タリホーです。

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アリバイ検証と"よそ者"の役割【アンデッドガール・マーダーファルス #03】

ニコ動の配信で2話の視聴者コメントを見ていると「体感5分」とか「あっという間に終わった」といったコメントが結構あって、別に原作者でもアニメの制作スタッフでもないのに何か嬉しかったよ。ミステリって捜査パートが退屈というか形式的になりがちだけど、うまい人が書くとちゃんとそこも面白くなるからね。

 

「不死と鬼」

3話は引き続き吸血鬼殺害事件の捜査パート。原作だと78頁~124頁(第6節・第7節)までに相当する。前回が事件発生~〈鳥籠使い〉による現場検証の回だとすると、今回は事件関係者のアリバイ検証を中心に描いている。

このアリバイ検証はミステリに慣れ親しんでない人には少々退屈というかあまり面白みを感じにくいし、何より頭の中で整理するのが大変だと感じる人もいるだろう。しかし原作者の青崎氏はロジック重視のミステリ作家であり、このアリバイ検証も犯人の特定において欠かせない過程なので、物語としては波風のない凪であったとしても、それは非常に重要な凪であることを言っておきたい。

 

〇事件関係者の事件当日の動き

(0:00 ~ 0:30)

全員で昼食

 

(0:30 ~1:00)

【ハンナ】自室へ戻る。

ゴダール卿】【クロード】【シャルロッテ】二階の書斎。

【ラウール】自室へ戻る。

【ジゼル】厨房の後片付け。

【アルフレッド】地下の執務室で作業。

 

(1:00~1:30)

【ハンナ】自室で寝ていた?

ゴダール卿】書斎を出て狩りに出かける。この時、倉庫に異状なし。

【ラウール】ゴダール卿が外に出た約一分後にゴダール卿と合流。狩りの付き添い。

【クロード】シャルロッテと書斎を出てからは自室に一人でこもる。この際、銃声とシャルロッテ・ジゼルの歌声を聞いている。

シャルロッテ】【ジゼル】歌を歌いながら洗濯室で作業。途中、ジゼルがお手洗いのため一、二分ほど退席。

【アルフレッド】地下の執務室で作業。

 

(1:30)

ハンナの死体発見

 

怪物と"よそ者"

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

前回の感想記事で書こうと思いやめたテーマというのが「よそ者」である。今回ゴダール卿が三度も家族を亡くしていると言っていたが、原作ではその辺りの事情がより詳しく書かれており、ゴダール一族が元々この土地に古くから住んでいた吸血鬼ではないということが明らかとなった。

 

では、怪物とよそ者の関係性を示すために、ここで少し吸血鬼の歴史を簡単に説明したい。

吸血鬼と言えば、ブラム・ストーカー原作の『ドラキュラ』が有名だが、ドラキュラをはじめとするヨーロッパの吸血鬼は元々東ヨーロッパの農村で伝えられていた「生き返る死者」の言い伝えが元となっており、18世紀前半には吸血鬼による連続怪死事件でセルビアのとある村が恐慌状態に陥ったという記録が残っている。その事件は新聞を通じて吸血鬼の存在を知らなかったヨーロッパの西側にまで伝わり、吸血鬼の存在が学者の間で論争になるほど知名度を上げた。

吸血鬼の存在が議論される中、世界を合理的・論理的に見る啓蒙主義の思想家は「吸血鬼は迷信」とその存在を否定し、政治家も官僚支配を徹底する上で国家基盤となるための思想を統一するためには異教的な考えや迷信を撲滅する必要があった。その吸血鬼の迷信撲滅に立ち上がったのがハプスブルク帝国オーストリア)の女帝、マリア・テレジアである。

ja.wikipedia.org

1755年、マリア・テレジアは侍医のゲラルド・ファン・スウィーテンを筆頭とする調査団をモラビア地方に派遣。これまで吸血鬼が原因だとされた「腐敗しない死体の謎」や吸血鬼に襲われた人の証言を医学的に解明し、その調査報告を受けてマリア・テレジア「バンパイア 魔法 魔女など迷信に基づく行為を禁止する法令」を出し、19世紀に入ると科学の発展がそれを更に後押しするかのように、吸血鬼は迷信として完全に駆逐されることになった。

 

しかし、吸血鬼は文学・創作の世界で復活を遂げる。それは先ほど挙げた『ドラキュラ』以外に、『吸血鬼』『吸血鬼ヴァーニー』『カーミラ』などがあるが、これらの作品は東ヨーロッパで伝わっていた吸血鬼伝説を元にしながら、一方で新たに元の吸血鬼伝承にはない要素も付け足されている。それは背徳的な人間の愛欲や、啓蒙主義の反対のロマン主義、つまりは非合理的で感情的な人間の心を取り入れた点にある。

そして吸血鬼文学の中で『ドラキュラ』が特に有名となったのには、ドラキュラのモデルが15世紀のトランシルヴァニアを統治していたヴラド公爵であったのは勿論のこと、ドラキュラがルーマニアからはるばるイギリスにやって来た吸血鬼、つまり「よそ者」の吸血鬼というのがポイントではないかと言われている。当時のイギリスは大英帝国として落ち目の時期であり、それに伴い外国からの移民がイギリスのロンドンに流れ着いていた。そんな思想も価値観も全く異なる「よそ者」に対する不信感、植民地支配していた「よそ者」に取って代わられる不安を反映したのが吸血鬼ドラキュラであり、ドラキュラに抱く恐怖は「よそ者」に今まで築き上げてきた富や権威が乗っ取られる恐怖でもあった。

 

ということで、以上の吸血鬼の歴史を踏まえると、「よそ者」が19世紀末のヨーロッパにおいてはある意味怪物の条件の一つであったと言えるだろう。ただし、よそ者が怪物扱いされるのは何も西洋だけの話ではない。例えば、横溝正史金田一耕助シリーズで金田一が初登場した「本陣殺人事件」にはこんな記述がある。

 村の故老の話によると、一柳家は近在きっての資産家だったが、元来がこの村の者ではなかったので、偏狭な村人からはあまりよく言われていなかったそうである。

 一柳家はもと、この向こうの川――村の者であった。川――村というのは、昔の中国街道に当たっていて、江戸時代にはそこに宿場があり一柳家はその宿場の本陣であったという。ところが、維新の際に主人が、(中略)いちはやく今のところへ移って来ると、当時のどさくさまぎれに二束三文で田地を買いこみ、たちまち大地主になりすましたのである。そういうわけだから村の人たちは一柳家のことを陰では河童の成り上がりと悪口をいっていた。川――村から山ノ谷へ上がって来たという意味だろう。

これもフィクションではあるが、よそ者が怪物扱いされるケースを描いた良い例である。政情のどさくさに紛れて二束三文で土地を買うという手段も地元民の価値観と相容れぬ所があり、それもよそ者を怪物とみなす理由の一つなのだ。

更に時代をさかのぼれば、古代日本における蝦夷(えみし)といった大和朝廷の支配の外側にいる民族や、朝廷の支配に従わずに反乱を起こした者たちは鬼や土蜘蛛という怪物として扱われ、討伐の対象となっていた。これもまた、よそ者が怪物と見なされる事例の一つである。

 

※吸血鬼の歴史については、NHKBSプレミアムで放送されたダークサイドミステリー「永遠の命!?吸血鬼伝説の真相~人類は天敵に勝てるのか?~」(2019年7月18日放送)から引用した。

 

ミステリにおける"よそ者"

よそ者が怪物として扱われることを述べてきたが、ここからはミステリ、つまり推理小説における「よそ者」はどのような役割を果たしてきたかを述べていこう。

今現在、推理小説は場所・時代を問わず種々多様な舞台設定で描かれているが、元々推理小説都市型犯罪を扱ったものであり、推理小説の始まりとされるエドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人」も、都市部を舞台にした殺人事件である。

www.aozora.gr.jp

都市というのは村社会と違い見知らぬ人々、元からその土地に住んでいない人々が集まって出来る場所であり、全ての人がよそ者であると言って良い場所である。そんな都市部での殺人は村社会と違って見知らぬ人が殺され、その動機も容易に察せないため人々の関心の的になりやすかった。また、犯罪者も村という限られた人数の共同体の中にいるよりは群集の中に紛れた方が捜査の手が及びにくいため、そういったミステリを成立させる上で非常に有用な条件を満たしていたのが都市という社会構造だったのである。

「モルグ街の殺人」では、作中で事件発生時に多くの人が犯人と思しき声を聞いており、その声はフランス語にも、スペイン語にも、はたまたイタリア語にも聞こえた。この謎が成立するのも、外国からの移民や見知らぬよそ者によって形成される都市部だからこそである。

 

よそ者の集団によって形成された都市がミステリの土壌となったことはざっとわかっていただけたと思うが、このよそ者を事件の引き金として有効活用したのが、先ほど紹介した横溝正史である。横溝は都市を舞台にしたミステリも書いているが、代表作となる『八つ墓村』『獄門島』『悪魔の手毬唄』などはいずれも村社会を舞台にしている。本来ならば村社会という閉鎖的な空間はミステリを描くには不向きな舞台だったのだが、横溝はそこに「よそ者」、つまり外部からの流入者を投入することで都市型犯罪とは一味違う土着的な恐怖をはらんだミステリを生み出したのだ。

村社会には都市にはない人間同士の深いつながりがあったり、暗黙のルール・価値観が存在する。そこには、時として公には明かせない村ならではの闇があり、それは絶妙なバランスを以て外部に漏れ出ないよう均衡がとられているものだ。その均衡を破壊するのが他ならぬ「よそ者」の存在であり、それを日本ならではのミステリとして発展させたのが横溝正史の偉業だと私は評価している。

 

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© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

そして、何より忘れてはならないのが探偵もまた「よそ者」であるということだ。探偵は事件の起こった土地の外側からやって来て、調査という形で関係者や事件現場をかき回していき、事実を浮き上がらせる。勿論、事件の謎を解いてくれるという意味では感謝すべき存在である一方、関係者が見て見ぬふりをしていたモノや不都合な真実までをも浮き彫りにするため、時として疎まれる存在である。場合によっては探偵が介入したことで事件が悪化するというケースもあるため、必ずしも歓迎されないのが探偵の定めなのだ。

 

さいごに

今回はアニメ感想というよりも、終始「怪物・ミステリとしての『よそ者』論」になってしまったので最後に改めてアニメの方に戻ると、この吸血鬼編は面白いことに登場人物や事件関係者のほとんどがよそ者なんだよね。〈鳥籠使い〉一行は言うまでもないとして、アニー・ケルベルを含む新聞記者は報道のため外部から来たよそ者だし、事件の引き金的存在であるヴァンパイアハンターもよそ者、ゴダール一族もこの土地に元々住んでいないという意味ではよそ者だ。

そのゴダール一族にしても、家族という形はとっているものの、吸血鬼の生命の長さを考えると家族としては歴史が浅く、息子や娘はまだ未成年に等しい。冷たい言い方になるかもしれないが、ゴダール一族の家族としてのつながりは、時間の長さだけで判断すると見ず知らずの人々が集まる都市部と五十歩百歩の差なのだ。ゴダール卿やクロード、そしてラウールが内部犯の可能性を主張する鴉夜や津軽に突っかかるのも、その裏には一族としての歴史の浅さ、そのつながりの弱さを指摘されることに対する恐れと怒りがあるからではないかと私は分析した次第だ。

 

さて、次回はいよいよ解決編。今回と前回の捜査で犯人特定に必要な手がかりは全て出揃った。あとは論理的思考で犯人が誰か、そしてどのようにしてハンナ・ゴダールを殺害したのか、原作未読の方は是非推理してみてはいかがだろうか。本作は吸血鬼を題材にした特殊設定ミステリなので、アンファルの世界における吸血鬼の特徴を把握しておかないと真実には辿り着けないと、これだけはヒントとして言っておこう。

ただこういった犯人当てミステリって、真剣に推理して犯人と犯行過程を当ててしまった場合、解決編が単なる答え合わせになってしまうのではないかと常々思っているので、私はあまり真剣に推理せず「何となくこうかな~?」程度でいつも推理をやめている。どうせミステリを読むのだから、そこは作者のトリックに引っかかって「やられた!」って思いたいじゃないですか。