脚本家・三谷幸喜氏による名探偵・勝呂シリーズ、待望の第三弾「死との約束」がフジテレビで放送された。
原作は1938年に発表されたもので、エルサレムを旅行中のエルキュール・ポワロが地元警察の要請により殺人事件の捜査をするという物語。エルサレムを舞台にした本作は今回のドラマでは和歌山の熊野古道に置き換えられ、殺人事件の筆頭容疑者であるボイントン一家は本堂一家という名に変換されている。
クリスティ作品を網羅した評論、霜月蒼『アガサ・クリスティー完全攻略』で氏の評価は5つ星の高評価。本作の被害者ボイントン夫人のキャラクターとそれに伴った異様な家族像が殺人が起こるまでの物語として実によく出来ている点や、シンプルながらも虚をつく仕掛けが評価ポイントと本作を紹介している。
ただ、初読み時の私の印象は「よく出来ているけど地味」というのが率直な意見だ。というのも前作があの有名な『ナイルに死す』であり、ナイルの次の作品で同じく旅先での殺人事件を扱った本作を読むと、どうしても地味で謎の魅力にも欠けると思うのも無理はないと思う。事件を彩る装飾にしてもそうだし、連続殺人の『ナイルに死す』に比べるとこっちの『死との約束』は不愉快なババアが一人殺されるだけの事件なのだから。
「不愉快なババアが一人殺される“だけ”」とはいえ、そこはクリスティ。不愉快な被害者の人物像を掘り下げることが犯人特定に重要となるのだから油断ならない。また、クリスティの作家性を知るうえでは『ナイルに死す』や過去に三谷氏が手掛けた「オリエント急行殺人事件」「黒井戸殺し」よりも本作の方がうってつけなのだ。
クリスティ作品をよく読んでいる方はおわかりだと思うが、クリスティ作品においてメインとなる殺害方法は毒殺。これは看護師の資格を持っていたクリスティだからこそ作中に様々な毒薬を違和感なく活用することが出来た訳であり、クリスティの真骨頂は毒殺にあると言っても良い。しかし、世間で有名な『オリエント急行の殺人』や『アクロイド殺し』は刺殺。毒薬は介入してこないのだ。
代表作の『オリエント急行の殺人』や『アクロイド殺し』がクリスティ作品全体として見るとイレギュラーなのは毒薬に限ったことではない。トリックや物語の展開としてもこの二作はかなりイレギュラーで、フェア・アンフェア論争を起こした『アクロイド殺し』は言うまでもなく、『オリエント急行の殺人』も展開がスピーディーで、各登場人物の魅力というものも『死との約束』に比べると希薄だと私は思う。
これまで三谷氏が勝呂ものとして描いた作品は有名作ではあるがクリスティらしい作品ではなかった。被害者を含む登場人物の描き方が比較的淡白で、どちらかというとトリックのインパクトが先行した作品だった。これは先述した霜月氏の評論でも指摘されているが、クリスティ作品全体としてイレギュラーだったこの二作品が有名になったのは、それだけこの作品が発表当時世界的に見てもイレギュラーで突出した作品だったことになると言えるだろう。
クリスティ作品としてイレギュラーな二作を日本を舞台に映像化し、好評で受け入れられた三谷氏。彼にとっても当時のクリスティと同様「挑戦」であり、その挑戦的作品が成功したからこそ、クリスティらしい作品である『死との約束』に安心して手をつけられたのではないだろうか?
(そういや前の時と比べて今回は番宣があまりなかった気がする。一定の支持があるから大々的に番宣するまでもなかったということだろうか?)
過去の映像化について
原作『死との約束』がクリスティらしい作品だという話は一旦やめて、過去に映像化された「死との約束」の話に移る。
原作は過去に映画とドラマが一本ずつ映像化されており、映画はピーター・ユスチノフ主演で「死海殺人事件」という邦題で公開された。
内容はほぼ原作通り。「オリエント急行殺人事件」でハバード夫人を演じたローレン・バコールがウエストホルム卿夫人として出演している。
三谷版の放送に際して予習がてら視聴したが、原作通りの展開にも関わらず凡百のミステリ映画となってしまっているのは、ボイントン夫人とその家族の描写に問題があるからだ。原作では精神的サディストであり家族を精神的に支配しているボイントン夫人だが、映画だと精神的支配の描写が希薄であり、きょうだい達にしても遺産目当てでやむなく母のそばにいるという風にしか見えない。普通に観光を楽しんでいるから「夫人に支配された家族」という動機の軸がブレているし、きょうだいの個性もだいぶ弱まった感がある(ジネヴラが普通の娘になってたしね)。事件のミスリードとして配置されたネイディーンの不倫も何だか露骨すぎるし、レイモンドとサラの恋愛描写も何かねぇ(二人っきりになっていきなりキスはないでしょ!?)。
そしてもう一本の映像化はデビッド・スーシェ主演のドラマ「名探偵ポワロ」。
シリーズの晩年期である2009年にイギリスで放送されたスーシェ版「死との約束」はハッキリ言って原作とは別物。舞台はエルサレムではなくシリアの遺跡発掘現場だし、殺害方法もトリックも原作とはかけ離れている。原作と同じなのはせいぜい登場人物名とボイントン夫人のビジュアルといった所だろう。トリックのタイプは『ナイルに死す』に近く、殺人の謎が複数の謀略によって見えにくくなっているという形式。駄作とまでは言わないが、原作の要素やクリスティらしさを殺しているのは否めない。個人的には映画「ホーム・アローン2」でホテルマン役だったティム・カリーや、ハムナプトラシリーズのジョナサン役でお馴染みのジョン・ハナーが出演していた点が心に残った。
(以下、原作とドラマのネタバレあり)
ボイントン一家
さて、では今回の三谷版「死との約束」はどうだったか?
これまで映像化されたオリエント急行やアクロイド殺しはトリック特化型の作品だということは先ほど触れたが、もう一つ、この二作品は被害者の掘り下げがあまり為されていない作品であることを言っておきたい。オリエント急行のラチェットは極悪な実業家、アクロイド氏は地元の名士、というくらいの情報しかなく物語の序盤で早々に殺されてしまう。過去に〇〇をしたとか、〇〇の問題で悩んでいたといった情報はあるものの、心理面での掘り下げはなく、彼らの性格や心理が事件の謎解きと有機的に結びついていることはなかった。
しかし、「死との約束」は違う。ボイントン夫人の性格や行動を正しく理解することが事件解決につながり、約400頁ある原作で約160頁をボイントン夫人とその家族の描写に費やしているのは、それだけ夫人の心理と彼女を取り巻く家族の行動が謎解きのカタルシスに必要不可欠だからだ。それゆえに、ユスチノフ版で不十分だったボイントン夫人とその家族の描写を三谷版ではキチンと描けるのかどうかが気になっていた。
で、懸念していたボイントン夫人(本堂夫人)や家族の描写は問題なかったと思う。個人的にはもうちょっと陰険な本堂夫人を期待していたのだが、モラハラ度合いが凄まじく女王様然とした松阪慶子さんの本堂夫人も十分OKだし、「殺されるべきクソババア」として成立していた。ユスチノフ版のボイントン夫人が静的だったのに対し、こちらの本堂夫人は動的で、原作のウエストホルム卿夫人にみられた「かしましい」感じが加味されていたのも、三谷作品っぽかったのではないだろうか。
あとの娘や息子たちもほぼ原作通りだったが、唯一原作のレノックスにあたる礼一郎のキャラ設定が原作と違っていたのは予想外だった。
レノックスにあたる礼一郎が結構反抗的なのが意外だな。原作は反抗の時期を過ぎて隷属の域に達した感じだったけど。#死との約束
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2021年3月6日
原作だとすっかり隷属的になって母親に歯向かい外の世界に出ることを恐れた30過ぎの男という描かれ方だけど、今回の礼一郎はやさぐれているというか不良少年のような未熟さを感じる描かれ方をしていた。親への隷属も、事業に失敗した際の補填という「借り」が母親に出来てしまったという理由付けが為されていたので、この改変については文句はない。
まぁ流石に裸サスペンダーはびっくりしたけどね。(過去に演じた舞台「大地」が元ネタらしいが)
裸サスペンダーが気になって話が入ってこない。#死との約束
— タリホー@ホンミス島 (@sshorii10281) 2021年3月6日
勝呂・上杉のロマンス
今回のドラマ化において注目すべきは原作になかった勝呂と上杉議員とのロマンス描写だ。上杉議員は原作のウエストホルム卿夫人に相当する人物だが、原作と比べるとドラマの上杉議員は随分と上品で美人だ(原作は日焼けした我の強いオバサンって感じ)。そして、何と原作では隠されていた議員の犯罪歴が勝呂が警官時代だった頃の描写をとり入れて物語の序盤から明かすという大胆な手法がとられている。
『死との約束』、鈴木京香の役柄は原作のウエストホルム卿夫人にヴェラ・ロサコフ伯爵夫人(『死との約束』の原作には出てこない)を合わせた感じかな。勝呂の警察官時代を見られるとは思わなかった。
— 千街晶之 (@sengaiakiyuki) 2021年3月6日
ちなみに、上杉議員の前の名「佐古」はポワロシリーズに登場するヴェラ・ロサコフ伯爵夫人(「二重の手がかり」等に登場)からとっているのではないかと有識者の間で言われているが、実際どうなのだろうね?
原作では最後の最後まで隠されていた「議員に犯罪歴があった事実」をいきなり明かすなんて原作未読の方にも犯人が誰かわかるのではないか?と思ったが、そこは演出の匙加減が絶妙で、勝呂の大捕物とでも言うべき一幕がコミカルに描かれていることで「本筋の殺人とは関係ないだろう」と視聴者に思わせるよう演出されていたと思う。
議員の犯罪歴を最初に明かした分、反対に原作で明言されていた本堂夫人の前職(刑務所の看守)が隠されたのがドラマにおける改変だが、一応亡くなった本堂氏が刑務所長だったという情報があったからアンフェアではないかな。
横溝流オカルトの味付け
舞台を熊野古道にしたのは原作の舞台であるエルサレムが宗教的な土地柄であり、それに伴った改変だというのは言われずともわかると思うが、本作では横溝正史の諸作品にみられるオカルト要素を事件に絡めているのが特徴の一つで、横溝正史の世界観でクリスティ流の騙しを見られたのは両者の作品を愛好する私には願ったり叶ったり。この横溝流の味付けは三谷氏が狙ってやったことであり、本作で川張大作を演じた阿南健治さんが石坂金田一シリーズでお馴染み等々力警部のようなキャラだったのも三谷氏の要望によるものだという(公式サイトのインタビューより)。ジネヴラにあたる絢奈も「本陣殺人事件」の一柳鈴子に近いし、『死との約束』を横溝流で彩った三谷氏のアイデアには恐れ入る。
さいごに
勝呂シリーズ第三弾となった本作「死との約束」は、内容の面だけで言えば「黒井戸殺し」ほど凄まじい改変ではなかったものの、過去の映像作品における不満点をクリアし、横溝正史的な世界観を盛り込んだ作品としてよく出来た作品であることは間違いない。Twitterの方では勝呂の芝居がかった喋り方が気に入らない(過去のポワロ像の模倣)という意見もあったが、クリスティ作品の演劇性という面を考えれば、こういうリアリティに欠ける勝呂は三谷流ポワロとして許容出来る範囲だと個人的に思う。ま、要は慣れればどうということはない話だ。
あと、上品な夫人を演じながら天狗に扮して山を走り犯行に至る鈴木京香さんが過去に三谷さんが手がけた古畑任三郎の「さよなら、DJ」でアリバイ工作のため全力疾走していた桃井かおりさんを彷彿とさせて、そういったオマージュ的趣向にもニヤリとさせられた。オマージュといえば、本堂夫人が家族を含めた事件関係者全員に注射器を刺される演出があったが、あれはユスチノフの映画「ナイル殺人事件」の演出に通じるものがあったな。
以上、また三年後(にやるはず)のシリーズ第四弾が早くも気になるタリホーでした。