タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

償えない餓鬼【ダークギャザリング #20】

今回の少年の霊を担当した声優の織田碧葉さんってまだ未成年のリアル少年みたいですね。

え、良いのですか?今回のエピソードもかなりエグい物語ですけど、そんな年端もいかない子供に担当させて大丈夫…?だって映像見て声をあてるのだから当然あの画面も見たってことでしょ…?下手したらトラウマになりません…?

 

「旧I水門 / 無垢の怨念」

卒業生の一体である花魁の霊を回収した夜宵たちは遂に本題となる旧I水門に到着。そこには闍彌巫子(しゃみ・なぎこ)という有名な霊能力者がいたが、彼女は別の心霊スポットで悪霊に「なり代わ」られていた…というのが今回のあらすじ。

前回「なり代わり」という現象について言及があり、今回は「なり代わり陣営」とでも呼ぶべき組織の存在、そして彼らが霊能力者の身体を利用して裏で空亡復活のために暗躍していることがこれで判明した訳だが、何と言っても今回のメインは旧I水門の怨霊であり、巫子はその怨霊の能力を視聴者に見せつけるための前座として血祭りにあげられてしまった。この怨霊については後ほど言及するとして、まずはいつものように今回の心霊スポット「旧I水門」のモデルである旧岩淵水門について紹介しよう。

 

www.kanko.city.kita.tokyo.jp

概要については本編で詠子が説明した通りだが改めて説明すると、旧岩淵水門は東京都北区荒川に1924年に竣工され通称「赤水門」と呼ばれているが、現在は1982年に竣工された通称「青水門」と呼ばれる岩淵水門が運用されている。

旧水門の方は1999年に東京都選定歴史的建造物に選定され、水門上は歩行者自転車専用橋として開放されている。近くには荒川土手で行われた「全日本草刈選手権大会」を記念して作られた草刈の碑や、芸術家の青野正氏が制作した「月を射る」というオブジェがある(東屋の横に映っていたオブジェがそうだよ)。

 

そして詠子の説明通り、ここはバラバラになった水死体の霊※1が目撃される心霊スポットであり、実際荒川では入水自殺をすると、この旧岩淵水門で死体がせき止められ発見されることが多かったと言われている。また荒川はその名の通り川が荒れて氾濫した過去があり、洪水による水没者を供養するためのお地蔵様がある。この地蔵は誰かの悪戯によるものなのか頭部が破損され、木製の頭部にすげ替えられている。※2

霊能力者の鑑定によれば、強い霊体はいないものの水が流れる場という環境ゆえに霊が活性化しやすく、水蒸気による水の粒子で可視化された霊を目撃しやすいそうだ。特に日没後は陰気が強くなるため近付くことはお勧めしていない。※3

 

※1:荒川では1952年に放水路で警官のバラバラ死体が発見されたという事件があった。この事件も恐らく旧水門が心霊スポットとして語られる背景の一つであろう。

《荒川放水路にバラバラ死体》岸辺に漂着した胴体、首、腕……現職警官惨殺事件 | 文春オンライン

※2:旧岩淵水門|心霊どうでしょう

※3:旧岩淵水門(東京都) - 霊視検証!有名心霊スポットの真相!

 

地蔵も救えぬ餓鬼

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

H城址・旧FトンネルといったこれまでのSランク心霊スポットは(恐ろしいとはいえ)フィクションとしてまだ割り切って消化出来る範囲内だったが、今回の旧I水門の少年の霊は継母から虐待を受けた末に殺害された哀しき怨霊。児童虐待という今現在も起こっている生々しい悲劇が反映されているだけにフィクションとして完全に割り切れないのが今回のエピソードの恐ろしいポイントだ。

しかも児童虐待だけでなくそこにカニバリズム(人肉食)の要素を絡めているのがこのエピソードの凄まじい所で、カニバリズムをテーマにした物語は海外だと「スウィーニー・トッド」が有名だが、個人的に今回の話を見て思い出したのは上田秋成の『雨月物語』に収録されている「青頭巾」というお話だ。

 

www.aozora.gr.jp

「青頭巾」では寵愛する稚児が亡くなった悲しみのあまり、その稚児の死肉を喰らい食人鬼へと化してしまった山寺の僧侶について語られている。僧侶でありながら餓鬼道へと堕ちたことを嘆き悲しむ彼は、山寺を訪れた改庵禅師に救いを求め、それによって僧侶はようやく稚児への妄執を断ち切り、あの世へ旅立つことが出来たとされている。

この「青頭巾」の話が頭にあったので、少年の霊が餓鬼道に堕ちた存在であること、しかも(知らなかったとはいえ)血の繋がった実の父親の死肉を食べてしまったがゆえに鬼と化し、償えない罪を背負って今なお苦しんでいるということが、割と早く読み取れたのだ。

 

本来なら子供の魂を救い上げるのはお地蔵様の役目であり、旧I水門にも水死者の供養のためお地蔵様が祀られていたが、この少年は余りにも業が深いためお地蔵様ですら救えない怨霊として描かれている。仏教では餓鬼道に堕ちた者に対する救済措置として施餓鬼法要というものが行われるが、この少年の場合は単なる飢えで苦しんでいるのではなく、自分が継母に殺されたこと、しかもその継母が原因でカニバリズムという禁忌を犯し、その肉が最愛の父親だったという二重三重の苦しみであえいでいるのだ。

だから地蔵菩薩や施餓鬼といった通常の救済が通用しない。ましてや相手は子供なので「青頭巾」で改庵禅師がやったように禅問答を相手に与えることで現世との執着を断ち切らせるという方法も通用しないのだから、世間一般で行われる供養や除霊が効かないという点で非常に危険な怨霊だと私は思う。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

サブタイトルの「無垢の怨念」には、少年という未熟な魂であるがゆえの精度の低さ、一方で混じりっ気がないからこそ継母に対する憎悪の念には容赦がなく、決して理屈でなだめるといった対処が通用しないという恐ろしさが込められている。果たして夜宵は餓鬼道へと堕ちたこの怨霊をどう退治し、いかなる道へと導くのか。それは次回以降また詳しく語ることにしよう。

 

さいごに

旧I水門戦はこれまでの心霊スポットと比べて少々長い戦いになるので今回は短めの感想・解説にしておく。次回はいよいよ「花魁」が召喚され本格的なバトルが繰り広げられることになるが、次回以降は「花魁」の過去に関することや「花魁」と少年霊との組み合わせについての読み解きを行う予定だ。

 

これまでの心霊スポットも恐ろしい霊が出て来たし、実在したモデルや歴史的事実が作品として反映されていることはもう言うまでもないが、それでも今まで私がフィクションとして割り切れていたのは、これまでの題材が空間的・時間的に距離感があったからだ。H城址の場合は何百年も前の戦国時代の悲劇だったし、旧Fトンネルの殺人鬼の霊は海外の殺人鬼に見られる性格だった。だから恐ろしくてもグロくても絵空事対岸の火事としてある程度は処理出来るレベルだったのだけど、流石に今回の旧I水門の怨霊は児童虐待という現実と地続きな悲劇であること、そして遺体を解体して団子状にして処理するという方法が実際にあった事件でも行われていたことを私は知っていたので、余計にズーンと重い気分にさせられたのだ。

 

ja.wikipedia.org

その事件というのは1996年から2002年にかけて福岡県北九州市小倉北区で発生した監禁・連続殺人事件である。一人の男性が一家全員を監禁虐待によって奴隷に変えてしまい、家族同士を殺し合わせたという前代未聞の事件であり、余りにも残虐な事件内容ゆえに積極的に報道されなかった、正に日本の犯罪史でも過去に例のない大事件だ。

この事件についてはノンフィクションライターの豊田正義氏が書いた『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』にその詳細が記されているが、非常に胸糞悪い事件なので心身が安定しない時に読むことはお勧めしない。

 

 死体をバラバラに解体する犯罪は少なくないが、解体された死体は、せいぜい山林に埋めたり海に沈めたりするのが関の山だ。しかし松永(注:事件の主犯)は、この点に関しても非凡であった。

 彼はまず、切断部分を少しずつ家庭用鍋に入れて煮込むよう指示した。さらに長時間煮込んで柔らかくなった肉片や内臓をミキサーにかけて液状化し、幾つものペットボトルに詰め、それらを公園の公衆便所に流させた。粉々にした骨や歯は、味噌といっしょに団子状に固め、クッキー缶十数缶に分けて詰め込んだ。そして大分県の竹田津港まで赴き、夜更けにフェリー船上から味噌団子を散布した。(後略)

豊田正義『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』より引用

ちなみに、私が今回の物語を見た時に思い出した問題の死体処理について一部抜粋したものが以上の文である。これだけでも十分グロい話だが、『消された一家』ではこれ以上の鬼畜の所業が克明に記されており、今回のお話における継母の所業なんてカワイイものだと思ってしまうほどだ。

 

「ダークギャザリング」は語られざる闇の歴史を描いた物語だが、この北九州の事件も被害者の一人である少女が逃亡し警察に保護されなければ危うく闇に葬られる所だった。今回の物語における恐怖は、我々の現実と扉一枚・壁一枚の薄さで隔たっているに過ぎないということを、皆さんには是非ともわかっていただきたい。