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ミステリだけど評価すべき点はミステリ以外の所にあり!【映画「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」】(後半ネタバレあり)

どうもタリホーです。ケネス・ブラナーポアロの第三作目「名探偵ポアロベネチアの亡霊」を観に行きましたので、早速レビューします。

既に映画を観た方のレビューをネタバレを避けて見たのですが、すごく高評価している人と、逆に酷評している人がいて評価は正に賛否両論。その評価を分ける者とは何か?アガサ・クリスティの一ファンとして確かめて来ました。

 

作品概要

舞台は1947年のイタリア。水上都市として栄えたベネチアの街で一人隠遁生活を送るポアロだったが、ある日友人で推理作家のアリアドニ・オリヴァから、ハロウィーンの夜に開かれる降霊会に参加してほしいと誘いを受ける。降霊会が開かれるその屋敷では、ロウィーナ・ドレイク夫人主催で子供たちを集めたハロウィーン・パーティが開かれており、パーティの後に降霊会のため霊媒ジョイス・レイノルズ夫人が呼ばれていた。ロウィーナは最愛の娘アリシアを事故で亡くしており、今夜の降霊会ではアリシアの霊との交信を望んでいた。霊の存在を否定するポアロは、レイノルズ夫人のペテンを暴こうとするが、降霊会の夜に殺人事件が起こり大雨の影響で招待客は屋敷から出られなくなる。果たして、この殺人は人間の仕業か、それともこの館でかつて亡くなった孤児の亡霊たちの仕業か…?

 

以上が本作のあらすじとなる。原作はクリスティの長編ハロウィーン・パーティ』であり、イギリスの街からイタリアのベネチアへと舞台や登場人物を大幅に変更している。そのため予告を見た時は「これのどこに『ハロウィーン・パーティ』要素があるのだ…?」と困惑させられたし、オリエント急行・ナイルと来て三作目にこんなマイナーな原作をチョイスしたというのも困惑の理由の一つだ。

登場人物についておさらいすると、まず探偵のポアロと推理作家のオリヴァ夫人は原作通りのレギュラーメンバーだが、それ以外の人物は以下の通り。

ジョイス・レイノルズ霊媒

ロウィーナ・ドレイク:屋敷の女主人。元オペラ歌手。

アリシア・ドレイク:ロウィーナの娘。故人。

オルガ・セミノフ:ドレイク家の家政婦。

ドクター・フィリエ:戦争による精神疾患を抱えた医師。

レオポルド・フィリエ:ドクターの息子。

デズデモーナ・ホランド:レイノルズ夫人の助手。

ニコラス・ホランド:デズデモーナの弟。レイノルズ夫人の助手。

マキシム・ジェラード:シェフ。アリシアの元婚約者。

ヴィターレポルトフォリオポアロボディガード。元イタリア警察警部。

以上、ポアロとオリヴァ夫人も合わせた12名が本作の登場人物となるが、原作既読の方ならおわかりの通り、ドレイク夫人を除いた9人が改変もしくはオリジナルの登場人物で、特に注目すべきは原作で13歳の少女だったジョイスが本作では妙齢の霊媒師として登場する点だ。原作ではこのジョイス「殺人を見たことがある」という一言で事件が幕を開けるのだが、本作のジョイス殺人の告発という点では原作のジョイスと同じ役割を果たす。

 

本作は先ほどのあらすじにもあるように「人の犯行か幽霊による仕業か?」という事件の様相が注目ポイントの一つで、原作と比べるとかなりオカルト色やホラー要素が濃い物語になっている。クリスティ作品では『蒼ざめた馬』や『死の猟犬』といった怪奇現象・オカルトを扱った作品はあるものの、基本的にポアロシリーズを始めとするクリスティの代表作はオカルトと無縁で、どちらかと言うとこのオカルト色強めの作風はジョン・ディクスン・カーの作風に近い。映画のパンフレットを読むと本作は『ハロウィーン・パーティ』だけでなく「最後の降霊会」(『死の猟犬』所収)も参考にしたと記されており、合理的に解決出来るミステリと非合理的な亡霊というオカルトを掛け合わせたサスペンス・ホラーとして描かれている。

基本的に原作のポアロはオカルト要素の絡んだ事件とガッツリ取り組んではいないので、本作は「もしポアロがオカルト色濃いめの事件に関わったらどうなるか?」といった実験的な試みが為された作品として私は受け止めた。従来のポアロにはない亡霊の存在に対する疑念や困惑・怯え、そういったものを監督で主演のブラナーは描いてみたかったのだろうなと思う。そして前二作と違いより閉鎖的なクローズドサークル内での事件という圧迫感・閉塞感がポアロや関係者の心を蝕んでいく。

 

ホラーとしては音でビックリさせるジャンプスケア系の演出が目立つのでそういうのが苦手な人にはおススメしないが、では今回の改変におけるホラー要素とミステリ要素の絡み方はどうなのかという点に関して述べると、正直な所この両者は本作ではあまりうまく絡んでいたとは言い難い。やはり本作のホラー要素は原作で描かれなかった「怪異の存在に困惑し怯えるポアロを描きたいというブラナーの思いが反映されたというだけで、ミステリとの相乗効果にまでは至っていない。そもそもミステリ自体もかなり不満ポイントがあって、情報の出し方にアンフェアな部分があったり、心理的にそんなことをするか?というモヤモヤポイントもあったのでミステリに関しては原作の『ハロウィーン・パーティ』と同様、そんなに大したことがない作品だと評価した。

とはいえ、褒める部分がゼロという訳でもなく、事件の真相や犯人の動機といった面はちゃんとクリスティ作品らしい改変になっていたし、ブラナー自身シェイクスピア俳優としての経歴があるから、原作の諸要素をイタリアを舞台にした物語として置き換えるセンスは素晴らしいと思う。クリスティの曾孫であるジェームズ・プリチャード氏が本作のストーリーを承認したのも納得である。

 

さて、ここからは原作及び映画のネタバレありの感想に移るので、映画を観てない方はここで引き返すことを強くおススメする。

 

(以下、原作を含めた映画のネタバレあり)

 

ネタバレ解説

ネタバレ解説をする上で、今回はYouTubeで映画評論をしている沖田遊戯氏の動画をベースにして解説していく。

 

www.youtube.com

まず、動画の6分20秒辺りで沖田氏は序盤の子供たちによる「ハロウィーン・パーティ」はいらないだろとツッコミを入れていたが、個人的にプロットとしては序盤のあのパーティ描写は蛇足ではなかったかなと思う

本作の舞台となる屋敷は元孤児院であり、かつてペスト(黒死病)が流行した際看護婦や医者は職務を放棄して子供を屋敷に閉じ込め逃げた。この屋敷はそんな大人に見捨てられ病で苦しみながら死んだ子供たちの霊がいて、看護婦や医者に恨みを持っているということが序盤のパーティの場面で語られる。この怪談話から今回の事件をオカルトの仕業として解釈すると、看護婦や医者に恨みのある子供たちの霊が、元従軍看護婦であるレイノルズ夫人とフィリエ医師を殺したということになり、その霊はパーティに集まった子供の生きた魂に触発されて眠りから目を覚ましたのだ…という風に解釈出来る。それに、ハロウィーンは死んだ人の魂が戻って来る行事だから、その点から見ても今回の事件のオカルト要素としてハロウィーンやパーティの描写は必要だったと思うし、事件をオカルトめいた因縁話としてミスリードさせる効果もあったと言いたいのだ。

 

本作では過去のアリシアの事故死、レイノルズ夫人の殺害、フィリエ医師の殺害と3つの事件が描かれており、特に3つ目のフィリエ医師殺害は現場が鍵のかかった密室であったためポアロシリーズには珍しい不可能犯罪が謎として提示されているのが注目ポイントだが、結論から言うとこの3件の事件はミステリとしては難アリな部分が多い

アリシアの事件の場合はバルコニーからの転落による溺死ではなくシャクナゲの花から採れた蜂蜜による中毒死であり、アリシアポアロが見た亡霊もこの蜂蜜を口にしたことによる幻覚症状だと劇中で結論付けられている。一応養蜂をしていたことは劇中で語られていたものの、シャクナゲの花が育てられていたことは解決パートまで伏せられていたし、そもそも検死をしたのが精神的に不安定でドレイク夫人に好意を抱いていたフィリエ医師なので、謎解きとしては視聴者に対してかなりアンフェアだと言って良いだろう。

レイノルズ夫人殺害のトリックは音楽室が防音になっていることを利用し、時計の針をズラして家政婦のセミノフを証人にすることでアリバイ偽装したというもの。このレイノルズ夫人殺害のトリックは特に問題はないが、次のフィリエ医師の密室トリックが心理的な面でツッコミ所がある。フィリエ医師殺害のトリックは他殺に見せかけた自殺であり、犯人が「従わなければ息子を殺す」と医師を脅迫し、壁に剣を突き立て背中から刺されに行ったという、これまた古典的なトリックだが、いくら精神的に不安定で後ろ暗いことをしていたとはいえ、「息子に何のメッセージも残さずに言われるがまま自殺をする父親がいるだろうか…?」ということが引っかかってスッゴいモヤモヤした。特に本作は親子が物語のテーマの一つとして絡んで来るだけに、この部分が雑なトリックとして流されていたのが一番の不満になった。

 

あと沖田氏の動画の中で氏が最もキレながら酷評をしていたのがオリヴァ夫人がレイノルズ夫人の共犯だったという点だ。原作におけるオリヴァ夫人はキュートな婦人としてポアロと共に捜査をする役どころで一種のムードメーカー的存在であったにもかかわらず、本作ではそんな彼女を裏切り者として描いているのだ。だから確かに沖田氏がキレ散らかすのも無理はないなと思うし、どうせそんな改変をするのだったらトリックとしても必然性が欲しかったと思うのだけど、今回の物語においては容疑者の幅を広げる以上の効果はなかったので、改変としてはイマイチだったかなと思う。

まぁ私はそんなにオリヴァ夫人に思い入れがないのでそこまでキレなかったけど、ポアロに対して「あなたに友人はいないのよ」って言ったのを見た時はポアロが可哀そう過ぎて「それはやめたげてよ…」ってオリヴァ夫人を止めたくはなったけどね。

 

ただ、今回オリヴァ夫人を裏切り者として描いたのはもしかすると二つの目的があったのではないかと実は思っていて、その一つがオリヴァ夫人が原作者であるクリスティの分身的存在だという点だ。生前クリスティはミステリを書く上でエルキュール・ポアロの存在が物語に制約をつけてしまう、つまりはミステリとしての幅を狭めるという点で疎ましく思っていたことを述懐しており、出版社や編集者の要請に応えて仕方なくポアロを物語に入れていたと言われている。だからポアロはクリスティにとって生涯離れ難き友であった一方、すごく鬱陶しい存在だったことは多分間違いないだろうし、恐らく今回の脚本ではクリスティのポアロに対する矛盾した感情をオリヴァ夫人に反映させたから、あんなキャラになったのではないだろうか?

もう一つの目的というのはポアロを孤独にさせるという目的だ。本作でポアロは『アクロイド殺し』のように隠遁生活を送る、つまりは自ら進んで孤独になった訳だが、そこには彼の信念である「秩序と方法」に揺らぎが生じたからであり、劇中でもポアロはそれについて語っている。揺らぎが生じたとはいえ一方でそれはポアロアイデンティティでもあるのだから、心の奥ではそれを証明し自分の足元を固めておきたいと思っている。しかし今回挑んだ事件は超自然的な亡霊が絡む殺人事件で、これまで関わったどの事件よりもポワロの信条を根底から覆すかのような、混沌に満ちた事件である。そんな事件に対するポアロの心の焦燥・不安・怯えを描くためには、ポアロを支えるヘイスティングス大尉やオリヴァ夫人、ミス・レモンにジャップ警部といった従来のレギュラーメンバーは却って邪魔になってしまう。ポアロの焦りを描く上では彼には心理的に孤独になってもらわないといけない。だからオリヴァ夫人はポアロを支える存在ではなく裏切り者になる必要があったのだと、こうも考えられるのだ。

 

謎解きミステリとしては大いに不満があるものの、トリックに毒殺が用いられたことやクリスティのトリックにおいて最も重要と言える人間関係の欺瞞が描かれていたので、オカルト要素が強くてもちゃんとクリスティの作品だったなと思ってこの映画を観終えることが出来たし、何よりドレイク母子とフィリエ父子が対比的に描かれていたのが物語として美しい構図だったと評価したい。良き母親を演じるため子供を犠牲にする親と、子供を守るため自らの命を投げ出す親が対照的に描かれていたから、本作がミステリとして駄作でも、クライム・サスペンスとしては上質な物語として着地することが出来たと思うのだ。

 

「ポアロにうんざり」だったアガサ・クリスティ、孫が明かす 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 

さいごに

ということで「名探偵ポアロベネチアの亡霊」の感想・解説でした。前作の「ナイル殺人事件」はまだ見ていないので、三作を通じてブラナー版ポアロはこうだ!ということはまだ断言は出来ないけど、やはりブラナーも脚本のマイケル・グリーンもこのポアロシリーズを本格謎解きミステリとして描くつもりはあまりなく、原作や従来の作品で描かれなかったポアロの感情にスポットライトを当てることに意識を向けているといった感じだろうか。だからミステリとしては超絶駄作なのだけどクリスティ作品として見ると上質という凄くちぐはぐな感想にならざるを得ないのだ。

これまでは視聴者と容疑者が右往左往する中でポアロは一人だけ真実に向かってズンズン進むといった描かれ方をした作品が多いし、だからこそ彼は名探偵として周囲にもてはやされる存在だったのだけど、ブラナー版ポアロでは「オリエント急行」でポアロにもある種の弱みがあることが判明し、そして今回の「ベネチアの亡霊」では自身のこれまでの信条を揺るがすような超自然的な存在(亡霊)が現れる。事件の謎そのものに悩むのではなく、もっと人の心の奥底にある問題を、ブラナー版ポアロでは自分ごととして捉えている。物語の最後でポアロは隠遁生活をやめ探偵として復活するが、それはこの世界の混沌に対する名探偵の再挑戦として私は解釈することにした。