タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

痛みに鈍感になる勿れ【アンデッドガール・マーダーファルス #12】

私が小学生の時に住んでたマンションで蛾が大量に発生するという事件がありまして、壁の至る所に枯れ葉色の蛾が止まっていたのが今もなおトラウマとして覚えている風景です。だから今回の蛾のシーン、まぁまぁキツかったですよ。

 

(以下、原作を含むアニメ本編のネタバレあり)

 

「流れの交わる場所」

今回は原作の262頁から384頁(第19節「濃霧ときどき人造人間」の続きから第27節「静句とカーミラ」)までの内容。細かい台詞や回想場面などをカットして上手い具合に約120頁分を1話としてまとめた12話は、鴉夜と津軽人狼村に潜入、ノラの殺害現場の検証、ルイーゼの死体発見、そしてとうとうホイレンドルフとヴォルフィンヘーレ間で戦争が勃発し、保険機構ロイスや〈夜宴〉も加わって混戦の様相を呈する結果となった。

 

鴉夜の捜査によって人狼村に隠し通路があり、地下洞窟からホイレンドルフの見張り塔へ抜け出せることが判明した訳だが、一応補足説明をしておくとあの岩に仕掛けを施したのはかつて人狼と同じ土地に生息していたドワーフ族であると原作で述べられている。これで妊娠中のローザがホイレンドルフに辿り着けた理由も説明がついたし、少女たちが殺された実際の犯行現場が地下洞窟であることも判明した。

金田一耕助ファイル1 八つ墓村<金田一耕助ファイル> (角川文庫)

今回のような農村を舞台にしたミステリで地下洞窟を見るとやはり思い出すのが横溝正史八つ墓村である。『八つ墓村』は鍾乳洞だったけど、地下に湖があるというシチュエーションは『八つ墓村』の鬼火の淵を連想させるし、犯人と思われていたアルマの死体が発見されたが、『八つ墓村』でもこれと同じような場面がある。また、ホイレンドルフとヴォルフィンヘーレ間の戦争は、『八つ墓村』の終盤で起こる村内での暴動を彷彿とさせるものがあり、そういったオマージュネタが散見されるのも12話の注目ポイントの一つである。

 

そして、アンファルの見所の一つである暴パートも展開され津軽は今回本格的に人狼とやり合う形となったが、津軽が今回披露した相手の口に拳を突っ込んでみぞおちを蹴り上げるという技は原作だと「酔月(すいげつ)」と呼ばれており、津軽が半人半鬼になる前、つまり鬼殺しとして活動していた頃に先輩から聞いて知った鎧通しの技である。

喉奥に拳を突っ込まれると身体はそれを吐き出そうとするから口が閉じられなくなる。そして口が開いたままだと歯を食いしばれないので身体が弛緩し、そんな緩んだ腹を蹴り上げられるのだからひとたまりもない。捨て身の狂気と身体的な合理性が合わさった技という点では津軽にピッタリな技ではないだろうか。

 

怪物の条件 ―― 痛みに鈍感になること

今回の物語では前回の感想記事で言及した二重の報い人狼村に降りかかり、〈鳥籠使い〉・〈夜宴〉・ロイスといった異形のよそ者がなだれ込んだことで村は地獄と化した。あの岩に仕掛けられた地下洞窟への入り口もドワーフの復讐心を象徴するものだったことになるが、今回は原作を読んでいた時には思いつかず、アニメ本編を見て閃いた怪物の条件についてお話したい。

 

これまで私は怪物の条件として「よそ者」を挙げたり、怪盗ルパンやオペラ座の怪人ファントムといったその時代の権力に背く者(=まつろわぬ民)も怪物の条件に当てはまることを指摘してきた。怪物というのは肉体だけでなく精神も常人から逸脱した人間を指すということは二章の「ダイヤ争奪」編を見れば十分わかることだし、怪物として描かれたものの中には人間が表沙汰にはしたくないダークな感情だったり性的嗜好が盛り込まれることが多い。そういう意味で、怪物を読み解くことは人間を読み解くのと同義だと言えるだろう。

 

そしてそんな怪物の条件として今回注目したポイントは「痛み」だ。そのヒントとなったのが、今回の冒頭で鴉夜と津軽の前に現れた人造人間のヴィクターである。

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

公式HPのキャラクター紹介によるとヴィクターは「超人的な筋力を持ち、痛みも感じない」と記されている。身体は動かせるのだから神経は通っているのは確かだが痛覚がないようであり、現にアリスの銃弾を胸に受けてもビクともしないのだから血液循環といった身体構造が通常の人間と違うことは間違いないだろう。

 

では「痛みを感じない」というのは一般的な人間にない能力なので怪物の条件の一つに当てはめて良いのかと考えるとそこは慎重に考えないといけない。人間には先天性無痛無汗症※1という難病があるのだから、「痛みを感じない=怪物」などと言ってしまうとそれは差別につながるし、そんな表層的な定義を今回話すつもりは毛頭ない。「痛み」を考えるヒントとしてヴィクターと合わせて人狼のことにも触れないと私の言いたいことは伝わらないだろう。

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

人狼は既にご承知の通り毛皮の防御力が高く刃や銃弾を通さない。そして五感が鋭いため嗅覚・聴覚で相手の居所を探し出せるのだから、正に強敵である。しかしそんな優れた身体能力も裏を返せばこう表現も出来る。

防御力が高いということは痛みに鈍感である

そして、五感が鋭いがゆえにその能力に頼り切って思考がおろそかになるというのは、ブルートクラレが地下への隠し通路の入り口を見つけられなかったことから見て一目瞭然である。どこかが優れれば、どこかが劣る。全てが優れるということはまずあり得ないことなのだ。

 

しかしこういった自分自身の欠落・欠陥というものは往々にして見て見ぬフリをしたり、自分の欠落なのにそれを誰かのせいにするといった形で無いことのように扱ってしまうのが心の流れというもの。それを象徴するのが人狼編におけるレギ婆やブルートクラレのリーダーであるギュンター青年である。

レギ婆の耳にはピアスを通すための穴が開けられており、ギュンターの身体には赤い刺青が他の青年たちよりもずっと多く彫られている。ピアスも刺青も、どちらも身体に施すには「痛み」を伴う。原始的な部族の中にはこういったピアスや刺青を施し、その痛みに耐えることで成人として認められる部族がある。特に人狼は一種の戦闘民族でもあるから痛みに耐性がつくというのは種族としての誉れであり、ギュンターの身体の刺青はそれだけ多くの痛みに耐えたという強い人狼としての象徴になっているのだ。

 

ただ、レギ婆やギュンターのような痛みに耐えた者たちは「自分が耐えられたのだから他の者にも耐えられるはずだ」という思考に陥りやすい。そして痛みに耐えられない者、或いは痛みから逃げようとする者は未熟であり人狼として恥である、というのがヴォルフィンヘーレという共同体ならではの思想であり村に漂う空気感なのではないだろうか。

この「痛みに鈍感になる」という問題は肉体だけの話ではなく精神にも関わってくる。自分の痛みと他者の痛みが同じとは限らないのに、自分の尺度で相手の痛みを判断して「その程度で何泣き言言ってるの?」と責めるのは自分の痛みだけでなく他者の痛みにも鈍感になるということだ。あまり詳しく言うとネタバレになるが、この「痛みに鈍感になる」ということが今回の一連の事件の犯人の動機ともつながってくるので是非とも覚えていてもらいたい。

 

さて、以上のことから私は「痛みに鈍感になる」というのが怪物の条件だと定義づけた訳だが、「鈍感」というのが重要なポイントで、ヴィクターの場合は当初から痛みを感じない身体だからこそ、自分自身の欠落を把握している。※2つまり自分にない痛み・苦しみといった肉体感覚を他の人は持っているということが理解出来るし、それゆえ彼は怪物でありながら人間性を担保出来ているのだと私は思っている。

むしろ、痛みや苦しみを知っている我々人間の方が精神的に怪物である場合が圧倒的に多く、例えばロイスのエージェントの一人であるカイルは醜さを忌み嫌い怪物を狩るという行動原理があるのだが、これなど醜さゆえに迫害される者の痛み・苦しみに鈍感だから為せる所業であり、その鈍感さは怪物としてカテゴライズしても良いだろう。

 

※1:先天性無痛無汗症(指定難病130) – 難病情報センター

※2:これを端的に示したのが、ソクラテス無知の知という言葉だ。

「無知の知」とは?大学教授がソクラテス哲学をわかりやすく解説【四聖を紐解く④】|LINK@TOYO|東洋大学

 

さいごに

ということで今回は「痛み」から怪物の条件をひねり出した感想・解説となった。人狼が怪物なのは何も身体能力の高さではなく、その高さゆえに鈍感になった知性・思考こそが怪物的ではないかというのが私なりの答えである。

「痛み」ついででもう一つ言っておきたいことがあるが、痛みを感じられない原因にはアドレナリンの分泌が関係している。人間は興奮状態の時にアドレナリンが分泌するが、アドレナリンには血圧や心拍、血糖値を上昇させる作用があり、それによって痛覚が麻痺するのだ。今回の終盤、ホイレンドルフの村人たちは正に興奮状態に陥っており、痛みに鈍感になっていたからこそ人狼にも物怖じせず殺しにかかれたことを思うと、あの場面はホイレンドルフの村人が怪物化したのだと読み取ることが出来よう。

痛みがあるから人は病や死を恐れ、おのれの弱さ、そして誰もが弱き者であることに気づく。痛み・苦しみが慈悲という感情とつながるのは医療や看護の世界※3を見ればわかることだし、経験したことがない痛み・苦しみに対してはどうしても鈍感になってしまうからこそ、我々人類は戦争や疫病・災害といった歴史を記録してその痛み・苦しみを継承する必要がある。それを放棄した時、人類は人でなしの怪物へと堕ちるというのが私の意見だ。

 

さぁ次回は最終回。この長いようで短い旅も終わりを迎えるが、本格ミステリとして私が原作未読の方に問いかけるのはこの三点。

1.犯人は誰か?

2.ルイーゼが誘拐された現場から導き出せる答えは?

3.何故犯人は二つの村で犯行を行ったのか?

1に関してはまぁ推理は出来なくとも何となくあの人かな?という予想は立てられるだろう。ただ今回の事件は一章の吸血鬼編のようにフーダニットがメインの話ではなく犯行動機、つまりホワイダニットがメインの謎となっているのでそこを中心に考えれば犯人が弄したトリックも推理出来るだろう。勿論、手がかりは9話から今回の12話までの中に全て出揃っている。

 

バトル面では静句とカーミラの因縁のリベンジマッチ、アリス対クロウリーの飛び道具対決、カイル対ヴィクターの美醜対決の計三つの対戦が見所となるが、最終回で謎解きと同時並行でバトルを描くとなると、バランス良くやらないとバトル描写が尻すぼみになるか、もしくは謎解きが消化不良になってしまいそうなので、ここは演出と脚本の力量が試されるだろう。

 

※3:ホイレンドルフの村人たちが人狼村を襲撃した際、ハイネマンだけその地獄のような状況に怯えていたのは彼が人の痛み・苦しみに向き合う医療従事者だったからではないだろうか?