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アンチ小市民としての堂島健吾【小市民シリーズ #2】

私はチョコレート系統の洋菓子は固形ならば普通に好きなのだけど、液体になると何か苦手に感じるのですよね。だからココアもそんなに好きではないし、チョコレートもフォンデュとかになると「あ~、いらないや」ってなっちゃいます。なので餡子もぜんざいやお汁粉になると拒絶感が湧くのですよ。

 

(以下、原作を含むアニメ本編のネタバレあり)

 

「おいしいココアの作り方」

前回の自転車の盗難(といちごタルトの破棄)からしばらく経ち、いまだその時の無念さを引きずる小鳩と小佐内(特に小佐内)。友人の堂島健吾から突然自宅に招待された二人は、おいしいココアをふるまわれる。これが今回の物語のさわりになるが、原作では今回の「おいしいココアの作り方」の前に「For your eyes only」という絵にまつわる謎を小鳩が解決しており、そのお礼も込みで健吾は二人を自宅に招待したということになっている。

そのため、アニメでは健吾の招待がかなり唐突なものになっているが、前回からの小鳩の変化を気にした彼がその理由を尋ねるべく招いた、という大事なポイントは崩してないので改変としてはそれほど問題ではないだろう。

 

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©米澤穂信東京創元社/小市民シリーズ製作委員会

さて、今回はココアの作り方を議論するだけで1話分を消化するという、原作通りとはいえアニメの構成としてこれで大丈夫なのか?と思わず心配になるエピソードだったが、そこはアニメならではの演出や追加要素によって、原作既読でも面白く視聴することが出来た。これに関しては後ほど詳しく解説するが、まず先に言っておきたいのは今回のエピソード、「日常の謎」をテーマにした作品としては珍しい、ハウダニットをお題としたミステリなのだ。

基本的に「日常の謎」は何故この人はこういう行動をしたのか?というホワイダニット(動機)が謎として提示される場合が多いので、本作のように純粋なハウダニットが提示された作品を見つける方が難しい。今思い返してみても本作以外でハウダニットをお題にした「日常の謎」を描いた作品を読んだ覚えがないから、その点を含めて今回のエピソードは小市民シリーズでもかなり異色な回だと私は考えている。

 

小鳩と小佐内、それから健吾の姉・知里によって議論された仮説は本編を見てもらえればわかるので改めて述べないが、真相につながる健吾のガサツさがアニメではより強調されており、ドアを閉める勢いやフィルムをはがさずにケーキを食べる様子が一種の手がかりとして映されていたのは評価したい改変ポイントだ。

そして小佐内の発案で購入したケーキの箱を小鳩が奪い取るような形で健吾に手渡した下りにも、小鳩の小市民らしからぬ一面が見えて興味深い。原作では小鳩と小佐内がケーキを手土産に堂島家を訪問していないのでこれもアニメの追加描写なのだが、この点についても次の項で解説してみたい。

 

島健吾のジョーカー(道化)としての役目

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©米澤穂信東京創元社/小市民シリーズ製作委員会

今回のエピソードは本作における島健吾の役割を象徴するような回だったというのが個人的な感想であり、それを如実に表しているのがチョコケーキを食べて口元を汚した健吾の顔である。あまりにもわざとらしいというか、高校生がケーキを食べてそんなに口が汚れることがあるか?と、この演出にあざとさを感じた人も多いだろう。でもこれは健吾が本作におけるジョーカー、つまり道化師としての役割があることを示していると解釈することも出来るだろう。

 

健吾がジョーカーであるというのは、私だけでなくこちら(↑)の相楽氏も指摘していることなので、他にも思った方が大勢いるという前提で話をさせてもらうが、これがジョーカーの象徴だからと言って、彼が主人公である小鳩や小佐内と敵対するという意味だとは考えていない。私は彼がジョーカーの本来の役割である道化師として、主人公を皮肉ったり、主人公の主義主張に反論の横やりを入れるといった、アンチテーゼとしての役割を果たす人物ではないかと考えている。

 

道化師にもピンからキリまであるが、宮廷道化師として君主に抱えられた道化師は、君主に向かって無礼な振る舞いをしても許される存在だったと言われている。つまり、君主の主義主張や政策を嘲り笑うアンチとしてそばにいても全然問題なかったという訳だ。

勿論それは単にバカにするためや、娯楽・ジョークで客を楽しませるためにアンチになっているのではなく、政治における君主と民衆との間の考えのギャップを埋める役割もあっただろうし、君主本人が自覚していない問題点を内省させるための役割も与えられていただろう。自分と他人、理想と現実といった二者間をとりもつ役割が道化師の役割の一つだと考えられるのだ。

 

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©米澤穂信東京創元社/小市民シリーズ製作委員会

以上をふまえて、健吾と小鳩の関係に言及していこう。今回のエピソードでは健吾自身が謎かけ・挑戦をした訳でもないのに、それを勝手に健吾からの挑戦だと受け取り三人が頭を悩ませるという構図が、健吾が道化師であることを象徴している。本題となった謎にしても、健吾がズボラだということを知っている小鳩と姉の知里ならばすぐ答えに辿り着けるものだったのに実際はあーでもないこーでもないと推理していたのだから、健吾がそんな三人をあざ笑うことが出来る道化師の側だったことは明白である。

 

そして道化師という役割である以上、アンチとして彼は小鳩の小市民的な態度にツッコミを入れている。原作を読まずとも今回の二人の会話を聞いていれば、小鳩が以前はもっと弁舌が鋭く、大人顔負けの辛辣なことも平気で言うような人物だったことは想像に難くない。それが今は社交辞令のようなこと口にするようになったのだから、そこに気持ち悪さとイラつきを覚えたのだろう。

健吾自身行動のガサツさもさることながら言葉遣いも乱暴であり、今回の招待にしても「招待してやる」という何とも上から目線な物言いで、人によっては気分を害する所だと思う。恐らく健吾本人もそれは内心自覚していると私は思っているのだが、だからこそ健吾は自分の粗雑さというか、乱暴で威圧的な性格に臆することなく、自分の言い放ったことに対して二倍・三倍の辛辣さと弁舌の鋭さで反撃してくる小鳩との関係に、ある種のバランスの良さや居心地の良さを感じていたと私は思っているのだ。自分が善人でない、自覚・無自覚を問わず人を傷つける一面があると知っているだけに、同じ鋭さを持っていた小鳩がその鋭さを隠しているということに対して彼はムカついているということなのだ。

 

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©米澤穂信東京創元社/小市民シリーズ製作委員会

小鳩は特に小市民を目指すことに理由はないと述べているが、論理的な彼が特別な理由もなく小市民になる訳がないというのは健吾だけでなく視聴者にしても同じ意見だろう。その辺りの小鳩の事情について今回のアニメで描かれるのか、それは今後に期待しようと思うが、今回の小鳩の小市民らしからぬ一面は、ココアの作り方の謎を推理する様子以外にも、先ほど指摘したように小佐内が持っていたケーキの箱を小鳩が奪い取って健吾に手渡した下りからも窺える。

 

多分、多分だけど、小鳩の思考の理屈としては会ってまだ日が浅い小佐内が自分より大柄で威圧的な健吾に直接ケーキの箱を手渡すのは抵抗があるから、馴染みのある自分が渡した方が良いと思って奪い取ったのだろう。小鳩本人としては理に適った行為だったのかもしれないが、それならば小佐内がケーキを買って来てくれたことを先に説明した上で、小佐内に一言何か言ってからケーキの箱を受け取り健吾に手渡した方が良かったと思う。そういう過程をすっ飛ばしていきなり箱を奪われたら小佐内でなくても「え…?」と困惑するし、こういう何気ない所に小鳩の頭の回転の速さと、それゆえ小市民になり切れてない部分が表れているのだ。

 

さいごに

今回は堂島健吾が小市民を目指す小鳩と小佐内のアンチとしての役割があることを解説してみた。以前別の記事で述べた記憶があるが、多かれ少なかれフィクションにおいては主人公の主義主張を否定するアンチ的存在は登場する訳で、そうでないと物語が余りにもご都合的な展開に進んでしまうこともあるのだから、アンチの存在は結構重要なのである。

 

そういや健吾は原作含めてガサツだと言われているけどさ、見ようによっては合理的な行動をとっているとも言えないかな?例えばケーキのフィルムをはがさずにフォークで掘っていくようなあの食べ方は、下品だけど皿を汚さずにすむという点では洗い物が減らせる訳だし、牛乳パックごとレンジで温めるというガサツと呼ぶには度が過ぎたあの行為も、三人分のココアを用意するのに一人あたりざっと少なく仮定しても200ml、三人で600mlは使うと考えると、1リットルの牛乳パックの6割のミルクを消費するのだから、残りの4割を翌日の朝に姉と二人で飲めばすぐなくなるし、牛乳パックごと温めても別に問題はないと思ったのだろう。2日以上保存する予定があるのなら、あんなことをするのは品質・衛生面的に問題はあるけれど、丸一日かけずに消費するのなら、まぁ問題はないか?

 

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©米澤穂信東京創元社/小市民シリーズ製作委員会

あと、今回の演出について意見しておきたいことがある。実は今回の感想・解説を書く前にアニメの感想をまとめたサイトで他の方の感想を見ていたのだけど、実際のシーンと劇中の人物が脳内でイメージしているシーンとが混在していてわかりにくかったという不満がいくつか見受けられた。そのため小鳩と小佐内が何杯もココアを作っているように誤解した人もいるようで、もっと分かり易い演出にしろよという文句に近い批判があったけど、私は今回の演出は全然不満ではない。

 

画面をよく見なくても、小鳩と小佐内がココアを作っているシーンでは二人とも(健吾と同じ)黒のシャツを着ていることがわかるし、わざわざココアを作るのに着替える必要はないのでこれがイメージシーンであることは明白だ。これでわかりにくいと文句を垂れるのはいかがなものかと思う。百歩譲ってわかりにくいとしても、原作がミステリ小説なのだから、これくらいの味付けというか趣向がないとミステリとして面白みに欠けると私は思うのだけどね?特に本作『春期限定いちごタルト事件』は前半は特に大きな事件も起こらないのだから、その分演出に工夫を凝らすのは当然だし、前回も含めて私はアニメの演出の趣向を高く評価したい。