今朝がた書評家の豊崎由美氏のこんなツイートが目に入った。
正直な気持ちを書きます。わたしはTikTokみたいなもんで本を紹介して、そんな杜撰な紹介で本が売れたからって、だからどうしたとしか思いませんね。そんなのは一時の嵐。一時の嵐に翻弄されるのは馬鹿馬鹿しくないですか?
— 豊崎由美≒とよ婆 (@toyozakishatyou) 2021年12月9日
あの人、書評書けるんですか?
これを見た時私は「あ、嫉妬してはるな」とまず思った。
現時点では書店員さんや読書家といった多くの方から批判・非難され、以上のツイートに対して謝意のツイートをしている(↓)が、
TikTokで感想を発している人のおかげで本がたくさん売れ、版元も著者も書店も大喜びという素敵滅法界に水をさすツイートをして、申し訳ありませんでした。
— 豊崎由美≒とよ婆 (@toyozakishatyou) 2021年12月11日
大変貴重なご意見の数々、ありがとうございます。今後の書評活動の参考にさせていただきます。
個人的にはこの嫉妬ともとれるツイートをした気持ちがわからんでもないので、石を投げる立場の人間ではないかな~と自分を省みることになった。
ここの所小説が全然読めていないが私も一応読書家の一人だし、素人ながら書評みたいなものを書いたこともある。だから自分の文が相手に伝わってるかな?とか興味を持ってくれる内容になっているだろうか?と気にすることはある。これは別に書評に限らずアニメやドラマ、ゲームのレビューにしてもそうだ。
そうやって創作物の評価や紹介をしていると他の方のレビューも気になるし、そのレビュー内容によっては若干ケチをつけたくなったりする時もある。そして今回の豊崎氏みたいに「私の方が内容としては充実したレビューを書いているはずなのに、なんであんな単純な感想がもてはやされるのだろう」と恥ずかしながらそういうマイナスな感情が出て来る時もある。
こればかりは人間だから仕方ないと自分をなぐさめているが、こういう時の感情って自分が取り残されているというか疎外されている感覚に近い。豊崎氏は疎外感から上記のようなツイートをしたのかそれはわからないけど、一応名のある方なのだからTikTokの本紹介に嫉妬みたいな噛みつき方をしなくても良いのに…と思う。
それに書評って言うなれば結婚の仲人さんみたいな立ち位置だと思っていて、自分が素敵だと思っていた本がけなされていることに対して怒ったり攻撃的になるのはまだわかるけど、その仲人の技量に対してとやかく言うのは筋違いだし、プロの書評家が別の方の書評にケチをつけるのってやはりみっともないことだと思う。気持ちはわかるとはいえ、他者への攻撃性を持ったツイートは自分の孤独感・疎外感の裏打ちにしか見えないからだ。そういうツイートをした時点で、ある意味自分の武器に対する信頼に揺らぎが出ているのではないかと、そんなことすら思ってしまう。
今回の一連のツイートを見て私自身のことを振り返ると同時に、他者に攻撃的な態度を示した時に本当の意味で人は孤独になるかもしれないと、そんなことを思った次第だ。解説にしろ書評にしろ、反応が良かろうが悪かろうが自分の文を信頼して書かねばいけない。そこに揺らぎが出た時、隣の芝生が青く憎たらしく見えて来るということだろう。