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ゲゲゲの鬼太郎(5期)第7話「燃えろ! 目玉おやじ」視聴

今回は9月16日までの配信

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雪女

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言うまでもなく豪雪地帯や雪国に伝わる有名な妖怪。各地に伝わる雪女の伝説で最も有名なのが小泉八雲が『怪談』に記した雪女の物語だろう。今回の物語で禁忌とされている雪女と人間が結ばれるというプロットも元は雪女の伝承を基にしていると思われる。

原作では「雪ん子」に登場し、雪男・雪ん子とトリオを組んで人間を氷漬けにしていたが、原作通りのビジュアルなのは4期までで、5期から猫娘の美人化に伴い雪女も現代らしい美人として描かれるようになった。ちなみに、南方妖怪が登場する回で雪男も登場するが、その雪男は原作とは異なりUMAとして伝わる雪男のビジュアルに近い。

アニメでは2期を除いて登場しているが、原作「雪ん子」のプロットを基にした話は4期までで5・6期はオリジナルの物語として描かれるようになった。

 

夜行さん

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徳島県に伝わる妖怪で、主に大晦日や節分の夜に首無し馬に乗って現れ、これに出会うと馬の脚で蹴飛ばされてしまうそうだ。

原作では鬼太郎地獄編で餓鬼道を統率する鬼として登場し鬼太郎と激闘を繰り広げるのだが、アニメでは3期のマンモスフラワーの回から登場。原作と異なり鬼太郎に友好的で研究家としての一面もある。5期の夜行さんも3期の設定を受け継いだ感じがする(性格は3期と比べるとだいぶ丸くなったが)。

 

一本だたら(雪入道)

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ど~見ても一本だたらなのにこの5期で何故か雪入道として登場したこの妖怪。和歌山県奈良県に伝わる妖怪で、12月20日に山中を歩き回るためこの日に山に入ることは戒められている。直接姿を目撃した話はあまりなく、後日山に入った人が雪の上に一本だたらの足跡を見つけたという程度。一つ目に一本足というビジュアルや名称に「だたら(たたら)=たたら製鉄」が入っていることから、零落した製鉄神という説もある。

原作には未登場で、アニメでは4期の笠地蔵回で初登場。イタズラした子狐を食おうとしたが、性格自体は比較的穏やかで凶暴さはない。5期では一応雪入道とは別物として一本だたらが登場しているが、残念ながらアニメ本編ではなく映画で妖怪四十七士の一体として登場。6期では台詞はなくモブ妖怪として姿を見せる程度の登場だった。

 

獄炎乱舞のプロトタイプ

今回は人間と仲良く暮らす妖怪を雪女が粛清の目的で氷漬けにする事件が起こり、それを止めるべく鬼太郎たちが戦うというあらすじ。ちなみに、妖怪ポストに届いた手紙からの依頼で動くのは何気に今期はこれが初めてである。

妖怪が妖怪を襲うというのは前回ののびあがりと同じだが今回はその目的をもっと明確に描き、人間と妖怪の分断だけでなく妖怪間でも友好派と過激派という形で人間に対する姿勢が分断していることを描いた回である。また、後に鬼太郎が西洋妖怪と戦う上で強力な武器となった地獄の奥義の一つ「獄炎乱舞」のプロトタイプとでも言うべき地獄の炎を駆使した戦闘があるのも見逃せない点の一つだ。

原作やこれまでの鬼太郎シリーズでは雪女を倒すのに地獄の炎は借りず、鬼太郎自身の能力(妖怪原子炉)で退治していたが、7話の時点でこのようなプロトタイプを入れてきたということは、3・4期とは異なる鬼太郎の新たな技を開発し、5期鬼太郎として新たなアピールポイントを作る目的があったと思われる。

 

以上のポイント以外にも、今回は自己犠牲を厭わない鬼太郎と目玉おやじの親子愛が描かれた回でもある。目玉おやじの苦手なものが花火というのは流石にとってつけた感じがするものの(原作にない設定だからね)、花火が苦手でも息子のためなら地獄落ちも覚悟出来るというカッコ良さは表現出来ていたと思う。

ちなみに目玉おやじが落ちたかもしれない焦熱地獄は八大地獄の六番目に属しており、人間の時間に換算して5京4568兆9600億年もの間、この地獄で罰を受けねばならないとされている。一番軽い等活地獄でも1兆6653億1250万年かかるため、地獄の炎を地上に持ち出すことが本来ならどれほどの大罪であるか、これでよくわかるだろう。

 

雪女と人間の異類婚姻がタブー視される理由

雪女と人間のケースに限らず、世界中には異類婚姻譚と呼ばれる人間と別の種族・生物との婚姻譚が数多く存在する。異類が婿か嫁かで結末が異なっており、異類が婿側の場合は人間の嫁が人身御供的な形で奪われるため悲劇的な物語が多いが、異類が嫁側の場合は婿の場合と比べると悲劇的な結末にはならず、離別したとしてもそれは人間側による過失が原因だったりする。

 

7話の劇中で人間と雪女の結婚が掟に背くタブーとなっている設定は「地獄先生ぬ~べ~」からの本歌取り的なものだと思うが、そもそも元の伝承となる物語では離別という結末を迎えたもののタブー視はされていない。では何故このような設定が成立したのか。

これは「地獄先生ぬ~べ~」を読んでいる方ならわかると思うが、タブー視されているのは雪女が人間と婚姻を結ぶということよりも人間側に属する=嫁入りすることが問題なのではないだろうか。人間は自然の恩恵を受けて生きている者なのに、その恩恵で生かされている側の存在に嫁入りするということは、能力的にも地位的にも格下の者に合わせるという訳で、自然界の立場から見ればあまり良いことではない、むしろ大いなる恥だと捉えられる。これが雪女の人間との婚姻(嫁入り)がタブー視される理屈だと思っているのだ。

このようなタブーは山神信仰とも関係があり、山の掟を破った人間がその罰で死んだり行方不明になる怪異譚があるのは、自然と人間では自然の方が圧倒的に上位者であり、それに隷属して生きているのが人間だという認識があるからで、雪女が雪という自然現象から生まれた妖怪である以上、古くから日本人が信仰の対象とした最も身近な自然である山に帰属するという発想も特段違和感はないと思う。

 

以上のことを考慮に入れると、今回の雪女による妖怪の粛清には、旧弊的な家格制度に縛られる女性の哀しみや、その呪縛に縛られない者たちに対する嫉妬・羨望などが見えてくるだろう。そんな感情を利用したのが最後に出て来たぬらりひょんだが、ぬらりひょんとの本格的な戦いは次回に移る。

 

※「地獄先生ぬ~べ~」の単行本13巻110話「木枯らしに消えた雪女 の巻」で山の掟を破りぬ~べ~と結婚しようとしたゆきめを連れ戻しに来たのが他ならぬ一本だたらなので、やはり今回のプロットにはこの話が大きく影響していると思われる。

 

ささやかなツッコミ

今回改めて視聴して気付いたことがある。それは雪女退治のため砂かけが炎の妖怪に応援を要請した中で、その中に火取魔がいたことだ(動画の8分0~4秒辺り)。実は火取魔は、この後の17話でぬらりひょんの刺客として鬼太郎と敵対する妖怪なのだが、今回の火取魔は別個体と考えるべきだろうか?17話の脚本はシリーズ構成の三条陸氏だからこの辺り事前に制作陣の間で話し合っていたら17話の刺客は別の妖怪だったのかな~とふと思った。

ちなみに90話で登場する輪入道火車も映っているが、この時点では流石にそんな先の話など考えてあるはずもなく、90話の輪入道火車と比べるとビジュアルが全然違うのがわかるはず。