タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

自然との協和、不自然な親孝行【ゾン100 #09】

ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~(4) (サンデーGXコミックス)

これからまた面白くなるって所で10話以降の放送が未定なのは勿体ないな。

 

「ツリーハウス オブ ザ デッド」

今回は原作の14話「ツリーハウスオブザデッド」から15話「ホームタウンオブザデッド①」までの内容。遂に地元群馬の生まれ育った村へと辿り着いたアキラ一行、前半はその道中で出会った熊野という大工と共に森にツリーハウスを建てるという展開で、後半は実家へ戻ったアキラが親孝行をすべく動き出す…というお話だ。

内容はほぼ原作通りだが、この回から日暮莞太ひぐらし・かんた)という男が登場。彼は村に大騒動を巻き起こす悪役であり、その背景は今回描かれていたように社会に対する逆恨みから来るものだ。アキラはゾンビ禍によって自由を獲得し正の万能感に満たされた男だが、カンタはその逆で何をやっても捕まらない(犯罪者として処罰されない)という負の万能感に満たされた男として仲間を引き連れ、闇のゾン100を達成すべく村に波乱を巻き起こす。それが10話以降で展開される物語となるのに、ここで放送がストップするのだから全く酷な話だよ。

 

ゾンビもまた自然なり

正直な所、今回は原作の「ツリーハウスオブザデッド」だけで30分やられたら何も感想が思いつかなくて頭を悩ます所だったが、「ホームタウンオブザデッド①」まで映像化されたおかげで、何とか今回読み解くテーマがしぼり出せた。

前半の熊野とのツリーハウス建設において熊野は「わからないことは全て森に聞けばいい」と語った。一般的に建築物を建てる時は木を伐採して土地を平らにならし、その上にコンクリ・鉄筋の建造物を建てるというのが現代社会の方法だが、ツリーハウスの場合は今その土地に植わっている木を大切にしながら、その木や周囲の環境に適したツリーハウスを建てる。要は木を中心にして周囲の環境と協和的関係を育みながら建てるのがツリーハウスという訳である。

 

そういや「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎の家もツリーハウス形式だったな~と思いながら見ていたが、自然との協和と言うと聞こえは良いが自然は必ずしも我々人類にプラスの効果をもたらさない。海だと津波、山だと土石流といった自然災害があるし、大雨・台風・地震・竜巻といった具合に自然は我々にとって脅威でもある。そう考えると、本作におけるゾンビ禍も一種の自然の脅威であると考えることは出来ないだろうか?

勿論今の段階ではゾンビウイルスが人為的に撒かれたものなのか、それとも自然発生した病原体なのか、それすらハッキリしてないので何とも言えないのだけど、この災いを自然として捉えた時に人類はどう対処するのか、そこが一番の問題となる。西洋の場合は自然を支配することに重点を置き、その代表的な例として噴水や庭園が挙げられる。噴水は本来の水の流れではあり得ない方向に水を噴出させる装置だし、西洋の庭園は生垣や樹木を真四角や真ん丸に刈り込んで人工的な庭園にしている。

一方東洋は庭を作る時も西洋のように人工的な庭にせず、出来るだけ自然に近い状態の庭園を作るし、枯山水は石で流れる川の水を再現する。水を引いて川を作ればその場の自然環境が大きく変わってしまうことを考えると、枯山水は自然を出来るだけ捻じ曲げずに川を作るというユニークかつ環境にもやさしい(?)発想だと思うがどうだろうか?

 

そんなことがボヤボヤと頭に浮かび、では日本で実際にゾンビ禍が起こりこれを自然として捉えた場合果たして人類はゾンビと協和的関係はとれるのだろうかと、そんな変なことを考えた次第である。まぁ流石に今の日本はかなり西洋的要素が強くなったからゾンビとは協和的関係をとることはないだろうけど、昔の日本では疫病が流行った時に様々な非科学的対処法がとられたことを参考に考えれば、たとえ科学文明が発達した現代日本でも昔の日本で発明されたような変な風習や文化が生まれるのではないかと思う。

 

親孝行って不自然じゃないですか?

別にアキラの帰郷目的に水を差すつもりはないし、「べき」の呪いではなく本人が純粋にやりたいと思って親孝行していることは確かなのだけど、私は親孝行って今の価値観には合ってない道徳的概念じゃないかなと思ってしまう。

そもそもこの「孝行」という概念は儒教の教えによるもので、子供が自身の親を敬い支えるべしと説く道徳的概念を指す言葉だ。つまり、2000年以上も前の家父長制家族が社会を構成していた時代に考えられた概念であり、今の核家族・少子高齢社会の日本でも通用する概念とは正直言えないと私は言いたいのだ。

昔は平均寿命も短いから親もボケる前に死ぬし介護問題といったことも恐らくないから親が子供にとっての負担になるということもない。今の日本を見て孔子が「それでも孝行は大事」とか言ったら私はハッキリ言って頭の固いオジンやなって思いますよ。

 

アニメ本編の描写を見ながらこの親孝行の不自然さを考えると、アキラが考える親孝行は食器を洗ってあげる、滅多に食べられないお土産をプレゼントする、肩を揉んであげるといった感じで、これ自体は善行だし間違っているという訳ではないけど、コミュニケーションとしては一方通行で対話がないし、恩着せがましいとさえ感じる人がいてもおかしくないだろう。

それに、親孝行はやり方を間違えると親がそれまでやっていた日常を奪うことにもなりかねない。これまで出来ていたことをやらせない、或いは出来ないようにするというのは親本人にとっては寂しいことになるかもしれないし辛いことになるかもしれない。優しくするのは大事だけど優しさで相手を拘束するのは問題ありだ。

だからこそ私は一般的に良い行いとされている「親孝行」という概念に凄く違和感を覚えるし、それゆえ親孝行をする際はもっと慎重に考えないと人間としての尊厳を奪ってしまうことになるのではないか…と思ったのだ。