適だったのではないだろうか?(ベアードの復活から毒殺までが早すぎる点に関しては構成として少々難点ではあるが)

 

バックベアードの殺害が『金枝篇』における「森の王」殺しだったと解釈するならば、その前段階として金枝を折る行為がなければならないが、これは鬼太郎の殺害に置き換えることが出来る。鬼太郎という金枝を折ったことで、ようやくベアードを殺す段階に移れたのだからね。

そうなるとぬらりひょんは逃亡奴隷ってことになるけど、この世の理を破壊し、繋がれて動かされる「奴隷的立場」でない点に関しては、確かに逃亡奴隷的なのかな?

ja.wikipedia.org

 

バックベアードが完全にやられず、地球外から攻撃を始めたのはぬらりひょん最大の誤算だっただろうが、これもぬらりひょんを逃亡奴隷として見ると逃亡奴隷に対する罰と言えそうな気がする。古代日本の律令制度下でも逃亡した奴隷に対する罰則が規定されていたし、いくら理を破壊したとしても逃亡奴隷の立ち位置にいる以上、罰則の理からは逃れられなかったということになるかもね。

 

“あらざるの地”にいた者は?

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

「レックス・ネモレンシス」の血に次いで新たに出て来たワードが“あらざるの地”。水木作品にも色々異世界は出て来たけど、この“あらざるの地”はアニメオリジナルだと思う(水木作品全部は知らないので自信がないのよ)。この世でもあの世でもない世界と言えば私には水木先生の短編「丸い輪の世界」くらいしか思いつかないが、情景を見るに「丸い輪の世界」とは違っているし、そもそも“あらざるの地”は閻魔大王曰く強い失望を抱いた者が落ちる絶望の地らしいから、単に病死して行くような世界ではないからね。

mangapedia.com

 

で、その“あらざるの地”で気になることがある。それが前回の予告でもチラッと映っていた人影についてだが、今回てっきりその正体が明らかになると思っていたらまさかのお預けで未だ正体は不明。

ネットでは幾つか候補に挙がっていた人物がいて、目にしたものを記すと以下の通り。

・鬼太郎の育ての親、水木

・鬼太郎の母、岩子

・転生した名無し

・小野崎美琴の父、彰悟

 ただ、予告の時点ではあの場所が“あらざるの地”だと明かされていなかったので、今回の情報を加味すると、まず岩子と名無しの線は完全に消えたと考えるべきだろう。“あらざるの地”は強い失望を抱いたものが落ちる場所なので、名前を与えられて成仏した名無しは落ちないし、岩子にしても原作で別に失望して死んだ訳ではないし、そもそも岩子は地獄にいる(原作の地獄編参照)のでこれはあり得ない。

となると、やはり水木か彰悟のどちらかなのだろうが、水木の死はアニメの中では描かれていないので何ともいえない(元ネタの「墓場鬼太郎」では鬼太郎に半ば見殺しにされて死んでいるが…)。彰悟の方は自分で殺されることを望んだとはいえ、娘がああなったことを思えば、“あらざるの地”に落ちた可能性はなくはない…と思うが、う~ん、どうだろう。やはり本命は水木かな。※

 

※こんなツイートを見つけたので貼っておく。

 これが正解だとしたら、演出の方、正直言ってわかりにくいです…。

 ただでさえ情報量多いってのに、「自分を見つめる自分」とかそういうややこしい演出はやめとくれ。

(2020.03.23追記)

 

最終回見ました。追記のツイートが正解でした。

(2020.03.29追記)

 

壊せぬ理、侵せぬ既成事実

 最終章ぬらりひょん編において、ぬらりひょんは「妖怪復権」のためこの世の理を破壊しようと罠を張り策を巡らせてきたが、ここに至って次々と誤算が生じて来たのはぬらりひょん自身も結局は理の枠内にいる妖怪だということを示している。だからこそ(上述したように)破壊の代償として世界自体が壊滅しかねない事態に発展してしまったのだし、ねずみ男にまなを殺させる目論見も失敗してしまった。

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

自分は埒外の存在だと思っていても地球という大枠の内にいる以上はその理に背いて生きることは出来ないし、それに背くことは即ち世界の存在すら否定しかねない危険さを孕んでいることを暗に脚本で匂わしているのかもしれないが、それはともかく置いといて。

 

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 ©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

人間と妖怪の均衡を崩した危険人物としてぬらりひょんねずみ男にまなの殺害をけしかけたが、妖怪側についているとはいえ、そもそもねずみ男半妖怪である事実は変わらないし、ここでまなを殺すことは鬼太郎を否定し、ある意味自分の一部を否定することになり兼ねない。それに、鬼太郎とまなが出会って生まれた悲劇も知っていれば、その出会いから生まれた幸福もねずみ男は知っている。いや、知り過ぎていると言うべきかな。

これまでぬらりひょんは自分にとって益のある様々な既成事実を作り上げ、それを基にして人間と妖怪の対立を激化させてきたが、この既成事実はいくらぬらりひょんでも侵せぬ領域であり、壊せぬ理だと言えるだろう。

 

 

さて、来週でこの物語は終わりを迎える。この物語の始まりから関わってきた犬山まなぬらりひょんの言う通り、この物語で最も理を破壊した存在と言えるかもしれない。そして先述したように、理の破壊にはそれ相応の代償が伴う。“あらざるの地”に向かうまなに対して伊吹丸もその代償について忠告していたが、まなが払う代償とは何か。

最終回、是非見逃すなかれ。