タリホーです。

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ドラマ備忘録:「大奥」(2003年版)

もう2月も残りわずかで気づいたが、今月は全然ブログに記事がアップ出来ていなかった。これは単純に仕事が忙しかったのもあるが、話のネタになるものがなかったというのも影響しており、特に今期はアニメもドラマも興味をそそるものがなかったので、無理せずブログの更新はせずにおこうかと思ったが、私の住んでいる地域でつい先日まで再放送されていたドラマ「大奥」(2003年版)がなかなか良く出来たドラマだったので今回はこの2003年版「大奥」について語ろう。

 

実を言うと私、この2003年版は一度見たことがある。まだ私が小学生だった頃に母が視聴していたのを隣で一緒に見ていた記憶があって、特にその記憶が強いのはこの翌年放送された「大奥 第一章」の方だ。「第一章」についてはまた機会があれば詳しいレビューをしたいと思うが、とにかく私はこのドラマで女性の恐さというものを子供ながらに(何となくではあるが)知った。

 

そう言えば現在フジテレビで小芝風花さん主演で大奥の新作ドラマが放送中だし、ここ最近は男女が逆転した設定の大奥が話題にもなったが、やはり私にとって「大奥」は2003年からスタートしたシリーズが至高だと思っている。普段時代劇に興味がない私でも退屈せず見ていられるストーリー、大奥という特殊な場が生み出す悲喜劇、古くからのしきたりや時代に翻弄される人々の生き様など、改めて見ると魅力的なドラマだったなと思う。その魅力についてここからはネタバレありでレビューしていこう。

 

(以下、ドラマのネタバレあり)

 

一貫して描かれていたこと(孤独の牢獄)

2003年版「大奥」は幕末の大奥を舞台にした物語で、1~4話までは13代将軍家定の御台所として政略結婚させられた篤子と大奥総取締・瀧山との対立を、5~10話までは14代将軍家茂の御台所として嫁いだ皇女・和宮と家茂の生母である実成院との嫁姑バトルを描き、最終回で江戸城無血開城に至る直前の大奥を描いている。

 

そんな波乱に満ちた大奥での出来事をストーリーテラーの立場として語るのは、薬種問屋の娘・まる。彼女は最初こそ大奥で一番下っ端の女中である「お末」(ざっくり言うと掃除等の肉体労働を主とする役職)として働き始めるものの、屈託のない人間味ある人柄が篤子の目に留まり、篤子のお世話役を務める「お小姓」へと一気に出世。後半の5話からは和宮に仕える「お中臈」という更に上のランクの女中になることで、彼女自身も大奥の運命に巻き込まれていく。

そんな訳でまるはストーリーテラー的存在であるとはいえ、蚊帳の外から批判的に大奥を語る存在ではなく、大奥のしきたりや制約に翻弄される女たちに共感し涙を流し、時には誰かを救うために自ら犠牲になることもいとわない、主人公としての役割も兼任している。

 

このドラマでは始めは外部から徳川家将軍に嫁いで来た篤子や和宮を目の敵にする瀧山や実成院が悪者のように描かれるし、事実瀧山は劇中で篤子が子供を身ごもらないよう彼女の食事に毒を混ぜている。家茂の母親の実成院に至っては女中の一人を自殺に追いやった(身も蓋もない言い方をすると)アルコール中毒の女帝気取りのクソババアなので、非道の誹りを受けて当然だ。

しかし、本作ではそんな瀧山や実成院も他の女中たちと同様、大奥という場に翻弄され幕末という激動の時代の流れに逆らえず、最愛の人物や心の拠り所を失うという報いを受ける。だから結果的に本作において憎むべき人物というものは存在しない。強いて言うなら政治や古いしきたりといった、個人の力では動かしようのないモノが本作における悪という感じだろうか。

 

そしてこの「大奥」で一貫して描かれているのは孤独である。女中が一千人もいるのだから物理的には寂しくないが、一度お城に入ったら最低でも一年は城の外に出られないし、大奥は男子禁制という制約があるため自由な行動も恋愛もままならない。それぞれが埋めようのない深い寂しさや孤独を抱えており、それを女中たちはキレイな着物や美味しい食事、同輩とのゴシップなどによって誤魔化しながら日々暮らしているのだ。

だからこそ、その縛りに囚われていない篤子や和宮は大奥の女性たちには疎ましい存在・秩序を乱す存在であり、結果いじめや嫌がらせという行為につながる。本作における女中たちの嫌がらせには、大奥という特殊な舞台ならではの背景があり、そこがキチンと描かれているから群像劇としてもまとまりがあるし、時代劇としての説得力もあると私は評価している。

 

そして孤独を抱えるのは女性に限った話ではない。政権のトップに君臨する将軍もまた深い孤独を抱えており、特に家定は容貌もあいまって周囲から距離を置かれ陰口を叩かれている人物として描写されている。当初は自分だけが孤独に苦しんでいると思っていた篤子も、家定と関わったことで心境に大きな変化がもたらされるのだ。

まぁ、冷たい言い方をすればこれってストックホルム症候群に過ぎないんだけれども、結果的に家定の御台所になったことが彼女の自立を後押しすることになったのだし、激動の時代を生き抜く逞しさを育むことにもつながった。

 

そういや篤子の恋人だった薩摩藩士の東郷克顕は討幕派の人間として時代を動かした側の人間だけどさ、時代は変化しても篤子の自分に対する思いだけは変わらないと信じており、結果幕府は倒れて願い通り時代は変わったけど篤子の心情も大きく変化して自立心の強い女性になってしまったというのが実に皮肉が効いててドラマのオチとしても良かったなと私は思った。女性が一途に自分のことを思っているなんて、所詮男のエゴに過ぎないものだからね。

 

2024年版に対する違和感(シンデレラ的プロットとアイドルとしての将軍)

現在放送中の「大奥」も一応初回は見てみたけど、やはり「コレジャナイ感」が凄くて2話以降は見ていない。

ストーリーだけを見ると2003年版における和宮のエピソードに近いのだが、2024年版では大奥の女中たちが公家出身の娘である倫子に嫌がらせをする理由が漠然としているため、大奥の女中が性悪女の集まりにしか見えず、時代劇としての説得力に欠けていると正直思った。2003年版では5話で公家と武家(徳川家)がプライドの高さから互いに軽蔑し合っていることが描かれているので、嫌がらせにもそれなりの説得力があったのだけどね。

 

そもそも脚本が浅野妙子氏ではなく大北はるか氏であるため物語の質が違うのは当たり前の話だが、2024年版は何と言うかシンデレラっぽいプロットという印象を受ける。主人公の倫子がシンデレラで、将軍が王子、そして嫌がらせをする総取締の松島や女中たちが継母とその姉、という感じで当てはめることが出来るし、そう考えれば背景描写の浅さにも納得がいく。おとぎ話っていちいち背景描写は描かれないし「とりあえずシンデレラは継母とその連れ子にいじめられていることがわかってたらいいの!」って感じで話を鵜呑みにするしかない。そういう強引さが2024年版にはあるように思える。

 

そして将軍の描き方も、な~んかアイドル的で嘘くさいんだよね。これは家治を亀梨和也さんが演じているというのも多少は影響しているのかもしれないが、森川さん演じるお知保の将軍に対する感情がアイドルとか推しに対する感情みたいで、時代劇にしては露骨というか粘着質過ぎる質感だったし、お鈴廊下で家治の目に留まれば側室として出世出来るから女中たちが競い合うようにキレイな恰好をするというあの下りも時代劇らしさが無い。

多分、時代劇を見たことがない若い人にも取っつき易いように将軍をアイドルや推しのようなものとして描いたのだろう。一人の男を巡って複数の女性が駆け引きをするというのは恋愛リアリティ番組「バチェラー・ジャパン」にも通ずる所があるから、やはり今放送中の「大奥」は時代劇を見たことがない若年層に向けた作品なのかもしれない。

 

まぁ、新規視聴者層の開拓としては別におかしい戦略だとは思わないが一つの作品・時代劇として考えるとやはり大奥を物語の舞台にした必然性に欠けるというのが正直な感想であり、クオリティが低いと思わずにはいられない。会話のスピードや間の取り方もスラスラとしていて(特に松島を見ていて感じた)そこも個人的には引っかかったポイントだ。