タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

人でなしのゲームにケリを、「ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~」7話

悪いうさぎ (文春文庫)

最終回を見終えて、いま私は非常に満たされた気持ちになっている。

やべぇな。この喜びというか感激をちゃんと言葉に出来るだろうか。

 

(以下、ドラマと原作のネタバレあり)

 

今回は原作(文春文庫版)の307頁(中盤戦、第9節)から最後までの内容。基本的に物語の展開はほぼ原作通りだが、原作と比べるとやはり書店仲間の存在があるせいか、結末の重さが軽減されていて後味の良い終わり方になっている。

では前回の記事をおさらいして、今回の内容について語っていこう。

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68会の“うさぎ狩り”

前回の内容で大体事件の真相が頭に浮かんだ方も多かったと思うが、美和と佳奈は68会の行っていた秘密のゲームによって死亡していた。

そのゲームは、人間をうさぎに見立てて狩りを行うマンハント。勿論、弾はペイント弾ではなく実弾で行うから、対象を殺す気はマンマン。漫画原作の「賭博黙示録カイジ」を彷彿とさせる、正に人でなしのゲームだ。

佳奈はこのゲームの恐ろしさを知らずにバイトに応募して死亡、そして佳奈を追っていた美和も巻き込まれて死亡する。これだけでも十分胸糞悪いのに、美和を撃ち殺したのが実の父・滝沢喜代志だったという輪をかけて最悪な事実が待ち受けていた。

 

そういや原作のタイトル『悪いうさぎ』、「うさぎ」が美和や佳奈といった女性たちを指すことはわかっているが、何が“悪い”のか?その意味を示していると思しきセリフが原作にはある。

「まずでうさぎを集める」

「うさぎを山のなかへ放してやる。うさぎは頭が悪いから、ひとが自分たちを殺して食っちまおうと思っていることなど、全然気づかない」

 ここでいう罠とは「ワリの良いバイト」であり、それに引っかかって応募してきた佳奈やそれを追ってきた美和は愚かで“頭の”悪いうさぎだと揶揄しているのだ。

何て恐ろしく、ひどい言葉だろう。そしてこんな物語を思いついた原作者の若竹七海氏は凄いよホント。

 

このゲームを実行した68会の精神状態がいかほどなのか。原作では葉村なりの解釈がなされているが、どこかしら「人とは違う」という一種の選民思想がエリート意識と結びついた結果、何をやっても許される場が構築されたのだろうと私は考えた。そして人間の死を娯楽にしてしまう辺り、かつてローマのコロッセオで行われていた剣闘士試合を想起させる。

人の死を娯楽としたかつての悪習を現代に蘇らせて趣味としていた彼らこそ、本当は一番頭が悪いのだが、そんな自分に都合の悪い部分を直視出来ない性格が滝沢喜代志や平義光に映し出されている。滝沢は内弁慶のお大尽、平は(過去の誘拐殺人の悲劇も相まって)事なかれ主義に走った辺りが正にそうだと思う。

 

※改めて見返してみると68会メンバーも互いに色々思う所があったように見える。

主犯格の野中則夫はゲームそのものも楽しんでいたが、奨学金で留学した成り上がり者のエリートである自分が、生まれながらのエリートである滝沢や山辺たちをゲームに誘い入れて“同じ穴のムジナ”に変え手駒にしていたことに対しても愉悦を感じていたフシがある。

大黒は会社倒産後、滝沢に拾われ別荘番を務めていたが、内心“滝沢の格下”になったことを快く思っていなかったはずだ。そうでなくては滝沢の子殺しをあんな風に笑えるはずがない。

野中が主犯格となると、あとの滝沢・山辺・平はメンバーの中では被害者側に位置すると言えるかもしれない。滝沢は内弁慶的なプライド、山辺はエリート気質、平は事なかれ主義的性格を野中に付け込まれて半ば洗脳された形でゲームに参加していた、というのが私の意見だ。

そう考えると野中は『黒い看護婦』吉田純子タイプのサイコパスだな。

(2020.03.07追記)

 

子の尊厳を“殺す”親たち

前回の記事で、このドラマが事件だけではなく「家」と「個人」、そして「親」と「子」の確執を描いていることは言ったが、今回滝沢の子殺し岡田警視と山辺の確執が新しく追加されたことで、平義光も合わせた三者三様の“子殺し”が描かれた。

滝沢は物理的に娘の美和を殺してしまっているので、これは紛うことのない子殺しだが、平と山辺精神的な殺人と言うべきだろう。

平は過去の誘拐殺人という悲劇があるにせよ、娘に亡き息子の役目を負わせてその尊厳を殺していたことは否定出来ない。

問題は山辺である。彼は実の息子である岡田警視の母親を捨て息子の認知を拒否し、資産家の令嬢と結婚し養子を迎えた。それだけなら単にクズな父親だな~という印象に過ぎないが、山辺は岡田が警視に上り詰めたことを「俺の遺伝子の優秀さを証明してくれた」と評価し、この度の騒動の隠蔽を要請してきたのだ。岡田自身が己の努力で培ったキャリアを山辺は親のエゴとして包括し、その尊厳を食いつぶす。最悪な尊厳の殺し方である。私だってテストで良い点とって親に「俺の遺伝子が良かったからや」なんて言い方されたらキレるもの。岡田警視は尚更許せなかったはずだよ。

 

この山辺と岡田警視の確執は当然オリジナルエピソードだが、何が凄いって原作の別エピソードで描かれている親のエゴ(或いは呪縛)をこの『悪いうさぎ』に挿入させ、三者三様の“子殺し”に仕立て上げた点。

原作を読んだ時は葉村が関わった結婚詐欺やストーカーのエピソードという正直余分な話があったため、家出少女の根底にある「親」と「子」の確執といったテーマ性が見えにくくなっていたが、それを排除してこのオリジナルエピソードが挿入されたことで、グッとそのテーマ性が視聴者に伝わったのではないだろうか?そして、事件の解決によってミチルや岡田警視がその呪縛から解放される仕組みになっているのが素晴らしい。(社会的には「殺人犯の子供」ってことになっちゃったけど)

 当ブログで散々岡田警視のことを「マレビトだマレビトだ」って言ってきたが、今まで親の呪縛に囚われていたせいで彼の影なる部分がマレビト的な形で表れていたのが、最後の場面で明らかとなった。

間宮さんのファンとして、オリジナルキャラクターでありながらこんなに奥深い設定を作り上げた制作陣とそれを見事に演じた間宮さんを高く評価したい。

 

復讐の女神、葉村

前回劇中でアガサ・クリスティ『復讐の女神』が出てきたこともあって、ドラマの葉村は復讐の女神として68会の悪事を暴くだろうと予想していたが、予想通り彼女は見事に、そして原作以上にその務めを果たした。

原作の葉村はね、そもそも復讐の女神を果たせるほど余裕のない状況で逃げるのがやっとだったけど、もしドラマみたいに余裕があったらアレくらいのことはしてたのじゃないかな。

 余談になるが、2話冒頭で村木の調査の協力としてウサギの着ぐるみを着ていた場面があったけど、やはりアレは今回“狩りのうさぎ”としてうさぎのマスクを被らされる展開の予言みたいな演出だったのだろうかね?

 

岡田警視が葉村に接触し続けた理由

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©NHK

1話からずーっと登場してきた岡田警視、今回のテーマを描くためだけの存在ならば別に5話からでも問題なかったかもしれない(やや唐突過ぎる登場になるけど…)が、1話から葉村と接触を続けているのは今回描かれた「親の呪縛からの解放」を強調させるためだけではないと思っている

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先日、岡田警視が好きと言っていた〈ホン・コンおばさんシリーズ〉を読んでみて、「岡田警視は自分に欠如したものに惹かれるタイプではないか?」というちょっとした推測をたててみたのだが、これは何もホン・コンおばさんだけではなく葉村にも当てはまることのような気がする。葉村が岡田警視と違う点といえば、まず探偵という階級がものを言わない職種に就いていること。そして親・家庭の呪縛から(完全ではないが)解放されていること。この二点にあると思う。

 

岡田警視が葉村の存在を知ったのは1話の「顔の無い死体」事件の時。この時に葉村と会った彼は、ミステリ好きというささやかな共通項と彼女のフラットな対応の仕方に惹かれるものがあったと思う。自身のキャリアを親のエゴに書き換えられていた彼にとって葉村とその店はそんな雑念を忘れさせてくれる休息地であっただろうし、対等に話せる相手がいるのも安心につながったはず。

1話の終盤で葉村が身内に殺されそうになっていた事実を知った時は「さしもの彼女も家庭の呪縛から解放されていないのか」と多少はシンパシーのようなものは感じただろうし、その呪縛に囚われない生き方をする彼女をリスペクトしたと思う。だからこそ、3話で誤った方向に行った葉村の軌道修正をしたり、4話で彼岸に行きそうな彼女を此岸に戻す役回りをして、助け舟を出したのではないだろうか?

 

マレビトは「この世に幸せをもたらす聖なる霊物の住む異郷から時に応じて来臨する」常世だと、水木しげる先生の「まれびと」という作品で記されている。これまで私は岡田警視をマレビト的存在として定義し、「世界で最も不運な探偵」を称する葉村が出くわす事件を好転させてきた者として見てきたが、岡田警視も葉村によって救われた部分があったと最終回を見て感じた。

そう考えると今回のドラマはマレビト復讐の女神の二神がタッグを組んだ事件と深読み出来てなかなか面白い。

 

 

最後に蛇足ながら劇中に登場したアガサ・クリスティ『スリーピング・マーダー』について一言。この作品が今回劇中に映るだけでなく、岡田警視自身が手にしたのは何か理由があるだろうと無理くり考えてみたら、一応『スリーピング・マーダー』と今回の事件との間に共通項のようなものがあった。

スリーピング・マーダー (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

極力ネタバレをしないように言うと、一つは「眠っていた殺人」が起こされた点。今回のドラマでは皮肉にも娘を殺してしまった滝沢によって叩き起こされている。そしてもう一つは犯人が物理的な殺人だけでなく「精神的な殺人」を犯している点。これが今回のドラマで描かれた「子の尊厳を殺す親」に相当する。

 

いや~、これだけ深読み出来るドラマを作ってくれたNHK名古屋放送局には感謝を送りたいし、また同じ制作陣で続編を作ってもらいたいね。