タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

ゲゲゲの鬼太郎(1期)第1話「おばけナイター」視聴

映画公開まであとちょっと。ということで東映アニメーションチャンネルでの鬼太郎の配信も見られるのはあとわずかという時期になったが、今回は歴代鬼太郎アニメの始まりとなった1期の「おばけナイター」の感想を語っていきたい。

 

「おばけナイター」

アニメ1期の1話が初放送されたのは1968年1月3日。ここからアニメ鬼太郎は現在に至るまで何度もリメイクされる稀有な作品となっていくのだが、その記念となる第1話は1965年11月7日の「週刊少年マガジン」に掲載された「おばけナイター」だ。

 

どん平が墓場で拾った野球バットは、どんな球でも自分の思う通りに当てられる魔法のバットで、それを使ったどん平たちの野球チームにはプロ契約のオファーが次々と舞い込む。しかしそのバットは鬼太郎たち妖怪チームが所有していたもので、特に妖怪チームの一人であるきばぐるいという妖怪は一刻もバットを取り戻すため強硬手段に出る勢いだった。そこで鬼太郎はどん平たち人間チームにバットと命をかけた試合を申し込み、人間チームが勝てばバットは人間チームのものに、妖怪チームが勝てばバットと人間チームの命は妖怪チームがもらうという約束となった。

 

以上がアニメのあらすじとなるが、「おばけナイター」は1期のあとは3期・4期で映像化されており、4期は劇場版アニメとして公開されている。1期を視聴したついでに3期の「おばけナイター」もDVDボックスを出してきて見比べてみたが、それについては後ほど言及するとして、まず1期の最初のエピソードに「おばけナイター」が選ばれた理由を私なりに考えてみた。

「おばけナイター」は原作だと5番目に雑誌に掲載された作品で、それ以前に発表された4作品は「手」「夜叉」「地獄流し」「猫仙人」といずれも子供向けにしては怪奇色が強く地味なテイストだった。おそらくそういった理由から雑誌掲載順ではなく、まだ子供にも取っつき易い「おばけナイター」を初回のエピソードに起用したのだと思うが、アニメの「おばけナイター」が原作とまったく同じなのかというとそうでもなく、随所にアニメに適した工夫が施されている。

 

例えば試合の審判を務めた妖怪は原作だと目・鼻・口が幾つもある肉塊の化け物で、なかなかにグロテスクな見た目をしているが、アニメの審判は梅干しに顔と手足をつけた感じのシンプルな見た目になっている。これはシンプルな見た目の方が作画が楽で済むというアニメーション制作の事情もあるのかもしれないが、全体的にアニメで描かれている妖怪は怪奇色が抑えられており、ポップで親しみやすい見た目のものが多い。いきなり怖い話や妖怪を放送して子供が見なくなったら本末転倒だろうし、原作に登場しない百目の子供が出て来たのも、ゲゲゲの鬼太郎「怖くない妖怪アニメ」であることをアピールするために登場させたのかもしれない。

 

そして鬼太郎の描き方も原作に少し手が加えられており、アニメの方は初めて鬼太郎を見た視聴者にも「鬼太郎が人間の味方である」ということがちゃんと伝わるようになっている。それが今回の肝となるナイター試合の場面で表現されているのだが、夜が明けて試合が引き分けとなる展開は原作と同じながらもその流れは違っている。

原作では人間チームに勝ち目がないとわかった少年たちは皆が恐怖で泣いて試合を中断させており、鬼太郎も「いつまで協議してるんだ 夜あけのかねがなったじゃねえか」と人間チームをせっついているから、原作の鬼太郎は別に少年たちの味方ではなかったのだ。一方アニメでは、流石に命までとられてしまうのはかわいそうだと思い、何とか試合を引き延ばそうと画策している。原作はまだこの時点で鬼太郎は人間の味方・ヒーローとして確立していた訳ではないので、このようなアレンジを施したのも納得がいく。

 

1期と3期を見比べて(勝利と挫折をどう描いたか)

原作「おばけナイター」は、楽して名誉を得たらとんでもない代償を払うことになるという教訓的な意味合いが込められたエピソードであり、その点から子供に見せるべきエピソードの一つとして「おばけナイター」を挙げる鬼太郎ファンもいるだろう。1期と3期でも「楽して名誉を得るのではなく自分の努力で名誉を得なさい」というメッセージ性は共通しているが、ストーリーは違っているのでその辺りについて詳しく語っていきたい。

 

1期では妖怪チームとの試合後、どん平たちのチームは自分たちの努力によって全国少年野球の大会で優勝を果たした、という形で物語を終えている。妖怪相手に命がけの野球試合をしたことで結果的にプレッシャーに強くなり、それがもしかしたら優勝につながったのかもしれないが、この結末は原作では用意されておらず、原作は妖怪たちと野球試合をしたというだけの話になっていたので、この辺りのオチの付け方もアニメとしては最適だったと評価したい。

 

では3期はどうだったのか。実は原作や1期は妖怪チームが圧倒的に強かったのに対し、3期は人間チームと妖怪チームは互角の試合となって延長23回という長丁場になった。その結果試合は引き分けとなり、原作と異なりバットを万年(原作のどん平)に一旦預けたままで物語が進行するのだ。恐らく鬼太郎は墓場でのナイターで決着をつけるつもりが人間チームが予想以上に強く(というより鬼太郎チームにいた子泣きと砂かけという老人コンビが足を引っ張ったのでは…?)、結局バットを作った福の神に助力を要請してバットの神通力を奪うというアニメオリジナルの展開を描いている。そのため、原作や1期で描かれなかった人間チームの挫折、それもハワイでの海外試合という大舞台での挫折を描いているのが3期の特徴なのだが、3期は自分の力で努力することの大切さを伝えるために勝利は一切描かず、挫折とそこからの努力が大事だということを一つのメッセージとして描いたという感じだろうか。

しかしこの改変の影響で「それだったら最初から福の神に頼んでバットの神通力を取ってもらった方が早かったのでは?」というツッコミが生じたのも確かで、結果的に一番重要であるはずのナイター試合の必然性が薄れたのも3期の脚本の問題点だと言えよう。特に原作や1期では人間チームは負けたらバットだけでなく命まで失うというハイリスクを抱えた上での試合だったのに対し、3期は負けた所で失うのはバットだけなので、そこは原作通り命をかけた試合にしておけば、「本気を出したら妖怪たちと互角の試合が出来る」という実力の裏付けにもなったのにな~と脚本の詰めの甘さに残念さを覚えた。

 

という感じで1・3期を見比べると1期は命がけのナイター試合を経ての勝利を描き、3期は挫折からの努力に焦点を当てた「おばけナイター」だったことがわかるが、1期はアニメ化最初のエピソードということもあって、単に原作通りやれば良いとは考えずに視聴者に受け入れやすい工夫を凝らしつつ、「負けたら命を奪われる」というホラー要素は残しており、「妖怪は朝日が苦手」という基本的知識も盛り込んだ初回に相応しいエピソードになっていたと思う。

3期はメッセージ性自体は問題ないのだが、肝心のナイター試合の必然性が薄くなったことや、鬼太郎ファミリーやユメコちゃんといったレギュラーメンバーが固定されたことが弊害となっている。福の神の助力のせいで相対的にナイター試合をやった意味がなくなってしまったというのもあるけど、鬼太郎ファミリーのような人間に友好的な妖怪だけでなく、もっと怖い妖怪もいないと万年に自分が他人のバットを盗って試合に勝っているという、彼が仕出かしたことの過ちや重大さが視聴者にも伝わらないのではないかと思うのだ。特に本作では自分だけではなく野球チームのメンバー全体に迷惑をかけたのだから、そういった視点が抜けた脚本になったのがやはり勿体ないと感じたポイントである。